第7話 視察団が見た「地獄の先の楽園」
「……接近者、多数。馬蹄の音から推測して、重騎兵ですね」
私は管理塔のモニター(遠隔視水晶)を確認し、眉をひそめた。
前回のベルン襲来から3日。
また客人が来たらしい。
だが、今回は様子が違う。
整然とした隊列。乱れぬ行軍。
あのような統率された動きは、ヒステリックな文官には不可能だ。
「カイル様、識別をお願いします」
「……あれは、王立第三騎士団だ」
隣で水晶を覗き込んでいたカイル様が、驚きに目を見開いた。
「隊長のゲイル……俺の昔の上官だ。生真面目で、王家への忠誠も厚い。だが、ベルンのような無能じゃない」
「貴方がそこまで評価するなら、話が通じる相手(交渉可能)ということですね」
ならば、門前払いにするのは非効率だ。
こちらの戦力を見せつけつつ、王都の情報を引き出す良い機会かもしれない。
「認識阻害の深度を一時的に下げます。『招待客』として招き入れましょう」
私は万年筆を振るい、都市を覆う『虚無の定義』の膜に、一箇所だけ「穴」を開けた。
***
「……ここが、ナーラク(絶界)か」
騎士団長ゲイルは、馬上で身震いした。
視界を遮る猛吹雪。
肌を切り裂くような魔力嵐。
呼吸をするだけで肺が凍りつきそうだ。
彼は部下たちを振り返り、悲痛な声で告げた。
「心せよ! 我らの任務は、追放されたエヴリン嬢の『遺留品』の回収、および生存確認だ! だが……この環境だ。生存の可能性は限りなくゼロに近い」
「隊長……あまりに惨すぎます」
「ああ。罪人とはいえ、か弱き令嬢をこんな地獄に送るとは……王太子殿下は正気ではない」
ゲイルは唇を噛んだ。
彼らは知っていたのだ。
エヴリンが無実であり、ただ有能すぎたが故に疎まれたことを。
「せめて、遺骨だけでも拾って故郷へ返してやりたい。……行くぞ!」
彼らは覚悟を決め、死の嵐の中へと馬を進めた。
その時だった。
フワッ。
突如として、目の前の空間が歪んだ。
猛吹雪の壁が、カーテンを開けるように左右へ割れたのだ。
「な、なんだ!?」
騎士たちが身構える。
だが、その先に広がっていた光景を見て、彼らは絶句し、武器を取り落とした。
そこには――「春」があった。
吹き荒れる嵐を透明な壁が遮断している。
その内側には、柔らかな陽光が降り注ぎ、黄金色の麦畑が風に揺れていた。
街道は白く輝く石畳で舗装され、道の両脇には色とりどりの花が咲き乱れている。
風に乗って、パンを焼く香ばしい匂いが漂ってきた。
「……は?」
ゲイルの口から、間の抜けた声が漏れた。
「天国……か?」
「俺たちは、魔嵐に巻き込まれて死んだのか? ここは死後の世界か?」
「いいえ。生存していますよ、心拍数正常です」
呆然とする彼らの前に、私は姿を現した。
隣には、武装したカイル様を伴って。
「よ、よう。久しぶりだな、隊長」
カイル様が気まずそうに手を挙げる。
「カ、カイル!? 生きていたのか! それに、エヴリン嬢も!?」
「ええ。見ての通り、健康状態に問題はありません」
私はスカートを摘み、優雅にカーテシーをした。
「ようこそ、辺境都市ナーラクへ。当都市は現在、観光客の受け入れ準備中ですが、皆様を第一号の来訪者として歓迎いたします」
「観……光……?」
ゲイル隊長の思考回路が停止している。
無理もない。
地獄に来たと思ったら、リゾート地だったのだから。
「百聞は一見に如かず。ご案内します」
私は彼らを都市の中央広場へと案内した。
そこには、私が先日完成させたばかりの「公衆浴場」があった。
地下のマグマ溜まりから熱を効率的に吸い上げ、ろ過した地下水に薬草成分を溶かし込んだ、源泉かけ流しの露天風呂だ。
「ど、どうなっているんだ……外は氷点下だぞ?」
「なぜ湯気が立っている!? 魔法か!?」
「熱交換の基礎理論応用です。どうぞ、長旅でお疲れでしょう」
私が勧めると、騎士たちは恐る恐る手や顔を洗った。
そして、その温かさに、屈強な男たちがボロボロと涙を流し始めた。
「あったけぇ……」
「古傷が……痛まないぞ……」
「……湯温設定、42度は高すぎましたか?」
私が首を傾げると、ゲイル隊長が震える声で言った。
「違う……。これは、安らぎの涙だ。エヴリン嬢、君は一体、何者なんだ? ここは本当に、あの死の土地なのか?」
「ただの『整律』の結果です。住環境を最適化したに過ぎません」
私が淡々と答えると、隊長は深く息を吐き、周囲を見渡した。
楽しそうに働く元難民たち。
豊かな食料。
そして、鉄壁の結界。
「王都よりも……豊かではないか」
彼が呟いた、その時。
ギャオオオオオッ!
