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「車で通行時に、この道路を徘徊しているゾンビを見つけた。それで合っていますね?」
「はい」
「そしてあなたは車から降りて、ゾンビに向けて発砲した」
「はい」
「失礼ですが、銃を拝借しても?」
「どうぞ」
「一発目の発砲は今からどれくらい前ですか?」
「十五分ほど前だったかと……」
「発砲したのは何発ですか?」
「三発です。胸に二発と、頭に一発……」
「なるほど。ありがとうございました。銃はお返しします」
「どうも」
「それとガンライセンスを拝借してもいいですか?」
「ああ……」
「どうしました?」
「いや、車にあるもので……。すぐ取ってきます」
「同行しますよ」
「いえ、ここで待っていてもらえれば……。すぐに取ってくるので」
「車はすぐそこなんだから。一緒に行きますよ」
「実は……。ダッシュボードの奥から焦って銃を引っ張り出したせいで、車内が散らかってしまい……。あまり人に見せたくなくてですね……」
「なるほど。そうでしたか……。それではここで待っていますね」
「どうも……」
車に戻りドアを開けると、車内の様子を慎重に窺った。
車内が散らかっている? 我ながら下手な嘘だ。
「聞こえているか?」
銃を持つ手に、ぐ、と力を入れる。
「うん……」
後部座席から少女の暗い声が返ってくる。
「気分はどうだ?」
「どうって……?」
「変わりないか?」
「たぶん……」
信じられないことだが、やはりまだ正気をたもっているようだ。
「わたしを警察に売るの?」
「なぜそう思う?」
言いながら、ダッシュボードのボックスを開ける。
「だってこの車から出るなって……」
「ああ、そうだ。ここから逃げる素振りを少しでも見せたら、真っ先に俺が撃つ」
「警察も呼んだし……」
「ゾンビを目撃した場合は報告義務を負う。殺害した場合は説明義務を負う。今の子供は学校で教わるんじゃないのか?」
「目撃って……わたしのこと?」
「どうだろうな」
「どうなるの? わたし……」
「こっちが訊きたいくらいだ」
ダッシュボードからガンライセンスを取り出して、ドアを閉めた。
俺はどうするつもりだろう?
警官のところに戻ると、ガンライセンスを手渡した。
ゾンビを匿えば重い罪に問われる。
それはゾンビになってしまった家族・恋人・友人を死なせることが出来ずに、秘密裏に匿ってしまう人達を取り締まるために生まれた刑罰だ。
今なら引き返せる。
車の中にもゾンビがいる。
そう言えばいいのだから。
それだけでいい。
あの子は間違いなく処分されるだろう。
少なくとも、あの子にとって良い結末にはならない。
哀れではあるが、運が悪かった。
たったそれだけのこと。
世界にありふれている、よくある話だ。
義理も情もない。
そんな少女のために大きなリスクを冒すな。
それは俺の生き方に反するのだから。
「――さん。笹木さん」
顔を上げると、警官が俺の顔をのぞきこんでいた。
「ガンライセンスをお返しします」
カードを渡しながら「助けれたかも。なんて思ったら駄目ですよ?」と警官は言った。
「はい……?」
「一度ゾンビになってしまえば、人の姿に戻してやることはできません。死体を操るウイルスから解放してあげることが、彼らへの唯一の救済なんです。あなたは、あの子をゾンビから救ったんです。それ以上、気にしては駄目です」
ゾンビは棺桶のようなものに入れられて、ふたりの警察官によって搬送車の中へと運ばれていく。
「ああ……。そうですよね……」
そう返すことしか出来なかった。
車に戻り、静かにドアを開けた。
「調子は?」
「変わりないよ……。気分は最悪だけど」
車に乗り込むと、銃を持ちながらハンドルを握った。
「おじさん……。助けてくれるの……?」
「外に顔を出すなよ? もっと丸くなれ」
車を走らせた。
輸送車の横を通ろうとすると、先ほどの警官と目が合った。
彼は片手をあげて、車を停止するように促していた。
「おい! もっと体を隠せ!」
拳銃をドアポケットに隠しながら言った。
少女が足場に自分の体を滑り込ませたことを確認してから車を停め、運転席の窓を開けた。
「失礼。ひとつ訊き忘れていまして」警官は言う。
「なんでしょう?」
「あなたがゾンビに出くわしたとき、周りに他の人間はいませんでした? だれかが襲われていたりだとか」
首筋に冷たい汗が流れた。
「いいえ。見ていませんね」
「笹木さんはどこも噛まれていませんよね?」
「そうですが……。どうしてそんなことを?」
「ゾンビの歯に血が付着していたようなので、誰か被害に遭われてしまっている方がいるのは間違いなさそうです」
「ああ……。そうですか……。それは、大事に至ってなければいいですが……」
「ええ……。本当です」
警官が車内に視線をすべらせる。
「あの、もう……。行ってもいいですか?」
「ええ。もちろん。ご協力感謝します」
会釈をすると「嘘つきましたね?」という言葉が頭上から降って来た。
「え……?」
体が鉄のように硬直した。
ばれた? どこまで?
