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『国民に銃とワクチンを。ゾンビに弾丸と救済を。世界に冥福と安寧を。』


 ゾンビウイルスが猛威を振るい、世界中でパンデミックを引き起こしていたときに、時の首相が掲げた言葉だ。


 あれから十年が経つ。

 世界は数え切れないほどの冥福を祈った。

 そして人類は不安定な安寧を取り戻した。


 誰もがまだ、ゾンビに怯えている。


 それはワクチンが完璧ではないからだ。

 ワクチンが全ての国民にいき届いた今も、毎年百万人に一人の確率で、ゾンビウイルスに発症する者が現れる。


 誰もがまだ、ゾンビに怯えている。


 その証拠として、ベッドの横に、車のダッシュボードに、みな銃を携えている。

 国民は銃を捨てられずにいる。


 誰もがまだ、ゾンビに怯えている。


 これが現実だ。

 我々が受け入れなければいけない、これからの世界だ。

 


 とどのつまり、人生とは運で決まる。


 努力をすることや、戦略を練ることが無駄などと言うつもりはない。

 むしろした方が良い。

 それは目的達成のための王道手段であり、成功確率を高めるからだ。

 しかし思うのは、運の要素は拭いきれないということだ。

 成功確率を100%にするものなど存在しない。

 どんなに正しい努力を積み重ねても、どんなに正しい戦略を緻密に練っても、失敗するときは失敗するのだ。

 理不尽な不運は確実に存在するのだ。


 これがおよそ四十と二年という年月の先に流れ着いた、俺の価値観。


「笹木課長」


 部下の新島に声をかけられて、顔を上げた。


「午前の企画会議で話した『SHIBoRi』のパッケージの件ですが、方針を簡単にまとめたので、確認をお願いします」


「わかった」


 依頼したとおり、新島はタスク進行についての素案をまとめてくれた。

 部下との仕事において、最も重要なのは与えたタスクについて解釈不一致を無くすことだ。

 この素案は、それに役立つ。


 わからなかったら訊け。

 そんなことをやれとは言っていない。

 こんな言葉が出てくるのは管理する側の怠慢でもあるというのが、俺の持論だ。

 部下が抱える不明点を潰し、解釈の不一致があれば修正する。

 それが最大限にできる手段・手法を確立すること。


 それでもミスは起こり得る。

 全ては可能性だからだ。

 しかし可能性のコントールならば、ある程度の範囲で可能だと信じている。


「試作品レビューの会議には販売促進部の担当も入れた方がいい。狙い通りSNSでの宣伝に効果的になるのかも検討したい」


「なるほど。承知です」


「ほかは問題ない。この流れでたのむ」


 新島は機敏に頷くと、踵を返して自席へともどった。


 大手食品会社の企画部で働いている。

 会社の主力製品は飲料水のため、必然的に飲料水関連の企画が多くなる。

 現在、課で抱えている五つのプロジェクトも例に漏れず全て飲料水製品に関連するものだ。


 大きなリスクの伴う仕事はできる限り引き受けないこと。

 これが俺の仕事の基本戦略だ。

 たとえば、既にヒットしている製品のリニューアルがそれにあたる。

 成功すれば確かな実績となるだろう。

 しかし失敗は許されない。


 現に、そういったプロジェクトで失敗し、昇進から遠のいた人間を何人か知っている。

 彼らは賭けに負けたのだ。


 俺は万が一に失敗しても、キャリアに大きく傷が付かないことをリスク許容度の基準にして仕事を引き受け、その代わりに低リスクの仕事を数多くこなせるように立ち回っている。

