第3話 伝説の魔獣を拾う
「……答えろ。何者だ」
突きつけられた大剣の切っ先。
鼻先数センチの距離で、鋼の冷気が漂う。
しかし、私は恐怖よりも先に「観察」をしてしまった。
(刃こぼれが3箇所。重心も歪んでいる。……道具への愛が足りませんね)
目の前の青年――自称「この砦の主」は、殺気立っていた。
無理もない。
極寒だったはずの自宅が、帰ってきたら常春の空間に変わっていたのだ。
論理的に考えれば、パニックを起こすのが正常な反応だ。
私は、彼の剣から視線を外し、彼の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「ご挨拶が遅れました。私はエヴリン。本日付けで、この土地の所有権を譲渡された者です」
「……譲渡?」
「ええ。王家より正式に『追放刑』として賜りました。つまり、法的には私がここの管理者になりますが?」
「は……?」
彼が呆気に取られたように口を開いた。
その時だ。
ゴゴゴゴゴ……!
地底から、腹に響くような不穏な振動が伝わってきた。
私が開け放った鉄扉の奥。
暗闇の中から、赤黒い光が二つ、ギロリと輝いた。
「――しまっ、封印が解けたか!?」
青年の顔色が変わる。
彼は私を乱暴に背後へ突き飛ばし、扉の前へ立ちはだかった。
「下がっていろ女! 『殺戮の球体』が来るぞ!」
殺戮の球体?
なんて品のないネーミングでしょう。
闇の中から飛び出してきたのは、直径1メートルほどの巨大な金属の甲羅だった。
表面には無数の鋸刃が突き出し、高速で回転している。
壁を削り、床を粉砕しながら、猛烈なスピードでこちらへ突進してくる。
「くそっ、速い……!」
青年が大剣を構える。
魔力を持たない彼が、あんな質量兵器と正面からぶつかれば、肉体など挽肉になるのは明白だ。
「馬鹿なんですか?」
私は思わず呟いた。
物理法則を無視して精神論で解決しようとするのは、脳筋の悪癖だ。
私は懐から万年筆を抜き、素早く前に出た。
「おい、何をしている! 死にたいのか!」
「騒がないでください。計算がズレます」
私は青年の横をすり抜け、回転する金属塊の正面に立った。
『構造視』起動。
高速回転する甲羅の表面に、焼き付けられた古代の星紋が見える。
『敵性存在の検知』
『対象への物理的粉砕』
『領域内の完全浄化(Purge)』
なるほど。
「侵入者を排除して、領域を浄化する」のが本来の設計か。
だが、経年劣化で「敵」の定義がバグり、動くもの全てを粉砕する設定になっている。
「やめろッ!」
青年が絶叫し、私を庇おうと手を伸ばす。
回転する刃が、私の鼻先まで迫る。
遅い。
私には、その回転すらも止まって見える。
私は万年筆に「青の魔力」を乗せ、回転する甲羅へ直接叩きつけた。
ガリッ!
激しい火花が散る。
だが、私のペン先は正確に、術式の「核」を捉えていた。
『敵性存在』の定義を削除。
代わりに『塵・埃』を代入。
『物理的粉砕』の出力を、攻撃用から吸引用へ反転。
回転数を「殺傷モード」から「清掃モード」へ抑制。
そして最後に、『完全浄化』の解釈を書き換える。
「命を消す」のではなく――「汚れを消す」ように。
記述時間、0.2秒。
「――整律」
私が万年筆を離した瞬間。
ギュウウウゥン……!
