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南雲弘樹 後編

次の日は日曜日だったので、朝から道場へ行ってみた。他の人からも意見を聞いて結論を出そうと決めたからだ。道中、昨日あの男の寝ていた土手を覗いてみたが、誰もいなかった。

道場の外で小山が、体操だかストレッチだか分らない動きをしていた。「朝から何してるんですか?」後ろから声をかけると、背中がビクっと動いた。

「なんだ、南雲か。脅かすな。朝の体操だよ」少なくとも体操には見えなかった。ストレッチにも見えない。タコ踊りか?

「それを体操とは認めないよ。俺は」

「俺の創作した、昔の武士が朝やっていただろうと思われる体操だ」と、胸を張り、自慢げな態度をとる。

「武士への冒涜にしか見えない」俺の正直な感想だ。

「涼子にも言われたよ」

「ええ、言ってやったわ」いつの間にか俺の隣に涼子さんが立っていた。

慌てて俺は涼子さんに向き直った。「あ、おはようございます!」

「俺には挨拶なしか?」

「二人にしたんだよ」と、付けたすと涼子さんが含み笑いをした。

「はい、いつもの」と、涼子さんが小山に牛乳瓶を差し出す。

「朝はやはり、これだ」と、牛乳を一気飲みする。

「でも、武士は朝から牛乳飲むかな?」

「もし今も武士がいたなら、朝から牛乳を飲むだろう」と、小山が口を開いた瞬間に涼子さんが言う。「でしょ?あなた」小山を横目で見る。

「そのとおり。もし今の世に、武士と呼べる人がいないなら、俺のことを武士と呼べ」

「その言葉には賛成できない」

「俺は牛乳の件から」

この後、小山の武士論を聞き流し、道場に入る。いつもこの男は、世界で一番武士のことを、時代劇のことを理解していると思い込んでいる。が、たまに共感できる話もあるし、一理あることも言う。「で、今日は何しに来たんだ?」と顔を洗いながら聞いてきた。

「アドバイスをもらいに来たんだよ」正直に答えてみた。

「まさか、仇討ちに関係するアドバイスか?」と、まさにど真ん中の返答をさたので、つい表情に出してしまう。

「やっぱりそうか。いや実はさ、この前の夜にも鮎川に相談されたんだよ」と、うんざりした声を出す。「いいか、時代劇をたくさん見ている俺だから言うが、仇討ち、いや憎しみは毒だ。ある程度なら薬にはなるが、やりすぎると盲目になる。回りが見えなくなり、暴走し、憎しみの対象以外にも傷つけるようになりやがて、止まれなくなる。そして、最後には何を憎んでいるのかすら忘れる」

 「いや、憎しみ論じゃなくて、仇討ち論を聞きたいんだけど?」

 「おい、『辻斬り長次郎』を見てないのか?あれを見ればわかるだろう?見えてくるだろうが?」当たり前のような口ぶりだった。

 「見えないから聞いてるんじゃないか。それに憎しみは少しならいいのか?」

 「あ、いや、その」と、口ごもる。自分の管轄外の話題には、大抵このようになる。やっぱりだめだ、この人は。

 すると、道場の扉が開いた。空が入ってきた。俺が「あ、おはよう」と声をかけると、小山が「じゃ、おやすみ」と手を振る。

 「んじゃ……いってきます」と言うと、布団の敷かれている場所まで行き、倒れるとそのまま眠ってしまった。

 「あいつ、日曜はいつもこうだ」

 「なんで、あぁなんだろう」俺が漏らすと、小山が目を見開いた。

 「南雲、知らないのか?鮎川は夜に眠れないんだとよ」

 「なんで?」

 「怖いんだと。理由までは言わないが、そんなことを聞いたら、そう答えた」

 夜が怖い。そんなことを言う子だとは思ってもいなかった。俺は空が高校を卒業したら、絶対に夜の暴君になると思っていた。

 「おい、とにかく仇討ちなんていう馬鹿な考えはよせ。いいな」

 「それは、『辻斬り長次郎』に対する……」

 「馬鹿。この時代ではやるなってことだ」

 「じゃあ、あの時代ならいいのか?」

 「ああ、どうぞどうぞ!好きに人の首でもおはね!」やっぱり、この人は時代劇オタクだ。他の人から具体的なアドバイスが欲しい。でも涼子さんには聞けないな……。

 「空にはなんて言ったの?」

 「同じことを言った。そしたら『はいはい』と聞き流して酒を飲み始めやがった。俺のことを年上だと思っていないな、鮎川と南雲は」寝ている空に近づいていき、毛布をかけた。少し溜息を吐きだす。「仇討ちならまだ聞こえはいいが、それが人殺しだと本当に自覚しているのか?」もちろん自覚している。が、それを具体的に考えてはいなかった。語られたことはあるが。あの男は何者だったのか?

 「いいか、馬鹿な真似はするなよ。一気に人生を棒に振るうことになるんだからな!」

 「は、はい」急に威厳のある声を出したので少し驚いた。

 その後、少しその場で運動をした。いつもの筋トレだ。その後、涼子さんからの差し入れをいただいた。空のばくだんおにぎりとは違う、上品なおにぎりだ。中には筋子が入っていた。

 午後を過ぎると、門下生が四人ほど遊びにきた。SF映画の影響で入ったため小山は毛嫌いしているが、月謝をきちんと払うのでそうもいかないらしい。

 「今日は何するんですか?」一人が頭を掻く。

 「あっおまえらか」面倒くさそうな顔をする。

 「あ、南雲さん。チワッス」軽々しいく声をかけてくる。そこで小山がにんまりと笑った。さっきの大人っぽい顔から、ただの時代劇オタクの顔に戻る。

 「お前たち、空地で待っていろ。試合の準備をしてな」

 「はいよ」と一人が答えると、四人とも竹刀を持って空地へ向かった。

 小山がこちらに向き直り「おい、あのSFオタクをやっつけてみないか?」と、囁いた。

 「ああ、そろそろ誰かと試合したいと、」

 「四人一片に、だ。仇討ちを考える前に、この試練を乗り越えてみせろ」

「……はぁ?」このおっさんは、やはりだめな時代劇オタクだった。

空き地に向かうと、そこでは四人組がわけのわからない専門用語の言い合いをしていた。その場で小山が四人に向かって「おい、お前たち。南雲と試合をしてくれないか?」と、大声をだす。四人組が一斉に肩をビクッとさせ、苦そうな顔をする。

 「南雲さんと我々では実力が違います」と、メガネをかけた奴がつまらない返答をする。

 「勝ちの見えない試合は、もうしたくありませーん」と小柄なやつがぼやく。

 「一対一ではなく、四対一だ。南雲がそれを希望している」と、小山が嘘をつく。否定しようと口をあけた瞬間に「それならやる」と返答してきた。四人は怪しげな笑いを向けてきた。こんな笑い方をするから苦手だった。

 「それでは位置に付け」と、小山が手を挙げる。その言葉を合図に、四人が俺の回りを取り囲んだ。頭のいいやつも、悪いやつも同じ戦法を使う。袋叩きにする気だ。

 この四人とは試合をしたことがあった。一人ひとりの実力はお遊び程度だ。負かすと『四人の力を合わせれば』と、言い訳する。SF映画からの引用なのか、それはただのいじめだろう。それから、試合の前に必ず口で『ブーン』という効果音を発する。謎だ。

 その効果音を四人が一斉にあげる。それを合図に「はじめ!」と小山が大声を出す。

 大きな掛け声と共に四人のうち二人が飛びかかってくる。それをかわすと、他の二人が飛びかかってきたので、高跳びの要領で、二人の胴払いをかわした。着地と同時に、メガネをかけた奴が竹刀を振りおろしてきた。それを防ぐと、「今だ」と他の三人に声をかける。すると一斉に背後からわけのわからない掛け声と共に襲いかかってきた。

 俺は左手でメガネの肩を持ち、後ろに思い切り引っ張る。すると、見事に真ん中の奴と衝突した。振り向きざまに蹴りを放つと、小柄な奴の顔面に入ってしまった。そのことは気にせず、残った一人の袈裟切りを防ぎ、押し戻す。

 一人が合図をし、そのタイミングに合わせ、四人は横一列に並びこちらに向かってくる。そして、一斉に竹刀を振り回し始めた。これらすべての攻撃を俺は正確に防御した。四人は必死だったが、本気になった空には及ばない手数だった。人一人が入れる隙を見つけ、そこを突いて入り込み胴払いを決めた。「ごはぁ!」一人を仕留めたのだ。

 残った三人は、お互い罵倒し合いながらこちらへ向き直る。また、作戦名だか必殺技の名前を叫んでこちらに走り寄る。「ジェット!」「ストリーム!」丁寧に縦一列で並んでいたため、一直線に胴払いを決めた。一人をはずして二人に命中する。「あいぎゃあ!」「うげ!」

 残った一人は不敵な笑みを一瞬見せると、「どこからでもかかってこい。俺には」と、言いきる前に踏み込みの速い面を決めた。拍子抜けだ。最後に「……の加護がぁ……ぐぅ」と漏らしながら倒れる。何の加護だよ。

 「勝負あり」と小山が、ざまあみろと言わんばかりの表情で手を挙げた。四人は各自、叩かれた場所をさすりながら、空地を出て行った。「時代劇の勝ち」小山が満足そうな笑みを見せる。

 「冗談だろ?」と、俺は顔を歪めた。もう少し骨が折れると、下手をしたら袋叩きにされるという覚悟で臨んだが、この前の空との試合よりも達成感は無きに等しかった。

 「俺に何をさせたかった?」

 「いや、想像していた試合とはだいぶ違ったな。でも、昨日よりよかったぞ」小山も俺と同じ心境のようだった。よくはなかったが。

 「昨日?」

 「昨日な、鮎川に同じことをさせた。結果は面白くなかった。面を四発放って、四発命中。それでおしまいだ」

 「それで、俺に何を学ばせたかったの?」答えは返ってこなかった。

 その後、眠気眼の空と試合をし、いい攻防を見せたが、結局俺は負けた。小山が「だからな、仇討ちとか考えるんじゃないぞ」と胸を張る。

 「じゃあ、あたしはいいんだ。ふあぁ……」と、欠伸混じりに胸と頭をボリボリ掻く。

 「いや、鮎川、お前もだめだ」じゃあ、あんたは何を言いたいんだよ!

