第1話 その綴り、誤字だらけですよ?
「エヴリン・フォン・ロジエ! 貴様との婚約は、今この時をもって破棄とする!」
王立魔導学院、卒業記念パーティー。
シャンデリアの魔石灯が煌めく大広間で、王太子アデル様の怒声が反響した。
優雅な弦楽の調べが止まる。
数百人の視線が、私という「一点」に突き刺さる。
私は手元のグラスを、音もなくテーブルへ置いた。
液面の揺れが収まるのを待ってから、ゆっくりと顔を上げる。
「……理由は、お伺いしても?」
努めて冷静に。
感情がないわけではない。ただ、アデル様の放出する魔力が乱れすぎていて、このままだと会場の照明回路に干渉しそうだな、と分析していただけだ。
アデル様は、隣に侍る小柄な少女――男爵令嬢マイラの腰を抱き寄せた。
「しらばっくれるな! 貴様は、聖女の力を持つマイラを妬み、数々の嫌がらせを行ってきただろう!」
嫌がらせ。
定義が曖昧だ。
私は脳内の「記憶の書架」を検索する。
先週、マイラ様が回復魔法を練習していた時のことだ。
彼女が空中に描いた『星紋』の第3節に、致命的な記述ミス(バグ)があった。
『細胞の再生』と書くべき場所が、『細胞の無限増殖』になっていたのだ。
実行すれば、患部は肉塊となり、彼女の友人は苦しんで死んでいただろう。
だから私は、発動の直前に赤インクで「添削」してあげた。
結果、魔法は霧散したが、誰も死なずに済んだ。
「私の教科書を破り捨てたこともあったな!」
あれは、教科書の第4章に古い魔導理論の誤植があったからだ。
誤った術式を脳に刻むのは、ウィルスを混入させるのと同義だ。
だから該当ページを物理的に削除し、正しい理論を書いたメモを挟んでおいたのだが。
「貴様のような冷酷で、人の心がわからない『魔導人形』ごときが、未来の国母になれるものか!」
アデル様が叫ぶたび、周囲のマナ(魔素)が不快な音を立てて軋む。
私には、それが見えていた。
空間に浮かぶ、無数の文字列。
この世界を構成する『星紋』のソースコード。
アデル様の背後で、マイラ様が勝ち誇ったように微笑んでいる。
彼女の周囲には、ピンク色の粘着質な文字列が漂っていた。
『認識阻害』と『好意変数の強制書き換え』。
いわゆる「魅了」の魔法だ。
構成がお粗末すぎる。
あんな汚いコード、私なら3秒で『整律』して無効化できる。
だが、本人が幸せそうに抱きついているのだ。
修正する必要はないだろう。
「沈黙は肯定と見なす! 衛兵、この女を捕らえろ!」
アデル様が右手を掲げた。
王族にのみ伝わる、赤き炎の星紋が空中に描かれる。
『王家の赤竜よ、敵を焼き尽くせ』
第4階梯の攻撃魔法。
周囲の令嬢たちが、悲鳴を上げてドレスの裾を翻し、後退る。
「……はぁ」
私は思わず、深いため息をついた。
「殿下。その魔法、第7行目の接続詞が間違っています」
「は……?」
「『焼き尽くせ』と命令しているのに、対象指定の定義が『虚無(null)』になっています。そのままだと、行き場を失った熱量でご自身の前髪が燃えますよ」
「う、うるさい! 口答えするな無能め!」
アデル様は聞く耳を持たず、欠陥だらけの星紋へ強引に魔力を流し込んだ。
バチバチと火花が散る。
炎の塊が、制御を失って膨れ上がる。
危険だ。
この会場の人口密度と、炎の拡散係数を計算。
被害想定、死傷者数12名。
――却下だ。
私は一歩、前へ出た。
懐から愛用の「魔導万年筆」を取り出す。
見えないインクを穂先に纏わせ、空中に浮かぶアデル様の星紋へ、素早く走らせる。
対象指定の再定義。
熱量変換率の修正。
