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第7話 淡紅色の共犯者

スレアの華奢な背中が分厚い防護扉の向こうへ消え、演習場に重苦しい静寂が降りた。


 俺は焼けるように痛む腹部を押さえながら、冷たい金属の床に這いつくばり、荒い息を繰り返していた。スレアとの思念伝達の悲痛な余韻が、まだ脳髄をチリチリと焼いている。


 観覧席の安全圏では、ガトニック教官たちがデータ端末を操作し、先ほどの戦闘結果を無機質に記録していた。


(……立ち上がらなければ)


 俺が重い身体を引き摺り起こそうと顔を上げた、その時だった。


「おやおや。随分と手ぬるい教育をしているじゃないか、レイリー」


 不意に、演習場を見下ろす上層の観覧席から、わざとらしい拍手の音と共に、ひどく耳障りな声が降ってきた。


 芝居がかった、それでいて粘着質で人を小馬鹿にしたような男の声。視線を向けると、そこには俺たちの保護者(オーナー)であるレイリー・レグフォーツと、彼女と並ぶ特権階級の証──漆黒の軍服を着崩した、見知らぬ若い男が立っていた。


 金糸の刺繍が施された軍帽。蛇のように細められた双眸。五賢老(ペンタクラート)の一人でありながら、若くして帝国の軍事と治安のトップに君臨する男。カルマ・エドラだ。


「カルマ……。本日の視察予定に、貴方の名前はなかったはずだけれど。何の権限があって、私の(演習場)に土足で踏み入ったのかしら?」


 レイリーが不快げに眉をひそめ、絶対零度の視線を送る。五賢老(ペンタクラート)として同格である彼女のプライドが、その不遜な訪問者を明確に拒絶していた。


 だが、カルマは意に介する様子もなく、薄笑いを浮かべたまま手すりに寄りかかった。


「つれないことを言うなよ、レイリー。私は軍事の実務を統括する立場として、次期降下作戦に投入される『駒』の品質を検品しに来ただけだ。正当な査察だよ」


「私の最高傑作に、貴方の安っぽい検品など不要よ。レグフォーツの技術に疑いがあるとでも?」


「疑うも何も、今、私の目の前でひどく不細工なエラーを起こした素体がいただろう?」


 カルマは、ゴミを見るような目で下の演習場──明確に、俺を見下ろした。


 俺はハッとして息を呑んだ。カルマは、俺が最後の一撃を前に『他人の記憶のバグ』に縛られ、無意識に防御の力を緩めたあのコンマ数秒の硬直を見逃していなかったのだ。


「感情だか感傷だか知らないが、不純物に振り回される旧世代の遺物は、我がエドラ家が量産する無人機(友人機)以下の『粗大ゴミ』でしかない。ただ命令に従って敵を肉片に変える……それが『美しい人形』の在り方というものだろう? なぜ貴様はわざわざ、人間のような余計な機能を持たせたがるのか、私には理解に苦しむよ」


 俺は奥歯を強く噛み締めた。


 彼の言葉は、帝国軍の理念から見れば完全な正論だ。兵器に心は必要ない。一切の感情を持たず、完璧な軌道で俺を追い詰めたスレアこそが、彼らの求める『正解』なのだ。


「だが、我が愛しいクレアだけは別だ」


 カルマはそう言うと、背後に控えていた一人の少女の華奢な肩を抱き寄せた。


「亡き妻が遺したこの『実の娘』を素体に創り上げた彼女は、自らの感情で私を慕うよう特別に設計された、エドラ家至高の芸術品なのだから。……そうだろう? ああ、我が愛しのクレア」


 カルマは、少女の艶やかな桃色の髪に顔を埋めるようにして、その白い首筋をねっとりと愛撫した。


 少女──クレア・エドラは、汚物をすり付けられたかのように微かに肩を震わせた。だが、彼女は決して父を拒絶しない。いや、逆らうことなどできないのだ。


「……はい、お父様」

 クレアは屈辱に唇を噛み締め、消え入りそうな声で答えた。


 俺は、その悍ましい光景を見て強い吐き気を覚えた。


 カルマ・エドラの妻の死因。それは末端である俺たちの耳にも、気味の悪い噂として届いている。カルマは自らの忌まわしい兵器実験の素体として、実の妻を扱ったのだ。非道な人体実験の果てに彼女は精神崩壊を起こし、狂乱の中で死へと追いやられたという。


 それなのに、この男はあろうことか、亡き妻が遺した実の娘であるクレア自身を次の実験素体としたのだ。エクセラーの細胞を掛け合わせ、半分人間で半分エクセラーという冒涜的なキメラを創り出し、あまつさえ「愛しい」と嘯いている。


