蜘蛛の糸に絡まれて 4
「そうねぇ…原作の小説がそうだから…かもしれないけど、『死』が希薄よね」
苦笑した吉良は、テレビ画面に視線を向ける。
「どこかお話が滑稽なの。病気の進行状況と、患者の残存能力が伴ってないのは一番気になるかしら…死を看取る主人公と死んでいくヒロインのやり取りも、どこか死に酔いしれていて、綺麗事みたい」
仕事の時に見せる、真摯で隙のない表情で吉良はそう呟いた。
彼女は根っからの看護師なのだなと、その言葉で気づかされる。
普通の人と、見ている視点も感性もまるで違う。
そして、「綺麗事みたい」と言った、吉良にゾクリとする。
泣き所と言われたその場所を感動したと泣いた人間は多く居る。でも、彼女の様に作品を冷静かつ客観的に見る人間の感想の方が、役者としてはよほど怖くて、重要なのだ。
「…あ。これじゃあ、作品の感想よね」
俺を見て、困ったように吉良は苦笑いする。
「職業病かな…医療系のことにすぐ目が行って、差異点が気になっちゃうのよ」
「なんだ。俺のこと良く見てくれなかったの?」
意地悪く、低く囁くように吉良に問えば、彼女はわずかに身を後ろに引いて固まる。
俺は身を乗り出すように、吉良に近づく。
「俺の演技も、まだまだって事だね」
俺の演技は、吉良に他所見をさせてしまうほど、彼女の心に楔をつけられなかった。
そういうことだ。
「ちょ…し、紫苑、さ、さっきより、近いっ…」
「恋人なのに、距離感に何の遠慮が居る訳?」
吐息がかかるほど近くに顔を寄せれば、吉良は俺の肩に手を置いて押し下げようとする。
「し、心臓に悪いの…」
「俺の何が気に入らないの?」
一応空手の有段者で、それなりに今も鍛錬は続けている俺を、華奢な吉良が退けることなんて無理なんだけど。
「やっ、わっ…」
結局彼女は俺に押し負けてバランスを崩し、俺が彼女を押し倒す形になる。
上からのしかかるように見下ろせば、彼女は身を強張らせる。
きっと吉良は、初めてではないにしても、男経験は浅いはず。
彼女の反応は、確実に男慣れしていないそれだ。
だから余計に、無理強いは出来ないのだけれど、少しずつ俺に慣れてもらわないと、そろそろ俺が本格的に困る。
本当に、色々限界なんだ。
「ねえ吉良、教えてよ。俺の何がいけないのか」
「そ、そうやって、無駄にエロフェロモン垂れ流しな所…」
「エロフェロモン?」
そんなものを出している覚えはないのに、吉良は何度も頷く。
「上坂伊織になっている時の紫苑みたいで…ちょっと、苦手と言うか…やなの」
「…それは、上坂伊織が嫌いって事?」
「そうじゃなくて…どっちも紫苑なんだけど…でも、上坂伊織は紫苑なんだけど紫苑じゃなくて…見慣れないし、お色気ムンムンで別人みたいだから…とにかくどうしたら良いのか解らなくて困るのっ!」
つまり、上坂伊織になっている俺は、接し慣れていないからどうしていいのか分からないってことなのか?
「慣れてもらうために、上坂伊織ヴァージョンで口説き直そうか?」
「だ、駄目!やだっ!見たくないっ!」
本気で抵抗されて、冗談抜きで凹む。見たくないって、明らかな拒絶だろ、それ。
やはり、俳優の俺を吉良は受け入れられないのか?
そう思うと、ショックより怒りの方が湧いてくる。
「だって、貴方全然違うんだもの」
「?」
怒りが口をつくよりも早く、吉良が泣きそうな声でそう言う。吉良は、俺の視線から逃れるように、視線を泳がせながら顔を逸らす。
「…私の知らない人みたいで…その…役なのに、なんだか相手の女優さんと本当の恋人同士に見えちゃうし…ちょっと、やだなって…大人気ない自分も、すごくやだなって…」
恥ずかしそうに両手で顔を隠した吉良は、ぼそぼそとそう言い辛そうに話す。
“つまり、共演した女優に嫉妬したってこと?吉良が?”
なんだろう。この胸を締め付けるような甘い感覚。
嫉妬なんて、縛り付けられるみたいでウザったかったのに、吉良の口から言葉として聞くと、もっと聞きたいと思う。俺の心を縛る甘く危険な楔のようだ。
「演技だって分かっていても…上坂伊織はテレビの中で私じゃない人を口説くから…上手く言えないけど、急に紫苑が紫苑じゃないみたいに見えて…DVDは見たいけど、見るとなんだか、ずっと気持がモヤモヤするの」
「…それで最近、俺への態度が変になってた?」
「ごめんなさい…紫苑じゃないけど、紫苑だから…上坂伊織を気持ちが理解するのは、まだ時間がかかりそう」
恐らく吉良は嫉妬とは別に、嘘榊紫苑と上坂伊織が同一人物だと頭では分かっても、虚構と現実が混在した上坂伊織と言う存在を、気持ちがまだ受け入れられないのだろう。
それでも努力して、DVDを見ながら努力している段階なのか…。
それならば、時間をかけるしか仕方がない。