それを運命とは呼ばない
今回はスピンオフ作品で、健斗×美菜の物語。
ドS夫婦の出会いの様子で、健人視点です。
初めてその女を見たのは、研修医の頃。
同期の研修医の中に、複合的な意味で飛びぬけた女が居る。
そんな噂を仲間内から聞いていたが、実際に見て驚愕した。
その女、西宮美菜には、一分の隙もなかった。
皆と同じケイシーという、ツーピースのパンツスタイルの白衣を纏っているものの、その姿は、異質だった。
白衣と言う禁欲的な服装にも関わらず、なめらかで女性らしい彼女の肢体をはっきりと映しだす。布越しでも分かる扇情的で魅力的なボディライン。
靴はナースシューズだが、普通のそれよりもヒールが高い。
特注である事は、すぐに知れる。
夜勤を連日こなしているとは思えない完璧な化粧と、ミルクブラウン色の手入れの生き届いた大きめの巻き髪。
元が少しきつめの眼をしたクールビューティーなだけに、彼女の容姿は殊更に目を惹く。
“確かに、異質だな”
ほとんどの研修医や、医者は連日の過酷な勤務でよれた格好になる。
研修医は給料が安いから、どこかの病院でアルバイトをしたりして金を稼ぐ。
平生からして、人ならざる過酷な忙しさを強いられる研修医は、文字通り病院詰めで人間生活から逸脱していく。
それ故に、睡眠時間の枯渇で顔つきも変わる。
風呂だって満足に入れないうえ、身なりになど気を使う余裕がなくなる。
現に彼女以外の女性研修医は、薄化粧さえせず、暗澹とした医者の非常識な生活に馴染み始めていた。
けれど、彼女は入社式に見たときのまま、女王然とした容姿を維持し続けていた。
もっとも、日本の美容業界ナンバー1である企業の社長令嬢なのだから、俺同様に他の研修医に比べ、バイトをせずとも金にも自由が利く。
だが、俺がその姿を見たのは小児科病棟で、仕入れた情報では、同じ小児科に回された研修医がぶっ倒れて、この数日は夜勤を連勤し、そのまま外来診療に入っているという話だが…。
その女には、過酷さを謳う疲れた様子は何一つ見えない。いや、見せていない。
ピンク色の白衣や、子供が好きそうなアニメのキャラクターが縫い付けられたエプロンを身に付けた看護師たちの中で、ひと際、浮くほどに美しかったのだ。
彼女の周囲には、何故か笑顔の子供たちがたくさんいた。
どう考えても、子供には威圧感しか与えない姿であるにも関わらず。
「美菜しぇんしぇ~」
舌っ足らずな子供ですら笑顔で、彼女にすすんで抱きついていく。
「こんにちは」
柔和に微笑み話しかける姿に、俺は納得がいった。
“こいつは根っからの子供好きだ”
どう見ても、おとぎ話に出てくる悪い継母の様な容姿で、同僚の男共に向ける視線は冷徹であるのに、子供たちに向ける瞳は慈愛に満ちている。
面白い女だと、思った。
§
「…どういう詐欺を働いたら、餓鬼があんなに集まるんだ?西宮」
ナースステーションに戻り、円形のカウンターで医師記録を記入していた西宮美菜に、俺はそう声をかけた。
近付いた俺を見上げた瞬間、彼女の瞳に冷めた色が映る。
彼女は、敵意むき出しの微笑みを浮かべる。
美しい容姿に相まって、この女の心は棘だらけ。
何人もの医者や研修医が彼女に手を出して、即座に玉砕している。
「人徳と言っていただきたいわね、榊健斗」
「良く俺の名前がわかったな?」
「女癖の悪さで有名でしてよ?」
歯に衣着せぬ口の悪さに、周囲の看護師たちの方が青い顔をした。
直系に近い俺に下手な事を言えば、首が飛ばされると彼女たちは思っているのだろう。
現に、直系筋の榊凱がこの一カ月に二人、素行に問題のある看護師を退職に追い込んだ。
だから、研修医である俺たち榊の新米医師にどの職員も謙り、ほとんど当たり障りのない事しか言わない。
「それから、他の男と違って身だしなみに気を使っている、珍しい人種ですから」