ここから切り抜けるには?
一瞬にして目まぐるしく思考を巡らすが、たいした言い訳など浮かばなかった。
「車の中が散かっているなんて。とても綺麗じゃないですか」
「あ……。ああ……」
緊張が解けて頭を上げたが、ただでさえ苦手な愛想笑いが、さらにぎこちなくなった。
「先ほど片付けたんですよ」
それでは。とアクセルを踏みつけて、その場を去った。
警官の姿が見えなくなっても、まだ心臓は早鐘を打つように動悸していた。
「助けてくれたんだよね……?」
少女は足場から顔を出すと、おそるおそる椅子に座った。
「おじさん……。ねえ……! なんか言ってよ……!」
この状況をとても自分が選択をしたものだと受け止めきれない。
俺はこんなことをする人間ではないはずだ。
「ねえってば! 恐いって! わたしをどこに連れてくつもり?」
「だまってろ!」
一喝すると、少女は声になっていない悲鳴をこぼした。
バックミラー越しに様子を見やると、少女はこちらを睨んでいた。
俺は片手で運転を続けながら、ドアポケットに忍ばせた拳銃を再び握った。
「しりとりをするぞ」
「はあ?」
「しりとりだ。わかるな?」
「なんで……」
「リス」
少女はなにも言わない。
ただ、きつい目で睨んでいた。
「す、だ。早く言え」
「だまれって言われた」
「早く!」
「わかんないよ。意味が……」
「いいから言え!」
観念したのか。
窓の外に目をやってから、ぽつりとつぶやいた。
「……スイカ」
「カモメ」
「……メダカ」
「カラス」
「……スキー」
「北。3秒以内に返すんだ」
少女は不満そうに溜息をこぼす。
「タヌキ」
「キツネ」
「ネコ」
「――」
…………。
しりとりを続けたまま20分ほど車を走らせると、ようやく家に到着した。
ガレージの前に車を停めると、車から降りて後部座席のドアを開けた。
「降りろ」と命じながら銃を向ける。
「ちょっと嘘でしょ!」
少女は座席の奥へと後ずさった。
「それをわたしに向けないでよ! なにもしないから!」
「しかたないだろ。いつゾンビになるか分からないんだ」
銃を構えるだけで心臓がドクドクと脈打つが、つとめて冷静な口調になるよう意識した。
「でも大丈夫じゃん! 私はなんともないって見てもわかんない!?」
「目を真っ赤にしておいてか?」
少女はとっさに右目を手で隠しながら、顎を引いて睨んだ。
「目が赤く染まればゾンビ化が発症したことになる。世間では死んだ人間とみなされるんだ。学校で習っただろ? どんな扱いされても文句は言うな」
「それって片目だけでも?」
「さあな」
「じゃあ……! だったら! わたしは半分ゾンビじゃないし、半分生きてる……! 銃を下ろして!」
飛躍した理論で屁理屈をこねる。
この状況では無理もないのかもしれないが、あきれてしまうくらい子供だ。
「撃つぞ」
「撃てんの?」
先ほどまでと打って変わって、少女は強気だ。
ゾンビや銃におびえていたこれまでとは明らかに違う。
赤くなっていない左目は人の目だ。
不運に、理不尽に、運命に、僅かながらでも抗おうとしている一人の少女の目だ。
こっちがこの少女の元々の気性なのだろう。
息を整えながら、銃の照準を少女の胸に向けた。
あとは簡単だ。
指に力を入れるだけの簡単な動作。
なのに、その指が、こんなにも重い。
「待って! わかったよ! わかった! 降りるから! 待って!」
虚勢の張り合いに、先に根負けしたのは少女だった。
少女は両手を上げて抵抗の意思がないことを示すと、開いたドアから外に降りた。
「中に入れ」
俺が顎でガレージを指すと、少女は納得のいかない顔をしながらも、命じられるままに中に入った。
「そこのパイプ椅子を広げて座れ」
「なにするつもり?」
「いいから黙って従え」
「はいはい……」
少女はため息をはきながら、ガレージの壁に立て掛けていたパイプ椅子を手に取った。
その間に、俺はガレージの隅にあるプラスチックの箱を開け、中に詰められた防災グッズの中から二本の縄を取り出した。
「うそうそ……。ありえない……!」
少女はパイプ椅子を抱えながら、俺の持つ縄をぎょっとして見つめた。
