第5話 気づけばそこは、最先端魔導都市
砦での生活は快適そのものだ。
室温は24度、湿度は50%で固定。
食事は裏の「高速農園」で採れた新鮮野菜のフルコース。
床は「タワシ・ワン」が24時間体制で磨き上げているため、埃ひとつない鏡面状態だ。
だが、深刻なボトルネック(障害)が発生した。
「手が足りません」
私は朝食の席で、カイル様に告げた。
「地下3階の書庫を整理しようとしたのですが、文献の量が膨大すぎます。タワシ・ワンのアームでは本の分類まではできません。私には、手足となって動く『助手』が必要です」
カイル様は、瑞々しいトマトを齧りながら、困ったように眉を下げた。
「助手と言われてもな……。ここは絶界だぞ。人は俺たちしかいない」
「いえ、いますよ。昨日の環境スキャンで検知しました」
私は窓の外、魔嵐の吹き荒れる荒野を指差した。
「砦から南西へ3キロ。岩陰に多数の『生体熱源反応』があります。ざっと50名ほど」
カイル様の表情が曇る。
「……ああ、彼らか。魔嵐で故郷を追われた難民たちだ。結界の外で、岩にしがみついて暮らしている」
「なぜ砦に入れないのですか? ここは広すぎます。空き部屋は100以上余っていますよ」
「俺だって入れたかったさ! だが、食料がなかったんだ! 俺一人食わせるのが限界だったのに、50人も抱え込んだら全員共倒れだ」
彼は悔しそうに拳を握った。
なるほど。
リソース不足による受け入れ拒否。
管理者としては苦渋の決断だっただろう。情だけでは組織は回らない。
「ですが、今は違います」
私は裏庭の方角を親指で示した。
そこには、消費しきれないほどの巨大カボチャと豆が、山のように積まれている。
私の「強制栽培術式」が優秀すぎて、このままだと過剰在庫の廃棄が発生するレベルだ。
「食料は余っています。住居も空いている。そして私は労働力を求めている。……交渉の余地ありですね」
「おい、まさか……」
「カイル様、案内してください。人材調達に行きますよ」
***
砦の重い門が開かれた。
カイル様の先導で、私たちは難民キャンプ――というより、ただの岩場の吹き溜まりへと向かった。
酷い有様だった。
ボロボロの布を被り、骨と皮だけになった人々が、身を寄せ合って震えている。
泥水をすすり、虚ろな目で宙を見つめている。
死臭が漂っていた。
「……カイル様か」
長老らしき老人が、よろよろと立ち上がった。
「すまねぇ……。また、死人が出ちまった。埋葬の手伝いを頼めるか……」
カイル様が痛ましげに顔を歪める。
私は一歩前へ出た。
そして、端的に用件を伝える。
同情はいらない。必要なのは契約だ。
「皆様。私の元で働きませんか?」
私の声に、虚ろな視線が集まる。
「労働内容は、砦の清掃、農作業、および荷運び。対価として、安全な住居と、1日3食の食事を保証します」
シーン、と静まり返る。
彼らは理解できていないようだ。
無理もない。極限状態の脳は、複雑な情報を処理できない。
彼らに必要なのは言葉ではなく、生存への確証だ。
私は近くにあった、枯れた井戸に近づいた。
中を覗くと、泥混じりの茶色いヘドロがわずかに溜まっているだけ。
これでは疫病が蔓延するのも当然だ。非衛生的すぎる。
「水質、最悪ですね。……整律します」
私は万年筆を取り出し、井戸の枠石に術式を刻み込んだ。
『不純物の除去(Filter)』
『滅菌処理(Sterilize)』
『ミネラル成分の調整』
『水脈の強制接続(Connect)』
仕上げに、大気中の水分を凝縮して井戸へ注ぐ回路を接続。
「――出水」
コポォ……。
井戸の底から音がしたかと思うと。
ザパァァァン!
