第3話 声なき誓い
だが、現実は俺の理想を無慈悲に打ち砕く。
俺たちが「人間」であろうとすることは、この狂った帝国において、最大の『罪』であった。
「立て、アレス! 貴様の力はそんなものか!!」
模擬戦用の巨大な地下演習場。
今日は、機体に乗らない対人制圧を想定した近接体術の訓練だった。
俺は、軍事用パワードスーツを着込んだ実技担当のザイラス教官に殴り飛ばされ、硬い床を派手に転がった。口の中が切れ、血の味が広がる。
「ぐはっ……!」
「なぜ最後の一撃を止めた! マウントを取ったあの瞬間、頸椎を砕けば完全に仕留められていたはずだぞ!」
冷酷なザイラス教官の怒号が響く。
俺の目の前には、関節を外され機能停止した【対人訓練用の人型ドローン】が転がっていた。
生身の人間と見紛うほどの精巧な人工皮膚で覆われ、損傷すれば赤い冷却液を血のように流す悪趣味な標的だ。
俺は実戦さながらの体術訓練の中、ドローンを床に組み伏せ、その『人間の形をした首』をへし折る直前で……恐怖に歪むように造られたその人工的な顔と目が合い、どうしても拳を止めてしまったのだ。
「……標的が、あまりにも人間と同じ形をしていたからです」
俺は血を吐きながら、ゆっくりと立ち上がり、ザイラス教官を睨み返した。
「俺は……無抵抗に組み伏せた相手の首を折るような、ただ殺すためだけの道具にはなりたくない。相手が血の通っていない機械だと分かっていても!」
俺がそう反論した瞬間。
ゴッ! と、ザイラス教官の鋼鉄の拳が俺の腹に深くめり込んだ。
「がはぁッ……!」
胃液をぶちまけ、俺は再び床に崩れ落ちた。
「思い上がるな、欠陥品が。貴様は人間ではない。レグフォーツ家が創り出した『剣』だ」
ザイラス教官は、虫ケラを見下ろすような冷たい目で俺を見下ろした。
「剣に意志は不要だ。情けも、躊躇いも、戦場ではただの『致命的なバグ』でしかない!」
ザイラスが再び鋼鉄の拳を振り上げ、俺の頭部を粉砕しようとした、その時だった。
「──そこまでにしておけ、ザイラス」
演習場の入り口から、低く落ち着いた声が響いた。
軍事教官のリーダー格である、ガトニック教官だった。彼は静かな足取りで近づいてくると、振り上げられたザイラスの腕を視線だけで制止した。
「ガトニック……。こいつは対人訓練で標的の破壊を躊躇ったんだ。不良品に正しい教育を施してやっているだけだ」
「実地訓練での過度な肉体損壊は、次期作戦に支障をきたす。それくらいにしておけ。貴重な『備品』が壊れるとな」
ガトニック教官の言葉は、あくまで軍人としての無機質なものだった。だが、俺を見下ろすその眼差しには、純粋な道具としてしか見ないザイラスとは違う、僅かながらも『人間に対するような』不器用な情の色が混じっているように見えた。
「……チッ。甘いな、ガトニック」
ザイラスは不満げに舌打ちをして、踵を返して去っていく。
残されたガトニック教官は、床に這いつくばる俺を見下ろし、低く重い声で告げた。
「次はないぞ、アレス。その腐った人間ごっこを捨てねば、お前を待っているのは廃棄処分と溶解炉への直行便だけだと思え」
それは、教官としての冷徹な警告であり、同時に『死ぬな』という彼なりの忠告のようにも聞こえた。
ガトニック教官が演習場を後にする。全身の骨が軋むような痛みの中、俺は床に這いつくばったまま、ただ拳を強く握りしめた。
(負けない……。俺は、兵器なんかに成り下がらない。俺は……人間だ)
霞む視界の端。演習場の二階にある監視ギャラリーに、スレアの小さなシルエットが見えた。
彼女はガラス越しに、無様に這いつくばる俺をじっと見下ろしている。そのアイスブルーの瞳にどんな感情が宿っていたのか、遠くて読み取ることはできなかった。
だが、俺には分かっていた。
俺の『人間らしい優しさ』を、スレアが誰よりも肯定してくれていることを。その温もりに触れる時だけ、俺たちはこの無機質な鉄の箱の中で、生きている意味を感じることができたのだ。
しかし、この狂った帝国では、その「優しさ」こそが俺を殺す猛毒になる。俺が人間であろうとすればするほど、軍から不良品と見なされ、傷つき、やがて廃棄されてしまう。
賢い彼女は、俺以上にその残酷な現実に気づいていたはずだ。
* * *
夜。
傷だらけになって自室に戻った俺を、スレアは静かに迎えてくれた。
「また、怒られたの」
スレアは医療用スプレーを手に取り、俺の頬の傷に無言で吹きかけた。冷たい飛沫が傷口に染みる。
「いてて……悪いな、スレア」
俺は痛みに顔をしかめながらも、へへっと情けない笑顔を浮かべた。
「俺、どうしてもあの人型の首を落とすのが苦手でさ。なんだか、本当の人間を殺しているような気がして」
「機械は機械よ。兄さんのそういう甘い考えは、いつか身を滅ぼすわ」
スレアの声は冷ややかだったが、手当てをするその指先は、ひどく慎重で、驚くほど優しかった。
俺は、その冷たい指先にそっと自分の手を重ねた。
そして、声帯を震わせるのをやめ、意識の奥底にある『回路』を繋ぐ。
俺たち純血のエクセラーは、特殊な魔力波長を同調させることで、ごく至近距離に限り【思念伝達】を行うことができる。
とはいえ、相手の心や記憶がすべて覗き見れるわけではない。発声器官を通す代わりに、脳内で「口に出そうと意識した言葉」だけを、暗号通信のように相手の脳へ直接届ける『声なき会話』だ。
監視カメラや音声マイクが張り巡らされたこの帝国軍の施設で、反逆罪にあたるような軍規違反の本音を語るための、俺たちだけの秘密の通信線。
『スレア』
脳内に直接語りかけると、スレアの肩がわずかに揺れた。
『俺たちは、道具じゃない。ただの使い捨ての殺戮兵器じゃないんだ。いつか必ず、教官たちを見返して、俺たちの存在を認めさせてやる』
俺は、真っ直ぐにスレアを見つめ返し、強い意志を「言葉」にして送った。
『だから、お前は無理して感情を殺さなくていい。俺が……俺が絶対に、お前を守り抜くから』
あの日と同じ、温かい誓い。
俺が送ったその思念を受け取ったスレアは、一瞬だけ、泣き出したいような、深い絶望を堪えるような、ひどく歪な表情を見せた。
『……違うの、兄さん』
彼女の悲痛な思念が、微かな震えを伴って俺の脳裏に響く。
『兄さんが私を守るんじゃない。兄さんのその優しさが、兄さん自身を殺してしまう……!』
それは、彼女が思わず送ってしまった、血を吐くような本音だった。
だが、俺がその言葉の真意を問いただす前に、スレアは強固な氷の壁で己の感情を塞ぎ込み、俺との思念リンクを一方的に切断した。
「……ええ。分かったわ」
現実の空間で、スレアはすぐに元の無表情に戻り、短く声に出して応えた。そして、俺の手を振り払うことなく、ただ静かに俺の傷を手当てし続けた。




