それを男は浪漫と云うの? 中篇
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“危ない。着せる前に脱がせっぱなしにする所だった…”
吉良に追い立てられてリビングへ戻った紫苑は、ソファに腰を下ろして顔を両手で隠し天を仰ぐ。
裸体を幾度も重ね情事を楽しむ仲になって久しいと言うのに、着替えを見られるという事を、吉良が恥ずかしがるとは思いもしなかった。
適当に流すか、あっさり追い出すか、その程度の反応が返ってくるとばかり思っていた。
けれど、予想外に吉良が乙女の様に顔を赤くして困った顔をするので、長いロケ生活で禁欲を強いられた紫苑の欲望が、つい鎌首をもたげてしまった。
何とか自制し、警告のつもりで紫苑は甘く囁いてみたが、あの慌てふためきようからして、吉良が理解しているかは謎だった。
“…本当に、吉良は自覚が足りなさ過ぎだよ…口説く男が俺みたいな奴だったら、どうするんだよ”
吉良が鈍いからこそ、他の男が手を出しても彼女自身は気付かないままなのだが、強引な男相手では危険極まりない。
吉良が自覚のないままに垂れ流しにする可愛さに、誤爆する輩もいると思うと、気が気ではない。
自分が強引に吉良をオトしただけに、紫苑は自分の様な男が吉良の周囲に現れるのが不安だった。
既に一人、ずっと吉良の周囲に侍っている。
榊健斗という名の、危険極まりない男が。
それですら気を揉んでいると言うのに、新たに面倒な男の影まで。
“よりによって、俺よりも先に健斗が吉良の浴衣姿を見るなんて、むかつくじゃないか!しかも、クソ兄貴まで!”
メールが送られてきた時の怒りを思い出し、紫苑は両手を顔から離し、鋭い視線で天井を仰ぎ見る。
『凱の野郎、今にも手を出しそうな顔で吉良を見ているぞ。下心アリアリの面でな』
「あの野郎、手ぇ出しやがったら速攻殺す!」
メールを読んだ紫苑は、思わず怒りの形相でドスを効かせて剣呑な感情を口にしてしまった。
普段は愛想の良い負の感情を一切見せない紫苑の様子に、周囲の役者仲間が思わず青い顔をして身を引いた。
とっさの機転で何とか周囲は誤魔化したものの、紫苑の腹の虫はおさまらない。
凱が結婚したと健斗から情報を得てはいても、榊の人間が結婚して派手な女遊びを控えるはずもない。
凱が吉良に手を出すのではないかと、紫苑はその日はずっと苛立ちと焦燥が募っていた。
かといって、仕事を抜け出せるだけの時間もない。
やっと仕事が片付いて戻れたのは、四日も経ってから。
パーティーの事を聞くには、微妙に時間が経ち過ぎていた。
それとなく聞き出せばよかったのだが、吉良相手ではどうしてか紫苑は上手く聞き出せない。
それが余計に紫苑を悶々とさせた。
「…紫苑、どうしたの?そんなに怖い顔して」
不意に聞こえたその声に、紫苑は慌てて顔を下げ声のする方に視線を向ける。
いつの間にか、浴衣に着替えた吉良が近くで不思議そうに自分を見ている。
紫苑が見立てた浴衣は、良く似合っていた。
美菜の選んだ浴衣は、華やかで女性らしい愛らしさで吉良を魅せたが、紫苑が選んだそれは大人の女性らしさを引き出すものだった。
髪も少しだけセットして、浴衣でも違和感はない。
「ど、どう?」
しとやかで淡い色香を漂わせるその姿に、紫苑は淡く笑みを唇に映す。
「綺麗だよ。思った通り、それも良く似合うよ」
吉良はその称賛にはにかむように笑い、目の前に差し伸べられた恋人の手をとる。
「きっと、紫苑が見立ててくれたからよ」
招かれるように、紫苑の前に立った吉良は、美麗な顔をした恋人の頬に手をのばす。
「ありがとう、紫苑」
「…『勿体ない』って、怒らないの?」
以前、贈り物をした時は「勿体ない」「無駄遣い」だと怒って、二度としないようにおしかりを受けた紫苑は、吉良の意外な反応に不思議そうな顔をする。
二人の金銭感覚が違うので、紫苑にとっては廉価でも、吉良にとってはかなり高額であったりするので、付き合う前からいろいろ問題が起こった。
その時の事を言われ、吉良はばつの悪そうな顔をする。
「それは、恋人でもない私に、一度に幾つもプレゼントをくれて、その一つ一つが高価すぎたからよ」
細い指に髪を絡ませ、頭を撫でるように吉良はそう説明する。
「たまに…ささやかなもので、十分嬉しいのよ」
「そんなことで良いの?」
「だって、好きな人からもらえるのよ?」
穏やかに本当に嬉しそうに笑った吉良は、不意に何かに気づく。
「そう言えば私、貴方に贈り物したことないわ…このお礼もしたいんだけど…」
男性に何かを贈るような機会がほとんどない上、金銭感覚も違うので何が妥当なものか吉良にはあまり想像がつかない。
紫苑からすれば、吉良からいつも色々な形で望む物を貰っている。かしこまって贈り物など貰ういわれはないのだが。
それでも、今、彼女から貰いたい物がある。
「…それなら、俺からリクエストしても良い?」
「なにか欲し…な、何か嫌な予感がするんですけど…」
吉良は、目の前の男が口角を釣り上げたのを見て嫌な予感がし、すぐさま後退りしようとする。
紫苑がその行動を見逃すはずもなく、吉良の体を更に引き寄せ、自分の膝の上に横抱きにして座らせる。
逃れられないように腕で拘束した吉良の耳朶に、紫苑は唇を寄せる。
「たまには、あげはからお誘いのキスしてほしいんだけど」
刹那、吉良は困ったような顔をして紫苑を見つめる。薄化粧で顔はあまり分からなかったが、耳が異様に赤く染まっている。
吉良も自分からキスをしない訳ではないが、しても唇に触れるだけのフレンチキスだけ。
紫苑が願うのはディープキスだと、吉良は扇情的な彼の表情で気付く。
しかも、この雰囲気はキスだけで終わりそうもない。
「…い、今じゃないわよね?」
「今だよ?」
「ま、まだ朝よ?」
「昨日は、あげはが嫌がるから我慢しただろ?」
「あ、あんな激しい事、毎日なんて無理よ」
一昨日、会えなかった時間を埋めるように、不安と愛しさをぶつけるように、戻った紫苑から受けた愛の営みは濃密で情熱的だった。
事前の宣言通り、吉良が意識を飛ばすほど。
当然、翌日が仕事の吉良の体調になど配慮もなくて、気力だけで業務をこなした吉良には、二日続けて紫苑の過多な愛の行為を受け入れる体力はなかった。
「俺は、毎日だって吉良を抱きたい」
それは、健全な肉食系男子である紫苑の本音だった。
思ってはいても、吉良の意思をある程度は尊重したいし、前日にやり過ぎたと分かっていたから、昨日は紫苑も渋々我慢をした。




