貴女が隣にいる幸せを 3
人の想いが目に見えたら、どれだけいいだろうと思う。
想いは口にしないと分からない。
態度だけでは、心細い。
吉良は感情表現が豊かなのに、肝心な自分の気持ちは表にしないで隠してしまう。
特に不満とか、淋しさはほとんど口にしない。
我慢しているのかもしれないけど、それが余計に不安になる。
吉良は、俺のこと何処まで好きなのか。
俺に無理して合わせているだけではないのか。
自分に自信がなくて、吉良を名前で呼ぶことさえ躊躇われて。
もっと、吉良の心が知りたい。話してほしい。
「…指輪?」
吉良が左手を自分の顔の上にかざしながら、呟いた。
まだ眠そうな目で、指輪をじっと眺める。
「可愛くて綺麗ねぇ…紫苑に指輪、貰っちゃった。しかも左手薬指」
不意に吉良は小さく笑って、自分の左手をそっと右手で包むように握る。
「目が覚めても、消えないようにしないと」
「喜んでくれるの?」
俺に視線を向けた吉良は、はにかむように笑う。
「当たり前じゃない」
「どうして?」
「誰でもない貴方がくれたから。大事にするわ」
その言葉に、俺の頬は緩む。
どうして彼女は、どうしようもなく臆病な俺の心を、容易に救い上げてくれるのだろう。
こんなもので吉良が喜んでくれるのなら、幾らだって贈るのに、吉良は俺に贅沢を求めてはくれない。
俺をじっと見ていた吉良は、不意に俺の頬に手を伸ばした。細くやわらかい指で、俺の頬をなぞり滑るように撫でる。
「…夢でも嬉しい。ありがとう」
どうやら吉良は、これを夢だと思ってるようだけど、今はそれでもいい。
普段なら、きっと高価だからと遠慮して絶対に受け取らない。こんなに素直に喜んでくれる事はなかったはずだ。
それに目覚めれば、これが現実だと気付いてくれるから。
「吉良…俺も…吉良に黙っていることがあるんだ……」
ずっと、吉良に言い出せずにいる俺の家族。
人生で初めて好きになって、一番最初に俺を裏切り捨てた女にして、俺が最も嫌悪する相手でもある母親の事。
芸能活動を反対されて喧嘩別れのまま絶縁状態になった父親。吉良の看護師としての生き方に大きく関与するかもしれない相手。
日本有数の医療法人『聖心会』会長にして、俺の父親でもあるその男は、医療界に於いて絶大な支配力と影響力をもっている。一看護師の処遇など、容易く決められるほどに。
失踪した母親はともかく、俺を疎む父親から今後、吉良に何かしら横やりが入る可能性がある。本来なら、早く彼女に伝えなければならない事なのに、医療界の首領のような親父に委縮して俺の傍から吉良が離れていくのではないかと思うと、口に出せない。
長い沈黙が続く間、吉良は俺を黙って見つめる。俺が言い出すのを静かに待ちながら。
でも結局は言い出せなくて、俺は彼女から視線を逸らしてしまった。
「ごめん…やっぱ、まだ言えそうにない…」
彼女には、言わせてしまった癖に。我ながら、自分は卑怯で臆病者だ。
「…無理しないで。紫苑が自然に言えるようになったら教えて」
少し視線を吉良に向ければ、吉良は困ったように笑う。
「…紫苑が困った顔は苦手なの。悲しくなるから」
俺はそっと、体を吉良に寄せる。
彼女の肩口に顔を埋めれば、仄かにラベンダーと石鹸の仄かな匂いが鼻梁を突く。
優しくて心地良い感覚を与えてくれるその香りは、吉良の存在そのまま。
「吉良は、俺を甘やかしすぎだよ」
「そう?」
「そうだよ。文句くらい言えば良いのに」
俺の髪を、吉良がそっと梳くように撫でる。
「文句ねぇ…一つだけ、あるかしら」
「何?」
そっと顔を上げ、吉良の顔を覗き込めば、吉良は首をすくめる。
「何時になったら、あげはって、呼んでくれるの?」
そこをあえてピンポイントで押えた吉良に、俺は降伏したい気分だった。
なんだか、彼女には見透かされているみたいだ。
ずっと、『あげは』って名前で呼びたかった事。
しかも、おねだりされているみたいで、ちょっと嬉しい。
「それ、文句っていうより、おねだりだよね?」
「もう、夢の中でも、紫苑は意地悪ね。自分は、私にむりやり名前を呼ばせたのに…私だけ呼ばれないのは不公平だわ」
吉良は抗議するように俺の頭を、軽くポンポンとたたく。
「吉良の目が覚めたら、呼ぶよ」
「ケチ」
拗ねたように言う吉良が可愛くて、俺は思わず噴き出して笑う。
俺を心から笑わせてくれる吉良が愛しくて、俺は吉良の体を抱きしめる。
顔だけの俳優だなんて、言わせない。
吉良がテレビから視線を逃せないほど、うまい演技の出来る役者になるから。
離れていても、吉良がいつも俺に心を奪われてくれる程、魅力的になるから。
今日も明日も、その先も、吉良が俺に毎日惚れたくなる男になるから。
ずっと、俺だけ見ていて?
「吉良、好きだよ。吉良の全部」
愛しい人。
貴女の傍に居られる幸せを、今日も明日もその先も得られるのなら、俺はどんな努力も厭わない。
ずっと、ずっと傍にいて。
END
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甘さ控えめなお話が続きましたが、次回は少し甘いお話になります。
どうぞ、これからもよしなに。