確かに、俺も他の奴らとは違い、身形にはそれなりに気は使っている。
それでも、小奇麗程度だ。
西宮の様に、徹底して自分を洗練させるような下手な真似は打たない。
榊の人間と言えど、重鎮の医者に目をつけられると面倒だからだ。
「珍獣扱いか」
「仕事もロクになさらないダメ男と、申し上げたのよ」
「に、西宮せんせぇ~」
悲鳴交じりに、周囲の看護師が彼女の名前を呼ぶ。俺ではなく俺の背後にある『聖心会』という榊の影に怯えているのは明白だった。
だが、西宮は何一つ動じた様子もなく、言葉を続ける。
「インターンが勤務中に、このような所にフラフラしているのが良い証拠。さっさと外科にお戻りになったら?」
まるで目の仇の様な発言だ。
他の野郎が悪し様に、口が悪いと噂する訳だ。
それにしても、相手が俺の配属先を理解しているのは異なことだ。
「俺の配属先まで情報収集済みとは…お前、俺に惚れてるな?」
刹那、相手は侮蔑的な眼差しを俺に向けた。
「あたくしは、実家の権力にものを言わせる男も、女に節操がない男も、仕事意欲もない道楽主義の男も嫌いなのよ」
周囲の看護師たちの手が一斉に止まり、視線が一気に彼女に向けられた。
「そ、それ以上は駄目ですよ、美菜先生!」
「首飛んじゃいますっ」
「健斗先生、美菜先生は連日徹夜で疲れているだけですから、戯言ですからっ!」
「さらっと、流しちゃってください!」
必死になって西宮をかばう看護師たちに、俺は疑問が浮かぶ。
これほど高慢で容姿の良い女は、総じて女に嫌われる傾向があるはずなのだが、西宮にはそれがない。
子供たちに好かれることと言い、看護師にもかばわれる事と言い、この女はなかなか人中掌握術に長けているのかもしれない。
男に関しては、その能力は全く発揮されないようだが。
「戯言にしては熱烈な言葉だな、美菜」
突如、西宮は椅子から立ち上がり、俺のネクタイを掴んで引っ張る。
「よろしい事?あたくしの名前を呼べるのは、あたくしの夫になる男だけ。次に口にしたら、貴方のそのふしだらな下半身に、自重と言う言葉を教えて差し上げてよ?」
間近で凄艶な笑みを浮かべ、艶めかしい声で恐ろしい事を口にした女に、俺はニヤリと笑みを返す。
俺を榊の人間と知って、此処まで挑発的なもの言いが出来る剛毅とも愚かとも言える、この女の態度は俺の加虐心を煽る。
相手は俺の反応を予想できなかったのか、わずかに驚いた表情を見せた。
俺のネクタイを持つ、西宮の手が緩む。
その隙を、俺は逃さなかった。
西宮の頸に手をのばし、後頭部を押さえるようにして彼女の体を素早く引き寄せ、そのまま唇を重ねた。
周囲の看護師たちから、悲鳴のような黄色い声が響く。
刹那、俺の脛に強烈な蹴りが入る。
容赦もなければ、実に場慣れしたカウンター攻撃だった。
思わず西宮を離し、苦痛に顔をしかめる。
蹴られた脚を押さえるような屈辱的なポーズは、俺のプライドにかけて絶対にとらなかった。
熾烈な性格の美女は動じた様子もなく、冷やかに笑う。
「稀に見る下種男ね?あたくしの手で、直々に社会的抹殺に処して差し上げてよ?」
こういう気の強い女は嫌いじゃない。
単に男に飼い慣らされるだけの、お飾りの女には絶対にならない。
それに、魅力的なプロポーションも好みなら、己の美を最大限に生かす事を惜しまない美意識の高さも好みだ。
まさに俺の理想を体現したかのような女だ。
ただし、この暴力的な所だけは減点だ。
「気に入ったぞ、お前。いずれ、後悔するほど啼かせてやる」
「泣かせる?逆に、泣かせて差し上げてよ」
俺の言葉の意味を正しく理解出来なかった女は、絶対零度の冷徹さに満ちた笑みを湛え、そう言葉を返した。
西宮のその自信に満ちた顔に、後悔の念が浮かぶのは、もう少し先の話だ。
END