勢いよく、クリスタルのように透明な水が噴き上がった。
ヘドロは一瞬で浄化され、陽光を反射して輝く清流となって溢れ出す。
「み、水だ……!?」
「泥水じゃない、透き通っている……!」
人々が這いつくばり、溢れた水を手に掬う。
「あ、甘い……!」
「冷たい……痛くない、腹が痛くならないぞ!」
それはそうだ。
王都の高級ホテルで提供されるミネラルウォーターと同等の成分調整を行っているのだから。
私はカイル様に目配せした。
今だ、と言外に伝える。
カイル様は大きく頷き、声を張り上げた。
「みんな、聞いてくれ! この方は、新しい砦の主、エヴリン様だ! 彼女が、俺たちを救ってくれる!」
その瞬間。
誰かが叫んだ。
「女神様だ……!」
「へ?」
「伝承にあった『星を綴る女神』様だ! 荒野に水を、飢えた者に糧をもたらす女神様だ!」
ザッ、ザッ、ザッ。
50人の難民たちが、一斉に私の前にひれ伏した。
涙を流し、手を合わせ、地面に額を擦り付けている。
「あ、あの……違います。私はただの雇用主で……」
「おお、女神エヴリン様!」
「一生ついていきます!」
「なんでもします、この魂を捧げます!」
契約成立(採用)、だろうか。
なんだか認識に重大なバグがある気がするが、まあいい。
彼らの目に宿ったのは「信仰」に近い熱狂だが、それは「強固な忠誠心」と同義だ。
稼働意欲が高いのは良いことだ。
***
それからの変化は劇的だった。
50人の「信者兼従業員」たちは、私の指示を完璧に遂行した。
彼らに、私の作った「魔導工具」――重量を軽減する手押し車や、自動で雑草を刈る鎌――を与えると、砦の修復は驚異的な速度で進んだ。
一週間後。
廃墟だった砦は、美しい石畳の街へと変貌していた。
崩れていた外壁は修復され、白く輝く「魔導セメント」で補強された。
荒地だった中庭は、広大な農園となり、麦の穂が黄金色に輝いている。
泥だらけだった広場には、私が整備した噴水広場ができ、清潔な水が常に湧き出ている。
「……信じられん」
城壁の上で、カイル様が呟いた。
眼下には、洗濯物を干しながら笑顔で話す女性たちや、タワシ・ワンを追いかけて遊ぶ子供たちの姿がある。
魔嵐の吹き荒れる「死の絶界」の中に、そこだけ奇跡のような平穏が存在していた。
「たった一週間で、ここを『都市』に変えちまうなんて」
「都市だなんて大袈裟です。ただの福利厚生施設ですよ」
私は隣で、出来立てのトマトジュースを飲みながら答えた。
「彼らが健康でなければ、私の研究を手伝ってもらえませんからね。衣食住の安定は、労働生産性の基本です」
「……お前、本当にそれだけか?」
「はい?」
「彼らが笑っているのを見て、何も思わないのか?」
カイル様が、探るような目で私を見てくる。
私は広場を見下ろした。
老婆が、私の作った自動洗濯機(元・渦潮発生装置)に手を合わせている。
子供たちが、お腹いっぱい食べて走り回っている。
「……そうですね」
私は少し考えてから、答えた。
「システムが正常に稼働しているのを見ると、安心します。バグのない世界は、美しいですから」
カイル様は、ふっと笑った。
呆れたような、でもどこか誇らしげな笑みだった。
「やっぱりお前は、変わった奴だ。……だが、最高の領主だよ」
「領主ではありません。私はただの……」
「はいはい、エンジニア、だったか?」
彼は私の言葉を遮り、私の頭に手を伸ばした。
大きくて、無骨な手が、私の髪をポンポンと撫でる。
「ありがとうな、エヴリン」
「!」
思考回路が一瞬、停止する。
心拍数が急上昇。
顔の表面温度が、設定値を超えて上昇するのを感じた。
「な、何をするのですか! 頭部に触れると、思考のノイズになります!」
「あ……っ!?」
カイル様はハッとして、慌てて手を引っ込めた。
彼の顔も、見る見るうちに赤くなっていく。
「す、すまん! なんかこう、自然と手が……! 子供扱いしたわけじゃなくて、その!」
「……もう。計算が狂うので、やめてください」
私は顔を逸らし、熱くなった頬を冷たいグラスで冷やした。
不規則な鼓動が収まらない。
これは……未知のバグだ。早急な解析が必要かもしれない。
その時だった。
「報告します! エヴリン様、カイル様!」
見張りの男が、血相を変えて駆け寄ってきた。
「北の方角から、馬車が一台接近中! 紋章を確認……『王家』の紋章です!」
空気が凍りついた。
カイル様の表情から、甘い色が消え失せる。
王家。
私を捨てた、あのアデル王子たちの使いだろうか。
今さら何をしに来たのか。
私はジュースのグラスを置いた。
先ほどまでの穏やかな空気は霧散し、私の脳内モードが「都市運営」から「拠点防衛」へと切り替わる。
「……カイル様。どうやら、最初の『招かれざる客』が来たようですね」
「ああ。俺が追い返す」
「いいえ」
私は万年筆を取り出し、冷然と微笑んだ。
「せっかくの『最新鋭魔導都市』です。その性能テスト(実験台)になってもらいましょう」