 彼が執着しているのはクレア自身ではない。自らの手で壊した『従順な妻の面影』を、実の娘に重ね合わせているだけだ。


 カルマに撫で回されるクレアの淡紅色の瞳が、一瞬だけ俺と交差した。


 彼女の瞳の奥底には、カルマに向けた、殺してやりたいほどの『強烈な憎悪と絶望』が渦巻いていた。感情を持つよう造られたからこそ、母を殺したも同然の父を憎み、それでも生みの親である彼に逆らえない呪縛(プログラム)を憎悪しているのだ。


 俺はその痛切な目に、言葉にできないほどの同族嫌悪と、微かな共感を覚えた。


「さて、レイリー」


 カルマはクレアから離れると、再びレイリーへと向き直った。


「あそこの欠陥品だが、どうも脳波が安定していないように見える。次期作戦の統括責任者として、実戦投入に耐えうるか、我がエドラ家の技術で『表面査定』させてもらおう」


「断るわ。レグフォーツの機密領域に、エドラの手の者を触れさせるわけにはいかない」


「機密は抜き取らんよ。直接の物理接続(ハードリンク)などせずに、クレアの持つ『特化型スキャン能力』で、近距離から表層のデータノイズを拾うだけだ。……それとも何か? 拒むというなら、次期作戦へのレグフォーツの素体投入は見送り、五賢老(ペンタクラート)会議で貴様の技術的瑕疵を問うことになるが?」


 レイリーの顔が険しく歪んだ。彼女にとって、この作戦で俺たちの圧倒的な戦果を示すことは、レグフォーツ家の絶対的な権力を確立するための至上命題だ。


 ここで「素体に欠陥があるから検査を拒否した」というレッテルを貼られるわけにはいかない。


 数秒の睨み合いの後、レイリーは冷たく言い放った。


「表層の安定性スキャンのみよ。深層領域(ディープコア)へのアクセスを試みた形跡が少しでもあれば、その娘の腕ごと切り落とすわ」


「結構。さあ、クレア。お前のその優秀な頭脳で、あの薄汚い欠陥品の『外殻』を撫でてやれ」


 カルマが顎でしゃくると、クレアは解放された安堵を隠すように冷たい表情を作り、手元の情報端末を操作し始めた。


「……はい、お父様」


 階段を下りてくる彼女の足音は、静かだが明らかに苛立っていた。


 華やかな桃色の髪を後ろで一つに束ねた、精巧なビスクドールのように整った容姿。だが、目の前まで歩み寄ってきた彼女の顔には、世界中のすべてを敵に回しているような、鋭く攻撃的な『棘』が張り付いていた。


「動かないで」


 クレアの冷ややかな声が鼓膜を打つ。彼女は自らの腕に装着した特殊なスキャナー端末を展開した。太いケーブルを突き刺すような野蛮な真似はしない。彼女はただ、氷のように冷たい指先を、俺の額にそっと触れさせた。


 その瞬間、彼女の指先から、目に見えない無数のエクスマターの粒子が、俺の神経系へと微弱な電流となって流れ込んできた。


「くっ……!」

 頭蓋骨の裏側を、冷たい針で撫で回されるような奇妙な感覚。


「ふん。生体データ、正常。魔力の血中濃度、異常なし。……次は、表層思考のノイズレベルをチェックするわ」


 クレアが端末のキーを叩いた。表層だけ、という建前だった。だが、半分人間である彼女の特殊なエクセラー能力は、俺と彼女の意識を、エクスマターの粒子を介して『直接リンク』させてしまったのだ。


 通常、俺とスレアのような純血同士でしか発生しない思念伝達。それが、強制的なスキャン接続によって一時的に確立される。


『……気安く私の思考に入らないで、薄汚い欠陥品』


 突然、脳内に直接、クレアのツンとした冷ややかな思念が響いた。


『君は……?』


『黙れと言ったのよ、欠陥品』


 彼女は脳内で俺を罵倒しながらも、その探査の波を鋭く俺の精神空間へと滑り込ませてきた。


(見られる……ッ!)


 俺は戦慄した。彼女の探査の波は、約束された表層を軽々と突き抜け、俺が必死に隠し続けてきた『深層領域(ディープコア)』の扉にまで到達しようとしていたのだ。


 知らないどこかの光景。俺の中に巣食う『名も知らぬ誰かの記憶』を、他者に、ましてやあのゲスな男の娘に踏みにじられてはならない。俺が廃棄処分されないための、絶対に死守すべきブラックボックスなのだ。


 俺は持てる限りのエクスマターを総動員して、精神の防壁を分厚く展開し、記憶領域へのアクセスを全力で拒絶した。


『……ッ、何よこれ!?』


 脳内に、クレアの驚愕した思念が響く。俺の必死の抵抗により、彼女の網膜に逆流したのは具体的な映像ではなく、膨大で異常な容量を持つ「強固に暗号化されたブラックボックス」の巨大なエラー表示だったはずだ。


