第4話 辺境伯は「論理的思考」ができない?
翌朝。
快適な室温24度で目覚めた私は、身支度を整えてリビングへ降りた。
そこには、既に武装を整えたカイル様がいた。
彼はテーブルに向かい、眉間に深い皺を寄せて「何か」と格闘している。
ガリッ、ゴリッ。
石を削るような、不快な音が響く。
「……おはようございます、カイル様。朝から建材の強度テストですか? 熱心ですね」
「あ? ……食事だ」
彼は手に持っていた茶色い塊を、苦々しげに齧った。
よく見ると、それはパンだった。
ただし、水分が完全に抜けきり、鈍器のような硬度を持った黒パンだ。
隣には、泥水のような薄いスープ。
「……それが、朝食?」
「これしかない。ここは最前線だぞ」
カイル様は塊をスープに浸し、無理やり飲み込んだ。
喉がゴクリと鳴る。
見ていて喉が詰まりそうだ。
「エヴリン。昨日は世話になったが、話は変わらん。これを食ったら出て行け」
彼は私を見ずに言った。
「馬車は手配できないが、俺が結界の切れ目まで送る。そこからは徒歩で南へ抜けろ」
「お断りします」
「いい加減にしろ! ここは遊び場じゃない!」
ダンッ!
彼がテーブルを叩く。
その拍子に、食べかけのパンが転がり、床(石畳)に「カァン!」と高い音を立てて当たった。
「……今の音、パンの音ではありませんね。モース硬度7はあるのでは?」
「ふざけるな。俺は真面目な話をしている」
カイル様は立ち上がった。
その瞳には、焦燥と疲労が滲んでいる。
「この砦は、いつ魔物に飲み込まれるか分からん。昨日の『球体』だけじゃない。外にはもっと凶悪な魔獣がうようよいる。お前のような貴族の娘がいていい場所じゃないんだ!」
彼の主張は、感情的だが一理ある。
「安全」が担保されていないから、私を排除したい。
それは彼なりの防衛本能(優しさ)なのだろう。
ならば、私が提示すべきは反論ではない。
「安全である」という物理的証明だ。
「カイル様。貴方の懸念事項は2点ですね。『資源の枯渇』と『外敵の脅威』」
「……あ?」
「論理的に解決しましょう。3分ほどお時間をいただけますか?」
「は? おい、どこへ行く!」
私は彼の制止を聞かず、中庭へと通じる窓を開けた。
外は相変わらずの魔嵐。
だが、中庭の一角だけは、結界のおかげで風が凪いでいる。
ただし、地面はひび割れ、草一本生えていない荒野だ。
「土壌成分、枯渇。魔素濃度、致死レベル。……なるほど、最高の環境です」
私は地面に膝をつき、万年筆を走らせた。
土の上に直接、複雑な幾何学模様を描く。
この土地には、腐るほどの魔力がある。
問題は、それが「暴走」していることだけ。
ならば、そのエネルギーを「成長」というベクトルに整律して、植物に無理やり食わせてやればいい。
『魔素変換(Convert Mana)』
『対象:種子』
『時間経過速度:×10000』
懐から、旅の非常食として持っていた「干し芋」と「乾燥豆」を取り出す。
それを土に埋め、上からインクを垂らした。
「――強制執行」
ドォン!
地面が緑色の光を放つ。
「なっ……!?」
追いかけてきたカイル様が、絶句した。
メリメリメリッ!
