April foolに嘘の花束を 5
「ど、どうしたの?」
「吉良の耳が腐るようなこと言いやがった…」
怒りが収まらないのか、紫苑の口調は荒っぽいまま。
「健斗の奴、いつか殴り倒してやる」
「し、紫苑…お、落ち着いて…暴力は…駄目だから、ね?」
目の前に院長がいたら、殴りかかっているのではないかと思うくらい、紫苑は苛々していた。
だから宥めるつもりでそういったのだけど、紫苑は不機嫌そうな顔で私を見る。
鋭く睨まれ、思わず後ろに下がる。
でもすぐ後ろにソファがあって動けない。
「なに?吉良は、健斗の味方するわけ?」
「ち、違うわ…しょ、傷害沙汰になったら、紫苑の仕事が…」
「仕事なんて今は関係ない」
身を乗り出すように、紫苑が私に近づいてくる。
間近に迫った紫苑に、私は身を竦めて息をのむ。
「それとも、俺を捨てて健斗に乗り換える?」
私をじっと覗き込む灰青色の瞳の奥に、焦げ付いた怒りがゆらゆら見える。
慌てて首を何度も横に振る。
「か、かかかかかかえません!し、紫苑が良いんです…」
肉食獣に狙われて食べられる寸前の、小動物の気持ちがわかる気がする。目の前の彼が怖すぎて思わずきつく目を閉じる。
「…吉良、俺の知らない所でもう泣かないで」
間近で嘆願するように呟く声が聞こえ、恐る恐る目を開けば、目の前の彼に凶暴性など無くて。代わりに居るのは自分に自信がなさそうな顔をした紫苑。
その落差に、私はどうしたらいいかわからない。
「喧嘩するより、口をきかないより、知らない所で泣かれるのが一番こたえる…」
「紫苑…」
「…昨日みたいに我慢せず怒って、もっと俺にわがまま言ってよ。健斗へ話すように、ちゃんと、思っていること俺にも言って」
私の頬に涙で張り付いた髪を、紫苑が指先で解いてくれる。
「でないと、吉良は俺より健斗のほうが好きなのかって、不安でたまらない」
言い辛そうに呟いて、紫苑は視線を逸らして伏せた。
遠慮しているわけではないけれど、紫苑のほうが年下だから、言いにくいことがあるのは事実で。
紫苑の反応が怖くて言えないことも、たくさんある。気付くと、言いたいことを飲みこんでいる自分がいる。
よくよく考えると、紫苑に自分の事をあまり言った事がない気がする。
「ごめんなさい」
「違う。謝らないで…こんなの俺のわがままだよ…俺は全然、彼氏らしいこともできない、我慢ばっかり吉良にさせて。好き勝手で…いつも傍にいて吉良の相談に乗れる健人に嫉妬して…吉良を困らせているだけだ」
紫苑は戸惑いがちに、私を見た。
その表情には歯痒さと不安ばかりがあって、いつもの余裕なんて全然なくて。まるで捨てられてしまいそうな子供みたいな顔をしている。
付き合う前、唯我独尊なアタックをしてきた時も、紫苑は時々、この表情を見せる事があった。
その時の状況はまちまちだったけど、こうなるのは私が本気で怒って紫苑の行動を拒絶した時。『見限られる』ことを畏れている時。
今回はむっとはしたけど、付き合う前みたいな破天荒な事をされてマジギレになった訳じゃない…。
“あぁ、そっか…私、紫苑をずっと不安にさせていたんだ…”
仕事を頑張っている紫苑の邪魔をしたくなくて、何時も「大丈夫」とか、「平気」とか言っていたけど…もし私が彼の立場で、自分と同じ事を紫苑に言われたら、悲しいかも。
自分が居なくても全然平気ですみたいな顔をされたら、本当に愛されているか不安。
だから、紫苑はわがままを言って欲しかったんだ。素直な気持ちが知りたいから。自分が必要とされている、そう感じたかったんだ…。
私が紫苑のわがままを許してしまうのは、率直な彼の言葉に必要とされているって実感できるから。
「紫苑…私ね、貴方が居なかったら、死ぬまで誰も好きになれなかったと思うの…」
言えることは、ちゃんと言おう。
紫苑のように。
言わないと、思いは伝わらない。
伝わらない思いは、相手を不安にばかりさせてしまうから。