第9話 庭園の無垢な光(挿絵あり)
気がつけば、人工天蓋の光源が沈みかけ、空は鮮やかな橙色──データ上の『夕焼け』と呼ばれる色に染まっていた。
4号機へ戻る約束の時間が近づいている。俺は着艦地点へ向かう道すがら、もう一度だけ旧アースの庭園を振り返った。
昼間は白く見えていた花々が、人工の夕陽を受けて黄金色に燃えている。
その幻想的な光景の中、ふと、前方に誰かが立っているのが見えた。
風に微かに揺れる黒髪。その後ろ姿は、どことなくジークさんに似ていた。
「ジークさん……?」
声をかけると、その人物が振り返る。
ジークさんの面影を残しつつも、まだ幼さの残る少年だった。年齢は俺より少し下だろうか。だが、その紺色の瞳の端は赤く腫れ、上等な衣服には所々泥汚れがついていた。
「……何見てんだよ」
俺の視線に気づいた少年は、顔を逸らしながらも、尖った声で威嚇してきた。
「あ、いや……ごめん」
気圧されて謝ると、少年はバツが悪そうに目元を乱暴に擦った。
「別に泣いてねーよ。目にゴミが入っただけだ」
明らかな強がりだった。俺がどう声をかけるべきか迷っていると、少年の視線が不意に、俺の胸元に吸い寄せられた。レグフォーツの紋章と、軍属の証であるバッジ。
「お前、それ……アルマティスの騎士なのか?」
「うん……そうだけど」
頷いた瞬間、少年の顔から先ほどの陰りが嘘のように消え去り、太陽のようにパッと輝いた。
「すげえ! お前みたいな、優しそうで全然軍人っぽくないやつでも騎士になれるんだな!」
悪気のない率直な言葉に僅かな苦笑を漏らしつつも、俺はその純粋な眼差しにすっかり毒気を抜かれていた。
「実は俺も、アルマティスの騎士を目指してるんだ」
少年は自慢げに胸を張ると、真剣な声音で語り始めた。
「俺は13号機で生まれて、この綺麗な景色が当たり前だと思ってた。でも、他の居住艦へ行った時、それが間違いだって分かったんだ」
少年の声が、夕暮れの空気に溶けていく。
「他の船の人たちは、皆どこか暗い顔をしてた。『生きている』んじゃなくて、ただ管理されて『生かされている』だけみたいに。……俺は、そんなのおかしいって思ったんだ」
その言葉は、暗い格納庫で兵器として生きる俺の胸に、鋭く突き刺さった。
「だから俺は騎士になって、アースニアの敵を全部追い払う。あの豊かな惑星にみんなが移住できれば、もっと沢山の人々が笑って暮らせるはずだ。俺は、人類皆が豊かで幸せに生きられる場所を作るんだ」
その声は、夕暮れの庭園に力強く、そして清らかに響き渡った。
俺は息を呑んだ。
俺やスレアは「造られたから」戦っている。エドラの娘であるクレアは「復讐」のために足掻いている。
だが、目の前の少年は違う。自らの確固たる意志で、他者のために戦おうとしているのだ。生まれた時から運命と存在意義を決定されている俺たち生体兵器には決して持てない、眩しすぎるほどの『光』だった。
「凄いな……君は」
無意識に溢れた言葉に、少年は照れくさそうに頬を掻いた。
「なぁ、もし俺がアルマティスの騎士になって、お前と一緒に戦うことになった時は、よろしく頼むぜ!」
屈託のない笑顔で差し出された小さな右手を、俺は躊躇いながらも、しっかりと握り返した。
その瞬間、胸の奥に温かいものが流れ込んでくるのを感じた。
「……ああ。約束する」
もし、この少年と同じ戦場に立つ日が来たなら、全力で彼を支えよう。兵器として命じられたからではなく、一人の人間として、彼の無垢な夢を守るために。
* * *
「遅いじゃないか、アレス」
着艦地点へ戻ると、スペースビークルの運転席に座るジークさんが、ひどく険しい顔で腕を組んでいた。
「すみません」
俺が無骨な造りの助手席に乗り込むと、ジークさんは無言でスラスターを点火した。
超巨大な船団を構成する『号機』と『号機』の間、真空の宇宙空間を渡るための小型連絡艇。機体が射出された直後の強烈な加速Gに、背中がシートへ深く押し付けられる。