その後この前の如く、空が見物料を要求し、小山の家で涼子さんの手料理をごちそうになった。今日はカレーだった。

 道場の帰り道、空と土手で夕日を眺めていた。この土手で会った男のことを話題に出してみる。空は興味がなさそうに夕日から目を戻さずに聞いていた。

 「んで、その男の言うことに耳を貸すわけ?」

 「いや、ただそういう男に会ったって言うだけで、その……」

 「そんなことをあたしに言ってどうする訳ぇ?はぁん?」その男の語ったセリフの半分しか伝えられなかったが、十分に理解したようだ。「じゃあ、それを聞いてあんた、どうした?」

 「心が動いた。仇討ちを肯定しそうになった」

 「でしょうねぇ。あたしもそう思う」

 「なぁ……どう行動すればいいんだろうな」

 「自分で考えなさいよ」面倒くさそうな表情だったが、空も何をすればいいのか悩んでいると、俺には分かっていた。

 「こんな時、伊達ならどうするんだろうなぁ……はぁ」俺が伊達の名を出した瞬間、空の表情が一瞬だけ変わった。目を見開き髪を逆立てたように見えたが、俺が顔を向ける頃にはすでに無表情になっていた。だが、ため息を苦しそうに吐き出す。

 「自分で考えなさいって」

 俺はそんな時、由美子が言っていた直感の二つ目の答えが出た。伊達に会いに行く。伊達なら相談に乗ってくれるだろう。住所と電話番号は小山が知っていた。電車で行ける距離だったので、行こうと決めるのに時間はかからない、一瞬だ。

 「伊達に会いに行かないか?一緒に。夏休み使ってさ」空に提案してみた。

 「え?伊達君に?あたしは嫌だね」意外な答えだった。

 「どうして?」

 「え、」一瞬、押し黙った。「だってさ、都会の空気って汚いし、ろくな奴がいないよ。そんな所に寝る時間を割くなんて嫌だね」そこまで言うと立ち上がり、歩き始める。少なくとも、今のセリフは嘘だと感じた。何かを隠している、そんな言い方だった。

 「俺は会いに行くよ」もう決めたのだ。変更はしない。

 「やめときな、都会の空気に毒されるよ。チンピラに絡まれるよ」なんだか空らしくない発言だった。その後、しばらく口論をし続け、そのまま別れた。結論は出なかったが、俺が伊達に会いに行くには変更はなかった。

 すると、前から聞き覚えのある鼻歌と見覚えのある人影がこちらへ近づいて来る。辺りが暗くなっていたのでよく見えなかったが昨日、土手で寝そべっていた男だとわかった。昨日との違いはジャケットを着ているだけだった。

 「やあ、南雲君じゃあないかぁ」向こうから話しかけてきた。

 「こんばんは、ええっと」

 「好きに呼べ」と歯を見せる。白い歯だ。「で、決めたかぃ?自分はどうするのかを。復讐、いや仇討ちする気になったかぁ?」

 「いや、夏休みになったら都会に住んでいる友人に会いに行って相談することにします」

 「それが南雲君の答えかぁ……」男は面白くなさそうな顔をしていた。「で?その友達はどういう人物なのかなぁ?」

 「俺よりも賢くて、力強い。決断力もあり正義感も強い。頼れる幼馴染です」伊達の顔を思い出す。天は二物を与えず、という諺が嘘のように思える。

 「そんな人間が都会にいるのか……名前はなんていうのぉ?」自分で名乗らないくせに人のは聞こうとする。

 「伊達です。伊達総一」名前を聞いた瞬間、男の表情が変わった。昔の遊び相手を見つけた子供のような顔だ。

 「あぁ彼かぁ、伊達君ね。知っているよぉ、確かに正義感が強かった!」

 「知り合いですか?」意外だった。この男が伊達を知っているなんて。でもなぜ?

 「うん、伊達君は南雲君と同じような顔をしていた。面白い、実に面白い子だったぁ」昔の思い出に浸るような顔をしていた。「ぜひ会うべきだな、おそらく南雲君の今欲している答えを伊達君は知っている」

 「具体的にはどんな事ですか?」思わず聞いてみた。

 「彼は都会で目標を見つけ、いまそれに向かっているところだ。とにかく元気にやっているよぉ」

 「目標……か。すごいな」目標なんて、俺には……時代劇の主役くらいなもんだ。

 「彼を見習って、君なりの道を歩いた方がいいと思うよぉ」男はやさしい笑顔を見せると、鼻歌を歌いながら土手の方向へと歩いて行った。

 「名前を教えてください」と、尋ねても答えは返ってこなかった。振り返らずに手だけ振っていた。相変わらず不思議な歩法だった。都会の人たちは皆、ああやって歩くのだろうか?



 数週間後、待ちに待った夏休みに入った。それまで俺は、道場に通い、SF映画オタクの四人や空、さらには小山を相手に試合をして時間を潰した。

 小山は『時は潰すものではない。慈しむものだ』と、お決まりの口調で語ったが、俺が試合で負かしたとたん、へこんだり『強くなったな』と師匠のようなセリフを言う。

 空は相変わらず行くなと言っていたが、俺は聞く耳を持たなかった。今回は俺が選択したのだ。空ではない。しかし試合では、空に勝ったことはなかった。俺の頑固さに答えるように、空なりに竹刀で答えてきた。

そして、八月の中旬に俺は都会へ向かう電車に飛び乗った。小山から教えてもらった住所を頼りに伊達の家へ行くのだ。期待と好奇心で頭がいっぱいだった。都会へ行くのは初めてだった。そして伊達は何をしているのか。そちらの期待も膨らませ、車窓から俺の育った田舎の風景を眺める。

 空は昨日まで反対していた。都会に毒される、怪我をする、後悔すると最後まで俺に言ったが、たった二日でひどい目に会うとは思えない。



 意外にも早く到着した。電車を乗り換え、都心の近くまでたどり着く。伊達の家は都心より少し離れた住宅街にあると、そう紙に書いてある。

 駅から外に出ると、テレビで見た光景が辺りに広がっていた。背広を着た男女や、見たことのない煌びやかな服を着た若者。近場では、路上ライブをする若者までいた。地元では見られない光景だった。新鮮だったが、空気は新鮮ではなかった。空の言ったとおり、空気が濁ったような臭いがする。車通りも激しく、クラクションが無数に鳴っていた。ここでは、ストレスが渦巻いていた。地元の町にも同じ光景が広がっているが、こちらの街は格が違って見えた。

 そこからバスに乗り、伊達の家のある住宅街へ向かった。俺の降りた街とは違い、平穏な空気が流れ、車通りも少ない。俺は安心した。

 メモを頼りに、伊達の家を探す。似たような家が並んでおり、見分けがつかなくなる。途中で小さな犬に吠えられた。飼い主は丁寧に会釈をしたが、犬は構わず吠えつづけた。クラクションの様に不快な吠え方だった。

 住所と一致する場所にたどり着いた。他の家とは違い、真新しい家だ。表札には『大西』と書いてあった。

何と?確かにここであっているはずだ。なのに、表札は違う。また引っ越したのかと疑問に思った。

 ここまで来たのだからと、悔しくなり呼び鈴を押してみる。もしかしたら伊達の声が返ってくるのではないかと、淡く信じて押した。しかし、予想を裏切って女の人の声が返ってきた。「どなたですか?」温かみのない、面倒くさそうな声だ。

「あの、お尋ねしたいのですが」

「なぁんでしょう?」俺はセールスマンではないぞ?

「ここの近くに、伊達っていう人は住んでいませんでしたか?」

「知りません!」そこまで言うと、もう声は返ってこなかった。冷たいな。そう思いながら、その場で二時間ほど、表札を見て回った。すると、後ろから肩を叩かれた。伊達かと思い、後ろを振り返ると警官が立っていた。

「君、何をしている!不審者が住宅街をうろついていると通報があった」

「え、俺はただ人探しをしているだけです」狼狽を隠しながら言う。俺が不審者?