そして最後に、発動トリガーの安全装置を。
記述時間、0.5秒。
誰の目にも止まらぬ、一瞬の添削。
シュンッ。
膨れ上がっていた炎の竜は、まるで最初から存在しなかったかのように、プスンと音を立てて消滅した。
「な……ッ!?」
アデル様が目を見開き、自分の手を見る。
「な、なぜだ!? なぜ魔法が消えた!?」
消えたのではない。
実行エラーを起こさないよう、安全にプロセスを終了させたのだ。
私は万年筆をしまい、静かに告げた。
「術式の『結び』が甘いからです。基礎からの見直しをお勧めします」
静まり返る会場。
「き……貴様ぁぁぁ……!」
アデル様は顔を真っ赤にして、私を睨みつけた。
「貴様が! 妙な棒を振り回して気を散らせるから、僕の集中が乱れたではないか!」
やはり、そうなりますか。
私の高度な修正技術は、彼らにとっては「邪魔な横やり」にしか見えないらしい。
まあ、その方が好都合だ。
「失敗を人のせいにする。それもまた、未熟さの証明ですね」
「黙れ! もういい、決定だ! エヴリン・フォン・ロジエ!」
彼は震える指で、私を指差した。
その指先にあるのは、明確な悪意。
「貴様を、国外追放とする!」
追放。
その単語が出た瞬間、会場の空気が凍りついた。
「行き先は、北の最果て……『ナーラク(絶界)』だ!」
ナーラク。
古代文明の遺跡が広がり、常に激しい魔力嵐が吹き荒れるという、人の住めない地。
神の呼吸が止まった場所とも呼ばれる、死の土地だ。
「そこで野垂れ死ぬがいい! 二度と、その可愛げのない顔を見せるな!」
アデル様は勝利を確信したように高笑いした。
マイラ様も、クスクスと笑っている。
私は、瞬きをした。
ナーラク。
あそこは確か、500年前の「大崩壊」以前の魔導図書館が、手付かずで残っているという噂の場所。
そして、人の干渉が一切ない場所。
つまり。
誰にも邪魔されず、朝から晩まで、好きなだけ魔法の研究ができる?
うるさいパーティーに出なくていい?
「笑顔が固い」とマナー講師に怒られることもない?
……天国では?
ドクリ、と。
私の心臓が、期待で高鳴った。
口元が緩みそうになるのを、総動員して抑え込む。
ここで喜んでしまっては、殿下の「罰を与える」という目的(仕様)を満たせない。
最後くらい、貴族としての役割を演じきらねば。
私はスカートの裾を摘み、完璧な角度のカーテシーを披露した。
「――謹んで、お受けいたします」
顔を伏せ、悲嘆に暮れるフリをする。
よし、完璧な演技だ。
「直ちに出立いたしますわ。二度と、殿下の視界に入ることはないでしょう」
「ふん、やっと自分の立場を理解したか。とっとと消え失せろ!」
アデル様は満足げに鼻を鳴らした。
私は顔を上げず、踵を返す。
背中越しに、嘲笑と罵声が聞こえる。
「無能女」「氷の令嬢」「ざまあみろ」
構わない。
私にとって、この国はノイズが多すぎた。
さあ、行こう。
私の新しい職場へ。
誰も解けなかった古代のバグだらけの遺跡が、私を待っている。
(待っていてくださいね、古代の術式たち。私が綺麗に整律して差し上げますから)
私は会場の出口へ向かいながら、頭の中で旅の荷造りリストを作成し始めた。
携帯用の魔導コンロ。
書きかけの論文。
そして何より、一年分のインクと紙。
これからの生活を想像すると、足取りが軽くなるのを止められなかった。
この時の私は、まだ知らなかったのだ。
その「静かな職場」に、一人の先客がいることを。
そして彼が、私の論理を根底から揺るがす、愛すべき「特異点」になることを。




