自販機の謎
もう、何日も水を口にしていない。
干物になってしまうのも時間の問題だろう。
オレは、この砂漠の中を、ずっとさまよい続けている。
体力は、すでに限界に達している。
この先に助かる見込みなど、到底無いのかもしれないが、すっかり重くなった脚を、躍起になって引き摺りながら、ただひたすらオアシスを求めている。
渇いた喉の奥が締め付けられ、もはや呼吸をするのさえ辛い。
しとどに流れ出ていた汗も、露骨に少なくなっている。
貴重な水分を逃がすまいと、受け皿のようにしていた下顎には、塩の結晶がこびり着き、下唇と歯茎の狭間に舌を差し込めば、刺さるような塩辛さの中に、微かに血の味を感じとれる。
そんな状況で、白い四角の物体が、不意に視界に割って入ってくる。
目を凝らせば、何やらそれはジュースの自販機のようだ。
オレは、自分の眼を疑う。
これは、きっと朦朧とした頭が作り上げた蜃気楼に違いない。
とっさにそう解釈しようとしたが、自販機はいつまでたっても、オレの前から消える様子がない。
ゆっくりと自販機に近付いてみる。
ブーンとコンプレッサーの作動する音が聞こえてくる。
自販機は、灼熱の太陽光線を浴びながらも、みずみずしいまでの冷気を漂わせ、『営業中』のサインを元気に点灯させている。
これは、現実だ。
オレは、自販機を抱きしめる。
この自販機は、この広大な渇ききった砂漠のど真ん中で、オレが最も必要としている水分を売ってくれている。
まさに、神の恵みと天を仰ぐ。
さっそくポケットを探ってみる。
無情にも、懐にはジュース代どころか、小銭の一枚も持ち合わせがない。
こうなったら、この自販機を破壊してやろう。
だが、道具も無いのに素手で鉄の塊を壊すのは難解だ。
弱り切った今のオレには、この自販機を押し倒す力すら残っていない。
せっかく目の前に水があっても、手も足も出すことができないのだ。
これでは、ヘビの生殺しだ。
オレは、自販機の前でへたばる。
何だって、こんな所に自販機なんかあるのだろうか。
こんな場所に設置して、今のオレのようなヤツ以外に、いったい誰が買いに来るというのだろうか。
だいたい、この自販機の電源はどこから来ているのだろうか。
オレは、自販機の背後へ回ってみる。
機械の背面に尻尾のように繋がっているケーブルが、砂の上を地平線の遥か彼方へと伸びている。
自販機に電気を流している元は、いったいどこなのか。
発電所か、或いは部落があるのかどうかはわからないが、もしかしたら、人の居る場所に繋がっているかもしれない。
ケーブルの行き先を辿ってみよう。
弱り切って、歩くのがやっとだった体の動きが、不思議と軽くなってくる。
俄かに湧き起こってきた希望というものが成せる力だ。
相変わらず容赦なく襲いかかる灼熱も、渇きも、今のオレには苦痛ではなくなっている。
ケーブルは、どこまでも続いている。
いくつものうねるような砂地の起伏を乗り越え、オレはケーブルを追いかける。
どこまでも。
どこまでも。
ケーブルは、容赦なく視界のずっと先まで延びている。
どこまで進んでいっただろうか。
希望の力にも翳りが見え始めてきた頃、オレは、重くなりつつある足を宥めながらも、長く続くなだらかな斜面を登り詰める。
そこで、オレは途方もない達成感を手中に収めたかのように、歓喜の叫び声を上げる。
見渡せば、視界の先に、すり鉢状の大きな凹みがあり、その中心部にほったて小屋が見えたのだ。
ケーブルは小屋の中へと続いている。
オレは胸をときめかせ、斜面を下る。
ここには、明らかに人のいる気配を感じる。
小屋の扉を少しだけ押し開けてみる。
小屋の中には、床に固定してある自転車に跨り、汗だくになりながら懸命にペダルを漕いでいる男の姿が見える。
自転車の車輪部分には発電器が取り付けられていて、自販機から伸びていたケーブルは、その発電器に繋がっている。
オレは、足を踏み入れる。
「やっと来たか」
男が息を切らしながら言う。
「待ってたんだ」
「何をしてるんですか」
と、オレは訊ねる。
「見てわかるだろう」
男は、怒鳴りつけてくる。
「電気を起こしてんだよ。そこの机に小銭が置いてある。さっさと買ってきてくれ」
男が小屋の傍らにある机を指差す。
そこには、まるまると膨らんだ革製の小銭入れが置いてある。
「買ってくるって、ジュースをですか?」
と、オレは訊ねる。
「そうだよ!」
男は、茹で蛸のように紅潮していた顔を、更に赤くする。
「小銭ならたっぷりある。奢ってやるよ。頼むから早く行ってきてくれ。もうバテそうなんだ」
男は、たちまち泣きそうな声色に変わる。
オレは革製の小銭入れを掴み、今度はケーブルを逆戻りして、自販機のある場所へ向かった。
(了)