「誰を探している?」

「この近くに伊達っていう人は住んでいませんか?」

「伊達?あぁ、結構前に例の事件に巻き込まれたあの子か」意外な答えが返ってきた。事件に巻き込まれた?「ふん!とにかく、私は失礼する。この住宅街は最近物騒なんでね。早く家に帰れよ」と言い残し、自転車に乗ってその場を去った。今までもこうやって済ませてきたのだろう。

 そうこうしていると、夕日が西へと沈み始めていた。本当は伊達の家にお邪魔しようと思っていたが、その計画は破断した。泊まれる所を探そう。住宅街の外れに自然公園があったので立ち寄ってみる。そこでは、地元の風景とは違った自然が広がっていた。都会にきて、初めて空気を吸った気がする。

目の前では、少年達がサッカーをしていた。ベンチでは背広を着た男が新聞を読んでいた。

 そこでしばらくベンチに腰を下ろし、日常的な風景を眺めていた。ずっと歩きまわっていたせいか、眠くなり始める。やることもないので、その場で眠ってしまった。俺はどこででも眠れる。

 しばらくしてくしゃみと共に目を覚ます。あたりは薄暗くなっていた。サッカーをしていた少年達や、新聞を読んでいた男もいなくなっていた。俺は一人ポツンとベンチで座っていた。

腰を上げると、遠くで下品な笑い声が聞こえた。よく俺の通っている高校で聞く不良の笑い声は少し無邪気さが混じるが、この笑い声は違う。不快だった。自分が優位に立ち、その下にいる者を足蹴りにするような笑い声だ。笑い声の方へ目をやると、俺と同じくらいの年の青年が四人いた。一瞬、門下生のSFオタクの四人かと思ったが、こんな所にいるわけがない。それに、彼らの方がいくらか上品に笑う。親しくはなれないが。どうやら女が一人混じっているらしい。ゲラゲラと指をさして笑っていた。

指の差す方向には、何か大きな塊が置いてあり、それに男が蹴りを入れては何かを口走っていた。一人は何かを飲んでいて、もう一人は携帯電話らしい何かを持っていた。暗くてよく見えない。

蹴られていた塊は物ではなかった。人だ。

 「そろそろ飽きてきたな!おい、それ貸せ」と、別の男から携帯電話を受け取る。それが激しい閃光を放ち、バチバチと音をたてた。断続的にそれを光らせ、蹲る人に押し当てた。

「わぎゃあぁぁぁぁ!」悲痛な叫びをあげる。それにまた蹴りを入れる。

 「おいおい。まだ七時だぜ。音を上げてもらっちゃあ困るのよ?」と別の男が笑う。

 俺の目の前で暴行が行われていた。カツアゲや喧嘩くらいなら見たことはあるが、この様な場を見るのは初めてだった。俺の家で、これと同じことが起きたのか?

怒りがこみ上げてきた。見過ごすわけにはいかない。俺は持ってきた竹刀を取り出す。気配を消して、そっと近寄る。まるで『辻斬り長次郎』だ。だが殺しはしない。当たり前だ。懲らしめるだけだ。俺主人公の時代劇の始まり始まり。

 「おい、酒よこしな。なぁ、知ってるか?アルコールってのは、火ぃつけるとよく燃えるらしいぜぇ」

 「ここでたき火すっか?まだここらに、こいつみたいなホームレスいるだろ?こいつかたづけたら、次いこーぜ」まずい、早くしないと殺される。忍び足をしている場合じゃない。急いで駆けようと地面を蹴ろうとした瞬間、向こう側の茂みから何かが飛びだした。

 それは影だった。その影は細長い棒を持っていた。暴行魔の四人組に近づく。すると、酒瓶を持っていた奴に持っていた棒で一撃した。「ぐひゅう」

 すると、頭が地面にドンっと落ちる。首から噴水のように血飛沫を上げた。他の三人は立ち尽くし、ホームレスはうずくまったままだ。

 その刹那、もう一人の胸を一撃。貫いたようだ。そこから引き抜かず、横にかっ捌いた。「ぐおぉ!」二人目からも血が飛び散った。膝から崩れ、倒れる。

 スタンガンを持った男は、喚き散らしながら閃光を影に向ける。が、一瞬で小さな閃光が宙を舞った。閃光が女の前に落ちる。スイッチから指が離れたはずなのに、断続的に閃光を放っている。

 影はスタンガンを打ち飛ばしたのではなく、男の腕を斬り飛ばしたのだ。「きいゃあぁぁぁぁ!」男は裏声で叫びながら、脱兎のように駆けだす。腕から夥しい量の血を流していたので、ガソリンを漏らしながら走る車のようだった。

 影はその男の前に瞬時に先回りし、男の顔に棒を振り下ろしていた。また血が飛沫を上げる。二十メートル程離れたこの場所からも血の臭いがした。家で起きた殺人事件を思い出し、胃から何かが込み上げる。

 残った女は震え泣いていた。「うっうえっえっえっ……あ、あたしは見ていただけ、見ていただけよ?あたしは関係ないんだよぉ。見逃してよぉ」時代劇にもこんな場面があった気がする。俺が見たときは見逃されていた。

 影は女の前にゆっくりと近づく。まるで幽霊だ。そこで腕がやっと見えた。腕を後ろに引いた瞬間、女の体が激しく痙攣する。「げっ!」痙攣が終わると背にしていた木にもたれかかり、尻から地面についた。

 俺は一瞬の出来事が理解できずにいた。澄んだ自然の空気が、一気に血の臭いになる。頭をスッキリさせようと深呼吸を試みたが、できなかった。先ほどまで晴れていた空から急に曇り、雨が降る。雨が血の臭いを紛らわす。

 次はホームレスの男に襲いかかるのか、と思った。が、何もしなかった。

 その影に目を凝らすと、それが人間だったのだとわかる。

 全身黒ずくめだった。ロングコートにズボン。手袋に至るまで黒かった。そして持っている棒は、日本刀だと予想した。が、違う。

 木刀だ。それは黒く塗られた木刀だった。なぜ、木刀で人を斬り殺せるのか不思議に思った。

 そして髪も黒く、肩の少し下まで伸び、途中で束ねてある。顔は、辺りが薄暗くてよく見えない。歩法を変えずに近づいてみる。気付かれたら襲いかかってくるだろう。

しかし、顔があと少しで見える距離になると、その顔がこちらを向いた。相変わらず顔が暗くて見えなかった。近づいてくる。襲ってくる気配はなかった。

顔が見えてくると、嫌な予感がした。このまま顔を見ずに逃げたかった。しかし、口元から影が晴れていく。男だ。

完全に影が晴れ、確信した。この男は、この辻斬りは、伊達総一だった。

「南雲か……?」伊達は表情を変えず、俺の苗字を口にする。

「あ、あぁ……っ」うまく声が出なかった。俺の前に立っているのは伊達ではあったが、今さっき人を斬り殺した犯罪者でもあった。

複雑な心境だ。伊達は都会でやりたいことをやっていると、あの男は言ったがまさかこれの事だったのだろうか?

「久しぶりだな……こんな所で何をしている?」静かな口調だ。人を殺したばかりだというのに、恐ろしいほど冷静だった。そして不思議なことに、返り血を浴びているようには見えなかった。

「何やってんだよ、伊達!そんなことを言ってる場合じゃないだろう?何をしたのかわかっているのか!」口を開いた途端、出た言葉がそれだった。

「質問を質問で返すな」昔から言われ続けていた言葉が耳に入る。

「なにも、殺さなくてもいいじゃないか!」一年ぶりの親友との再会で、こんな会話はしたくない。

「ん?鮎川さんから何も聞いてなかったのか?」初耳だ。「こういう輩は殺されて当然なんだ」相変わらず淡々と話す。

「でも、でも、どんな理由があろうとも人殺しはいけないだろ!」

「では、なぜいけないのか答えてみろ」

「なっ」言葉が詰まる。今までさんざん考えてきたのに、未だ答えが出ない。

「どうした?答えられないのか?この程度の質問で口ごもるのなら、私に意見などするな」

「法律違反だ!」絞り出した答えがこれだった。情けないったらない。

「なら、警察にでも通報するのか?私を」

「いや」頭の中で何かが煌めく。「ここでお前を倒す。倒して警察に引き渡す!」おかげで答えが出た。そう、命を奪わなければいい。これならいいだろう?

俺は竹刀をいつもの様に構え、攻撃態勢に入る。踏み込みからの面を狙う。「その竹刀で私を倒すのか」口調は変わらないが、どこか人をバカにするような言い方だ。

「そうだ」と、言い切ると竹刀が柄を残してバラバラになった。

「南雲、お前は殺したくないんだ」後ろから声がした。目の前には誰も立っておらず、いつの間にか伊達が後ろに回っていた。背筋が凍りつき、ピシッとヒビが入る。

「帰れ。そして戻るな」感情のこもっていない声に恐怖を覚える。空の時とは違う恐怖だ。命を握られている。刀が首を狙っている。銃口を突き付けられている。そんな気分だ。

だが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。柄に残った竹の切れっぱしを頼りに、振り向きざま、横一文字に振りぬいた。が、そこには伊達はいなかった。

「引き下がれないか。お前らしいな」また背後から声がした。

振り向くと、伊達が構えていた。二年前と同じ構えだ。突きを狙ったような構え。あれから変わったのは空気と気迫。無表情で冷たかったが木刀からは凄まじい気迫が伝わってきた。

こんな壊れた竹刀では勝ち目は万に一つも無かった。しかし引き下がれない。この殺人犯を警察に突き出せば、あの事件を、あの……惨劇を忘れることができると思った。

俺は、伊達の動きを見ようと必死で目を凝らした。が、見えなかった。見えると思った自分が甘かった。二年前に見えなかった動きが、より一層見えなかった。

腹に食らったことのない重く、鈍い痛みが走った。木刀で腹を叩かれるのは初めてだった。口から熱く、ドロッとしたモノがこみ上げてくる。「ぐ、ぐぅ……ガハッ」それが自分の血だとわかった時には、目の前の風景が暗転し、地面に顔からぶつかっていた。

倒れた体に雨がやさしく降り注ぐ。



目を覚ますと、俺は自然公園の中の段ボールに囲まれていた。腹に痛みが走る。

「お、起きたか」目の前には、髭面の男が座っていた。見たところホームレスのようだった。「おまえさ、なぜあの男に喧嘩を売った?生かしてもらっただけ有難いと思うんだな」

