軍手のような人生
人生はもっと、革の手袋みたいなものだと思っていた。ぴたりとサイズが合って、つやがあって、人前に出しても褒められるようなもの。でも現実は、どうやら軍手に近い。
最初は真っ白だったはずなのに、気づけば少しくすむ。片方だけ、なぜかすぐいなくなる。洗えば縮むし、乾けばゴワつく。正直、ファッション誌の表紙には向いていない。けれど不思議なことに、人生でいちばん困った日に限って、必ず役に立つ。
子どもの頃、父はいつも車に軍手を積んでいた。私はそれが少し嫌だった。友だちの家の車は芳香剤の匂いがしたけれど、うちの車は土と鉄の匂いがしたからだ。ある日、学校に弁当を忘れた私のもとへ、父が現場帰りのまま走ってきた。片手に弁当、もう片方の手に軍手。私は「その軍手、しまってよ」と思った。子どもは、見栄にかけては天才である。
父は私の顔を見て笑い、「軍手はな、汚れるためにあるんだよ」と言った。そのときは意味がわからなかった。かっこ悪い言い訳にしか聞こえなかった。
けれど大人になると、その一言の値段がわかる。本当に強い人は、きれいなまま評価される人ではなく、誰かが痛くないように、先に自分が汚れる人なのだ。結婚式では主役になれない。でも、引っ越しも介護も子育ても失恋も、だいたい最前列にいる。軍手みたいな人が、世の中にはいる。声は大きくないのに、重いものを黙って半分持ってくれる人。棘のある言葉を、素手で受けずに済むよう、そっと間に入ってくれる人。
父が亡くなったあと、実家を片づけていたら、引き出しの奥から軍手が何双も出てきた。新品も、擦り切れたものも、片方だけのものもあった。母がそれを見て、「手は二つしかないのにね」と笑った。私はその言い方がおかしくて、泣きながら笑った。
人生は、たぶん白いままでは終われない。でも、少しくすんでいるのは、ちゃんと何かに触れてきた証拠だ。誰かを守ろうとした日、重さを引き受けた日、熱いものを代わりに持った日、その全部が、静かに繊維の奥へ残っていく。
だから私は、ピカピカの人生じゃなくてもいいと思っている。見せびらかすには向かなくても、「いてくれて助かった」と思われる一日を重ねられたら、それで十分だ。
軍手は、決して美人ではない。だが、修羅場に強い。帰り道のポケットでくしゃっとしていても、次の誰かをちゃんと守れる。私はたぶん、そういう人生にいちばん拍手したい。