上空から、鼓膜を引き裂くような咆哮が響いた。
都市の結界の外。
魔嵐の雲を突き破り、巨大な影が降下してくる。
「ワ、ワイバーンだッ!」
騎士たちが色めき立つ。
翼長10メートルを超える、空の捕食者。
通常なら、騎士団一個小隊でようやく撃退できるレベルの脅威だ。
「まずい、結界が破られるぞ! 総員、戦闘配置!」
ゲイル隊長が剣を抜こうとする。
だが、それより早く、カイル様が一歩前に出た。
「下がっててください、隊長。……エヴリン、結界の一部解除を」
「了解。射線、通します」
私は指先で空中に線を描く。
上空の結界に、直径2メートルの穴を開ける。
ワイバーンは獲物を見つけ、猛スピードで急降下してきた。
その爪が、カイル様の頭上に迫る。
「カイル! 逃げろ!」
隊長の叫びを背に、カイル様は静かに大剣を構えた。
私が強化改修を施した、分子結合レベルで研ぎ澄まされた愛剣を。
彼は、ただ無造作に、剣を振り上げただけに見えた。
ヒュン。
風切音すらしない。
ただ、空間に銀色の線が走っただけ。
ワイバーンはそのままカイル様を通り過ぎ――。
ズ……ズンッ!
着地した瞬間、その巨体が左右にパカッときれいに分かれた。
鮮血すら散らない。
あまりに鋭利な切断面は、細胞が自分が斬られたことすら認識できていない証拠だ。
「……は?」
騎士たち全員の動きが止まった。
誰も、カイル様が「斬った」瞬間を認識できていなかった。
「……豆腐か?」
誰かが呟いた。
鋼鉄の鱗を持つワイバーンを、紙切れのように両断する威力。
カイル様自身も、自分の剣を見て苦笑している。
「……エヴリン。これ、切れ味係数の設定、いくつだ?」
「理論値の最大です。爪の手入れをする時は気をつけてくださいね。指ごとなくなりますから」
私は何食わぬ顔で答えた。
静寂が場を支配する。
ゲイル隊長は、震える手で剣を鞘に収め、私とカイル様を交互に見た。
彼の目には、もはや「哀れみ」はなく、ある種の「畏怖」が宿っていた。
この都市の生産力。
カイルの圧倒的な武力。
これを敵に回せば、今の疲弊した王国に勝ち目はない。
「……エヴリン嬢。いや、辺境の盟主殿」
隊長は姿勢を正し、真剣な眼差しで私に向き直った。
「警告する。王太子殿下は、本気だ。君が生きていると知れば、次は『聖女』マイラを連れて、正規軍を動かすだろう」
「聖女様、ですか」
「ああ。彼女の『予言』が、王宮を動かしている。『エヴリンは魔王と契約し、国を滅ぼす』とな。……今の光景を見れば、あながち嘘とも言い切れないのが怖いところだが」
隊長は苦笑し、そして懐から報告用の羊皮紙を取り出した。
「だが、俺たちは見た。ここは魔王の城ではない。民が笑う、まっとうな都市だ」
彼は羊皮紙を破り捨てた。
「俺たちは報告する。『エヴリン嬢の痕跡なし。生存は絶望的』とな。……だが、隠し通せるのも時間の問題だ」
「感謝します、ゲイル様」
彼らは、王命よりも「正義」を選んでくれたようだ。
だが、猶予は短い。
王太子と偽聖女。
彼らが来る前に、この都市の防衛システムを「対軍隊仕様」へ最終改修しなければならない。
「カイル様。忙しくなりますよ」
「ああ。望むところだ」
カイル様が剣を担ぎ、不敵に笑う。
その横顔を見て、私は確信した。
どんな理不尽が来ようとも、私たちが計算を間違えることはない、と。




