第2話 呪われた館を「常夏の離宮」へ綴り変える
「……ひっ、ひぃぃ! こ、ここで降りてくれ!」
馬車の御者が悲鳴を上げた。
まだ目的地である「管理塔」までは距離があるはずだが、彼は青ざめた顔で手綱を握りしめている。
「嬢ちゃんには悪いが、これ以上は無理だ! 『魔嵐』に巻き込まれたら、俺の正気が保てねぇ!」
私は馬車の窓から外を見た。
空は重苦しい鉛色。
大気中を、無数の「文字化け」した光の帯が走り回っている。
あれが魔嵐か。
確かに、ひどい有様だ。
文法が破綻した魔素の配列が、暴力的な風となって吹き荒れている。
普通の魔導師が見たら、意味不明な情報の羅列に脳を焼かれて発狂するかもしれない。
けれど、私には「未整理の走り書き(メモ)」が舞っているようにしか見えなかった。
「わかりました。ここまで送っていただき、感謝します」
私は荷物を抱えて、荒野に降り立った。
「あ、あんた、本気か? こんな『死の絶界』で……」
「ええ。とても静かで、良い場所ですね」
「……狂ってやがる!」
御者は捨て台詞を残し、逃げるように馬車を反転させた。
あっという間に地平線の彼方へ消えていく。
さて。
一人きりになった。
私は改めて、目の前にそびえ立つ建造物を見上げた。
追放先として指定された、古い石造りの館。
かつては「境界の監視塔」だったらしいが、今は見る影もない。
壁は凍りついた蔦に覆われ、窓は割れ、何より――。
「……寒いです」
私は身震いした。
気温は氷点下10度といったところか。
吐く息が白く凍る。
館全体が、異常な冷気に包まれていた。
これは自然現象ではない。
作為的な「設定ミス」の気配がする。
私は瓦礫を乗り越え、館のエントランスへと足を踏み入れた。
ヒュオオオオ……。
隙間風の音が、まるで亡霊の呻き声のように響く。
床も壁も、分厚い氷で覆われていた。
「なるほど」
私は愛用の万年筆を取り出し、床の氷をコツコツと叩いた。
そして、その下にある石畳の「模様」を透かし見る。
『構造視』起動。
視界が切り替わる。
物理的な氷の映像が薄れ、代わりに青白く光る「星紋」の文字列が浮かび上がった。
床一面にびっしりと書き込まれた、古代の環境制御術式。
だが、その内容は散々だった。
『熱量の排除』
『氷結の維持』
『外部熱源の拒絶』
「……酷い。まるで絡まった毛糸玉のような悪文です」
継ぎ接ぎだらけだ。
おそらく、歴代の管理者が寒さを防ごうとして、適当な魔法を上書きし続けたのだろう。
結果として命令が競合し、「寒さを防ぐために、熱を遮断して室内を凍らせる」という矛盾した円環が発生している。
これでは、暖炉を焚いても意味がない。
熱が発生した瞬間に「エラー」として排除されてしまうからだ。
「これを作った人は、論理的思考というものを母胎に置いてきたのでしょうか?」
私は小さく憤慨した。
非効率。
無駄。
何より、この美しい古代様式の建築が泣いている。
「――整律します」
私は冷たい床に膝をついた。
インク壺を取り出し、万年筆にたっぷりと「銀の魔力インク」を含ませる。
まずは、現状の解析から。
この館の動力源は、地下深くを通る地脈。
エネルギー供給は十分だ。
問題は、変換式だけ。
私は床の星紋の上に、直接インクを走らせた。
『氷結』の定義を抹消線で削除。
代わりに『恒常性維持』の記述を挿入。
『熱量の排除』のコマンドを反転。
『熱交換効率の最適化』へ書き換え。
ガリガリガリ……。
静寂な館に、ペン先が石を削る音だけが響く。
手がかじかむ。
だが、記述が進むにつれて、指先に温かい感覚が戻ってきた。
床の光が、凍えるような青から、暖かな琥珀色へと変化していく。
仕上げだ。
私は中央の制御点に、最終的な出力条件を書き込んだ。
『室内温度設定:摂氏24度』
『湿度:50%』
『風量:微風』
「――起動」
私が最後の点を打った、その瞬間。
ブォン、と低い重低音が響いた。
館全体が震え、壁に張り付いていた分厚い氷が一斉にヒビ割れる。
パァァァン!