「知ってるんですか?あの男を?」勢いよく上体を起こしたので、腹が激しく痛む。

「ああ、あの男は俺らの味方だ。昨日も健史を救ってくれた」

「昨日みたいなことが、過去にも起きたことがあるのか?」

「ああ、この公園に限ったことじゃないがどこでも起きてるよ。実際わしもやられた。見ろ、この傷を」袖を捲ると、腕に大きな傷が痛々しく刻まれていた。下手な縫い目だった。自分で処置したのだろう。「チンピラがな、わしを公園のトイレの壁に叩きつけて、ゆっくりとナイフを俺の腕に突き刺して抉ったんだよ。そりゃあ痛かったぞ。うっかり女々しい悲鳴を上げちまった。そんな時だよ。あの黒い格好をした青年が助けてくれたのは」ひどい目に遭ったくせに、笑い話でも語るようだった。

「でも、実際に人を殺している。法に触れているんだぞ?それでも味方と呼べるのか?」

「わしは助けられるまでは、ただの人殺しだと思っていたさ。でも実際に助けてもらうと、死の淵から救われるとそうは思えなくなる」男は笑顔を見せる。「納得できなければ他の仲間にも聞いてみな。みんな同じ意見だろうよ」

俺は段ボールから出ると、他のホームレスにも聞いて回った。話し方は様々だったが、全員意見が一致していた。俺の意見に怒りを表す者もいた。昨日襲われた健史という男にも話を聞いた。涙ながら伊達に感謝していた。中には無言で新聞紙を突き出す者もいた。一ヵ月前に空から見せられた内容と同じ文が記されていた。

ホームレスたちは警察に事情聴取されても、でたらめに答えるらしい。だから捕まらないのだろう。

俺は腹の痛みが和らいだ後、公園から出た。とにかく地元に帰ろう。これ以上ここにいる必要はない。


 

 帰りの電車は思っていたよりも時間が掛った。車内から外も見ず、俺は昨日のことを思い出していた。心が苦しくなった。後ろから頭をつかまれている気分だ。地元に着く頃には、午後四時を回っていた。

道場へ向かう道の途中で、いつもの土手から鼻歌が聞こえた。あの男がいるのかと思い、目をやるが若いカップルがいちゃついているだけだった。

道場に到着すると、顔に冷却湿布を貼った小山が出迎えた。

「ただいま……どうしたの?それ」

「昨日、鮎川にやられた」そう呟いた。何があったのか?

「空が?」

「いやな、鮎川と久々に試合したんだよ。時代劇ごっこを楽しもうと思ってね。そうしたらあいつ、いきなり飛んできて兜割りしやがったんだよ。俺の額に」と、額をさする。相当痛むのか、苦そうな顔を見せる。

「受け太刀しなかった、あんたが悪い」

「速くてできなかった」四十五歳の大人のくせに子供のような言い訳だった。「ところで伊達にはあったのか?あいつ、今どうしてる?」俺は都会で見てきた事を小山に話した。話していくうちに気分が沈んできた。小山の表情も暗くなった。

「そうか、あいつ都会で『辻斬り長次郎』みたいなことをやっているのか」話を茶化された気分になった。

すると、その話に涼子さんが割ってきた。「ちょっと、あの子が人殺しなんて悪い冗談を言わないでよ。いくら南雲君だからって怒るわよ!」

「ごめん。でも、事実なんだ。俺はこの目で見た。伊達の変わり様を」そう言うと涼子さんは、泣きながら家に走って行った。

「こりゃしばらく引きずるな……あいつはそういう女なんだよ」タバコに火をつける。不味そうに吸うくせに、小山はタバコをやめようとしない。

 「どうすればいいのかな?俺」無駄だとは思ったが聞いてみた。

 「警察に任せるしかないと思うぞ。通報したのか?」意外とまともな答えが返ってきた。

 「いや、無駄な気がした。話し合おうとも思ったが、それも無駄だった。そんで喧嘩を売ってみたらこうなった」と、シャツを捲り、傷を見せた。大きな痣が一筋できていた。

 「そうか、でも喧嘩を売ったのは正解だ。聞く耳をもたない奴にはそれが一番だ」

 「暴力が?」上げ足を引っ張ってみる。

 「いや、でもそうなるな……でも、なぜ痣で済んだんだ?伊達の木刀は人を斬り殺せるんだろう?不思議な話だけど」たしかに不思議な話だ。木刀は鈍器に近い武器だと思っていた。木刀も研げば刀のようになるのだろうか?

 「ま、痣ですんでよかったと思うよ。でなきゃ真っ二つ……だぁ」恐ろしい話だと今さら気づき、寒気がした。

 「あ、帰ってきてたぁ。涼子さんを泣かしたのはどっちだ、こら」空が戸口で立っていた。小山が俺の方に指をさす。

「ちょっとこっちにきて」空と土手まで歩き、その場で腰をおろした。「伊達君に会ったんでしょ?」空はすべて知っているような表情だった。

「伊達がどうなっているのか知ってたのか?」つい質問で返してしまった。

「ええ……五ヶ月くらい前にね」俺との交際がうやむやになった時期だ。「……やっぱり言っちゃお。本当はね、あんたと別れる気はなかったんだよ……。でもさ、由美子ちゃんがね、あんたのことが好きだって私に相談してきたんだよ。『南雲さんって彼女とかいるんでしょうか?』ってね。そんであたし、『いない、と思うよ』って咄嗟に言っちゃったんだよ」それを聞いて俺は狼狽した。

「それでうやむやになったのか?」

「ちゃんと別れようっていったぞ?」ありゃ。「……あたしね、由美子ちゃんの笑顔が大好きだったの。あたしの心は由美子ちゃんの笑顔に癒されていた。少しでも由美子ちゃんの笑顔が絶やされるようなことはしたくなかった……」空は遠くを見ていた。何かを思い出すように。「でもね、悩んだよ。これでよかったのか。そして、誰かに相談したかった。でさ、伊達君に会いに行ったんだよ」俺と発想が同じだ。人の事バカにするくせに。「でもそこに伊達君の家はなかった。何があったのか知りたくて探し回ったよ。それで、ある空き地で再会した時……心が張り裂けた……どうすればいいんだろうって、あれからずっと考えてたよ……特にここ数日……」声に震えが混ざった。目を伏せ、上唇を噛みしめる。

「俺もそれを考えている。この前のことに続いて、色々なことが起きすぎだ。でも、どうすればいいのかは答えが出た」

「珍しいね。どうするの?」突然、俺の顔をまじまじと見てきた。馬鹿にされている気がする。

「やっつけて、警察に突き出す。俺の両親と由美子を殺した犯人も、伊達も」

「はりゃあ……頭の通りに簡単な答えね。でも、それでいいのかい?あんた」

「いいんだ。ボコボコにしてやるんだよ。そこまでしてから警察に突き出す。殺さないんだ。それならいいだろ」最後は由美子に問いかけるように言った。

「ふぅむ」空はしばらく黙る。目をつぶり、瞑想しているように見えた。「時代劇の見すぎだったのかもね、あたしたち。全部小山さんが悪いんだ。仇討ちって……ねぇ?」

「そうだなぁ……バカみたいだな、俺達」たしかに、この話を拗らせたのは小山だったのかもしれない。それと、あの男。

「じゃあ、行動しようか?やっつけに行こう!」そこまで言うと立ち上がり、ズボンについた泥を落とす。

「どうやって?」犯人も伊達も行方は分からない。犯人については誰かもわからなかった。

「あ、言ってなかった。あんたの家族と由美子ちゃんを殺した犯人らしき人が捕まったよ、昨日ね」稲妻が俺の頭に落ちる。その話は、俺にとっては大きかった。なぜ?今更なぜ?

「だ、だ、だぁ誰だったぁ!」口がもつれそうになる。

空は聞いてどうする、という表情で「安藤っていう都会のチンピラ。凶器の日本刀は、どっかの家に飾ってあったやつを盗んで金に換えようとしたんだって。そんで……あんな事になったの……バカだよ、都会モンはぁ!」空が珍しく吠える。

「やっぱり、自分で見つけて仇を討ちたかったなぁ」ポロっと本音が出た。

「うん、あたしも。だから昨日、久々に小山さんをいじめちゃった」小山の額の湿布を思い出した。空は、たまに容赦ない。

「こんなことで家族は浮かばれるのか?」こんな終わり方は認めたくなかった。

「小山さんがまともなこと言ってたよ。『殺されたことは忘れるんだ。だが、亡くなった、大事な人たちのことは忘れるな』って。それでいいと思うよ」俺も言われた。小山は空にも同じことを言ったみたいだ。「まぁ、また時代劇からの引用だろうね。小山さんのことだから。さて、小山さんをお仕置きしに行こうか?」

その後、道場に戻り小山にこれからのことを話した。小山は、伊達の事は非常にショックだったらしく、タバコを何本も吸い続け、灰皿から灰がこぼれていた。

そんな小山に試合を挑み、時代劇ごっこに付き合いつつも自分の無念さをここで晴らした。おかげで小山の顔にもう一枚湿布を貼ることになった。



次の日から、俺はひたすら空と試合をしていた。空に勝てずに伊達に勝てるわけがない。

「あんたには忍耐力が欠けてる。それに力押しの戦法もやめた方がいい」

「どうして?」この戦法には自信があった。時代劇の主役も同じ戦法だと思っている。

「いい?あんたの戦法と『時代劇の主役戦法』は似ているようで違うの。その違いが分かる?」読まれていた。俺はそんなに単純な人間だろうか?

