05-A
集合住宅の一室で、私たちはテーブルを挟んでお互いの近況を語り合った。
仕事はちゃんと取れているのかとか、今までどんな仕事をやったのかとか、どれだけの仕事をこなしたのかなどの、傭兵としての生活について。
それから、お互いの日常生活なんかについても話し合った。
時に笑い、時に驚き、時に真面目に。
時間にしておよそ2時間、私たちはほとんど喋りっぱなしだった気がする。
そして夕方、ちょっとした手伝いがあるから1時間くらい出てくると言ってイライザが外出し、私とフランカは彼女の部屋で留守番をしながら待つことに。
「……きれいなお部屋ですよね」
イライザが出て行った数分後、フランカが静かに口を開いた。
私は室内を見渡し、「そだね」と返す。
確かにきれいだ。
天井や壁などは、集合住宅自体の経年の汚れがあるけれど、室内にホコリやごみはほとんど見当たらないし、掃除の手が行き届いているのがひと目でわかった。
物自体が少ないから、すっきりして見えるってのもあるかもね。
まぁ、一人暮らしなんだから、物が少ないのは当たり前か。
「……さっきのイライザさんのお話、どう思われました?」
急に本題に入ったな。まぁ、フランカが何を聞きたいのかはすぐにわかったけど。
「アーヴィンさんは、警官としての仕事をしただけ。フランカさんも、そう思ったんでしょ?」
躊躇わずにそう言ってみると、フランカは「ええ」と小さく頷く。
「でもさ、まだわからないよ」
「え?」
顔を上げて私を見るフランカ。私も彼女の目を見つめ、言葉を続ける。
「もしかしたら、アーヴィンさんもイライザさんのことを好きかもしれないでしょ? イライザさんはアーヴィンさんに想いを伝えてないみたいだし、まだ、可能性は充分あると思わない?」
するとフランカは目を輝かせ、「そうですよね!」とこっちへ顔を寄せてくる。だけど、その眉間がきゅっと寄った。
「しかし、イライザさんがアーヴィンさんのお気持ちを確かめようとなさらなければ、何も進展しないということですよね」
私は一つ溜め息をつく。
「そういうことだね。そしてそれは、私たちが口出しするようなことじゃない。いや、口出ししたとしても、結局はイライザさんが勇気を出さなきゃいけないんだよ」
そう言って立ち上がった私は、窓辺へ行き、オラーリャの街並みを眺める。
「……あの時の、フランカさんのように」
その呟きはフランカに届いたようで、「そうですね」という言葉が、静かに返ってきた。
窓から眺めるオラーリャの街並みは、それほど高い建物もなく、屋根や壁の色もほぼ統一されていてきれいだなと感じた。
さっきの商店街には人々の活気もあったし、この街からはイライザが言うような貧しさは感じない。
でもきっと、私みたいな外の人間にはそう見えるだけなんだろう。
実際にここで暮らしているイライザが言うのだから、人々が貧しい暮らしをしているというのは事実なんだと思う。
その後、本当に1時間くらいして帰ってきたイライザに、着替えを持ってついてきてと言われて連れて行かれたのは、彼女が以前働いていた食堂だった。
完全に日が落ちる前に、夕食と入浴を済ませておこうということらしい。
イライザの姿を見るや、店員も客も彼女に挨拶したり声をかけたりして、さすが元看板娘って感じの人気っぷりだった。
奢ってあげるから好きなものを頼んでと言われ、最初は遠慮したんだけど、どうしても奢りたいらしいイライザに押し切られ、結局お言葉に甘えさせてもらうことにした。
空を覆う朱に黒が混ざり、辺りの闇が濃くなり始める頃、私たちは商店街近くの公衆浴場でさっぱりして帰路についた。
それから少し経てば、もう辺りは真っ暗だ。
「外、暗いだろ」
「うん……」
イライザと並んで見る夜のオラーリャは、昼間の穏やかさが嘘のように不気味な街へと変貌を遂げていた。
「公共施設なんかはともかく、一般家庭にはほとんど電気が普及してないんだ。そのせいで、夜はとにかく暗い。通りにある街灯は、巡回する警官のためにあるようなもんさ。一般人は、日が落ちたら滅多に外出しない。どんな犯罪に巻き込まれるかわかったもんじゃないからな」
そう言って、静かにカーテンを閉めるイライザ。
室内は、テーブルの上に置かれたオイルランプのぼんやりとした明かりに照らされている。
イライザはソファに腰を下ろし、背もたれに身体を預けた。
「まだ寝るには早いし、もうちょっと話でもするか。ほかにやることもねぇしな」
私も向かいのソファに座り、「そだね」と同意する。
「あ、そういやさ、まだティナの恋愛話って聞いてないよな。聞かせてくれよ」
突然そんなことを言われ、私の喉からは「ふぇ?」と変な音が出た。
「そ、そそそっ、そんなの無いよ! 無い無い!」
手のひらを前に出して首をぶんぶん振る私に、イライザは目を細めて身を乗り出す。
