第10話 ガリ勉令嬢、エンジニアの王妃になる
国王陛下が去ってから、一週間。
私の作った辺境都市は、かつてないほどの静寂と――そして活気に満ちていた。
「ピロリーン♪ お掃除完了です」
リビングで、タワシ・ワン(量産型3号機)が軽快な魔導音を鳴らす。
窓の外には、黄金色の麦畑。
遠くには、新しく建設された魔導研究所の塔が見える。
すべてが順調だ。
私の「整律」によって、都市機能は最適化されている。
不具合はない。エラーもない。
ただ一つ、私の「心臓」を除いて。
「……また、数値上昇」
私は胸に手を当てた。
カイル様の姿を見かけるだけで、心拍係数が20%跳ね上がる。
彼と会話をすると、思考回路にノイズが走り、顔の表面温度が設定値を超えて上昇する。
診断結果:『恋』。
対処法:『論理的解決不能』。
私は万年筆を回しながら、唸った。
効率的ではない。
感情などという不確定要素に、私の思考リソースの半分以上が食いつぶされている。
本来なら、即座に切り捨てるべき「バグ」だ。
なのに。
そのバグを「思考から抹消」しようとすると、胸が締め付けられるように痛むのだ。
これはもはや、バグではなく――新しい「仕様」なのかもしれない。
「……エヴリン。いるか?」
ドアがノックされ、カイル様が入ってきた。
その瞬間、私の生体モニターが警告音を鳴らす。
今日の彼は、いつもの軽鎧ではなく、正装に近い騎士服を着ていた。
洗いざらしの髪を整え、どこか緊張した面持ちだ。
「はい、ここに。……カイル様、顔色が優れませんね。どこか不調ですか? スキャンしましょうか?」
「いや、違う。……少し、付き合ってくれ」
彼は私の手を取った。
その手は熱く、少しだけ震えていた。
***
連れてこられたのは、都市で一番高い場所――管理塔の屋上テラスだった。
ここからは、私たちが作り上げた街が一望できる。
難民たちが建てた家々。
子供たちが遊ぶ広場。
そして、荒野を緑に変えた農園。
夕日が、街全体を茜色に染め上げていた。
「……すごいな」
カイル様がポツリと言った。
「半年前、ここは地獄だった。俺は毎日、死ぬことばかり考えていた。……お前が来るまでは」
彼は手すりに寄りかかり、私を見た。
その瞳は、夕日よりも熱く、真っ直ぐに私を射抜いていた。
「エヴリン。お前は俺に、飯をくれた。武器をくれた。守るべき場所をくれた」
「それは、契約上の対価です。貴方が労働力を提供してくれたので、私は環境を整えたまでです」
私がいつものように淡々と返すと、彼は苦笑した。
「ああ、そうだな。お前はそういう奴だ。……だが、俺はそれだけじゃ足りなくなった」
カイル様は私に向き直り、懐から小さな箱を取り出した。
パカッ、と開かれる。
中に入っていたのは、宝石のついた指輪――ではなかった。
黒鉄で作られた、無骨で、しかし何よりも頑丈そうな「鍵」だった。
「これは?」
「この砦の、マスターキーだ。……いや、比喩じゃない。俺の心臓へのアクセス権だと思ってくれ」
彼は鍵を手に取り、私の掌に押し付けた。
ずっしりと重い。
それは、彼が背負ってきた責任と、これからの覚悟の重さだ。
「俺は不器用だ。気の利いた台詞も言えない。だが、剣となり、盾となり、生涯お前を守り抜くことだけは誓える」
彼は私の手を、両手で包み込んだ。
「エヴリン。……俺と、結婚してくれ。この都市の、いや、俺の『恒久的なパートナー』になってほしい」
プロポーズ。
それは、人生における最大の契約更新手続き。
私の脳内で、無数の計算式が走る。
彼との結婚によるメリット。
社会的地位の安定。
物理的防衛力の永続確保。
そして何より――この胸の「バグ」を、仕様として受け入れることによる、幸福指数の最大化。
計算終了。
解は、最初から出ていた。
「……カイル様。貴方は非効率ですね」
「え?」
カイル様が不安そうに顔を上げる。
私は、彼の手を握り返した。
「そんな鍵を渡さなくても、私のセキュリティは、とっくに貴方に突破されていますよ」
「は……?」
「私の心拍数、体温変化、思考ノイズ。……これら全ての原因は、貴方です。貴方が近くにいるだけで、私の論理は崩壊し、制御不能になる」
私は一歩、彼に近づいた。
「このエラーは、もう私ひとりでは制御できません。……ですので」
私は背伸びをして、彼の首に腕を回した。
彼の目が、驚きで見開かれる。
「責任を持って、私の人生を管理してください。……覚悟してくださいね、カイル様。私の愛は、けっこう重いですよ?」
「……!」
カイル様は一瞬呆気にとられ――そして、破顔した。
今まで見た中で、一番優しく、愛おしそうな笑顔。
「望むところだ。……一生、背負ってやる」
彼の唇が、私の唇に重なった。
思考が真っ白になる。
計算も、論理も、全てが熱に溶けて消えていく。
残ったのは、圧倒的な幸福感と、彼への愛しさだけ。
ああ、なんて非論理的で。
なんて素敵な「世界」なのだろう。
***
それから、数年後。
かつて「死の絶界」と呼ばれた場所は、今や大陸有数の「魔導都市ナーラク」として栄えていた。
古代の知恵と、最新の理論が融合した、研究者たちの楽園。
その中心にある領主の館では、今日も騒がしい声が響いている。
「あなた! また剣の手入れをサボりましたね! 分子結合に歪みが出ています!」
「わ、悪かった! 昨日は魔獣討伐で忙しくて……!」
「言い訳は却下です。罰として、今日の夕食の野菜、3倍にしますからね」
「そ、それだけは勘弁してくれ……肉をくれ、肉を!」
私は、青ざめる夫――カイル・フォン・グランツ辺境伯を見上げ、くすりと笑った。
私の胸元には、彼から貰った黒鉄の鍵が、ネックレスとなって輝いている。
元・悪役令嬢。
現・辺境の魔導エンジニア兼、最恐の領主夫人。
私の人生(物語)の綴りは、ここからが本番だ。
さあ、今日はどんな「バグ」を直して、彼を驚かせてあげようか。
窓の外では、タワシ・ワンの大群が、今日も平和に街を磨き上げている。
ここは、私が世界一愛する、最高に効率的で――最高に幸せな場所なのだから。
(完)