「どんな違いだよ?」

「あんたのはただ闇雲に振り回して当たってくれと願っている、乱暴な戦法。まあ、勢いと基礎練習のおかげで並よりは上だけど……あたしには通じないけどね」

「じゃあ、『時代劇の主役戦法』ってのはなんだよ!」今までの自分の考えを否定されたので頭にきた。

「相手の隙を瞬時に見つけ出して、急所に向かって躊躇なく振る。まあ、現実ではうまくはいかないけどね。フィクションだしぃ」

「じゃあ無理だろ。その戦法を身につけるの……」だが、その時、由美子の言葉を思い出した。『苦労するの。何かを身につけるには苦労しなきゃね』

「そうだな、苦労しよう」

「あんたらしくないじゃん。ま、いいけど」そこからまた、空としばらく練習試合を続けた。気付いたら日が落ちていた。

いつの間にか夏休みが終わり、学校が始まる。学校が始まっても、俺は空に勝てなかった。平常授業が始まり、普段と変わらずに授業を受けた。空は相変わらず机に突っ伏して寝ていた。

学校が終わると道場に行き、空と試合をする。そんな日々をしばらく繰り返した。新聞を読むと、伊達の犯行が続いているのが分かる。

十一月になると、最悪な情報が飛び込んできた。由美子と俺の両親を殺した男、安藤が証拠不十分で釈放されたのだ。しかし、空は不思議と冷静だった。尋ねると「私たちが安藤をやっつけるチャンスが増えたと思えばね、少し楽しみかなぁ」と、少し怖い顔をする。

だが、安藤が犯人とは限らない。だから釈放されたのだ。「いや、この顔は絶対に犯人だ」と、顔写真を指さす。見た目で判断するのは空らしくなかった。

何度か警官が俺の部屋を訪ね、事情を説明し何度か質問された。そんな言葉には耳を貸さなかった。すべて気休めに聞こえ、腹が立ったからだ。

そして、ついに伊達に会いに行く日が訪れた。ついに、ついに空を負かしたのだ。

 空の言っていた戦法までとはいかなかったが、空に勝ったのだ。

 「ふぅ、やっと負かしてくれたねぇ」と、赤くなった腹を摩る。

 「ゼェゼェゼェ!やや、やっと、か、勝てた……のか」どちらが勝者かわからない状況だった。ぼろぼろの俺がへたり込み、腹を赤くした空が立っていた。

 「んじゃあ、乗り込むかね?伊達のいる都会へ」まるで鬼ヶ島へ向かう桃太郎の様なセリフだ。空が桃太郎なら俺はなんだろう?「安藤もついでに見つけようか?二人で天誅を食らわそう!」警察の話では安藤は今、都会にいるらしい。

 「いや、犯人じゃないかもしれないんだぞ?」警察の言うことはなるべく鵜呑みにはしたくなかった。しかし、犯人の可能性も十分にある。

 「絶対犯人だって」



 「ねぇ、伊達君を見つけたらどうする気?」涼子さんが尋ねる。都会へ行く前の日に、毎度のことながら小山の家で夕飯を御馳走になった。今日はトンカツだった。

 「正すんだろ?お前たちが伊達の行動を?」小山がカツを一切れ口へ運ぶ。

 「警察に任せた方がいいよ。やめなさいよ。ね?」涼子さんは泣きそうな顔をする。

 「じゃあ、なんでトンカツを御馳走したんだよ」小山が味噌汁をすする。

 「深い意味はないわよ」試合に勝つ!ってか……高校球児か!

 「でも、とても美味しいです」空が久々に顔をほころばせる。

 「伊達は俺達の親友だ。その親友の間違いをわからせる為に都会へ行き、探し、やっつける」俺の意思は固かった。

 「伊達が警察に捕まったら、伊達は道を正せると思うか?反省すると思うか?俺はしないと思う」珍しく小山が暗い事を口に出す。時代劇の引用でもなさそうだ。

 「なぜそんなことを言うの?」空が箸を止め、小山を睨む。

 「お前たちは『辻斬り長次郎』を見ていないのか?いいか、伊達も長次郎もやっていることは同じなんだ。どちらも自分の正義感に従って人を殺す。正しいと思って、人間に罰を下しているんだ。そんな人間を牢屋にぶち込んでも何も解決しない」この時代劇の最終回は長次郎が捕まり、牢屋で切腹して終っていた。悲しい結末だった……。

 「なにが言いたいの?」

 「お前たちは伊達を捕まえたいのか?それとも伊達を昔のような親友に戻したいのか?ハッキリ言って、どちらも無理な話だ」

 「じゃあ、どうすればいいんだよ!」

 「お前たちには何もできない。今の伊達は盲目になっている。憎しみでいっぱいなのか、自分の正義を貫こうとしているのか知らないが、無駄だ」

 「何でそう言い切れるの?」空の言うとおりだ。

 「知っているからだ。信念を固めた人間の意志の硬さを。どんなに語りかけても、その硬さを崩すことはできない」

 「また引用ですか?」

 「馬鹿、俺があの道場を建てると決心した時のことを言ってるんだ。回りがどんなに反対しても俺は意思を崩しはしなかった」

 「ごちそう様」いつの間にか空は食べ終わり、お茶を飲み干していた。

 「小山さんと伊達の意思は全く違う。言っていることは同じだし、正しいのも分かる。だけど納得はできない」我ながら言うようになった。

 「そうね。あたしも納得しない。小山さんには説得力がない」

 「悪かったな。でもこれだけは言わせてもらう。この時代で人を殺すということは、すでに人生をしくじっているという証拠だ。どんな理由があろうとも、人は殺してはならない。伊達は人生をしくじったんだ。しかも、一人じゃない。大量の未来ある若者の命を奪ったんだ。未成年でも許されない」

 「だから、伊達を止めに行くんじゃないか」

 「だから、無理と言っているんだ!わからないのか!」小山が声を荒げる。

 「無理と決めるのは実行してから。じゃ、あたしは帰ります」空が腰を上げる。

 「ねぇ空ちゃん。お願いだから、この人の話を聞いてあげて!」涼子さんが涙目になっていた。

 「ごめん、涼子さん。小山さんの言っていることが正しいのは最初からわかってる。でも、伊達君を止められるのは私とこいつだけなの。これ以上、伊達君を暴走させたくないの」

「俺も帰る。ごちそう様。そして、行ってくる」

 「警察に任せておけばいいのよ!」涼子さんの必死の問いかけに空は何も答えず、そのまま外へ出ていく。俺も後に続く。二人が正しいことを言っていることは痛いほどに分かった。しかし、引き下がるわけにもいかない。この問題は、俺と空が解決しなくてはいけない。

 

 

 次の日、朝の通勤快速に空と乗りこんだ。二人して布にくるんだ木刀を持ち、伊達のいる都会へと出発する。

 久々に空の私服を見た。ジーパンにTシャツに焦げ茶色のジャケット。後ろから見たら男性にも見える服装だった。

 それに対して俺はいつもの恰好だった。

 「あんたさ、折角なんだから別の服着ようよ……」と、空が肩を叩く。俺のこのスタイルに何か文句でも?前の開いた袖をたくし上げたYシャツにボロボロのジーンズですが何か?

 最初に都会へ行った頃の楽しみな感覚はなかった。気持ちは沈んでいた。雨の日の遠足のようだ。そんな中、空は車内で慎ましく寝ていた。いびきも寝息も立てず、まるで人形のようにも見えた。

 都会に着くと、あの住宅街へ訪れてみた。最初に訪れたころと比べて、変化は無かった。自然公園へ訪れてみても、変わらぬ空気が流れていた。母親に連れられた子供たちが追いかけっこをしている。平和な光景だった。「ねぇ、別行動にしない?」空が口を開く。

 「なんで?」

 「何のために二人で来たの?都会は広いの。手分けして探せば、時間も労力も半分で済むの」

 「はいはい」ここで別行動を取ることにした。少し肌寒くなってきた。さっきまで晴れていたが、曇り始める。

 俺は、近場のホームレス達に聞き込みをしてみた。前回、不良に殺されかけていた健史というホームレスは怪我が治り、元気そうにしていた。しかし、俺を助けてくれた髭面の男はどこにもいなかった。伊達の居場所を聞いてみたが、知らないと答える者もいれば、口を開かない者もいた。しかし居場所を知っている者もいた。二日前、この公園から西へ行った所にある空き地で伊達を見たと言っていた。

二日前だったら今いる保証はないが、行ってみる価値はあった。ホームレスが言うには、空き地は人目につかない場所にあった。

空き地に近付くと、雨が静かに降りはじめる。まるで今から起きる予兆のような雨だった。由美子の顔を思い出す。雨に濡れる由美子の姿はとても優雅だった。そんな雨の日に、由美子は殺された。いや、亡くなった。小山に言われた通りに殺されたことはなるべく思い出さないようにしていた。

いつの間にか空き地についていた。「ん?南雲……またお前か?」以外にもいた。

空き地には伊達が立っていた。右手には、以前より黒くなっている木刀が握られていた。以前に会った時と同じ服装をしている。傍らには何かが倒れていた。それは人だった。目を凝らすと、その人は知っている顔だった。真っ白な血色のない顔、死んでいるのだろうか?