「どうかしたんですか? 何だか苛立っているように見えますが」
恐る恐る尋ねると、ジークさんは前を見据えたまま、重い口を開いた。
「お前が街へ行っている間、息子と会っていてな。少々きつく当たってしまった」
「息子さん、ですか?」
「あいつはアルマティスの騎士を目指している。けど、俺は反対だ」
「どうしてですか?」
「……ただの親のわがままさ。あいつには、この平和な13号機で普通に生きてほしい。それだけなんだがな」
ハンドルを握る細く長い指に、ギリッと力がこもる。
今まさに前線に立つ俺への配慮なのか、ジークさんはそれ以上深くは語らなかった。だが、俺の脳裏には先ほどの少年の顔が浮かんでいた。あの真っ直ぐな瞳の少年が、ジークさんの息子なのだ。
「だからって、無理矢理止めるんですか? 俺は……あの子の真っ直ぐな夢を、否定したくありません」
思わず口を突いて出た言葉に、自分でも驚いた。先ほどまで自分が兵器であることに絶望していた俺が、他人の生き方に口を出している。しかし、ジークさんは怒るどころか、どこか寂しそうに微笑んだ。
「お前、ジンと会ったのか」
「ジン? あの子の名前ですか」
自動操縦に切り替えると、ジークさんは真剣な眼差しで俺に向き直った。
「ただの親のわがままなら、どれほど良かったか。……実はお前には、言っておかなければならないことがある。俺の息子、ジンはお前たちと同じ【エクセラー】なんだ」
「えっ!?」
頭の中が真っ白になった。
エクセラーは、俺たちのように培養槽で創り出されるか、クレアのように人間の素体に遺伝子を継ぎ接ぎするしかないはずだ。
「信じられないだろうが事実だ。俺と妻の間に生まれた普通の子だ。だが、どういうわけか魔力を操る力を持って生まれてきた。おそらく、俺がアースニアの調査で大量のエクスマターを浴びた影響だろう。突然変異の、自然発生したエクセラーだ」
ジークさんは、苦渋に満ちた顔で深く頭を下げた。
「だから、俺がいくら反対しようが、帝国があいつを戦力として放っておくわけがない。いずれ必ず軍に徴兵される。……きっと将来、お前がジンと一緒に戦場へ出る日が来る。その時は、あいつを守ってやってほしい。頼む」
隙のない歴戦の勇士からは想像もつかない、父親としての痛切な願い。
カルマ・エドラのような狂気に満ちた親もいれば、こうして我が子の生を心から願い、頭を下げる親もいる。
俺は、迷いなく答えていた。
「頭を上げてください。言われなくてもそのつもりです。俺が、絶対に守ります」
「……ありがとな」
ジークさんは顔を上げ、優しく微笑んだ。
その深い信頼に背中を押されるように、俺はずっと抱え込んでいた悩みを口にしていた。
「あの……実は最近、スレアと上手くいっていなくて。彼女は俺を守るために『完璧な兵器になれ』と言ってくれるんですが、俺は、人間として生きたい。どうすればいいか、分からなくて」
黙って話を聞いていたジークさんは、ゆっくりと息を吐き出した。
「アレス。お前はスレアに、真正面から自分の意志を伝えたことがあるか? お前は優しいから、自分より他人を優先している。それは悪いことじゃないが、嫌われるのを怖がって逃げているだけなら、一生分かり合える日なんて来ないぞ」
「それは……」
「お前が人間になりたいなら、兵器の論理じゃなく、人間の言葉でぶつかれ。一度ぐらい、正面からお前の想いを伝えてみろ。話はそこからだ」
ジークさんの力強い言葉に、俺はハッと目を見開いた。
そうだ。俺が俺の心をごまかして逃げているから、スレアは不安になり、心を閉ざしていくのだ。
「分かりました。……ありがとうございます」
窓の外では、無限に広がる漆黒の宇宙が流れていた。
俺は、先ほどジンと交わした右手の温もりを確かめながら、スレアと真正面から向き合う決意を固めていた。




