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第2話 灰色のキューブといつかの食卓

 あの日、レイリー・レグフォーツから『アレス』と『スレア』という名前を与えられてから、長い月日が流れた。


 俺たちの造り出された命は、人間の子供とほとんど変わらない速度で成長を遂げていった。


 純血のエクセラーが「完璧な刃」となるためには、肉体だけを急成長させるのではなく、人間と同じように時間をかけて経験を積み重ね、脳の神経網を発達させる必要があったからだ。


 十数年が経ち、俺たちがあどけない幼児から少年少女へと成長していく過程で。俺たちの脳には、日々の厳しい実地訓練と共に、殺戮に必要なありとあらゆるデータがダウンロードされていった。


 だが、その膨大なデータの海の中で。

 俺は、軍が意図していない『ノイズ』のような情報を、自らの意志で拾い集めるようになっていた。俺のベースとなった過去の英雄が引き起こした、バグのようなものだったのかもしれない。


 夜の深い時間、暗く冷たいカプセルベッドの中で、俺は端末のアクセス制限をこっそりすり抜け、旧アース時代のアーカイブを読み漁った。

『人間とは何か』を知りたかった。


 そこには、俺たちの知らない世界があった。

 青く澄み渡る「空」。肌を撫でる「風」。人々が肩を寄せ合い、共に笑い泣き、誰かを愛して生きていたという「歴史」。


 知識を吸収すればするほど、俺は自分たちの状況の『異常さ』に気づいていく。


 俺たちには自由がない。空の色も知らない。ただ命令に従って引き金を引くための、空っぽの道具だ。


(……俺は、嫌だ)

 アーカイブの最後に記された、食卓を囲んで笑い合う人間の家族の映像を見つめ、俺は暗闇の中で拳を握りしめた。


(ただの道具として死ぬなんて、絶対に嫌だ。俺は人間として生きる。……そしてスレアにも、人間としての喜びを教えてやるんだ)


 培養槽の中で震えていた妹の小さな手を握った時の、あの温もり。あの日誓った「俺が守る」という言葉は、俺の中で確固たる『人間としての自我』へと成長していた。


 * * *


「また、目を閉じて食べているのね。兄さん」

 無機質な白一色で統一された食堂。向かいの席に座るスレアが、一切の抑揚のない冷たい声で尋ねてきた。


 俺たちのトレイに乗せられているのは、粘土を固めたような灰色のキューブ。帝国軍が開発した「完全栄養食」だ。カロリーと栄養素は完璧だが、味付けという概念はない。


 口に入れればパサパサとしており、乾燥した泥の塊に、俺たちが浸かっていた培養液の残滓を混ぜて固めたような、吐き気を催す味がする。


「ああ。旧アースの文献で読んだ『料理』の味を想像しながら食べるんだ」


 俺は不味いキューブを合成水で無理やり流し込み、スレアに笑いかけた。


「想像してみてくれ。旧アースには『ステーキ』っていう料理があったらしい。獣の肉を直火で焼いて、香ばしい匂いと熱い肉汁……それに香辛料の刺激が混ざり合うんだ。すごいと思わないか?」


「思わない」


 スレアは氷のように冷たい視線を向け、淡々とキューブを口に運んだ。


「私たちは兵器よ。エネルギー補給に『味覚的快楽』なんてノイズは不要。不確定要素への執着は、戦場での判断を鈍らせるだけ」


 彼女の言うことは軍の教本通りだ。

 あの日培養槽で震えていた少女は、今は徹底して「感情」を排除し、誰よりも完璧な兵器であろうと己を律している。


「不要なんかじゃない」


 俺は身を乗り出し、真剣に語りかけた。


「昔の人間は、ただ栄養を摂るためだけに食事をしたんじゃない。美味いものを食べて笑い合う。心を通わせるための、大切な『儀式』だったんだよ」


「……理解できない。兄さんは最近、そういう不要なデータばかり見ているから反応速度が落ちているのよ。ザイラス教官にも目をつけられている」


 スレアは冷たく突き放す。だが、それでも彼女は席を立たなかった。


 俺がくだらない感情について語る時、彼女はいつも『無駄な行為だ』と切り捨てながら、最後まで俺の話を聞いてくれるのだ。俺は、そんな不器用な彼女がたまらなく愛おしかった。


「いつか、俺たちの任務が終わったらさ」


 俺は残ったキューブを見つめながら呟いた。


「この鉄の箱を出て、本物の空の下で……温かくて美味い『本物の飯』を一緒に食おう。お前と二人で、笑いながら食卓を囲むんだ」


 スレアの手が、ピタリと止まった。彼女のアイスブルーの瞳がわずかに揺らぐ。


「……そんな日は、来ない。私たちは、戦場で使い潰されるだけのパーツだもの」


「来るさ。俺が必ず、お前を自由にしてやるから」


 俺が力強く断言すると、スレアはふいと視線を逸らし、立ち上がった。


「……バカみたい。私は訓練に戻る」

 足早に食堂を出て行く彼女の耳元が、ほんの少し赤く染まっていたのを俺は見逃さなかった。


 彼女の奥底には、確かに「心」がある。俺が教え続ける限り、彼女の人間としての炎が消えることはない。俺はそう信じて疑わなかった。

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