 始まりこそ小さなプロジェクトが、期待以上の成果を生み出すということが稀にあり得るからだ。


 すこし曲解かもしれないが、人事を尽くして天命を待つ。

 という言葉に俺の戦略は帰結する。

 天命を認めたうえで、人事を尽くすのだ。

 逆を返せば、人事を尽くしたところで失敗は起こりえるのだ。


 命も同じだ。

 どれだけ正しい選択を続けようとも、死ぬときは死ぬのだ。

 ただ、ほんの一瞬の、つまらない理不尽で。


 仕事を終え、ビルの外に出ると、パラパラと雪が降っていた。

 はいた息は白かった。

 マフラーに顔をうずめ、コートのポケットに手を突っ込んだ。

 駐車場に停めていたクラウンに乗り込むと、郊外に向けて車を走らせる。


 十年前までは、会社の規則で東京支店への車通勤は禁止されていた。

 それが変わったのはゾンビウイルスが世界を襲ったあのときからだ。

 あのころの電車は大量感染の温床の場となっており、鉄道がまともに機能する日の方が少なかった。

 そのため会社は車通勤を推奨せざるをえない状況になっていたのだ。

 ウイルスの脅威が激減した昨今、電車でパンデミックがおきたという話を聞いたことはないが、変わらずに車通勤は許されている。


 同様に、あのころから日本の常識が、制度が変わった例はいくつもある。


 わすれていたが、今日はクリスマスらしい。


 街中を彩るイルミネーションが舞い落ちる雪をきらりと輝かせる。

 あなたを独り占めにしたい。

 英語でそう歌うクリスマスソングに浸りながら、恋人達がよりそい、街を歩いている。


 彼らは信じて疑わないのだろう。

 となりを歩く恋人と、明日も肩を触れ合えるということを。

 つないだ手の温もりが、明日も温かいままだということを。


 クリスマスに東京で雪が降るのは、42年ぶりのことだそうだ。

 車内に流していたラジオで、キャスターが浮かれた声で言う。


 42年前といえば、ちょうど自分が産まれた年だった。

 そう思うと、この雪には何か特別な節目のようなものを感じてしまうが、それは愚かな思い違いだ。


 理由のない小さな偶然にも、人は理由を見つけたがる生き物だ。

 その都合のよい解釈としていきつく先が運命なのだろう。

 運命とは、そんなに安い言葉ではないはずだ。

 どんなに備えても、抗っても、それでも予測ができず、不意に訪れる数奇、それだけが運命なのだから。


 東京といえども、郊外に出れば長閑なものだ。

 車どおりは少なく、緑ゆたかだ。

 心に溶けこんでいくこの静けさをとても気に入っている。

 なによりも俺以上に妻が気に入っていた。


 だからこそ、通勤に一時間半以上かかるとしても、東京の奥地に新居を構えたことは正解だったといえるだろう。

 娘が大きくなったころに不満を言うかもしれない懸念もあったが、その問題も消え失せた。


 あの日、俺は何もかもを失ったのだから。


 ―ゾンビだ。


 花恋が言った。

 その瞬間に、会場はパニックに陥った。


 ゾンビが現れた扉とは逆の扉に向かって我先にと皆が駆け出した。

 自衛隊がその場を動くなと命令しても、誰も聞く耳なども持たなかった。

 いっせいに出口に向かって殺到していく。

 残念ながら、俺が予想したとおりになった。


「ねえ……!」妻の美央が娘を胸に抱き寄せ、俺を見上げた「どうすればいいの?」


「落ち着け」


 それだけ返した。

 まだ、この場から逃げる判断は早計だと思った。


 そのとき、耳をつんざくような音が轟いた。

 自衛隊員がゾンビに発砲したのだ。

 壊れた扉の前に、倒れたゾンビがいた。


 ゾンビはまだ息があるようで、手足をばたばたとさせて立ち上がろうとしていた。

 その動きは人の体の扱い方なんて知らない別の生き物が憑依したような、不格好さと気色悪さがあった。

 どうやら右肩を撃たれたようで、腕に力が入らず体を起こすのに苦労しているようだった。

 結局、立ち上がることを諦めたのか、ゾンビは百足のように地面を這って、自衛隊員のひとりに向かって襲いかかった。


 その姿は直視するのも嫌悪したくなるほどに不気味だったが、自衛隊員の対処は落ち着いていた。

 ゾンビは多方面から更に三発の銃弾を撃ち込まれ、自衛隊員のもとへたどりつく前に、ついに動かなくなった。


「助かったの?」


 娘の花恋が震え声で言う。


「おそらく」


 と思ったのも束の間だった。


 まるで、その安堵の隙を狙い澄ましたかのように、壊れた扉の向こうから二体目のゾンビが現れて、自衛隊員のひとりに飛びかかった。

