09-A
傭兵になって半年が過ぎた。
私は、相変わらず、1日に何件もの仕事を掛け持ちするという、ハードな生活を送っている。
だけど、もう随分慣れて、疲れもあまり溜まらなくなってきている。
休む時はとことん休むように心がけるようにしたのも、良い結果をもたらしているようだ。
そんな私には今、ある悩みがある。
学校の成績に関しての悩みだ。
先月、3年生2学期の学期末試験が行われた。
さすがに、試験期間くらいは行かなきゃマズいだろうということで、仕事を控えて学校へ行くようにしたんだけど、時すでに遅し。
授業が全く理解できないまま、アレットにいろいろ教わっても頭に入らず、本番を迎えた。
……まぁ、どんな結果になるのかなんて、自分が一番わかっていたよ。
もちろん、散々な結果だ。
何しろ、4教科全てで落第点を取り、順位は一気に落ちこぼれラインまで下落。私の下には10人もいない。
これまでの最低記録を大幅に塗り替えてしまったわけだ。
成績が発表された日の帰り、中央広場のいつものベンチに私と並んで座った友人アレットは、呆れたような顔と口調で、「どうするの?」と聞いてきた。
それに対し私は、返す言葉が無かった。
ただ、「どうすればいい?」と質問に質問を返しただけだ。
そんな私にアレットは、「仕事をしばらく休んで、勉強に集中して」と懇願するように言い、毎日一緒に勉強することを約束してくれた。
来月行われる学年末試験にて、もし落第点を取ってしまったら、就職に必要な「就労権」を認められることなく卒業することになってしまう。
そうなれば、もし何かあって傭兵を続けられなくなったり、歳を取って傭兵を引退した後が困る。
就労権が無ければ普通の職には就けない。
だからこそ私は、次の試験で絶対に落第点を取らないようにしなくてはならないわけだ。
アレットが、今まで以上に時間を割いてくれると約束してくれた以上、私もそれに答えなくちゃいけない。
仕事を休んで、一旦ミドルスクールの生徒としての生活に戻り、勉強一筋で頑張らなくちゃいけないんだ。
……などと意気込んではみたものの、私の足は仕事を探すために協会支部へと向かっていた。
そしてさっき、とあるファミリアを掃討する仕事を終えたところだ。
今日で、モンテスを出て5日目。その間に、三つの仕事をこなした。
昼食を店で済ませた私は、疲れた身体を引きずって馬車を探し、今はその馬車の車内でぐったりとくつろいでいる。
……さっきから、溜め息しか出ない。
もちろん、その理由の大半は疲労によるものだ。
だけど、やっぱり試験の成績が頭から離れない。
答案用紙に記されたあの点数たちを思い出すだけで、溜め息が増える。
もしかしたら、傭兵採用試験に落ちた時よりショックかもしれない。
あの時はまだ、救いがあったからね。
もう一度深く深く溜め息をついて、ふと窓の外へ目をやる。
「……ん?」
木々の混じる広い草原、4、50メートルは離れているであろう隣の道に、何かある。
それが馬車であると認識すると共に、別の何かの姿も視界に飛び込んできた。
「止めてっ!」
咄嗟に御者に向かって叫び、バッグを肩から斜めに掛けて、馬車が止まるより先に客車のドアを開けて外に飛び出した。
「ちょっ、どうしたんだい、お客さん」
丸くした目で私を見る御者に「できるだけ速くここから離れて」と言い、向こうにある馬車を指差す。
「あそこにファミリアがいます」
「なっ、……ファミリア?」
「だから、早く逃げて!」
そうして駆け出そうとした私の背に、「ちょっと待て!」と御者の声がぶつかる。
「あんたはどうするんだ? まさか、あそこに行こうってのか?」
私は、振り返らずに「ええ」と頷く。
「だって私は、傭兵だから」
それだけ言い残し、もう後は何を言われても振り返らずに走る。ファミリアに襲われている馬車へ向かって。
走りながら剣を抜き、ファミリアの種類を確認する。
すぐに、馬車を襲っているファミリアの全貌が見えてきた。
「あいつは……!」
そのファミリアには、見覚えがあった。っていうか、ついさっきまで戦ってた奴じゃないか。
……こんなところになぜ? もしかして、私たちの手を逃れた奴か?
