第9話 復縁の要請? ログを確認しましたが不要です
「……ようこそお越しくださいました、国王陛下」
私は管理塔の最上階、迎賓の間にて、深々と頭を下げた。
目の前に座るのは、アステリア国王ヴァルス。
白髪交じりの髪に、油断ならない鋭い眼光。
隣には、ふてぶてしい顔のアデル様と、顔面蒼白の宰相補佐ベルンが控えている。
今回の来訪は、事前に正規の手続き(アポイントメント)があった。
ゆえに、私は彼らを「敵」ではなく「外交使節」として迎え入れたのだ。
「うむ。出迎えご苦労。……しかし、驚いたな」
国王陛下は、窓の外に広がる黄金色の麦畑と、整備された街並みを見下ろして息を呑んだ。
「報告は聞いていたが、これほどとは。王都よりも進んだ魔導技術、そして民の笑顔。……これを、たった数週間で作ったというのか?」
「はい。効率的なリソース管理の結果です」
私はタワシ・ワン(給仕モード)が運んできた紅茶を差し出した。
最高級の茶葉と、成分調整された水で淹れた一杯だ。
陛下は一口啜り、目を見開いた。
そして、カチャンとカップを置き、私を直視した。
「……単刀直入に言おう。エヴリン嬢、戻ってきてほしい」
「父上!?」
アデル様が叫んだが、陛下は手で制した。
「王都の魔導インフラは崩壊寸前だ。君の『整律』なしでは維持できん。……それに、これほどの技術を持つ者を野に放っておくのは、国家の損失だ」
陛下は頭を下げた。
一国の王が、追放された令嬢に頭を下げる。
異例の事態だ。
「君の爵位を戻そう。さらに、宮廷魔導師長の地位と、望むだけの予算を与える。だから――」
「お断りします」
私は即答した。
食い気味に、0.1秒の遅延もなく。
「なっ……」
「現在の生活環境に満足していますので。それに、あちらの職場は『ノイズ』が多すぎます」
私はチラリとアデル様を見た。
「ノ、ノイズだと!?」
アデル様が顔を真っ赤にして立ち上がった。
「父上! こんな高慢な女に頭を下げる必要はありません! 見抜けないのですか? こいつは、強がっているだけです!」
アデル様は勝ち誇ったように笑い、私の方へ歩み寄ってきた。
「エヴリン。素直になれよ。この都市……僕のために作ったんだろう?」
「……はい?」
私の思考回路が、一瞬停止した。
言語解析不能。
文脈が見当たらない。
「隠さなくていい。僕を追放した後、ここで二人きりで暮らすために、こんな豪華な城を用意したんだろ? 『ナーラク(絶界)』なんて過酷な場所を選んだのも、僕との『愛の逃避行』を演出するため……そうだろ?」
アデル様は陶酔した表情で、手を広げた。
「君の愛は重すぎるんだよ。だが、その努力に免じて許してやろう。さあ、僕の手を取れ。そして王都へ戻り、一生僕のために尽くせ!」
……なるほど。
これが「認知バイアス」の極致か。
ここまで都合よく解釈できる脳構造は、ある意味で希少なサンプルだ。
だが。
「不愉快です」
私は懐から、一冊の手帳を取り出した。
日記帳ではない。
私の日々の観測記録を記した「魔導記録媒体」だ。
「殿下。貴方のその『愛されている』という仮説。……過去の観測データと矛盾しています」
私は手帳を開き、空中に術式を展開した。
『記憶の投影(Projection Memory)』
『抽出対象:アデル様に対する感情色彩』
「な……なんだこれは?」
空中に、私の過去の記憶がホログラムとして浮かび上がる。
数年前のお茶会。舞踏会。学園での会話。
アデル様が期待していたのは、愛を表す「桃色」の輝きだっただろう。
しかし。
そこに映し出されたのは――
一面の、無機質な「灰色」だった。
「は……?」
『X年4月12日。王太子殿下とのお茶会』
映像の中の私は微笑んでいる。
だが、その横に表示された私の内心は、『虚無』『退屈』『早く帰りたい』の文字で埋め尽くされていた。
『X年12月24日。聖夜の舞踏会』
