April foolに嘘の花束を 6
「身近な人に裏切られて…誰かを好きになるのが…すごく怖かったの…」
言葉にしようとすると、心臓が握りしめられたように苦しくなって、息ができない。
過呼吸になってしまいそうな不安な感情の昂りを抑えるように、自分の両手をきつく握りしめる。
「…ごめん…まだ、気持ちの整理がつかないから…今は上手に話せないけど…」
ありのままを告げるのは…まだ苦しくて。
長い沈黙を作って、それだけ告げて、また言葉に詰まってしまう。
もしかしたら、紫苑との関係に溝が出来てしまうかもしれない。
そう思うと怖くて、ガタガタと手が震える。
院長はまだ時期が来るまで黙っていればいいと言ったけれど、その適切な時期なんて私にはわからない。
時間が経てば経つほど、紫苑が好きになればなるほど、自分はどんどん苦しくなって耐えられなくなりそうで。
今だって、黙っている事が紫苑を騙しているようで、申し訳なくて辛くて苦しい。
「…何年か前に…ものすごい借金が出来て…死んじゃいたいって思うくらい、精神的にまいってた時期があったの」
当時を思い返すだけでも、全身が震えてくる。
喉で息が詰まったようになって、声もか細く震えてうまく出ない。
でも、出来るだけ取り乱さないように、私は紫苑の目を見て話を続けた。
「そのせいで一時期…人に深く関われなくなったの…桜の花を見ると…そんな嫌な出来事も、死んでしまいたかった頃の自分も思い出しちゃうの…」
紫苑は何も言わずに、私の話に耳を傾けている。
「院長と美菜先生は、その苦しかった時に、いろいろ助けてくれた恩人だから…そういう意味では、特別な人たちなの」
「もう、いいよ。言わなくて」
「良くない…私は借金返すために、キャバクラで働いたし…両親が死んでも、遺骨も引き取らなかった酷い女なの…紫苑が思うほど、私はきっと綺麗な人間じゃない…だから…」
自分でも声が震えているのがわかる。
爪が食い込みそうなほど、自分の手をきつく握っていないと、自分が紫苑から逃げだしてしまいそうだった。
紫苑は黙っている。
先の言葉が出なくなってしまった私を、じっと見つめたまま。
その時間が、長いのか短いのか、全然わからない。
酷く息苦しくて、紫苑がどう思っているのか、知るのが怖い。
場違いに響いてくる、テレビからの笑い声が静かな部屋に響く。
「…ねえ、吉良」
紫苑はゆっくりと目を閉じるように瞬きをしながら、小さく息をつく。
「だから、俺に相応しくないとか…言うつもりじゃないよね?」
伸びて来た彼の手に、反射的に体がびくりと震える。
一瞬、紫苑の手が止まったけど、そのまま、きつく握られた私の手の上に自分の手を彼は重ねた。
力のこもり過ぎた私の指を一つずつ丁寧に離してくれる。うっ血して真っ赤になった手を何度も優しく撫でてくれる。
「そんな話で俺が吉良の事、嫌いになるとでも思ってる?俺を見縊らないでよ?」
「でも」
「吉良」
きつく名を呼ばれて、私は身が竦む。
紫苑はアッシュブルーの双眸で、真摯に私を見据える。
「キャバクラで働いたことも、親の遺骨を引き取らなかったことも、そうせざるを得なかった理由があるからだろ?」
静かに、ゆっくりと紫苑はそう言ってくれる。
「倹約家で、贅沢も嫌いで、自分のことより人の世話ばっかりやくような吉良を見ていれば、やむにやまれない事情があるってわかるよ」
優しくそう諭すように語りかけてくれる紫苑に、止まっていた涙があふれてくる。
どうして紫苑は、そんなに優しいのだろう。
「…辛い事を教えてくれてありがとう、吉良。もう無理して言わなくて良いよ」
彼の大きくて温かいその掌の温もりが、言葉と共に私の心にしみこむ。
止まっていた涙がまた溢れてしまう。
紫苑は何度も私の頬を指の腹で撫でて、涙を拭ってくれる。
「そんなことで嫌いになるなら、初めから好きになったりしないよ」
「…呆れたり…嫌にならないの…?」
「どうして?いい所も悪い所も全部、吉良だろ?それとも吉良は、俺に同じような過去があったら、すぐに嫌いになって逃げるの?」
そんな訳ない。だから慌てて首を振る。驚いたせいで、涙もぴたりと止まってしまう。
紫苑は、そんな私を見て苦笑する。
「付き合う前に俺が告白した時は、吉良、思いっきり『大っ嫌い』って言ったの覚えてる?」
言われて、不意に思い出す。
そういえば、私そんなことを言っていた気がする。
好きになるなんて思えないくらい、あの当時は紫苑が大嫌いだった。