氷が光の粒子となって砕け散り、瞬く間に昇華した。
肌を刺すような冷気が消え、ふわりとした春の陽だまりのような空気が満ちる。
成功だ。
地脈のエネルギーが正しく循環し、館全体が巨大な「魔導空調システム」として機能し始めたのだ。
「ふう……」
私は額の汗を拭った。
上着のボタンを外す。
むしろ少し暑いくらいだ。
「これなら、研究も捗りそうです」
私は満足げに頷き、荷物から携帯用のポットを取り出した。
魔導コンロでお湯を沸かす。
さっきまではお湯など瞬時に凍りついたはずだが、今は湯気が真っ直ぐに立ち上っている。
数分後。
荒れ果ててはいるが、暖かなリビングの真ん中で、私は優雅に紅茶の香りを楽しんでいた。
窓の外では、相変わらず「記述エラーの嵐」が吹き荒れている。
だが、私が窓枠に書き加えた『静寂の遮断膜』のおかげで、室内は王立図書館のように静かだ。
「最高ですね……」
私はソファ代わりの木箱に腰掛け、カップを傾けた。
王宮のパーティーよりも、実家の説教部屋よりも、ここはずっと居心地が良い。
誰にも邪魔されず、自分の手で世界を「正しく」できる場所。
ここでなら、私は私らしく生きられる。
そう思っていた、その時だった。
ガチャン。
館の奥――地下へと続く重い鉄扉の向こうで、何かが落ちる音がした。
「……?」
私はカップを置いた。
誰もいないはずだ。
先ほどのスキャンでは、建物の「構造」と「環境」しかチェックしていなかったが、まさか人間がいるとは思わなかった。
(この過酷な環境に人間? 論理的ではありませんね。野生動物でしょうか)
私は万年筆を握り直し、警戒しつつも好奇心を抑えきれずに立ち上がった。
足音を忍ばせ、扉へ近づく。
すると、扉の向こうから、低い男の声が漏れ聞こえてきた。
「……おい。何が起きた」
低いが、よく通る声だ。
「結界が……書き換わった? いや、魔嵐が消えたのか?」
誰かいる。
しかも、この状況(温度変化)を認識できる知性がある。
私は扉のノブに手をかけた。
不法侵入者だろうか。
それとも、この廃墟に勝手に住み着いていた盗賊?
どちらにせよ、私の快適な職場を脅かす「バグ」なら、対処しなければならない。
私は呼吸を整え、勢いよく扉を開け放った。
「そこまでです。不法占拠者の方、直ちに退去を――」
言葉が止まる。
そこにいたのは、小汚い盗賊ではなかった。
黒い軽鎧に身を包んだ、長身の青年。
抜身の大剣を片手に持ち、鋭い金色の瞳でこちらを凝視している。
その体からは、歴戦の戦士特有の「研ぎ澄まされた刃」のような気配が漂っていた。
そして何より。
私には、彼の「本質」が見えてしまった。
彼の頭上に浮かぶ、生命の波長を示す文字列。
そこには、ありえないほどの量の『加護』と『呪い』が、複雑怪奇に絡まり合っていたのだ。
『個体名:不明』
『魔導回路:断絶』
『状態:極度の混乱』
彼と目が合う。
彼は私を見て、そして私の後ろの「暖かなリビング」を見て、信じられないものを見るように目を見開いた。
「……女? 貴族の……?」
彼は剣を下げず、低い声で問うた。
「お前は何だ。俺の砦に、何をした」
どうやら、先客はただの浮浪者ではないらしい。
私の「整律」された空間に土足で踏み込む、厄介なイレギュラーの予感がした。




