06-A
前回の試験から、早半年。気付けば、第133期・傭兵採用試験が始まっていた。
今は各地の試験場にて、小試験が行われている頃だ。
いやぁ、懐かしいなぁ。そういえば、小試験だけはいい成績だったっけ。
その後の本試験で苦戦に苦戦を重ね、いいところまで行ったものの不合格。涙を呑んだものだ。
……いや、悔しさを堪え切れてはいなかったっけ。まぁいいや。
そして今、私はオルトリンデ北東部にある山岳地帯に来ている。
ここらは、あるファミリアのせいで樹木が薙ぎ倒され、全体の三割ほどの山肌が露わになってしまっている。
「……」
バケツに汲んだ水の中に両手を突っ込み、ある物をきれいに洗う。
そのある物というのは、傭兵採用試験に深く関係している物だ。
「よし」
水の中から出した右手で掴んでいるのは、綺麗な濃い赤色の球体。
これは、あるファミリアの“核”だ。
ファミリアの核っていうのは、人間で言うところの脳や心臓に当たるものであり、そしてその“あるファミリア”っていうのが、ここらの山の三割を丸裸にした張本人。
名前はゴーレム。傭兵採用試験の最終試験にて、散々戦った相手だ。
そして、そのゴーレムの核をきれいに洗い上げるのが、私たちに与えられた仕事である。
傭兵採用試験の本試験は、二次試験と最終試験に分けられている。
二次試験をパスすれば最終試験に進むことができ、その最終試験にて、傭兵支援協会が用意したファミリアたちと戦うことになるんだ。
で、その中の一種類がゴーレムであり、私は協会が募集していたゴーレムの捕獲という仕事に参加したわけだけど、与えられたのは、先輩方がとってきた大量の核に付着している、土や泥を洗い落とすという仕事だった。
変だと思ったよ。
試験で使うファミリアの捕獲なんて、協会側が用意した傭兵がやる仕事なのに、誰でも参加可能なんて募集要項に書いてあるんだもん。
ここに着いて早々、麓に建てられたいくつものパイプテントの下に案内され、バケツを渡されて仕事内容を聞いた時、ちょっと驚いたものの、酷く納得してしまった。
そりゃそうだよね、って。
テントの下には、私以外にも十数人の若い傭兵の姿がある。やってることはみんな同じだ。
次々に運ばれてくる土や泥だらけの核を、近くの川から水を汲んでおいたバケツの中に入れてきれいに洗う。
バケツの底に泥が溜まれば、水ごと捨ててまた新しく水を汲んで来て、以降繰り返し。
一応、テントの中には長テーブルが用意されているので、長時間しゃがんだりしながら作業をすることにならずに済んでいるものの、長時間立ちっぱなしというのも地味に足にくる。
まぁ、椅子が用意されている分救いはあるけど。
「……」
ただ、この単調作業はかなりキツい。それに、手がふやける。
そういえば、まだ1人で家事をしていた頃は、水仕事で手が荒れてたっけ。
皮が剥けたり、ひび割れしたり、いろいろ大変だったなぁ。
「……」
そうして、おもむろに自分の手のひらを見つめる。もう手荒れは無いものの、あの頃とはまるで別人の手になってしまっていた。
ずっと剣を握ったり振り回したりしていたから、手は全体的に固くなり、特に指の付け根辺りはカチカチになっていた。
手のひらは横に広くなり、指も心なしか太くなったような気がする。
……わかってたことだけど、もうこれは女の子の手じゃないな。
まぁ、ちょっとだけ昔の手に未練はあるけど、今のこの手の状態は私が今まで頑張ってきた証なのだから、嫌ではないし辛くもない。
そして作業に戻ったところで、また新たに一輪車いっぱいに積まれたゴーレムの核が運ばれてくるのだった。
昼休み。
昼食として配られた質素な弁当と水を胃に放り込み、30分後にはまた午前中と同じ作業に取りかかる。
弁当の中身がさほど多くなかったことで満腹にならなかったのが良かったのか、単調作業でも睡魔に襲われることなく集中できた。
朝から今まで、ほかの若手傭兵とはほとんど会話をしていない。したのは、挨拶など、必要最低限の言葉の交換だけだ。
ほかの人も、黙々と作業をしている。
正直、誰かが積極的に話しかけてきてくれるものと淡い期待を抱いてはいたものの、現実はこんなもんか。
まぁ、黙ってた方が集中できるし、特に今回みたいな仕事の場合、喋ってる暇なんてないからね。
何しろ、やってもやっても終わんないんだから。
それから数時間が経ち、日が沈み始める頃、ゴーレムの核収集を任されていた先輩傭兵たちが、ぞろぞろと山道を下ってきた。