「南雲、いい時に来たな。大方、私のやっていることを正しに来たのだろう」

「そのとおりだ」来る時がきた。俺は腹をくくる。

「私のやっていることは確かに法に触れる。しかし、それらのものに縛られて何ができる?」

「何ができるって、伊達は何をするつもりなんだ?」

「はぁ……まったく、いいか?今、この国は相当腐りかけている。その腐ったモノは切り取らなければ、どんどん浸食され、やがては滅ぶ。私は腐ったものを切り取っているんだ」

「殺人は肯定できない」

「そんな考えをこの国が唱えるようになったのは最近になってからだ。一昔前までは当たり前の行為ではなかったか?」

「違う……違うぞ!」

「そうか?だがな、法律や若さを盾に取ってのうのうと生きる犯罪者や……後ろ盾をいい事に好き勝手やる者、そんな奴らでこの国は満ち溢れている」

「だからって……だからってお前……」

「何だ?言ってみろ!」伊達が俺を睨む。その目は冷たくあったが、熱さも感じた。「なら、これを見てもらおう」伊達は、傍らで倒れていた人に木刀を突き刺しこちらに投げつける。その人は俺の知っている男だった。会ったことはないが、顔写真で見た顔だった。両手首が無い。

安藤だ。俺の家族と由美子を奪ったあの男だ。たぶん。「これを見てどう思う?」

「……間違っている」奥歯を噛みしめる。

「本音はそうではないはずだ。知っているぞ。その男が南雲の大切な人たちを惨殺したということを。正当な罰を受けずに解放されたことを」

「な……な、なぜ知っている?」

「南雲も知っている男から聞いた。そして、この男は確実に犯人だ」あの男だ。不思議な歩き方をする男。

「証拠はあるのか!」

「こいつから直接聞いた。下品に笑いながら語っていたよ、日本刀を使った感想を。そして……お前の両親やそこにいた女の子を殺した感想を」俺の中に例え様のない怒りや悲しみが込み上げてくる。「なぁ、南雲。この男の死に顔を見た感想はどうだ?清々しただろ?のどに詰まった何かが取れた気分だろう?どうだ?」涙がこみ上げる。伊達の質問に「間違っている」と、答えたかった。膝が折れそうだ。この場で倒れこみたかった。道徳的には間違っている。法律的にも間違っている。しかし、俺の中では間違っていなかった。

伊達は、まさに『辻斬り長次郎』だった。「間違っていない。お前は間違っていないよ!正義の味方だ!」そう言いかけた。喉の所まで出かけた。

しかし、雨が思い出させた。『どんな理由があっても人殺しはいけない』俺は歯を食いしばり、喉まで来ていた言葉を無理やり飲み込む。「間違って……いる、お前は間違っているぞ!この人斬り野郎がぁ!」

「そうか、残念だ」伊達は冷淡な目をこちらに向ける。

「なぜ、こうも簡単に人を殺せるんだ?お前に心は無いのか!」

「心ならあるさ……そして、私も好きで人を殺しているわけではない」

「嘘だ!秩序を守る為に人を殺すなんて間違っている!そういう考えがお前の心を腐らせたんだ!」

「腐っているだと!ふざけるな!私は……私は断じて腐ってなどいない!お前のその温いセリフが犯罪者に居心地のいい思いをさせているんだ!」

「な……お前こそふざけるな……この世の悪は……」

「悪?この世に善悪など無い。あるのは住み心地が良いか悪いか、公平か不公平かの世の中だけだ。その世の中を乱す者を悪と、守るものを正義と呼んでいるだけだ。しかし、正義がいつでも最善とは限らない!お前は今迄何を夢中になって見ていたんだ?」

「っ!」この野郎、意外と小山と同じ事を言いやがる。お前も時代劇オタクなのか?

「そして私は世の中を乱す者を排除して回っている。それに……このやり方が最善だとは思っていない。南雲はどう思っている?なぁ?時代劇オタク」言い返す言葉を探したが、見つからない。それに俺の言葉を盗るな、こんちくしょう!

「なぜ、そんなことを?なぜ……?なぜだ!」

伊達がため息をつく。そして、一瞬でこちらへ駆け寄り、木刀を振う。俺はそれをギリギリで防ぐ。手が痺れ、後ろへ引く。

「言ったはずだ!質問を質問で返すな!お前のそのできそこないの頭を斬り落としてやる!」今までで一番激しい怒声だった。

そこから、俺は頭の中を真っ白にした。今までの伊達との会話を、昨日の小山と涼子さんとの会話を忘れて戦うことに集中した。迷いや乱れた感情があっては勝てない。空との特訓で得たものはそれだった。

俺は後ろへ飛び退いた。それと同時に伊達も飛び退く。

一度深呼吸をして伊達を見る。隙は必ずある。絶対に見つかるはずだ。それが見つかるまで手は出さない。

雨が強くなる。大粒の雨だ。雨音が耳障りになりはじめる。

しばらく向き合っていると、俺はついに隙を見つけた。左の脇腹。一瞬だけ伊達が態勢を崩したのだ。そこに向かって飛びこむ。胴払いを、今度は俺が胴払いを決める。

しかし、そう甘くなかった。あっさり受けられ、反撃される。それらの反撃を受けつつ、俺もやり返す。一瞬で伊達が視界から消えたが、すぐに後方からの袈裟斬りを受ける。伊達の歩法は前回見ていた。死角に瞬時に入り込むテクニックだ。だが、俺には見えた。

「ほぅ」感心するように伊達がもらす。が、そこからも連撃を続ける。伊達の振りは迅く、細かく、鋭かった。少しでも当たったら体の一部を飛ばされる勢いだ。

俺は持参した木刀で十分に善戦できた。しかし、手が痺れ、指に血が滲む。防戦一方では勝ち目はない。反撃しようにも隙がない。「くぅ……」

それに伊達の使っている黒い木刀。その木刀からは、何か恐ろしいものが伝わってきた。明らかな殺気ともう一つ、何かが込められていた。伊達の感情だろうか?伊達本人には感じられない感情が木刀に込められているように思えた。俺はついに痺れを切らし、半ば強引に反撃に出た。猛攻を仕掛けたのだ。愚かな行為だった。

 伊達はそれを狙っていたかのように後方へ飛び退く。そして俺の隙へ向かって飛び込んでくる。慌てて防御したが、崩され木刀を打ち飛ばされた。「あっ!」もう終わりか。そう思ったが、伊達は必殺の一撃は見舞わず、俺の腹に蹴りを入れた。「ぐっ!」後ろへ吹き飛ぶ。強力な蹴りだった。

 「最後だ、決めろ。大人しく帰り、二度と戻らないか。それともここで首を落とされるか」かつての親友の言葉とは思えない。

 打ち飛ばされた木刀が目の前に刺さる。それを手に取り、伊達に振りかぶる。あっさりと受ける伊達。「それが、答えか?ふん、南雲らしいな……が、愚かだ」

 そこからまた伊達が猛攻を仕掛けた。正確に隙をついた無駄のない攻撃。俺は息を切らし始める。いつも試合は短時間でケリがつくが、この戦いは長引いていた。

 そして、決定的な差があった。俺には伊達を殺す気はない。そして殺される覚悟もなかった。しかし伊達は違った。伊達は俺を殺す気でかかってきた。そして殺される覚悟もあるに違いない。伊達は俺の首をつかみ、後ろへ突き飛ばし、さらに攻撃を激しくする。俺の指に千切れそうな痛みが走る。限界だ。

 そこで伊達が俺の顎を蹴りあげた。そこで俺は完全に無防備になった。

 すると、俺の体に感じたことのない痛みが走った。「うっ!」鋭く、熱かった。気付くと、俺の体から血が流れ、腹に穴が開いていた。

 「あ……」声が自然に漏れる。斬られたのではない、突かれたのだ。

 「言ったはずだ。何の覚悟も無いくせに、私の前に立つからこんな目に会うんだ!」それを合図に四発ほど俺の体に突きを浴びせた。「ぐ、がぁ!は……おぐぅあ!」激しい痛みが奔る。叫ぶ。肺にある空気いっぱいに喉から叫ぶ。叫びと同時に血が霧になって口から噴き出る。目の前が霞む。目に雨水が入り込む。伊達はそんな俺を静かに見下ろしていた。

「まだ聞こえるか?これが最後だ……帰るか?」俺は首を小さく振った。

伊達は俺の首を掴んで持ち上げ、最後の一撃だと言わんばかりに俺の腹を刺し貫いた。「馬鹿は死ななきゃ治らない……死んだ家族に会いに行け、うつけ者」俺の心にあらゆる負の感情が流れ込む。このまま息絶えてしまうのか?そう思いながら地面に倒れる。うまく呼吸ができない。「……っ……ぁ…………」声にならない声が自然にこぼれ出る。そして視界が消え、何も聞こえなくなる。

ただ、雨を感じることはできた。そのおかげで自分が生きていると認識できた。



また見覚えのある場所に来た。ここは、高校の通学路か。よく空や由美子と歩いた道だ。何本か電柱が立ち並び、木製の塀には選挙運動のポスターが貼ってある。遠くには小学生の頃によく行った駄菓子屋がある。が、誰もいない。このだだっ広い道には誰も歩いておらず、静かに雨が降っていた。

後ろを振り返ると、上を向きながら手を広げ、雨を受ける由美子が立っていた。「弘樹、どうしたの?そんなに暗い顔して、誰かに負けたの?」笑顔をこちらに向ける。

「ああ、そんな所だ。なあ、俺はどうなるのかな?」

「さあ?負けたぐらいで何言ってるの?そんなに重要なこと?」

「なあ、俺は死んだのかな?」

「いま、雨を感じることはできる?」手を出してみる。冷たい。

「感じるよ」

「じゃあ、大丈夫。私はね、感じないんだ……残念なことに」残念そうな顔の代わりに苦笑する。由美子は笑顔を絶やさない。「ねぇ、今はどうなの?まだ仇討ちとか考えてるの?もうその相手はいなくなっちゃったけど?」