 それは一瞬のことで、周りがその存在に気づいたときには、もう手遅れだった。


 自衛隊員は咬傷に強い防護服を着ているはずだが、可動域を確保しなければならない首周りは弱点だったのだろう。

 ゾンビの牙は防護服を貫通していた。


 噛まれた自衛隊員の様子はすぐさまにおかしくなっていく。

 周りの自衛隊員はゾンビとゾンビになっていく彼をまとめて撃つべきなのだが、逡巡しているように見えた。


 これまで何度も握手を重ねた仲間でも、何度も肩を組み笑い合った友でさえ、殺さないといけない。

 その覚悟が真実であるかを突きつけられる。

 それがゾンビの恐ろしいところだ。


 そこで俺は決断した。


「いこう」


 美央の目を見て言った。


 非常口扉は開いていた。

 さっきまで扉の前を陣取っていた初老の医師の男の姿が消えていたから、彼が真っ先にそこから逃げ出したのだろう。


 非常口から外を覗くと、非常口は外階段に繋がっていて、そのまま地上に降りられるようだった。

 見下ろすと、ちょうど初老の医師が階段を下ったところのようで、アスファルトの平地をあくせくと走っていた。

 このルートは安全だと確認できた。


 妻と娘を先導して非常口から外階段を下っていく。

 離れた会場の方から耳をつんざく悲鳴があがっていた。

 大丈夫。

 落ち着け。

 と花恋と美央を励ました。

 もしかしたら、自分を励ましたのかもしれない。

 焦りと動揺だけが禁物だった。

 こういうときこそ、圧倒的な平常心が必要なのだ。


 鴉の鳴き声が空から聞こえてきた。

 嫌な予感が俺の思考を埋め尽くして、平常心などあっという間にかき乱された。


 ゾンビウイルスの発生源は南アメリカの鴉からだということが分かっている。

 暴力的になった鴉が人を襲い、ウイルスを人に感染させるのだそうだ。

 つまりウイルスは人から人への感染だけでなく、鴉からも感染する。

 その反対に、ゾンビの死体を鴉が貪ることで、人から鴉に感染することもある。

 そうやって鴉から人へ、人から鴉へ感染していくことで、ウイルスは世界に拡散された。


 そのため、特に都市部では衛生管理を徹底することで鴉の発生を防ぐ対策が取られた。

 その対策の甲斐あって、都市部で鴉が見られることは滅多に無くなっていた。


 なのに、どうして今に限って。


 ウイルスに感染した鴉の見分けは簡単だった。

 体を覆う黒い毛は全て白く変色する。


 頭上を見上げると一匹の白い鴉がこちらに向かって飛んできていた。


「俺のうしろに」


 娘を抱いた美央を後ろにいかせ、俺は腰のホルスターから銃を抜いた。

 飛んでくる鴉に向けて銃口を構える。

 外すわけにはいかなかった。


 銃弾を二発発射させた。

 一発が鴉の羽をかすめただろうか。

 鴉は軌道をそらし、階段の手すりに衝突した。

 そのまま落下して階段の広場に転がる。

 それでも鴉はふらふらとまた立ち上がった。

 嘴の先が折れて直角に曲がっていたが、気にも留めていないようだった。

 羽をばたつかせて、ゆらゆらと不安定に飛んで向かってきた。

 銃を一発放ったが、今度は外してしまった。

 鴉は俺の真横を、そして美央と花恋のすぐ真横を通り過ぎると、また手すりに体をぶつけて、そのまま体勢を崩して地面に落下していった。

 手摺から真下を覗くと、アスファルトの上で横たわり動かなくなった鴉がいた。

 おそらく、今の突進が最後の力を振り絞ったものだったのだろう。


「大丈夫か?」


 すぐに美央と花恋の無事を確かめる。

 すると美央が真っ青な顔で俺を見つめていた。

 これまでの人生で味わったことがないほど、背筋がゾッと凍った。


「おまえ……。まさか……!」


「ちがう! 私じゃない! 花恋が……!」


「は?」


 見ると、花恋の頬に小さな切り傷があった。

 傷から血が滲んでいた。

 それはたった今ついた傷だと分かった。

 あの鴉の爪にやられたのならば、娘はもう―。


 ぷつっ、とピンと張っていた思考の糸が切れた。

 思考停止したことにすら気づけないような、本当の意味で無心の状態に陥った。


「やめてください! この子は撃たないで!」


 美央の声で正気に戻った。


 いつのまにか、ふたりの青年が隣にいた。

 俺たちの後ろを着いてきていたのだろう。

 青年のうち、ひとりは銃を構えていた。


「え」


 銃口の先には美央がいた。

 美央は娘の花恋を胸に抱いて守っている。