「君のドレスは地味だな」と言うアデル様に対し、私は「お褒めに預かり光栄です」と返している。
だが、感情値はピクリとも動いていない。
波形は、死人のようにフラットだ。
「そ、そんな……」
アデル様の顔色が青ざめていく。
「君は……僕を見て、笑ってくれていたじゃないか! あれは嘘だったのか!?」
「嘘ではありません。対人折衝用の『儀礼用表情構築』です。円滑なコミュニケーションのために、顔の筋肉を制御していただけです」
私は手帳をパタンと閉じた。
空中の映像が霧散する。
「殿下。私は貴方を愛したことは、ただの一度もありません。貴方の魔法構築が汚くて生理的に不快だったことはありますが、それ以上の感情はありません」
「う、うわぁぁぁぁぁッ!!」
アデル様は頭を抱えて崩れ落ちた。
自分の信じていた世界(妄想)が、冷徹な事実によって粉々に砕かれたのだ。
物理的な攻撃よりも、精神構造への致命的な打撃となったようだ。
「……残酷だな、君は」
国王陛下が、呆れたように、しかしどこか感心したように呟いた。
そして、床に転がる息子を一瞥し、冷たく告げた。
「アデル。……廃嫡だ」
「ち、父上!?」
「これほどの都市を作り上げた彼女の才を見抜けず、あまつさえその感情すら読み違える。王としての資質ゼロだ。……ベルン、連れて行け。修道院へ幽閉する」
「そ、そんなぁぁぁ!」
衛兵に引きずられていくアデル様の絶叫が、遠ざかっていく。
これで、最大のノイズは除去された。
陛下は深く溜息をつき、私に向き直った。
その瞳から、父親としての情が消え、為政者の光が宿る。
「さて。バカ息子は処分した。改めて問おう、エヴリン嬢。……我が国に戻る気は、本当にないか?」
陛下の目は本気だった。
王の威圧感。
「戻らぬなら、この都市を敵とみなす」という無言の圧力が、空気を重くする。
その時。
ガシャッ。
私の前に、一人の男が立った。
カイル様だ。
彼は国王陛下の前で、堂々と剣の柄に手をかけ、私の盾になった。
「……カイル?」
「陛下。彼女は渡せません」
カイル様の声は低く、しかし決して揺るがなかった。
「彼女は、この辺境で初めて笑ったんです。王都の堅苦しいルールや、貴族のしがらみから解放されて……自分の手で、この街を作った」
彼は王を真っ直ぐに睨み据える。
「ここは彼女の国だ。そして俺は、彼女の騎士だ。例え陛下のご命令でも、彼女の自由を奪うなら――俺が相手になります」
「……カイル様」
私の心臓が、また高鳴った。
ドクン、ドクンと、うるさいほどに。
これは計算ではない。
儀礼用の笑顔でもない。
彼の背中を見ていると、胸の奥が温かくなり、思考が甘く溶けていくような感覚。
(……ああ、そうか)
私は気づいてしまった。
アデル様の時の「灰色」とは違う。
今、私の胸の内側で輝いている、暖かな「桃色」の灯火。
この制御不能なエラーこそが、人間が「恋」と定義するバグなのだと。
国王陛下は、カイル様と私を交互に見て、やがて苦笑した。
張り詰めていた空気が緩む。
「……『狂乱の辺境伯』にそこまで言われては、手出しできんな」
陛下は椅子から立ち上がった。
計算高い古狸の顔だ。
「この二人を敵に回すより、味方にしておいた方が国益になる」と判断したのだろう。
「分かった。エヴリン嬢、いや、辺境の盟主よ。この都市の自治権を認めよう。その代わり……王都のインフラ復旧のマニュアルだけは、渡してくれんか?」
「……ええ。『技術供与協定』の締結ということであれば」
私は微笑んで、カイル様の背中にそっと触れた。
「それに、私にはもう、王都よりも大切な『研究対象』がここにありますから」
カイル様が振り返り、耳まで真っ赤にして私を見た。
こうして。
国家を揺るがす騒動は、一冊の記録帳と、一人の騎士の覚悟によって幕を閉じた。
残るは、私とカイル様との間の、未解決の「関係性の定義」だけだ。




