5話 届かなかった約束
昼の匂いがしていた。
村の小道を、少女が駆けていく。
両手で布包みを抱え、息を弾ませながら。
中身は、パンとスープ。
今朝より少しだけ豪華だ。
母親が、笑って用意してくれた。
「勇者さまに、ちゃんと渡してきなさい」
そう言われたとき、少女は胸が熱くなった。
自分が役に立てる気がしたからだ。
勇者は、優しかった。
強いのに、怖くなかった。
魔物を斬る姿は恐ろしいのに、
自分に向ける声はいつも柔らかかった。
あの人がいるだけで、村は安心できる。
そう言う大人たちの言葉が、
少女にも少しずつ分かるようになってきた。
だから、今日は約束をした。
「お昼も、あとで持ってくるね!」
勇者は笑って、頭を撫でてくれた。
その手の温かさが、まだ残っている。
森の外れに着く。
いつもの場所。
少女は足を止めた。
静かすぎる。
鳥の声がしない。
風の音も、どこか遠い。
「……おにいちゃん?」
返事はない。
少女は一歩、踏み出した。
草を踏む音が、妙に大きく響いた。
そして、見つけた。
地面に伏した男。
黒い服。
剣が落ちている。
赤が、土に染みている。
少女の足が、止まった。
呼吸が、止まる。
目の前の光景が、理解できない。
「……え?」
声が漏れた。
布包みが、手の中から滑り落ちる。
パンが転がり、土に落ちた。
少女は、震える手で近づいた。
「……ねえ」
小さな声。
「ねえ、起きて……」
返事はない。
少女は膝をつき、男の顔を覗き込んだ。
眠っているように見えた。
目を閉じているだけに見えた。
だから、もう一度呼ぶ。
「おにいちゃん……」
声が震える。
触れようとして、手が止まった。
怖い。
血が怖いんじゃない。
このまま、目を開けないことが怖かった。
少女は袖で涙を拭こうとした。
でも、涙は止まらなかった。
「……お昼……」
言葉が途切れる。
喉が、詰まる。
「お昼、持ってきたよ……」
男の胸を見た。
動いていない。
息をしていない。
それが分かった瞬間、
少女の頭の中が真っ白になった。
「……うそ……」
声にならない。
少女は両手で男の服を掴んだ。
揺らす。
何度も揺らす。
「ねえ……起きて……」
泣き声が、森に吸い込まれていく。
揺らしても、揺らしても、
男は動かない。
剣が落ちている。
その剣を見て、少女は思い出す。
朝。
あの剣を振る姿が、かっこよかったこと。
魔物を倒したあと、
自分が「すごい」と言ったとき、
少しだけ照れたように笑ったこと。
その笑顔が、もう見られない。
少女は、唇を噛んだ。
「……約束……したのに……」
小さな声。
返事はない。
少女は、倒れた男のそばに座り込んだ。
泣き方が分からない。
叫び方も分からない。
ただ、胸の奥が痛い。
時間が、動かない。
風が吹いて、木々が揺れる。
転がったパンが、赤い土のそばで止まっていた。
少女はそれを見つめた。
汚れたパンを、拾うこともできなかった。
そして、もう一度だけ呼んだ。
「……おにいちゃん……」
森は静かだった。
あまりにも、静かだった。