「まさかだけど、その縄でわたしを椅子に縛り付けるつもり?」
「そのまさかだ」
「冗談でしょ!? そんなに私が恐いの!? だいの男が、ただの女の子に怯えてんの!?」
「ゾンビ化が発症したやつは、ただの女の子と言わない。ただのゾンビだ」
「だからあんたは、いつになったら現実みれんの!? ただのゾンビが、これだけまともに会話できたら奇跡だよ!」
「だから恐ろしいんだ。現実を見るのはおまえの方だろ」
「あきれた……」少女は言いながら、パイプ椅子を広げて、乱暴に座った。「大人って、どうしてこんなにゆうずうが利かないかな」
きつい目付きでキッと俺を睨み上げる。
「好きにすれば? その代わり、あんたがいなくなったら大声で助けをよぶから。こまったわねえ。わたしがゾンビだろうと人間だろうと、あんたの人生おわりだから!」
「ああ。かまわない。近くに他の民家はない。いくら叫んでも無駄なことだ」
「なにそれ……」
言葉に詰まる少女の背後に立ち、体にロープを巻き付けていく。
「すてきな場所なのね。女の子を監禁するのにうってつけってわけだ……!」
「そうだな。だから逃げようと思うなよ?」
「さっさとその銃捨てたら? どうせ撃てないんでしょ?」
「そう思うなら、抵抗すればいい」
「これってさ、実はただのおっさんの趣味でしょ? 変態だね」
「そんな趣味はない」
「なにそれ。つまんない返し。よく言われるでしょ?」
「ああ。よく言われる」
ついに嫌みの種が尽きたのか。
少女は話さなくなってしまった。
さらにロープを巻き付けていく。
何重にも。
「トンビ」
「は? なに?」
「しりとりだ」
「また? もういいでしょ。いつまでやんの?」
「び、だ」
「……ビーズ」
「随筆」
「……ツチノコ」
「香水」
「――」
…………。
少女の体をパイプ椅子に括り付けたあと、念のために、もう一本のロープで足首をきつく巻きつけた。
これで、この少女がゾンビになり凶暴化することがあっても、このガレージから抜け出すことはない。
シャッターを閉じるボタンを押して、ガレージの外に出た。
「あのさ、おじさん」
ガレージの中で、椅子に縛り付けられた少女は言う。
「なんだ?」
銃を握りしめながら応じた。
この間も、シャッターは徐々に降りていく。
「さすがにわたしが可哀想だと思わないの?」
「哀れだと思うよ」
「なにそれ。うっざ……」
シャッターは完全に閉じられた。
自分の行動が矛盾していることは分かっていた。
少女をあの場所から助けておいて、殺した方がよいだなんて、まだ思っている。
明日の朝、ここに戻ったときにはゾンビと成り果てたものがいて、俺はそれを撃てばいい。
なにも複雑な事件は起きていないのだから、ゾンビがここにいる経緯など警察は調べようとしないだろう。
それで全て解決する。
これ以上の矛盾を俺の中に抱えなくてすむ。
そうなることを、願った。
冬の朝は暗い。
ベッドから起き上がると、カーテンを開け、ろくに眠れなかった脳に、ついさっき産声をあげたばかりの幼い朝日を注いだ。
雪は夜のうちに止んでいた。
右手を見つめると、もうそれが体の一部であるかのように銃が握られている。
人は銃を握ったまま気持ちよく眠ることはできないらしい。
一階に降り、洗面所で顔を洗ってから、玄関の戸を開けた。
夜の気配が抜けきっていない空の下を歩くと、自分の足音がやけに大きく聞こえた。
ガレージの前に立った。
中からは物音ひとつしていない。
まるで昨夜のことが全て夢だったのではないかと思えるほどに、静かな冬の風景に違和感なく溶け込んでいた。
スマホを操作して、電動のシャッターを動かす。
シャッターの下から少女の靴が覗いた。
誰に祈ればいいのかも分からずに祈った。
お願いだ。
ここで終わらせてくれ。
シャッターが上がり切り、ガレージの中にいたのは少女だった。
ゾンビではなく、少女だった。
鋭い目つきを持っているが、整った顔立ちの少女。
椅子に括り付けられているその姿は、まるで捨てられた人形のように儚い。
「ねえ、おじさん」
哀れな少女は言う。
「トイレ行きたいんだけど」