いや、複数人で掃討に当たっていたんだ、見逃すはずはない。
となると、さっき戦った群れとは別の奴か。
周囲を見渡す。見える範囲に、奴らの仲間はいない。
ならとにかく、向かう先で馬車を襲っている奴らを倒すことに集中するべきだ。
崩れかけた客車に繋がれた馬は、2頭共すでに死んでいる。頭が無いんだ、死んでない方がおかしい。
10メートルほどまで近付いてようやく、奴らは私の接近に気付いたようだ。
一斉にこちらを振り向き、耳障りな威嚇の声を上げる。数は3体。……余裕だな。
両手の大きな鎌を振り乱し、背中の羽を広げるそいつは、ライトマンティスというカマキリ型のファミリアだ。
見た目は、カマキリをそのまま巨大化させたような感じで、体高はおよそ2メートル。
主な武器は、普通のカマキリ同様、両手の鎌。逆三角形の頭部にある口も脅威だけど、攻撃はあくまで鎌で行う。
私に向けて一斉に飛び立つライトマンティスたち。それと同時に、私は方向転換。
馬車から奴らを離すために、奴らの注意を引きつつ駆ける。
……馬や客車の様子を見れば、中にいる人間も無事ではないだろうことはわかる。
だけど、もしかしたらまだ生きているかもしれないんだ。この目で確認するまで、諦めない。
「……よし」
充分距離を取ったと判断して身体を翻した私は、剣を握る手に力を込め、襲い来るカマキリたちを迎え撃つ。
すでに眼前にまで迫っていた鎌を、身を低くして躱した私は、そのまま剣を振り上げて、そいつの鎌を根本付近から斬り飛ばす。
すかさず立ち上がると同時に身体を回転させ、鎌を斬られたそいつにこちらへ振り返る暇を与えず、剣を斜めに振り上げる。
刀身は、そいつの腹部の下から潜り込み、背中へ抜けた。
胴体を分断されてバランスを崩すそいつの横から現れた別のカマキリが、鎌を振り下ろしてくる。
危なげなく身を反らして空振りさせると、体勢低く両鎌の間へ踏み込み、そいつの長い首へ刃を吸い込ませ、両断。
首を失って崩れ落ちるそいつから視線を上へ移動させれば、ちょうど残りの1体が鎌を振りかぶって急降下してくるところだった。
口の端が、上がる。
降下の勢いを借りて風を斬って振り下ろされる鎌は、当たれば即死級の威力だろう。
だけど、私には当たらない。
鎌が私の頭を破砕する直前に素早く前へ大きく一歩踏み出し、そこで勢いをつけて斜め上へ跳ね、空中で身体を捻って回転。剣を振る。
ちょうど私のすぐ横に下りてきたカマキリの胴をぐしゃりと切断し、着地。
「ふぅ」
一息つきながら剣を振り、私への殺意にまだ弱々しく蠢く敵の命を刈り取る。
「さてと」
馬車の方へ顔を向け、そちらへ歩き出しながらもう一度剣を振れば、最初に胴を斬ってやった敵の頭も地面を転がる。
仕事の時は、もっとたくさんいたから時間もかかったし苦戦もしたけど、3体じゃ遊び相手にもならないよ。
でも、私にとってはそうでも、普通の人間にとってはそうではない。
「……」
2頭の首無し馬と一緒に血の海に沈む男は、おそらくこの馬車の御者だろう。首から下は無傷のようだけど、頭部は頭蓋骨ごと斜めに斬られ、その中身がどろりと血だまりに混ざっている。
むせ返るような血臭に頬を歪めながら、破壊されて斜めになった客車へと移動し、窓から中を覗く。
「!」
ぼんやりとだけど、中に人影がある。だけど、それは動いてない。
へこんだドアをこじ開け、車内へ。
傾いた車内にいたのは、1人の若い女性だった。買い物帰りだったのか、車内は散乱した卵や野菜にまみれている。
目を閉じ、ぐったりとしている女性の頸動脈に触れて脈があることを確認した私は、とにかく外へ出そうと思い、彼女を抱え上げようと身体の下に手を入れた。
「ん?」
手が濡れる感覚。次いで、鼻をつく臭い。
「あ……」
見れば、女性の穿いているロングスカートには大きな染みができていた。
……よっぽどの恐怖だったのだろう。だからこそ、気絶できたと言うべきか。
一旦女性を下ろし、服の袖をまくってから再び彼女の身体の下に手を入れ、抱え上げる。
気を失っているからか、ずっしりと重たく感じる。
ゆっくりと、どうにか客車から出た私は、少し離れた場所まで歩いていき、地面の上に女性を下ろす。
そして、すぐに怪我の確認に移る。
どうやら無傷のようだと安堵した直後、女性の目が薄っすらと開いた。
「大丈夫ですか? ――わっ!」
声をかけた途端、女性はぐわっと身体を起こして私に抱きついてきた。
何事かと思ったけど、彼女の身体がブルブルと震えているのを感じ、「もう大丈夫ですよ」と優しく背中を撫でてやる。
いくらか時間が経ち、ようやく落ち着きを取り戻した女性に事情を聞こうとした時、遠くから「おーい!」という声がした。
「? ……あ」
声のした方を見れば、こちらに向かって走ってくる馬車と、手を振っている男性の姿が。
それは、さっき私が乗っていた馬車と、その御者だった。
御者は、私のことを心配して戻ってきたらしい。ついでに、男傭兵を2人も連れてきた。
彼らは、御者が一旦街まで戻ったところで偶然客としてやってきた人たちのようで、事情を話したら連れて行けと言われたようだ。
1人は前方にある破壊された馬車へ、もう1人は私が倒したライトマンティスたちを見に行き、2人共すぐに戻ってきた。
そんな彼らに事情を説明すると、ここの片付けは任せて、お前は助けた女性を家まで送れと指示された。
そこで、話に乗ってきたのが御者の男だ。
「だったら、俺の馬車に乗りな。どこへだって送り届けてやるぜ。もちろん、金は取らねぇよ」
なんとも心強い限りだね。
それなら遠慮無くと客車のドアを開け、女性に乗車を促すと、なぜか彼女はそれを躊躇っている様子だった。
理由はすぐにわかった。視線を下げれば、スカートの大きな染みが見える。
「そんなもん気にすんなよ。さぁ、乗った乗った」
御者席からこちらに顔を出して笑う御者の言葉に、女性はまだ躊躇している。
そこで私は、自分のバッグから未使用のタオルを一枚出して彼女に差し出した。
「良ければ、これを敷いて下さい」
すると、女性はおずおずとタオルを受け取り、「ありがとう」とか細い声を発した。
そうしてようやく、とことん遠慮がちに客車へ乗り込み、続いて私も乗って、ドアを閉めた。
「それじゃ、後のことは頼んだぜ」
傭兵らに元気にそう言い残し、御者は馬車を出発させる。
私はちょっと臭う車内で、女性に話を聞くことにした。