「嘘つけ。あんたもう15歳だろ? そろそろそういう話があってもいいはずだ」
「ひゃっ!」
気付けば、隣に座っていたフランカが私の腕に抱きついていた。
「そうですよ。白状なさって、ティナさん」
「ちょっ、ちょっとぉ!」
すると、イライザもこっち側に来て私の隣に座る。
「ほれ、言えよ。好きな男の1人や2人いるんだろぉ?」
「だからぁ、いないってばぁ!」
その後しばらくその問答が続き、やがて飽きたらしいイライザが全く別の話題を出したことで、どうにか私は追求を逃れることができた。
好きな男? いないよそんなの。
「……」
真っ暗闇の部屋の中で、私は目を覚ました。
何かが、聞こえた気がしたんだ。
ソファから降り、窓辺へ向かう。そしてカーテンを少し開けて外を見るけど、そこには闇しかなかった。
「ん、どした、ティナ……」
私の気配を感じてか、細いベッドで眠っていたイライザが目を覚ました。
「あ、ゴメン、起こしちゃった? ……いや、なんか音が聞こえたような気がして」
「音ぉ?」
眠そうな声を漏らしながら、イライザがベッドから下りようとした、その時だった。
「――――!」
何かが爆発するような鈍い音が、聞こえた。寝ぼけてるせいじゃない。確実に耳朶を打った。
「なんだ、今の音」
ベッドから跳ぶように下りて私の横に並んだイライザは、素早くカーテンを全開にして外を凝視する。
そして、また音。
随分遠くから聞こえるけど、それでこの音量なのだから、かなりの轟音のはずだ。
「こりゃ爆発音か? いや、でも火も何も見えねぇな。一体何が……」
「あ、見て! 警官が……」
集合住宅の前の通りを、警官たちが駆けていく。やっぱり、何かが起きてるんだ。
「どうする? イライザさん」
そう聞いて彼女の顔を見ると、暗闇の中薄っすらと見えるそこには、すでに何かを決意したような引き締まった表情があった。
「あたしらも行くよ。何か起きてんのは確実みたいだし、街にいるほかの傭兵たちも行くと思う」
私は「うん」と頷き、フランカを振り返る。
だけど、もう一つのソファにいる彼女は、……起きてはいなかった。静かな寝息が聞こえる。
「鈍いのか肝が据わってんのか……。とりあえず起こしな。ここに1人で残しとくのも不安だし」
呆れるイライザに苦笑いを返し、私はフランカを起こしにかかった。
音は、その後も響き続けている。いや、じょじょに数が増えているようだ。
私たちは、音が聞こえてくる方向を確かめながら、比較的明るい通りを駆け続けた。
通りの民家の窓に、何事かと顔を出した住人の姿が見える。1人や2人じゃない。
彼らのざわめきが集まり、あっという間に騒がしくなっていく。
その中の何人かが私たちに気付き、何が起きているのかと声をかけてくるけど、イライザが「放っときな」と言うので、無視して通り過ぎる。
まぁ、何が起こっているのか私たちにだってわからないのだから、答えようがないんだけど。
轟音はどんどん大きくなっていく。
そして、別の音も聞こえてくるようになってきた。
「足音でしょうか。たくさん聞こえます」
フランカの言う通り、確かに複数の足音のような音が聞こえる。重たい、地響きのような音だ。
このリズムは、足音にしか聞こえない。
そしてそれは、明らかに人間のものではない。
「やっぱり、ファミリアかな」
斜め前を駆けるイライザの横顔に向かって言うと、「そう考えた方がいいね」と返ってきた。
「けど、だとしたらマズいな。こんな暗闇の中じゃ、まともに戦えやしないよ」
多くの民家には電気が通っておらず、街灯も少ない。見渡す限り、ほぼ闇だ。
こんな状況では、イライザの言う通りまともに戦えそうにない。
どうすれば……。
そうして、もうすぐ駅前広場に着くというところで、ひときわ大きな轟音が炸裂した。
「――なっ!」
向かう先の民家の壁が爆発するように砕けて飛び散り、大きな影が私たちの前に現れた。
慌てて足を止めた私たちは、少ない明かりに照らされて明らかになった影の正体に驚く。
「……牛?」
そう、それは牛だった。
頭に2本の角を持つ、黒茶色の体毛に覆われた巨体。
……いや、だけど、何か違和感がある。
「こいつ、ただの牛じゃねぇな。……やっぱりファミリアか」
鼻息荒いそいつの口にはずらりと鋭い牙が並び、私たちを睨めつける双眸は暗闇の中、ギラリと黄色い光を放っている。
イライザの言葉通り、明らかに普通じゃない。
轟音はそこらじゅうで弾けている。
つまり、この街に現れたのは目の前のこいつ一頭じゃないわけだ。
「ティナ! フランカ! 剣を抜けっ!」
イライザの号令を合図にするかのように、牛の怪物が地を蹴って駆け出した。
「あいつの前に立つなよ! 足を狙え! とにかく動きを止めるんだ!」
そして私たちも駆け出す。
敵は、目の前。




