儚いからこそ、花火は大輪を咲かす 11
§
“院長ったら、あんな所でずっと見てたのかしら…”
淫靡に笑った男が消えたバルコニーから視線を下ろし、吉良は手元の名刺に視線を向けて嘆息する。
あまり見られて心地よいものではなかった。例え、断ったとしても。
健斗や美菜に、不要な気を遣わせたくなかったから。
“あれで二人とも心配性で、過保護なのよね…”
彼らは普段の人権無視の強引さとは裏腹に、見えない所で色々と気を回している気遣いの人でもある。
傍目に性格がきつい部分が目立って誤解されやすいが、付き合ってみるとその優しさが良く分かる。
だから、健斗のクリニックのスタッフも、ほとんどがオープニングスタッフのまま定着しており、院長夫妻に信頼を寄せている。
無論、吉良も。
「…眞鍋?」
名刺をバックの中の名刺入れにしまっていた吉良は、旧姓を呼ばれ顔を上げる。
相手の顔を見て、吉良は思わず固まる。
会いたい半分、会いたくなかった相手の姿がそこにある。
五年の歳月で、少し渋みを増した男の姿が。
「…が、凱先生」
精悍で整った顔立ちの男は、吉良の顔を確認すると、無表情のまま近付く。
思わず一歩後ずさってしまった吉良の腕を、間近に来た相手は掴んだ。
「また逃げるのか?」
静かに問いかける男の声に、吉良は視線を伏せる。
また逃げる…そう言われた事が、彼女の心にこたえる。
留学の問題で彼を激怒させてしまい、気まずい関係のまま凱が海外に渡ってもう五年。
その直後にオペナースを続ける事が出来なくなり、そんな自分が恥ずかしくて、彼との音信を一切断ってしまったのは吉良の方。
凱と距離を置いたのは自分だと自覚していたから、余計に胸が痛む。
「…お久しぶりです」
ようやくそう挨拶の言葉を出したものの、緊張と不安が混じり、彼女の声は震えていた。
相手の反応が怖くて、吉良は視線を合わせられなかった。
「そうだな…眞鍋、そう身構えるな。別にとって食べたりはしない」
そっと顔をあげて、吉良は榊凱を見る。
性格上、ほとんど愛想笑いをしない凱は、困った顔をしていた。
「悪い…健斗の様に笑ってやれなくて」
言われて吉良は眼を瞬かせた。
昔、「チャラチャラ笑うような軽薄な男は、男ではない」と、健斗を揶揄していた凱を知るだけに、吉良は己の耳を疑う。
どちらかというと目つきが鋭く、笑う事が少ない為に、無愛想で怖いというイメージが付いているのが、凱のコンプレックスだとも吉良は知っているだけに。
「…凱先生、変なもの食べました?」
「相変わらず、さらっと失礼なことを言うんだな」
ため息交じりに凱はそう言うと、失言して渋い顔をした吉良の腕から手を離した。
「すいません…よく院長にも言われます」
「…健斗の所で働いているそうだな?」
「あ、はい…」
「俺は、お前があのままオペナースを続けているとばかり思ったぞ」
言われて、吉良は複雑な表情で笑う。
親が作った借金の問題で吉良が病院を辞める前に、凱は海外に渡ってしまった為、凱は吉良のトラブルを知ることはなかった。
「色々ありまして…」
「帰国して、親父から全て聞いた」
「…そうですか」
「お前、就職してからずっと、親の借金を払い続けていたそうだな?」
「はい」
「親の借金があったから、五年前、俺のプロポーズを断ったのか?」
「……え?プロ…ポーズ?」
身に覚えのない話に、吉良は首をかしげた。
凱は目を細める。
「俺が海外留学する前に、言っただろう。一緒に来て俺を支えてくれと」
「あ、あれ、プロポーズだったんですか!?留学のお誘いだとばかり…」
吉良は思わず素っ頓狂な声を上げ、凱は呆れた様に溜め息を漏らす。
「留学に誘うなら、支えてくれなどと言うはずがないだろう」
「だ、だって、あの頃、私達、お付き合いとか…して…ない…気が……」
「付き合った女でなければ求婚してはならない、などと言う下らない道理はないだろ」
「そ、それは…そうですけど、物事には順序とか、気持ちとか…」
「少なくとも俺はお前に惚れていたし、口説いても全く知らぬ顔をしたのはお前の方だ」
「…えぇ!?」
凱に惚れられていた事も初耳なら、榊特有の口説き文句を凱から聞いた記憶もない。
記憶をいくら辿っても‘口説かれた’に相当する出来事の記憶がなさ過ぎて、吉良は頭を抱えた。