 でも、花恋はすでにゾンビになっていた。

 皮膚がはだけ、目は赤くなっていた。

 美央の胸の中で暴れている。


 やめてくれ。


 そう言葉にしたつもりだが、本当に声に鳴っていたか定かではなかった。


「大丈夫だよ。大丈夫だから!」


 美央はゾンビになった花恋に笑いかけた。


「ね。落ち着こ? 花恋」


 そのかけがえのない笑顔も、花恋の瞳には映っていない。

 美央の白い腕に噛みついている。

 美央の瞳も赤く染まっていく。


 銃を持つ青年が発砲した。

 その弾丸は美央の胸を貫いた。

 俺はとっさに青年に飛びかかったが、もうひとりの青年に止められた。


「やめてくれ! 頼む! お願いだ!」


 体を床に押さえつけられた状態で、みっともなく懇願した。

 自分の言葉が誤りであることは分かっていた。

 それでも、正しくなくても、間違っていても、二人に死んでほしくなかった。

 生きて欲しいという想いを捨てられなかった。


「黙っててください!」


 銃を持つ青年が叫ぶ。

 彼は泣いていた。


「だってこれしか……。方法が無いじゃないですか……!」


 三発の銃弾が撃たれた。


 その後のことは覚えていない。

 気づいた時には自宅のソファで項垂れている自分がいた。


 あの日、妻と娘は亡くなった。

 十年前。

 ゾンビになってしまったふたりは俺の目前で銃弾に撃ち抜かれた。

 ゾンビになった死体はすぐに火葬されるため、ふたりの顔を見たのはそれが最後だった。

 俺は最も愛する二人を、だれよりも守らなければいけなかったふたりを守れなかった。


 多摩川の支流の中で最大といわれる秋川の下流沿いに車を走らせる。


 前方には細長い橋が見えた。

 その橋の上を走るふたりの人影があった。


 すぐに様子がおかしいことに気づいた。

 仲良く走っているようには見えない。

 どう見ても、追う側と追われる側だ。

 車のフロントガラスを貫通する少女の悲鳴が聞こえてきて、それが答え合わせになる。

 車のライトが彼らを照らし出すと、俺は思わず息を呑んだ。


 ゾンビだ。


 ゾンビが少女を襲っている。

 赤い瞳。

 青白い皮膚。

 肌のいたるところで表皮が剥がれ落ち、剥き出しになった真っ赤な真皮。

 これを見たら思う。

 もうそれを、人間と呼んではいけない。


 ダッシュボードのボックスを開け、去年の銃砲検査以来ふれることもなかった拳銃を握る。

 車を停めると、ドアを開けて車外にでた。


 自分の呼吸の音と胸の鼓動が地鳴りのように鼓膜にひびいた。

 落ちつこうと息を長くはき出すほど、視界が白く染まっていく。

 手も足も震えていた。


 ゾンビは少女に追いつくと、彼女の学生服をつかみ、道路に転ばせた。


 俺は銃を固く握りながら、じりじりとゾンビに歩みよった。

 銃の安全装置を外し、照準をゾンビの胸元に合わせた。


 ゾンビは少女の体にまたがり、上から押さえつけた。

 だらしなく舌を出して、涎が口元から顎をつたっている。

 少女に嚙みつこうと、口を大きく開けたのを見て、俺はとっさに引き金をひいた。

 弾丸はゾンビの胸を貫いて、その衝撃によってゾンビは地面に転がった。

 横たわるゾンビは虫のように手足をくねくねと動かしていたから、さらに二発銃を撃った。


 ゾンビはしばらく呻いたあとに、ついに動かなくなった。


 銃を下ろし、額の汗をぬぐった。

 よろよろと三歩うしろに下がってから、呆然として、自分が殺したゾンビの死体を注視した。

 そのゾンビは学生服を着ていた。

 もとはふつうの女の子だったのだろう。


 十年ぶりだった。

 ゾンビを目撃したのは。

 初めてだった。

 ゾンビを撃ち殺したのは。

 まだ手は震えていた。


「あの……」


 震えた少女の声が背中をつついた


「おじさん……。ありがと……」


 その声はとてもか細い。

 声を出すことすら精一杯なほどにおびえているのだろう。


「いいんだ……」


 ふりかえり、地面にすわる少女に目をやった。

 そのときに、たまらず「ああ……」と言葉にならない嘆きが口からこぼれた。


 車のライトに照らされた少女の右目だけが――赤く、鈍く光っていた。


 反射的に体が動いた。

 銃口を少女に向けた。

 勝手に弾の残数を数え始める自分の脳みそが嫌になる。


「なに……してるの……?」


 少女は困惑していた。

 無理もないことだ。

 年端もいかない少女にはとても受け止めきれないことだろう。


「噛まれたのか……?」