『なんだ、この馬鹿げた容量のエラー領域は……? 兵器の脳に、こんな莫大な隠しデータがあるなんて異常よ! お父様に報告すれば、あんた、即座に溶解炉送りになるわよ!』


『……勝手にしろ。どうせ俺は、造られただけの素体(部品)だ』


 俺は痛みを堪えながら、自暴自棄に近い思念を返した。


『強がらないで。死ぬのが怖いくせに!』


 クレアの思念は冷たく、そして鋭かった。だが、精神の深い部分でリンクしているからこそ、俺には明確に分かった。


 彼女の意識の根底には、先ほどカルマに向けられていたのと同じ「絶望」が横たわっている。彼女もまた、父の狂気に縛られ、壊された母の身代わりを押し付けられている孤独な魂なのだ。廃棄される恐怖。自由のない理不尽な世界への嫌悪。それは、俺が抱えているものと全く同じ形をしていた。


 現実世界で、クレアは一瞬だけ、視線を上げて観覧席のカルマを見た。


 カルマは相変わらず、人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべてこちらを見下ろしている。その顔を見た瞬間、俺とリンクしているクレアの精神から、どす黒い反発心が鎌首をもたげるのを感じた。


(あの男の思い通りになど、させてたまるか。あの男の完璧な計算の中に、こんな得体の知れない爆弾(エラー)があるなんて……せいぜい、足元をすくわれればいい!)


 彼女の内に渦巻いたのは、そんな冷たい、狂気じみた怒りだった。


「どうした、クレア? 廃棄処分のサインを出してやろうか?」


 カルマが面白半分に声をかけてくる。

 俺は額に指先を当てられたまま、クレアの淡紅色の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。助けを求めるためではない。ただ、彼女がどう出るのかを見届けるためだ。


「……お父様」


 数秒の沈黙の後。クレアは俺の額から指を離し、ひどく平坦な声で、父に向かって堂々と「嘘」を吐いた。


「スキャン完了しました。この個体は、戦闘プロトコルの切り替え時にごくマイナーな処理落ちを起こしているだけです。致命的なエラーは確認できませんでした」


「……ほう?」


 カルマは面白くなさそうに目を細めた。


「本当にそうか? レグフォーツの技術も大したことはないな。まあいい、表層に問題がないというなら、これ以上他人の領分を荒らすのは無作法というものだ」


 カルマはそれ以上追及しなかった。同格であるレイリーの研究所でこれ以上の強権を発動すれば、五賢老(ペンタクラート)としての政治的バランスが崩れるからだ。


「レイリー。実戦でその欠陥品が使い物にならなければ、すべての責任はレグフォーツに負ってもらうからな」


 カルマは下劣な笑みを残し、踵を返して観覧席を後にした。レイリーは無言のまま、不快感を露わにしてそれを見送る。


 張り詰めていた空気が緩み、クレアは手元の端末を素早く収納した。


 俺の中にある「秘密」が何なのか、彼女は知らない。ただ、父の完璧なシステムの中に、父の知らない「バグ」が潜んでいることを隠蔽した。それが、絶対的な支配者に対する、クレアなりの命懸けの復讐だったのだろう。


「……ありがとう」

 俺が誰にも聞こえないほどの小さな声で呟くと、クレアの横顔がサッと赤く染まった。


 次の瞬間、彼女は俺に背を向け、苛立ち紛れに吐き捨てた。


「勘違いしないで。私は言われた通りの仕事をしただけ。……あんたみたいな『欠陥品』なんて、どうせ次の戦場で壊れて死ぬのがお似合いよ」


 周囲の大人たちには、特権階級の我儘な娘が兵器を蔑んでいるだけの言葉に聞こえただろう。だが、俺には分かった。それが「内側に抱えた秘密(バク)で勝手に自滅しろ」という、彼女なりの不器用な強がりと、隠蔽の念押しであることに。


 クレアはヒステリックに足音を鳴らしながら、演習場から去っていった。後ろで一つに束ねた桃色の髪が、怒ったように激しく揺れている。


 残された俺は、去っていく少女の背中をただ見つめていた。


 彼女の態度は、まるで触れるものすべてを傷つける棘のようだった。だが、俺の精神に触れた彼女の思念は──ひどく怯えて、絶望の中で誰かに助けを求めているように感じられたのだ。


 彼女も俺と同じだ。与えられた運命の中で、必死に足掻いていた。


最後までお読みいただきありがとうございます!

評価、ブクマ頂けると嬉しいです!

挿絵は増やしていくつもりですが「ここにこのシーンあったらな」などが有れば検討します!宜しくお願いします。

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