蜘蛛の糸に絡まれて 1
あるはずの温もりと香りが感じられなくて、急速に眠りから引きずり戻される。
間接照明の淡く穏やかな明かりに映し出される、閑散とした俺の隣側。
居るはずの人は其処には居ない。
慌てて俺は体を起こす。
彼女が居たはずの場所を触れても、既に温もりもない。
一人では、異様な広さを感じるキングサイズのベッド。
忘れ始めていた孤独への恐怖感が触りと俺の胸を撫であげ、指先が一気に冷えて震える。
「っ…」
一人で眠る事がどうしようもなく怖い。発狂しそうになる。
この年で一人寝すら出来ないのは、薬品くさい白い牢獄の様な部屋で、一人いつも病気の苦しみと向かい合っていた子供の頃の恐怖を思い出すから。
ゆっくりと深呼吸を繰り返せば、部屋に残るラベンダーの香りが、彼女を想像させて気分を落ちつけてくれる。
指の震えが止まってから、ゆっくりと時計に視線を向ける。
時計の針は、午前三時を少し回ったところ。
ベッドに入ったのは、確か午前零時になるかどうか。
少しは眠れたけれど、眠っている間に吉良の姿が消えた。
「…またか」
今回で三度目だ。吉良が俺のベッドから抜け出してしまうのは。
俺は掌で額を抑える。
無意識に零れ出るため息は、受けた精神的ダメージが思った以上に大きいからだ。
彼女は自分の部屋に、また戻っているのだろう。
強引に俺の家に彼女を連れて来て、ようやく口説き落として、晴れて恋人になれたと言うのに、俺と吉良はまだ肌すら重ねてはいない。
それどころか、キスもままならない。
少なくとも、俺は小学生のような子供でもなければ、女性に奥手なチェリーボーイでもない。世間的には、女性関係のゴシップ記事を幾度となく週刊誌の表紙に飾る様な、女遊びの激しい男だ。
吉良に惚れるまでは。
彼女に惚れてから、他の女になんて遊びでも目が向かない。
少しでも長く彼女と一緒に居たいのに、俺の仕事がそれを許さない。
一応、俺は『イケメン』で名の通った俳優だから。数年前に役が当たって、年々、仕事の数も増えてプライベートの時間もずいぶん減った。
役者として生きる覚悟をしてこの業界に入ったのだから、仕事が順風なのは良い事だと思う。
だが、それと引き換えに、吉良との時間が少ないのだけが難点だ。
同じベッドで眠ることさえ、俺の仕事が不規則過ぎてほとんどないのに、たまの逢瀬でも、吉良はどうしてか俺の腕から逃げていく。
俺が俳優、上坂伊織だと知った日から、吉良は起きている時すら俺によそよそしい。
女遊びが激しいイメージがついている俺を、快く思っていないのだろうか。
吉良は真面目な性格だから。
それとも、俺にまだ心を開いてないのか。
そう思うと、気が滅入る。
これまでだって、正直、何度か強引に吉良を抱いてしまいたいと思った。
だけど、俺の腕からエスケープしてしまう吉良に無理強いをしたくもない。
惚れた女には、簡単に手が出せない自分がもどかしい。
“せめて、おとなしく隣で眠ってくれたら…”
俺は体を起こし、吉良用の部屋へ彼女を迎えに行くことにした。