彼らは、まだ作業が残る私たちに、「ご苦労さん」だの「お先に」だの言い残し、さっさと帰って行ってしまった。
私は一つ溜め息をつき、作業に戻る。
この分だと、帰るのは夜遅くになりそうだなぁ。
その予想通り、帰りの汽車に乗る頃には、いつもならお風呂に入ってるくらいの時間だ。
「んぁ~、疲れた」
がらがらの車内で、私はそう呟いてだらりと席に座る。
このまま横になったら間違いなく寝てしまうので、座り直して窓の外へ目をやる。
窓外にあるのは闇ばかりで、上を見れば、やや雲が多めな星空。
そっと窓外から窓へ焦点を変えれば、窓ガラスには疲れきった顔をした自分が映っていた。
それがあまりにブサイクで、思わず吹き出す。疲れ過ぎてるせいか、笑いが止まらない。
どうにか笑いをこらえて窓から視線を外し、俯く。
そして、椅子に立てかけた剣を見やる。
「使わなかったなぁ……」
仕事場に行く前に、ゴーレムとの久し振りの戦いに意気込んでた自分が馬鹿みたいだ。
戦いなんて無かった。いつもの、低ランク傭兵の仕事だった。
大きくため息をつき、目をつぶる。
そうして結局、モンテスに着くまで眠ってしまった。
家に帰ると、いつものように父がリビングで新聞を読んでいた。
「ただいま」
「おう、おかえり。遅かったな」
新聞の文面から私へと視線を移動させる父に、「スヴェンたちはもう寝たの?」と聞いてみる。
「ああ、だいぶ前にな」
父はそう答えてから、「飯は食ってきたのか?」と聞いてくる。
「ううん。昼から何も食べてない」
「なら、そこの鍋にスープがあるから食え」
食欲は、あまり無い。今はとにかく、身体を休めたい。
「お風呂に入ってからにする」
そう言って、私はフラフラゆっくりと浴室へ向かった。
ミリィが作っておいてくれた野菜スープを少し飲んで夕食とした私は、部屋に行く前に、今日の仕事のことを父に話して聞かせた。
「やっぱり、そんなことだったか」
私の話に、父は声を出して笑った。
「ホント、簡単だけどキツい仕事だったよ」
ファミリアと戦うより、何倍もそう感じた。
「だけど、まぁわかってるとは思うが、低ランクのうちは仕方ねぇよ。仕事させてもらえるだけありがたいと思わなくちゃな」
そう言う父の表情には、わずかに寂しさが混ざっているように見えた。
「簡単でやりがいのない仕事ばかりじゃ嫌だ、早く上に行きたい。そうやって向上心を引き出させるようにできてんだよ、低ランクの仕事はな。お前も、そう思ったろ?」
どんな小さな仕事でも、仕事は仕事。そう思って頑張ってきたけど、父の言葉を否定できない自分もいる。
剣を振るいたい。人々のために、ファミリアを斬りたい。戦いたい。
……あれ? いつから私は、こんなに好戦的な性格になったんだ。
「思うし、向上心もあるつもりだけど、すぐに上に行けるわけじゃないし、地道に頑張るよ」
そう言って席を立つ私に、父はゆっくりとソファの背もたれに身体を預けながら、「まぁ、そうだな。頑張れ」と目を閉じた。
私は「うん」と頷き、リビングを出ようと歩き出す。
「ああ、そうだ」
その背に、父の声がかかる。足を止めて振り返ると、父と目が合った。
「夕方頃にな、アレットちゃんが来たぞ」
「え? ……あ」
そっか。今日も勉強を教えてもらう約束してたんだった。帰るのがこんなに遅くなるなんて思わなかったからなぁ。
「明日、謝っとく」
小声で言うと、父は「ああ」と頷いた。
自分の部屋に入り、勉強机の上のオイルランプを点す。
そして椅子に座り、溜め息。
「疲れた……」
今日の仕事も、そりゃ心身共に疲れる原因だったけど、それだけじゃない。
私は今まで、どれだけの仕事をこなした? 数えておけばよかったな。
今更手帳を見て数え直すのも億劫だ。
つまり、そう思うほどの数の仕事をやってきたってこと……か。
……休みが、無い。
平日は学校と仕事。休日も仕事。
いや、違う違う。休みが無いわけじゃない。休めるのに休んでないだけだ。
これって、学校に通いながら家事をしてたあの頃の状況に近いな。
だけど、あの頃よりも確実に疲労は溜まってる。
何が違うんだ? あの頃も今も、私は家のため家族のために働いている。
じゃあ一体、何が違う……?
「……もういい」
私は苛立ち混じりに思考を引きちぎり、椅子を引き、机の上に重ねられた教科書とノートを開いて並べる。
そして大きく深呼吸をしてから、勉強に取りかかった。
少しでも、自分でやっておかなくちゃ……。