「な、どうしよう?」

「やりたいことをやればいいよ。弘樹のやりたいこと」

「……」

「伊達さんって人を止めたいんでしょ?」

「ああ」

「伊達さんは間違っているよ。人を殺している。それは間違っている。だから……」由美子が俺の手を握る。暖かい。「伊達さんの行動を止めたい。過ちを正したい。そう思うならね?」

「思うなら?」

「んもう……自分で考えなよぉ」

「え?」

「弘樹は他の人に聞いてばっかり。たまには自分で考えた結論で勝負しなきゃ!ね?」

「そんな事言われてもなぁ」

「直感と自分の考えを信じれば、絶対に負けることはないよ」由美子が満面の笑みを作る。そして、手の握る力が強くなる。



目を覚ますと、まっ白な光景が目に飛び込んだ。ここは天国か?それにしては無機質で妙な匂いがする。この匂いはなんだ?だが、手にはまだ強く握られている感触があった。手の方に目をやると、涼子さんが手を握っていた。

「あ、目を覚ました!」小山の声が聞こえた。涼子さんの目に涙が溜まり、一滴垂れる。

「う……」体があちこち痛む。特に伊達に貫かれた部位が酷く痛んだ。

「無理をするな。結構危ない手術だったらしいし、山も何度か越えた後だしな」山?俺は死の淵をさまようほどの傷を負ったのか?手を体に触れる。少し痛んだ。「まぁおまえがここに運ばれて一ヶ月は経っているからな。具合はどうだ?」三週間だって?冗談だろ?まるでタイムスリップだ。

その後、看護師が点滴を変えに来た。ついでに体温を測り、その場で色々と検査を受ける。その後「あなた、どこ製のロボット?頑丈というか、ありえないというか……」と、ぼやく。

やっとしゃべれるまでに回復すると、疑問が頭をよぎる。空はどうしたのだろうか?

「空は?空はどこだ?」それを聞いて小山と涼子さんは暗い顔をする。

「落ち着いて聞けよ?いま、鮎川は昏睡状態で別の病棟にいる。この病院に着いてからも何度も心肺停止状態に陥り……もし目を覚ましても脳に障害が残る可能性があると……」

「な……なに?」顔を歪め、動かない下半身を無理やり動かしてベッドを降りたが尻餅をつき、傷の一つがひらいた。

とにかくこの日は医者と小山や涼子さんの言うとおりに安静にし、数日後に車椅子を使って集中治療室のある病棟に向かった。

空がいる部屋に着く。そこには包帯を体中に巻き、右腕にギプスをしたミイラが横たわっていた。チューブが体中に何本も刺さり、心電図の音が弱々しく聞こえる。呼吸器と包帯が邪魔で顔が見えない。その人は本当にミイラなのだろうか、ピクリとも動かない。ただ機械に合わせて静かに呼吸をしているだけだった。

ネームプレートには『鮎川空』と書かれていた。「そんな……そ、そんな……」悪い冗談だ。そう信じたかった。目には涙があふれ、目の前の辛い現実を前に車椅子から崩れ、俺は喚き散らした。自分の不甲斐なさ、弱さ、頭の悪さが空をこんな目にあわせたのだ。情けなくてこのまま切腹したい心境だ。

「……なんだ?三流映画の撮影か?」後ろから聞き覚えのない声がした。随分と軽い男の声だった。

「だ、誰だよおまえ!」初対面だろうが、今の俺は落ち着きがなかった。

「俺?う~ん、命の恩人……かな?」恩人?え?こんな金髪のチンピラが?

「……え?あんたが?」涙を拭き、鼻水を啜る。

「なっさけないツラだなぁ……ほら、涙を」と、ポケットに手を入れるが、鼻で溜息をつき、近くのティッシュ箱を俺に放り投げた。「ヤローに貸すハンカチはねぇ」

「あんた、誰だよ!名前は?」と言いながら鼻をかむ。

「人に名乗らせる前に自分が……まぁ俺は知ってるからいいか、南雲弘樹クン。俺は武田光司ってんだ。いい名前だろう?」

「は……はぁ……」いい名前……か?

「ここじゃあ話しにくいから、お前の病室に行かないか?」こんな軽い男に助けられたのか、俺?



「あ、どっこいしょっと!いやぁ怪我人と行動するのは疲れるなぁ」武田と名乗る男が遠慮なしに俺のベッドに腰掛ける。俺は悔しくもこいつの手を借りてベッドに寝た。

「とりあえず、ありがとう……助けてくれて。早速だが、あんたは何者だ?」

「南雲君こそ何者だよ。総一に二回も喧嘩を売って、二回とも負けたんだろう?何がお前をそうさせるんだ?愛か?」冗談交じりに言いながら台の上に乗った涼子さんからのお見舞いの林檎を手に持ち、胸に擦りつけた。

「え?武田……さんって伊達の知り合い?」

「知り合いっていうより相棒……正確には元相棒だ。武田さんはやめろ。名前か呼び捨てで頼む」と、遠慮なしに林檎に齧り付いた。「そんな体じゃあ食えないだろ?これ」

「相棒って?」

「テレビドラマのあれじゃねぇぞ。正確には総一が実行する側で俺がサポート側って奴?いわば共犯よ」

「え?ならお前、伊達と……」

「同類……だなぁ。お前と鮎川さんを助けるまでは総一の考えに賛成していた。でも、あの時の……あの目だ。俺は心底この男は凶人だと思ったよ……」

「お前、鮎川さんって……空と知り合いか?」

「まぁ知り合いっちゃあ知り合いだわな。つっても俺はただ伊達の居場所を教えただけだ。おっと、あと命の恩人だな」林檎が芯だけになり、ティシュでくるんでゴミ箱に捨てる。

このチンピラが言うには、伊達とは高校の同級生で親友だが、ある理不尽な事件の積み重ねによって奴とこの男は犯罪に手を染めたらしい。「って事よ。わかったか?」と、懐からタバコを取り出し、咥える。唇でタバコを転がしながら落ち着かない様な顔をする。火を点けない所を見るに少しはモラルがあるようだが、咥えるのも遠慮してもらいたい。

「でさ、南雲君。リベンジする気ある?っていうか三度目の正直ってやつ。する気あるか?」

「……あぁ……このまま黙っている訳にはいかないな」

「そうだろ?実際に俺も、あいつを止めたいと思っている。だが、今の俺では奴を止める事は出来ない。お前みたいな目に遭うか、首を刎ねられちまう」

「そうだな」と、武田の体を見る。体格は俺と同じだが、身なりや髪型、話し方などを見るに、こいつに武士の心得はおろか騎士道精神も無さそうだった。

「だからさ、お前には入院中にお前に足りないものを得てもらう……」

「なんだ?それは」

「覚悟だよ」と、懐から鉄に輝く塊を俺の喉元に押し付ける。それと同時に俺のベッドの回りのカーテンを閉める。「殺される覚悟、死ぬ覚悟、殺す覚悟だ。それをお前に持ってもらいたい」と、今迄のにやけた顔を一変させる。ここでやっとこいつは伊達の相棒だったのだと信じる事ができた。

「な……お前」リボルバータイプの銃だ。見るのも押し付けられるのも初めてだ。

「いいか?これだよ。伊達の持っている覚悟はこいつと全く同じだ。人を殺すなら躊躇をしない。お前はどうだ?」

「どうって何が?」

「持ってるか?覚悟」こいつチンピラどころじゃない、ヤクザだ!

だが、このヤクザが言う事は正しかった。俺と伊達の決定的な差はその『覚悟』にあった。俺は小山の言葉を聞き入れずに中途半端な気持ちで伊達の前に立った。だから負けた。

今の俺に必要なのは覚悟だ。殺す覚悟、殺される覚悟だ。

「そうか……で?どうやったらその覚悟を持てるんだ?」

「……まず弾を一発」と、シリンダーに弾らしき物を一発入れる。「回転させる。で、まず自分に向けて撃つ」と、銃を差し出す。

俺は息を飲んで銃を受け取った。そしてこめかみに押し付ける。

「いいか、本当に総一を止めるには覚悟を決めて、奴の必殺の間合いに躊躇なく入り込む事が肝心だ。それにはそういう博打も必要だ。さぁ、引き金を引け」

「もし俺が死んだら?」

「こいつ自殺しやがった!って叫ぶね」この野郎。

俺は目を瞑り、何度か息を吸い、吐いた。(これは本物の銃か?)おそらく本物だ。こいつの眼は本物のヤクザか何かだ。この筒からは鉛の玉が絶対に飛び出るだろう。

俺は目を見開き、引き金を……カチッ。

「はぁ~」汗腺に詰った汗がドッと出た。包帯や寝間着に染みを作る。

「よぉし、次だ」と、未だ手の中にある銃を強引に自分の額に押し付ける。「引け」

「何!」もう勘弁してくれ。ショックで傷がひらきそうだ。

「いいからやれ!俺の命であいつを止められるなら安いもんだ!やれ!俺がめげる前に!」この男の目には本気と書かれていた。マジではなく、ホンキだ。

「そんな、今日会ったばかりの命の恩人を殺せってか?」

「その恩人からの願いだ!引き金を引け!」

「……くそ……お前、何もんだよ!」

「犯罪者だ!死刑確定のな!」殺人幇助でそんな刑罰が下るか?俺が裁いていいのか?

