蜘蛛の糸に絡まれて 3
「…どうしたの、このDVD。買ったの?」
「あ、あの、ち、近い…」
視線を逸らす彼女を覗きこめば、吉良は頬を赤くして慌てて俺を引き離そうとする。
未だにこの程度で照れる初心な年上彼女が可愛すぎて、つい意地悪をしたくなる。
DVDを横へやり、俯いた吉良の顎を捕えて上に向け、耳元に唇を寄せる。
「欲しいって言ってくれたら、いくらだってあげるのに」
吉良の苦手な低音で囁けば、吉良はびくりと身を跳ねた彼女の体が縮こまる。
軽く吉良の耳朶に口づけて少し顔を離せば、吉良が耳を押さえて恨めしそうに俺をちらりと見ている。真っ赤な顔をして。
「うぅ…な、何で、耳元で言うのよっ…そんなエロい声と言い方で」
「本人を置き去りにして、DVDに見蕩れる吉良が悪い。それで、これはどうしたの?」
冷静に考えれば、節約家の吉良が彼女にとっては『高額』になる量のDVDを買うなんて事はまずあり得ない。
だからと言って、レンタル品でもない。真新しい新品そのものだ。
「…少し前に、院長がくれたの」
「健斗が?」
なんで従兄弟の健斗が、こんなものを持っているのか、理解に苦しんだ。
「私、芸能界の事も詳しくないし、何年もドラマとか映画も見てなかったから…紫苑が出ている映画とかドラマとか、全然わからなくて…、仕事が俳優さんって言われても、まだなんだかしっくりこなくて…」
恥ずかしそうに告げる吉良は、視線を下へ向ける。
そう言えば、吉良を俺の家に連れてきた時、引越しの荷物の中にはテレビもDVDの類も一切なかった。
今時、テレビも見ないなんてどんな生活をしていたんだろうって、その時はとても不思議でならなかったな。
「紫苑の仕事が役者さんだって聞いた日に、絢子さんに‘上坂伊織’のお勧めDVDを聞いてみたの」
この絢子さんと言うのは、吉良の職場の医療事務員。俺のフリークで、折に触れて吉良に俺の良さを懇懇と説いてくれていると、健斗が言っていた。
絢子さんと言う人は、吉良の職場の仲間の中で、直接会ってはいけないハイリスキーな要注意人物だけど、俺の良さを伝えてくれる人だから、俺の中では好印象人物だ。
「とりあえずレンタルDVDでも借りようかなって思ったんだけど、院長がその日の帰りに紫苑が出演しているDVDを全部くれたの」
「全部?」
「映画だけじゃなくて、ドラマの分も…私の部屋にしまってあるわ」
大方、話を盗み聞きして速攻で吉良に買い与えたと、従兄弟の行動は容易に想像がつく。
自分の妻と、吉良に対する溺愛ぶりが甚だし過ぎて、本当に性質が悪い。
一時期は、吉良が健斗と付き合っていると本気で思った程、健斗の彼女への接し方は仕事上の上下関係からは逸脱した寵愛ぶりだった。
もっとも、健斗は皮肉屋でひねくれているから、傍からは冗談か本気かは分かりづらいが、俺には分かった。
「院長が、今後の為に紫苑の仕事をちゃんと見ておけって」
「…健斗がねぇ」
俺が知る限り、あの従兄弟は単なる優しさで、こんな殊勝な真似をする人間ではなかったはずだけれど。
何を企んでいるのやら。
「それで、紫苑の居ない日に、一本ずつこっそり見ていたの」
「別にこっそり見なくても良いのに」
「紫苑は家に帰ったら、仕事のことは忘れたいって思わない?」
「…まぁ…家で仕事のことは、考えたくはないかな」
「だから、貴方の前で見るのは嫌だったの。仕事の事を思い出したら、お休みの気分が台無しでしょ?」
そんな事まで気を遣っているのかと、彼女に驚かされる。
「だから今日はわざわざ、こんな夜中に?それなら俺が、朝出かけてからでも良いのに」
「それは…その……役者をしている貴方を…早く見たくて……」
ちらりと上目遣いで、消え入りそうな声で吉良はそう答えた。
薄暗がりでも分かるほど、真っ赤な顔を恥じ入るような表情に変えて。
思いっきり、心臓を鷲掴みにされた。
“これ、好きって言われるより、くるかも…”
この年上の彼女は、極度な照れ屋で、『好き』とさえ、満足に言ってはくれない。
それが不満の種だけど、それを吹き飛ばすように、時々、虚を突いて、恥ずかしくなるくらい率直な言葉をくれる。
柄にもなく心を揺さぶられて、嬉しくて、でも照れくさい気分になる。
こういう気分にしてくれるのは、吉良が初めてで…でも悪くない。
「それに…」
「それに?」
「知っている人に演技している所を見られるの、恥ずかしかったりするのかなって…」
面白い発想をする。
そんなことを考えていたら、役者なんて出来ないのに。
「恥ずかしくないよ。モデルも役者も、長くやっているし、見られるのが仕事だから」
俺の言葉に、吉良は何かに気づかされたように、目を見張る。
「あ…そっか…」
「むしろ俺は、吉良がどういう感想を持ったか、聞いてみたいな」
「か、感想?」
「そ。何かしら、思うことはあるよね?」
吉良は少し視線を伏せて考える。