 俺が尋ねると、少女はとっさに左の手首を後ろにかくした。

 おそらく、そこを噛まれたのだろう。


「噛まれて……ない」


「嘘をつくな!」


「嘘じゃないよ!」


「つぎに嘘をついたら撃つ。いいな」


 少女はヒッと怯えたように息を吸ったあと、小さく頷いた。

 肩を上下させ、赤い瞳に涙をためる。


「噛まれたんだな?」


「噛まれた……。けどさ、あたりまえだけど、わたしワクチンも打ってるし……。今も全然おかしくなってないよ? 大丈夫だよ……!」


 それは自分に言い聞かせているようにも思えた。


「だってさほら……! ぜんぜん肌とか普通だし、なにも剝がれてないよ……? 目だってさ、ほらちゃんと見てよ……! 赤くなってないでしょ……?」


 少女は早口で言う。


 俺はなにも答えなかった。

 答えられなかった。

 哀れな少女に銃口を向けたまま、立ち尽くした。


「うそ…………。なってるの……?」


 俺が頷くと、少女は震える手でスマホを取り出した。

 その画面をいじってから自分の顔に向けた。

 しばらく硬直したかと思うと、スマホが彼女の手からするりとこぼれ落ちた。


「そんな……。どうして……」


 少女は頭を抱えると、小さく丸くなった。


「おかしいじゃん……。ありえないよ……」


 そう考えるのも当然だった。

 年間百万人に一人、そんな確率でゾンビになった者に襲われて、さらには自分もその確率を引いてしまった。

 そんなふざけたこと、受け入れろという方が無理な話だ。


 しかし、不運は確実に存在していて、突然として、容赦なく、意味もなく、だれかに降り注ぐ。

 その事実が自明として目の前にあるだけだ。


 少女は数分も待たずにゾンビに成り果てるだろう。

 そうなれば、俺はためらいもなく引き金をひくだろう。

 これは抗いようのない少女の運命だと、結論づけているから。


 少女は、はっとして顔をあげた。

 目つきは鋭くきつさはあるが、整った顔立ちをしていた。


 赤い右目が、銃口をのぞきこんでいる。


「撃つの……?」


「そこから動くな」


 少女は力なく首をふった。


「やめて……」


「しゃべるな……!」


 ゾンビウイルスの潜伏期間は極端にみじかい。

 たいていの場合は、感染してから一分から二分程度でゾンビとなる。

 個人差はあっても、ゾンビ化までに五分以上かかった前例は過去にないそうだ。

 この少女もそろそろだろう。

 俺は腕時計と少女を交互に注視し続けた。


 一分が恐ろしく長く感じた。


 ようやく一分が経った。

 そして二分が。

 少女はまだゾンビになっていない。


 三分が経過した。

 まだ、少女におかしい様子は見られない。

 ただただ銃に震えているだけだった。


 四分が経過した。

 少女にまだ変化は見られない。

 発症してからの経過時間で考えれば、もしかしたら、とっくに五分以上経っているかもしれない。

 そんな考えが頭をよぎった。

 そんなはずはない。

 目は赤くなっているのだから。

 ウイルスの進行が途中で止まったなんて話を聞いたことがなかった。


 そしてついに腕時計の時間でも五分を経過してしまった。

 ゾンビ化までに五分以上かかった前例はない。


 どうすればいいか分からなくなった。

 目の前の少女をゾンビとして扱えばいいのか、人間として扱えばいいのか。


 彼女は危険な存在だ。

 いつゾンビ化の進行が進み、人を襲い出すか分かったものではない。

 だから、やはり撃つべきなのだろう。

 右目は真っ赤に染まっている。

 であればゾンビ化が発症したという条件を満たす。

 国の法からして、彼女はすでに死んだ存在になる。

 撃っても殺人にはならない。


 少女は危険だ。

 撃つべきだ。

 それが正しい選択だ。


 まだ幼さが残る少女の顔を見つめた。

 思春期の青さを塗りたくったような瑞々しい肌には、果てしない未来を背負うあどけなさを感じる。


 震える手に力を込めた。

 指先に冷たい金属の感触が触れる。


 少女は危険だ。


 もし……。


 撃つべきだ。


 もしも娘が生きていたなら……。


 殺さなければ。

 それが正しい選択なのだから。


 この少女と同じくらいの年齢だろうか……。


「おねがい……」


 涙を流しながら、少女は訴える。


「死にたくない……!」

 


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