儚いからこそ、花火は大輪を咲かす 7
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「どこ行ったのかしら、院長…」
先に行ってしまった健斗を追いかけたが、人込みに紛れて彼を探し出すことができなかった吉良は、ひとまず人気の少ない庭先に出る。
携帯電話を取り出し、健斗に電話をかけてみるが通話中で繋がらない。
吉良は携帯電話を下ろし、ため息を漏らす。
ただでさえ心細いのに、話相手の少ない場所に一人で置かれるのは余計に心許ない。
「別嬪さんがため息なんてつくもんやないで?」
少し離れた横から声がして、吉良はそちらに視線を向ける。
年齢は五十台半ばの胡麻塩頭の男は、ウイスキーの水割りが入ったグラスを片手に、庭先から吉良の方へ歩いてくる。
その姿を見て、吉良は驚愕する。
「ウー先生!」
中国籍で香港を拠点に活動する脳外科オペの権威である外科医、胡飛その人だった。
分単位のスケジュールで、多忙な日々を送っているといわれる彼の人が、此処にいる事に吉良は驚愕する。
日本贔屓で、日本語も関西系だが堪能だ。
健斗が言っていたVIPは、彼の事かと吉良は瞬時に悟る。
「うぉ、ばれた!?」
体全体で驚きを表現した男は、慌てて吉良の手を取り、逃げる様に人気のない場所へ駆け込む。それでも、ライトアップはしっかりされており、大声を出せば邸に声が届く場所で、吉良の不安感を煽るような場所ではなかった。
「悪いが、内緒にしといてぇな。次から次へと話しかけられて、落ち着いて酒も飲めんし、息苦してしゃぁない」
矢継ぎ早に寄ってくる人間達から隠れるように逃げていたらしい相手は、片手で拝む様な格好をして吉良に頼み込むので、吉良は素直に頷く。
「くっそぉ…榊に騙されたっ…内輪のホームパーティーで、別嬪さんたくさん用意したからのんびり遊んで行けとか…嘘はないねんけど、真実じゃあらへん!のんびりできるかっ!」
言葉の裏をかくのが榊のスタイルなので、吉良は裏を読まなかった素直な相手に苦笑いする。
最も、榊の内輪は医者ばかりなので、目の前の有能な脳外科医を逃すはずがない。
「心中お察しします。先生は相変わらず、多方面でお忙しいんですね」
蝶ネクタイを外したタキシード姿の胡は、吉良をマジマジと見て首をかしげる。
「お久しぶりです」
「あれ、小姐(お嬢さん)、どこかのオペで会ったかいな?」
「はい。四年ほど前に、いずみ病院で行われた脳幹部の巨大腫瘍の手術の時に」
「あぁ!流れるような器械出しで、わしに気持ちようオペさせてくれた、あのナースか!確か、眞鍋言うたな?」
吉良は自分の事を姓まで覚えていた相手に、驚く。
「はい。名前を覚えていていただけで光栄です」
「覚えとる覚えとる。雄に、小姐をわしの所に留学させへんか言うたんを、断られたしの」
自分の知らない所で、そのような話があったことなどついぞ知らなかった吉良は、目をしばたたかせる。
「オペ着や白衣も凛々しかったが、浴衣もまた色っぽくてええの」
胡は破顔する。
「日本の夏は、浴衣に花火がないと物足りん。榊に条件出しといて正解やった。小姐を見れただけでも、日本に無理してきたかいがあったちゅうもんや」
ドレスコードを浴衣に変えた張本人に、吉良はにこりと笑う。
「先生は日本文化がお好きですものね」
「文化が好きっちゅうか…まあ、別嬪さんが単に好きなだけのおっさんやな」
そう言って笑った胡飛には、まったく嫌味も色を含んだいやらしさもない。社交辞令である事はすぐに分った。
「眞鍋がこのパーティーに来るっちゅうことは、あんときの榊の坊っちゃん先生と結婚したんか?」
いきなり地雷を踏んだ相手に、吉良は困ったように首を横に振る。
「いえ今日は、上司のホスト役で同伴を」
説明するのが難しかったので、さし障りのない説明をした吉良に、胡は不思議そうな顔をする。
「…?上司は凱やあらへんのか?」
「ウー先生のオペに参加させていただいた直後に、外来だけの病院に移ったので」
「ちゅうことは、今はオペには入りよらんのか?」
「えぇ」
「せやったら、榊に遠慮せんとわしが眞鍋を勧誘してもかめへんわけやな?」
「…あ、あの、ウー先生…実は私、今は眞鍋姓ではなく吉良姓なんです」
「…日本は夫婦同姓やったな?ちゅうことは結婚したんか?ほんなら、なかなか一人でホイホイとは香港に来られへんな…夫婦は仲睦まじせなならん。わしの誘いは忘れてくれや」
誤解したまま話をそう完結させた相手に、吉良はあえて事実の修正をしなかった。
ヘッドハンティングの話を蒸し返されても、巧く断る術が見つからなかったから。
このまま、胡飛が話を下げてくれたまま平穏に話を済ませた方が、角が立たないと判断したのだ。