土が盛り上がり、暴力的とも言える速度で緑の芽が吹き出す。
茎が伸び、葉が茂り、花が咲き、そして実を結ぶ。
その間、わずか10秒。
目の前には、定規で測ったように均一なサイズに育った芋の葉と、鈴なりの豆が揺れていた。
暴走魔力を吸ったせいで、野菜の表面が少し発光しているが、まあ誤差の範囲だ。
「魔力過多による強制成長。味は大味かもしれませんが、カロリー摂取には問題ありません」
私は光る豆を一つもぎ取り、カイル様に投げ渡した。
「……おい。なんだこれは」
「食料自給率の問題は解決しました。次です」
私は呆然とする彼の手から、腰の大剣をひったくった。
「お、おい! それは俺の……!」
「黙って見ていてください」
私は剣を抜き放ち、太陽にかざした。
ボロボロだ。
刃こぼれどころか、刀身全体に無数の微細な亀裂が走っている。
これでは、あの硬いパンを切った衝撃で折れるかもしれない。
「よくこんな『鉄屑』で戦っていましたね。自殺願望でもあるのですか?」
「……代わりの武器なんてない。補給物資は、半年前に途絶えた」
彼は悔しそうに唇を噛んだ。
「王都の連中は、辺境なんて見捨ててるんだ。俺たちがここで泥を啜って戦っていても、誰も……!」
「愚痴は非生産的です」
私は万年筆のペン先を、剣の刀身に押し当てた。
「直します」
『金属結合の最適化』
『硬度の再定義(Redefine Hardness)』
『斬れ味の付与(Sharpness):最大値』
インクが鉄に染み込む。
錆びついていた鉄の分子が、魔力によって強制的に整列させられていく。
亀裂が塞がり、不純物が排出され、刀身が青白い輝きを取り戻す。
さらに、余計なお世話を追加。
彼の魔力不足を補うため、『自動魔力充填』と『重量軽減』の術式も刻んでおこう。
キィン……。
高く澄んだ音が響き、作業完了。
生まれ変わった大剣は、触れれば視線すら切れそうなほどの冷気を放っていた。
そこには、少しだけ得意げな私の顔が映っている。
「はい、どうぞ」
私は剣を彼に返した。
カイル様はおそるおそる剣を受け取り、その軽さに目を見開いた。
そして、試しに近くの岩(庭石)に向かって、軽く素振りをした。
ヒュン。
風を切る音すらない。
抵抗感ゼロ。
カイル様の手が通り過ぎた一瞬後。
大人が三人乗っても動かないような巨岩が、音もなく斜めにズレ落ちた。
ズ……ズンッ。
切断面は鏡のように滑らかだ。
「…………は?」
カイル様の手が震えている。
「岩が……豆腐みたいに……」
「切れ味係数を上げすぎましたかね? 鞘に入れる時は気をつけてください。鞘ごと腰が切れるかもしれません」
私はパンパンと手の汚れを払った。
「これで『外敵の脅威』に対抗する戦力も補強できました。衣食住のうち、食と住、そして武は確保済み。私がここにいる方が、貴方にとっても合理的だと思いませんか?」
カイル様は、真っ二つになった岩と、自分の手にある剣、そして背後の「発光野菜ジャングル」を交互に見た。
彼の脳内で、常識という回路が焼き切れる音が聞こえるようだ。
「……お前、本当に人間か?」
「失礼な。れっきとした公爵令嬢です。元、ですが」
私は中庭で育ったばかりの新鮮な野菜と芋を収穫し、バスケットに入れた。
「さあ、朝食を作り直しましょう。あのレンガのようなパンは、タワシ・ワンに粉砕させて肥料にします」
私は彼の手を引き、リビングへと戻った。
その数十分後。
湯気の立つポテトスープと、柔らかく煮込まれた豆のサラダを前にして、カイル様は固まっていた。
スプーンを持つ手が、小刻みに震えている。
彼は一口、スープを口に運んだ。
そして、動きを止めた。
「……うまい」
彼が搾り出すように呟いた。
涙は見せない。
だが、俯いたまま、猛烈な勢いでスプーンを動かし始めた。
まるで、体に空いた穴を埋めるかのように。
「半年ぶりに……まともな飯を食った……」
その言葉と、彼の痩せた背中を見て、私は眉をひそめた。
管理不全だ。
あまりにも、リソース配分が杜撰すぎる。
この人は、自分を犠牲にしてシステム(辺境防衛)を維持してきたようだが、オペレーターである彼自身が壊れてしまっては元も子もない。
(……運用計画の全面見直しが必要ですね)
私はカップの紅茶を啜りながら、手元のメモ帳に『カイル様の健康管理』という項目を追加した。
この砦だけでなく、この不器用で損ばかりしている辺境伯自身も、私が適正化してあげなくては。
貴重な戦力を無駄に失うのは、私の美学に反するからだ。
「カイル様。おかわりはいかがですか?」
「……頼む」
素直に器を差し出す彼を見て、私は満足げに頷いた。
とりあえず、餌付けによる支配権の確立は成功したようだ。




