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Sweet hug  作者: 響かほり
貴女が隣にいる幸せを
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貴女が隣にいる幸せを 2



 いつもなら、文句を言いながらも俺のわがままを聞いてくれる吉良が、いつになく自分の主張を曲げなかった。

 それをおかしいと思いながらも、俺は折れてくれない吉良に、苛立ちを抑えられなかった。彼女は俺の言う事を必ず聞いてくれるという、過剰な自惚れがあったから、彼女の反発が許せないと思った。

 あまつさえ、仕事のストレスを八つ当たりまでして。

 吉良が怒るのも当たり前だ。

 俺の仕事に関する心配をしてくれた彼女の言い分はもっともで、吉良は盲目に俺を甘やかすような自分の無い女でも無い。

 生真面目で、駄目な事は駄目だと諭し、一度決めた事を容易に曲げない。そんな頑固な面もしっかり持っているのに、普段は俺の願いを殆ど飲んでくれるから、すっかり失念していた。

 俺のしたことは、自分のわがままな希望を押し付けて断られ、それにキレて不貞腐れただけ。

 自分本位なガキそのもの。

 せめて、彼女が桜の花が好きかどうか、好みのリサーチはするべきだった。

 一人で考えて、朝には冷静になって謝ろうとしたけど、吉良は俺を避けるように仕事に出掛けてしまった。おまけに、何時もなら作ってくれるはずの朝食もない。

 怒ったままの吉良に、言い様のないショックを受けてしばらくその場から動けなかった。

 しかも狙い済ましたように、エイプリルフールで、健斗から喧嘩に絡んだ洒落にならない嘘をつかれ、騙される破目になった。

 普段なら騙されるはずもない嘘なのに。

 吉良の心が離れたと思った瞬間、魂を引き千切られるほど、苦しかった。

 柄にもなく動揺して、何も考えられなくて、何も手につかない。

 彼女と面と向かって話をする覚悟ができるまでに、何時間もかかった。

 やっと出来た覚悟を抱えて戻ってみれば、吉良が泣いていた。

 思い出すだけで、胸が痛い。

 花見を拒否された事も、喧嘩したことも、どうだって良かった。

 ただ、吉良を泣かせた罪悪感に打ちのめされた。


“俺、吉良のことになると、どうしてうまく出来ないんだろ…”


 自分が自分でなくなるほど、好きだと思える女性。

 彼女に、一番言いたくなかったであろう過去の事まで喋らせて。


『吉良を花見に誘っただと?…お前は救いようのない莫迦だな。あいつは、桜の花がこの世で一番嫌いなんだぞ。人の古傷を無造作に抉るな』


 怒った吉良の事が気になって、彼女と付き合いの長い健斗に話をした時、従兄弟は珍しく本気で呆れて怒っていた。あの皮肉屋で毒舌の癖に、怒りだけは内側に秘める男が。

 健斗の態度と言葉の意味が、今なら痛いほどわかる。

 青ざめた顔で泣きそうになりながら、必死に桜が嫌いな理由を喋る吉良の姿に、彼女の心の傷が深い上に、今も全く癒されていないと思い知らされた。

 なのに、吉良は笑って俺を許してくれた。俺が良いと、言ってくれた。

 俺は、彼女に出会っていなければ眠ることを忘れたままで、愛する事も拒絶したままだっただろう。

 俳優上坂伊織でも、榊の人間でもなく、紫苑という、ただの俺を見て必要として、愛してくれる愛しい女性。

 もう手放すなんて、考えられないくらい俺は彼女に依存している。

 吉良が不意に寝返りを打つ。

 布団から出た左手が、考え事をしていた俺の手に当たる。

 まだ手の甲には、爪が食い込んだ跡が赤くうっすらと残っている。

 ゆっくりと目を開いた吉良は、とろんとした目で、俺を見上げた。


「…紫苑?」


 寝ぼけているのか、少し、舌足らずな発音で俺を呼ぶ。

 俺はそんな彼女の左手を、そっと取る。

 本当は、夜桜を見ながら渡そうと思っていたリングを、吉良の左手の薬指にはめる。

 事前に測っただけあって、ぴったりと吉良の指に納まる。

 もっと、気の聞いた場所で演出を凝らして贈りたかったけど、正直、そんな心の余裕はもうない。

 俺は吉良の傍に何時も居られない。それに、吉良の傍には危険な男が居る。

 余計に不安なんだ。

 だから、見える形で俺という存在を見せ付けたかった。

 自己顕示欲だろうと、嫉妬だろうと、何と言われてもいい。

 普通の恋人のようにデートをして吉良を楽しませる事もできない。彼女の友人に恋人である俺の話を自由にすることさえ我慢させている。

 なのに俺は、吉良に望んでばかりいる。


“あの女のように、他の男を選ばないで”


 突然、俺の前から消えてしまわないでくれ。

 息子の容姿だけを愛して、夫より金を愛し、自由を愛して出て行った俺の母親のように。

 病気がちだった俺を捨てて、消えてしまった母親。

 俺の母は容姿だけは極上、性格は他に類を見ないほど底辺を這う女性だった。

 何処までも『雌』としての本能のまま生き続けていた、あの女の影がいつもちらついてしまう。

 吉良を好きになればなるほど、不安になる。

 彼女は俺の母親とは、全く別の個人だと分かっている。

 それでも、幼少期に手酷くあの女に拒絶された過去が、女という存在に猜疑を抱かせる。

 吉良が優しさを俺に差し出してくれる度、その優しさに、いつか掌を返したように裏切られてしまうのではないかと、怖くなる。

 俺は人を愛することも、人に愛されることも不慣れで、どうしたらいいのか、いつも手探りばかり。





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