儚いからこそ、花火は大輪を咲かす 6
吉良は会長に向き直り、頭を下げる。
「お久しぶりです、榊会長。御挨拶が遅くなりました」
「そう畏まる事はない。息災でやっているか」
「はい」
顔を上げた吉良は、顔を上げて恰幅の良い相手を見る。
多少、太身になったとはいえその容姿は、榊一族の誇る美麗な外観を損なうことはない。
むしろ、七十にさしかかろうとする男には、貫禄と渋みが増したと言える。
相手は、しばしじっと吉良を見る。
「昔に比べ、内面から滲み出る艶やかさがあるが…恋人でも出来たか?」
「え…あ…はい」
他人から言われる恋人という響きが、吉良は少し照れくさくて、はにかみながらそう答えた。
その様子に、榊雄は目を細める。
吉良が交際している男が実は自分が勘当した末の息子であるという事を、聖心会の会長は把握している。だが、それをおくびにも出さない。
「良い男か?仕事を辞めろなどという、男ではあるまいな?」
「仕事の制限はされません。私のやりたい事は尊重してくれますし、彼は自分がどれだけ忙しくても、優しく大事にしてくれます」
意外にも大胆に惚気た吉良に、滅多に笑わぬ男の表情が、穏やかなものに変わる。
吉良は視線を下に向けていたので気付かなかったが、隣にいた健斗はしっかりとその変貌を見ていた。
“紫苑が気になるなら、勘当といて頭下げりゃ済む話なのに。このおっさんもプライドが高い上、相当な頑固者だ”
医師の道を選ばなかった紫苑を、榊の名を名乗る事のみ許して勘当した会長。
雄は歳を過ぎてから出来た末の息子である紫苑を、かなり溺愛していた。だが、雄はあまり子供への愛情表現は得意ではなく、どの息子たちにも、素っ気ない必要な会話程度しかしたことはない。
紫苑は愛人の子供だったこともあり、父親からの愛情を殊に注がれている事を悟った他の年の離れた兄弟との仲は悪く、榊の本家での居場所がなかった。
それに加え、雄は幼少期の紫苑に不用意な言葉をぶつけて紫苑の心を深く傷付けてしまった。それ以来、紫苑は父親を倦厭し、榊の一族である事も、医者になることにも強く反発し、早くから芸能生活で自活する術を得て榊の家を飛び出した。
紫苑が家を飛び出す前に、親子の壮絶な喧嘩があり、それが今も二人の間で大きなシコリになっている。健斗はそれを知るだけに、内心で呆れる。
「仕事に理解のある男ならば良い。健斗の所に飽きたら、何時でもわたしに言うと良い。本院に戻れるように早急に手配する」
「申し訳ないんですが、こいつを飽きさせるつもりはないので、口説くだけ無駄ですよ」
吉良が返答に困ると、榊健斗が素早くそう返事をする。
雄は独占欲の強い甥を見て、鼻で笑う。
「相変わらずだな、健斗。立ち上げた病院も、ずいぶん繁盛しているようだな」
「俺の所が儲かるのは、世の中が病んでいるからですよ。俺の力じゃありません」
健斗が皮肉気に笑えば、雄は同じように笑みを返す。
時代の流れと共に心を患う人間が増え、うつ病の患者数も増えている。
健斗は睡眠外来を立ち上げているが、専門は精神内科。平たく言えば、彼は精神科医。
うつを発症する人間は不眠症状などを伴う事が多く、うつであると無自覚であるものが多い。
そして、日本人の心理的に『精神科』という名前に快い感情がない。そのために抵抗感を抱き、病院を受診しないまま悪化するケースが多い。
そこに着眼し、健斗は『睡眠外来』を主体にした病院を興し、睡眠障害を起こしているうつ病患者を治療している。
外科医の多い一族からは、精神科医など医者ではないと冷ややかに揶揄されたが、結果的に、四十を前にして病院を興し、それを成功させたのは健斗だけ。
慈善事業で病院は賄えない。利益追求だけでは患者は獲得できない。
三年あまりの短期間に、患者を集客し病院に固定させ、経営を軌道に乗せるのは容易なことではない。
医者としての才覚と、企業家、経営者としての才覚も伴って初めて成功した事例なのだ。
「操は良い息子に恵まれたな」
「どうでしょうね。親父は外科医になれなかった手先の不器用な俺を、白眼視していますから」
「外科医ばかりが医者でもない。経営者側からすれば、多方面の治療に対応できる医師が揃っていた方が良い」
「親父も、会長ほど理解力があればよかったのですがね」
健斗は伯父に首を竦めて見せた。
“ま、所詮、医者以外は職業じゃねぇって思ってる輩達の総大将だけどな”
それでも、有能であれば何科の医師でも良い程度の理解力があるだけ、伯父はましだと健斗は思っている。
「ところで、吉良に紹介状を送りつけた張本人はどこですかね?」
「さっきから姿が見えんな」
「…探すか。吉良、行くぞ」
「え、い、院長!」
挨拶もせずに歩き出した健斗に、吉良が慌てる。
「も、申し訳ありません、会長。これで失礼いたします」
深々と吉良が頭を下げれば、雄は小さく頷く。
「凱とゆっくり話をすると良い。積もる話もあるだろう」
その言葉に、吉良は複雑な表情を浮かべた。
「はい。では、失礼します」
吉良は再び礼をして、会場の人込みに消えていった健斗の後を追いかけた。