「……チクショウ!」と、俺はついに引き金をひいた。カチッという音と共にガツンと言う音が病室に静かに響いた。

「いって~」と、武田が椅子からワザとらしく転げ落ち、額を擦った。「このバカ!本当に引き金引きやがった!」

「は?」

「本物の銃を高校生が持ってるわけねぇだろ!お前本当にバカっ!」額からは少しだけ血が出ていた。「でも、これで覚悟が固まったわけだ」

「いやぁ……微妙。玩具撃たせておいて何言ってんだよ、お前」

「玩具じゃねぇ。護身用エアガンだよ」武田は不敵に笑った。「つーかさ。覚悟のほかに教えたかったのは……総一ってクソ真面目だろ?そんな奴の弱点ってさ、お前みたいなバカだと思うんだよ」

「……はい?」

「だからよ、そのバカな頭を生かして総一をギャフンと言わせてやれよ!な!」と、俺の肩を叩く。傷に響くからやめてほしい。

「なんか納得できないなぁ」人の事を何度もバカって言いやがってこいつ……。

「納得なんてするな!哲学を納得したら人は死ぬぞ!」

「いや、これ哲学なの?」その前にお前こそバカだろう?

 


 その後、小山夫妻もそうだが武田もちょくちょく見舞いに来るようになった。話によると俺が昏睡している間に小山と武田は意気投合し、今では一緒に酒を飲む仲になっていた。涼子さんは不謹慎だと叫んだが、まったくその通りだ。

 空は相変わらず目を覚まさず、未だに昏睡状態が続いていた。何度となく看護師が空をオペ室に運び、険悪なムードが流れる。今でも空の体には手術が必要らしく、その度に涼子さんは大泣きした。俺はその度に拳を握りしめた。

 俺は日が経つに連れて包帯が取れていき、目覚めてから三ヶ月後には歩けるようにまで回復した。そして一ヶ月後には退院だと言われた。

 「退院か、意外と早かったな」武田が俺を小突く。この三ヶ月、俺は武田とかなり仲良くなっていた。見かけとは違って真面目だし、俺より頭がいいし、何より気が合った。だが、初めて空とあった日に武田は『一発やりたい』と、思ったらしく、そこは俺も激怒した。見かけ以上に不謹慎な奴だった。だが、いい奴だ。

 「あぁ……退院したら……」

 「決着だな。その前にさぁ」と、持っていた鞄から茶色の液体の入った瓶を取り出す。「一杯やろうぜ」ウイスキーってやつだ。

 「まて、怪我人に酒か?俺未成年だし……ってお前も!」

 「いいから飲め!あのクソ真面目の総一も俺との飲みは付き合ったぞ?」と、小さなグラスを持って来て勝手に注ぐ。

 「わかった……一杯だけな」と、口を付けようとする。

 「その前に。眠れる姫、鮎川さんに!」

 「……打倒伊達に」と、乾杯して一気に飲み干す。口の中が燃え盛り、苦く香ばしい香りが口の中から鼻の奥、そして外まで突き抜ける。

 「効くだろう?ワイルドターキーは!」

 「馬鹿野郎!」と、いつの間にやら後ろにいた小山が武田を殴りつけた。

 「あ!小山さん!今一杯やってたんすよ!どうすか?」武田は怯まずに酒を進める。

 「こらぁ!酒の味の分からない奴にこんな上等なのを飲ませるな!」と、俺のグラスを手に取り、武田に酒を注がせ、一気に呷る。

 「お前もだ!このプーが!」と、さらに後ろから涼子さんが小山の脳天をグーで殴りつける。「ここをどこだと思ってるの!えぇ?」

 「びょーいん」と、馬鹿三人で声を揃える。こんな事をして不謹慎な……。

 「私にも飲ませろ!」と、笑顔でボトルを奪い取る。


 

 久々に地元に着き、胸一杯に息を吸い込む。やはり地元の空気が一番だ。

 小山の家に着くと、笑顔で涼子さんが出迎える。

 「今日は退院祝いにビフテキです。遠慮なく食べてね」今時ビフテキというのは涼子さんくらいだろう。

 「豪勢だな。コーンスープまで付けて。シェフにでもなったらどうだ?」

 「その気になったら、もうとっくにフランスにでも行ってるわ」少し顔が赤い。すでに酒が入っているようだ。

 「では、遠慮なくいただきます」手を合わる。小山は何やらごそごそしている。

 「おい、リモコンは?あっ……と」リビングから出て、戻ってくる。

 「トイレにでもあったの?」冗談交じりで問いかけてみる。

 「そのとおり」なぜトイレにあるんだろう?

 「今日は新番組『女郎蜘蛛、お吟』だ。昔のリメイクだな。だけどストーリーは一新されているらしいぞ」この番組は昔見たことがあった。自己犠牲によって身を削りながらも、悪党を利用しながら落としめる女郎の話だ。もちろん殺陣のシーンもある。空はこの時代劇を見て剣術を始めたらしい。番組が始まると小山の手が止まる。俺は気にせず自分の皿に乗っかるステーキを平らげた。涼子さんがフォークで、小山の皿に乗っかるステーキを俺の皿によこす。俺はそれを遠慮なくいただいた。

 番組が終わると、小山が声を上げる。

「おい、俺の……俺のぉ」

「俺の何か?」涼子さんがコップの酒を煽る。そして俺の腹をつつく。

「おまえなぁ……鍋の時は百歩譲ってよしとしよう。だが、これはひどくないか?」

「遠慮なくいただきました」もう俺の皿には何も残っていない。

「今日はスープだけ。何杯でもどうぞ」笑いながらテーブルに突っ伏す。酔いが完全に回っていた。小山はため息をつきながらも、顔を緩めた。そして俺の肩を叩く。

「わかってるんだぞ。いつ、やる気だ?」表情は真面目だった。俺と武田の話を盗み聞きしていたのかは知らないが、小山は全てを知っているような目をしていた。

「……来週だ」と、茶でも啜るようにコーンスープを飲む。

「ぶちのめしてやれ」それだけ言うと、いつもの顔に戻りタバコに火を付けた。



 次の日、俺は都会へ行き、伊達に果たし状を渡しに都会へ行った。武田から貰った紙切れに書かれた通りの住所へ向かう。そこにはアパートが建っていた。俺のアパートより立派だ。

 階段を昇り、紙に書かれた番号のドアをノックする。すると武田が出てくる。「よぉ弘樹、待ってたぞ」

 「これを伊達に渡してくれ。頼む」

 「光栄だね。それに、今の俺に出来る事はこのくらいだ。あとは任せておけ。お前は時が来るまで……態勢を整えるんだ。いいな?」

 「わかっているよ。なぁ武田」

 「なんだ?」

 「俺が負けたら、どうするかわかってるな?」

 「なんだっけな?鮎川さんを頼むぞ、か?」

 俺は武田の襟首を掴んだ。「仇はとってくれ!だ……この不真面目野郎!」

 「わかってますって!冗談だよ冗談」と、笑いながらタバコを咥え、火を点ける。

 俺はただ振りかえり、階段を下りて帰路につこうとした。すると上の方から武田が「勝とうが負けようが死ぬんじゃねぇぞ!眠り姫が待っているんだからな!」わかってる。

 

 

 それから一週間、俺はただひたすら待った。目を瞑り、待った。高校へも行かず、道場へも行かず、俺は自分の部屋で目を瞑っていた。

これが瞑想なのか?

心の中の感情を抑えつけず、解放する。怒り、悲しみ、憎しみ、無念さ、すべてを解き放ち一点に集中する。その集中する先には伊達がいた。

 伊達の顔を思い浮かべる。あの冷たい表情の先には何があるのだろう。

 (俺は何がしたい?)俺は俺の声に耳を傾ける。俺が伊達を倒す。

 (つまり、伊達を殺すのか?)違う。殺すんじゃない。伊達の心をへし折る。叩き伏せ、今まで伊達のやってきたことのすべてを終わらせる。

 (俺にできるのか?そんなこと。伊達は強いぞ。技術も力も俺より上だ)そんなことは関係ない。重要なのは心の強さだ。

 (心?俺は伊達より心が強いのか?)強い。

 (なぜそう言い切れる?その自信はどこからくる?)俺は伊達とは違う道を歩んでいる。伊達も俺も同じ境遇を味わったのだろう。大切な人を奪われ、傷つき、憎んだ。だが、俺は道を、俺の道を踏み外してはいない。

 (誰のおかげだ?)空、小山、涼子さん、武田、そして由美子。俺は家族や由美子を殺されたことを忘れる。だけど忘れない。大事な人たちのことは絶対に。

 (……変わったな、俺)色々な目に遭ったからな。それに、すべては俺を取り巻く人たちのおかげだ。

 こうして俺は俺自身を納得させた。今までの俺とは違う。

 そして、確信した。俺は伊達に勝てる。



 決闘に選んだ場所はなかなかシンプルな場所だった。草木が生い茂り、川が流れ、夕日が俺の影を映していた。

 いつか時代劇で見たような場所だ。そこで睨み合い、一撃でケリが着く。

 ここは都会と地元の間にある、昔よく、伊達と空とで着た場所。夕方の四時頃になると、夕日を浴びながら時代劇の決闘ごっこをよくやったものだ。

 しかし今からやるのは、その「ごっこ」が取れたものだ。

 約束の時間が近づくにつれて灰色の雲が空を隠し、夕日が霞む。そして、狙ったかのように雨が降り始める。

 夕日を浴びた決闘ではなく、雨の中の決闘になりそうだ。

 それと同時にゆっくりと足音が近づいてくる。


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