耳をつんざくような回転音が、急激に低くなった。
飛び出していた鋭利な刃が、カシャカシャと内部へ格納されていく。
代わりに、底面から柔らかそうなブラシと、強力な吸引ノズルが出現した。
「……は?」
青年が声を漏らす。
金属の球体は、ピタリと私の足元で停止した。
そして、愛想の良い魔導音を鳴らす。
『ピロリーン♪ お掃除を開始します』
ウィィィィン……。
球体は、心地よい駆動音を立てながら、床を滑り始めた。
私の足元を丁寧に避け、長年積もった埃を猛烈な勢いで吸い込んでいく。
回転ブラシが、石畳の目地に詰まった泥まで掻き出している。
「……よし。吸引力も問題ありませんね」
私は満足げに頷いた。
これだけ広い館だ。
人力で掃除するのは非効率極まりないと思っていたが、優秀な「自律型掃除機」が手に入って何よりだ。
「な……なに……?」
青年は、大剣をだらりと下げたまま、ポカンと口を開けていた。
視線は、部屋の隅々まで走り回り、健気にゴミを吸い続ける元・殺戮兵器に釘付けだ。
「お前、今、何をした……? あれは、先代の騎士団を半壊させた、古代の遺物だぞ……?」
「存在意義の書き換え(リデフィニション)です」
私は万年筆のインクを拭き取りながら答えた。
「本来の『領域を綺麗にする』という目的を、より平和的かつ実用的に再定義しました。これからは『タワシ・ワン』として、この館の衛生管理を担当してもらいます」
「タワシ……?」
彼は眉間を押さえた。
理解の許容量を超えたらしい。
やはり、この国の魔法教育は遅れている。
「再定義」の概念すら知らないとは。
ウィィィン。
タワシ・ワンが、青年の足元に近づいた。
泥だらけのブーツを検知し、執拗にブラシで磨き始める。
「うわっ、こら、くすぐったい!」
青年が慌てて足を上げる。
伝説の戦士が、掃除機相手に片足飛びで逃げ回る姿は、なんとも滑稽だ。
「ふふっ」
笑いが漏れた。
素晴らしい。
あの頑固な泥汚れが、みるみる落ちていく。
床がピカピカに輝く様を見るのは、何よりも心が安らぐ。
私が目を細めて掃除機の動きを見守っていると、不意に視線を感じた。
青年が、驚いたように私を見ていた。
「……笑ったのか?」
「ええ。とても満足のいく結果ですので」
私がタワシ・ワンを指差すと、彼はなぜか複雑そうな顔で剣を収めた。
(……この状況で微笑むとは。肝が据わっているどころじゃない。こいつ、本物の『魔女』か?)
彼が何かブツブツ言っているが、機械音でよく聞こえない。
私はスカートの裾を正し、改めて彼に向き直る。
「さて。貴方の実力と、私を庇おうとした判断力は評価します。不法侵入者ですが、即時排除は保留しましょう」
私は、逃げ回る彼に手を差し伸べた。
「私はエヴリン。貴方の名前は?」
彼は一瞬、躊躇った。
タワシ・ワンの吸引を避けながら、私の手を見る。
そして、観念したように息を吐いた。
「……カイルだ。カイル・ヴァン・グランツ。この辺境を守る、守護伯だ」
カイル。
聞いたことがある。
王都では「狂乱の辺境伯」とか「血に飢えた蛮族」なんて噂されていたけれど。
私の目には、彼がそんな野蛮人には見えなかった。
むしろ、壊れかけの剣を大切に使い、見ず知らずの女を命がけで守ろうとする、不器用なほどの実直さが見える。
「カイル様。よろしくお願いしますね」
私が(これからの掃除当番として)期待を込めて微笑むと、彼はなぜか、パッと視線を逸らした。
耳のあたりが赤い。
「……ふん。勝手にしろ。だが、ここは危険だ。明日には馬車を手配してやるから、王都へ帰れ」
「お断りします」
私は即答した。
そして、綺麗になったソファに座り直す。
「ここには、私が求めていた『静寂』と『研究対象』があります。それに」
私は、足元で充電モードに入ったタワシ・ワンを撫でた。
「こんなに便利な家電(部下)もできましたしね」
カイル様は、深く、深くため息をついた。
その表情には、もはや敵意はなく、代わりに「とんでもないものを拾ってしまった」という諦観が漂っていた。
こうして。
私と、不器用な辺境伯と、掃除機(元魔獣)との奇妙な同居生活が始まったのだ。




