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Sweet hug  作者: 響かほり
儚いからこそ、花火は大輪を咲かす
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儚いからこそ、花火は大輪を咲かす 13



「それで健斗先生に治療してもらっていますけど、未だに克服できないんです」


 震える自分の腕を、自分の手で抑えつけながら、努めて明るく吉良は相手に伝える。


「情けない話ですよね」

「…戻りたいとは思わないのか。医者なら他にもいるだろう」


 至極当然の様に問う男に、吉良は困ったように笑う。


「…未練がないと言ったら、嘘ですけど」

「ならば、医者を変えろ。つまらない仕事をせず、また俺の許に戻って来い」


 吉良は俯き、一度、大きな呼吸をしてから凱の双眸を見る。

 一瞬にして表情の変わった吉良に、凱は息をのむ。

 それは、かつて自分の隣で仕事をしていた頃のままの彼女だった。

 仕事に対して妥協を許さない、強い意志を持った強く美しい双眸が、凱を見据える。

 凱は吉良のその眼が、好きだった。


「私、今の仕事内容も、やり甲斐があって楽しくて好きなんです…世界レベルで評価される優秀な凱先生の眼から見れば、小さなクリニックの看護師の仕事は、つまらない事なのかも知れませんが、患者を看ることにつまらない事はありません」


 穏やかに語るが、彼女の言葉には仕事への侮辱を許さないという牽制が宿る。

 一緒に仕事をしていた当時のまま、吉良は看護師としての自分のあり方を何一つ換えてはいない。どのような内容の仕事でも、真摯に向き合う彼女の姿勢が気に入って、凱は吉良を重用していた。

 だが凱には、吉良の今の言葉は気に入らなかった。

 素晴らしい能力を持ちながら、それを役立てないなど、無能より劣る。

 彼にとって、それが何より許せない。


「お前はみすみす自分の才能を潰す気か?お前の力があれば、救われる命も増えるというのに言い訳をして逃げて。惰性で誰でもできる様なつまらぬ仕事をするのか?それこそ、看護師の仕事を冒涜している」


 冷然と言い放った相手に、吉良は喉元まで怒りがこみ上げた。

 オペ至上主義の凱にとって、今の自分が不甲斐無い者として映る事を吉良は、理解していた。だから、ある程度の責めは覚悟した。

 それでも、看護師の仕事を侮辱しているというくだりは、納得がいかない。

 きっかけはどうであれ、吉良は今の職場での仕事を妥協して行っている訳ではないし、安易な仕事でもないと思っている。


「才能あるものがその才能を生かすのは、義務だ。それさえも解らなくなったのか」


“簡単に諦めた訳でも、好きで辞めた訳でもない!”


 吉良はそう叫んでしまいたかった。

 けれど、その言葉を怒と怒りを押さえつけ、吉良は曖昧に笑ってそれらを飲み込んだ。


「凱先生は、私を買いかぶり過ぎです。私程度なら、他にもいます」


 言った所で、挫折を知らない凱には到底理解などされないと、分かっていたから。

 深く抉られた心の傷は、容易には癒えない。

 人の心は、時に金剛席の様に強靭で、時に砂細工の様に脆い。

 弱さを知らないものに、弱さを理解することなど出来ない。特に、挫折を知らない凱の様な完璧主義者には理解しえないもの。

 凱は呆れたように、短く息をつく。


「お前、何時からそんなに弱くなった…健斗に毒されたか」

「…どういう意味ですか?」

「外科医になろうと努力もせず、精神科医になるような恥さらし道楽者の下に居るから、お前は駄目になったのだ」


 明らかな侮蔑が込められた言葉だった。

 それは、吉良に対して向けられたものではなく、外科医以外を医者と認めない榊家の、健斗に対する侮辱だった。

 刹那、吉良は凱の頬を力任せに平手打ちした。

 大きな音が周囲に響く。

 近くにいた来客者の何人かが、吉良達の方に視線を向ける。


「今の言葉、撤回してください」


 凱は打たれて痛む頬を軽く指でなぞり、吉良を鋭く睨む。

 だが、吉良も一度は押さえた怒りが再燃し、負けじと相手を睨み返す。


「私はあしざまに言われても仕方ありませんけど、院長と精神科医に対する侮辱はこの場に不必要です。撤回してください」


 吉良の反論に、凱の視線が殊更に鋭くなる。


「院長は他人に厳しいですけど、同じ様に自分にも厳しい人です。普段は不真面目に振る舞っていますけど、人の知らない所で人の何倍も努力や勉強をしています。けっして道楽で仕事をしている訳でもありません。それに、精神科医は人の心を治療する素晴らしい医療です」


 その啖呵に拍手が聞こえ、吉良と凱はほぼ同時に音のする方に視線を向ける。

 歩きながら近付く健斗の姿がある。


「お前が俺を褒めるなんざ、初めて聞いたぞ。どうせなら、面と向かって言ってくれないか、吉良」

「院長…」


 表情筋だけを動かして作られたその男の笑みに、吉良は思わず息をのむ。

 健斗の眼の奥は全く笑っていなかった。

 笑っていない所か、臨戦モードのぎらついた怒りが見えた。



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