儚いからこそ、花火は大輪を咲かす 16
「…悪かったな。昔の男との逢瀬を邪魔して」
煙草を咥えながら、健斗はそう呟いた。
吉良はゆっくりと健斗に視線を向けた。
「何ですか、院長らしくない」
「今のうちなら、愚痴を聞いてやるぞ」
「愚痴なんて、何もありませんよ」
「言いたい事はあるんだろ」
思いを見透かされた吉良は、苦笑して首を竦める。
「凱先生の留学先での事、院長も美菜先生も、私が気にすると思って、わざと教えてくれなかったんですね?」
「パーティーに行かないと、駄々をこねられても困るんでな。美菜に文句を言うなよ、口止めしたのは俺だ」
本当は、美菜から受けた電話で凱が離婚調停をしていることを知らされたのだが、それはおくびにも出さない。
例えどのような情報が吉良の耳に届いたとしても、健斗は彼女が凱に靡く事を徹底阻止した。妻と吉良を‘守る’ことは、健斗にとっては同意義だから。
「しませんよ、そんな事。それに、凱先生とは男女の関係じゃありませんから」
「…違うのか?」
「…医師として尊敬はしていますし、好きでしたけど…でも、恋愛感情とはすこし違うんですよね」
「あの当時、俺の目にはお前も凱に惚れている様に見えたが?」
吉良は微かに笑う。
「憧れの先輩の様な、お兄さんの様な…手は届かないけど近くに居て、後ろを追いかけたい…そんな感じです」
「お前、ああ言う堅物が好みか」
「下ネタを言わない所は好みですよ」
どうあっても男女の間柄を詮索する相手にチクリと揶揄した吉良だが、健斗がおもしろくなさそうに鼻で笑う。
「俺はオープンで、あいつが単なるむっつりなだけだ」
「オープン過ぎるとセクハラです…それに、院長の期待に添う様なものは、本当になかったんです…あったとしても、留学はやっぱり断ったと思います」
もし吉良の中に、少しでも凱への恋愛感情があったのなら、留学の話を即答では断らなかった。それでも両親や借金を思えば、結局は悩み抜いた末に丁重に断る選択肢しか吉良には出来なかった。
「それしか答えはなかったですから。結婚したって知っても、おめでとうとしか浮かばなかったし…何年経っても、良くも悪くも、全然、凱先生は変わってなかったです」
何一つ、変らない。
外科医至上主義で、妥協を許さない。
己の仕事に誇りを持ち、常に向上しようとするその医師としての姿勢がとても好きで、器械出しとしての技能を磨き、一人でも人の命を救いたいと思っていた昔を思い出した。
吉良には凱の不変性が、嬉しくもあり悲しくもあった。
凱が変わらなかったからこそ、変ってしまった自分とは、もう以前の様な関係に戻る事はないのだと気付かされたから。
「本当は、凱の下に戻りたかったんじゃねえのか?」
指で煙草を挟んで煙草を口から外し、紫煙をゆっくりと吐きだした健斗は、花火に視線を向けたまま、そう尋ねた。
「…うーん」
吉良は首をかしげながら、唸る。
「おいおい、悩む所か?」
「…戻りたいって、思わなかったんですよね」
至極真面目に悩む吉良に、健斗は唇の端を歪める。
「当然だろ。凱より俺の方が良い男なんだから」
「…そうかも知れませんね」
軽くあしらって笑うかと思っていた健斗は、すんなりと肯定の返事が来たので思わず吉良を見下ろす。
「…お前、熱でもあるのか?」
「それ、私に失礼です」
少しむっとした吉良は、そう言いながら視線を花火に向けた。
「悔しかったんです」
「悔しい?」
「凱先生が院長の事を中傷した時、自分の事をどうこう言われるより、嫌だったんです。どうして医者としての院長を正当に評価できないんだろうって」
「だから、あんな台詞を吐いた訳だ」
「そう言えば、聞いてたんですよね…」
ばつが悪そうに吉良が呟けば、健斗は携帯灰皿に煙草の火を押しあてて消す。
そして、その灰皿を片付ける。
「莫迦なことを言ったな、お前は。外科医至上主義の堅い頭の奴らに、何を説いたって無駄だ。お前まで、敵視されるぞ」
「分かってます。分かってますけど…我慢するより先に、手と口が出ちゃったんです」
怒りにまかせて行動したと言う事は、それだけ吉良が腹にすえかねたと言うこと。
普段は軽く毒を吐く程度の吉良が、抑止も効かずに行動に出るほど、自分を評価しているのだと知り、健斗は吉良の頭を軽く小突く。
「あいつらに真っ当な評価をされても、気色悪いだけだ。お前みたいに、分かる奴だけ俺の事を分かってりゃ、それで良い」
健斗は穏やかに笑った。
皮肉屋ないつもの笑みではない、心からの笑みに、吉良もつられるように笑う。
わざわざ、誤解を招く言葉で凱の怒りを煽り、吉良へ向いていた凱の怒りをうやむやにしたことも、吉良はちゃんと理解している。
ドSで、人を喰った事ばかり言うけれど、その実、健斗がとても優しい人間であることを知っているから、吉良も彼の下でずっと働ける。