脳にとって一番のストレスは暗記なんだよね
ちょっと前のエッセイに小説道場とゆう本があるとご紹介しましたが
それに、興味深いと言うか
私がついつい、やらかしてしまうことが載っていたんですよ。
それは、
「小説にとって、その表現あっても無くてもいいよねとユー文章」を
沢山書いてしまうってこと。
その小説に載ってる例はこうだった
「人の努力をあざ笑うかのようにそびえ立つ岸壁」
こんな風に書いてはいかんと。
物語だから、
その物語に関係するように描写しないといけないんだけど
私みたいな下手がやると
どうしても
「テレビのアナウンサーが喋るような定型文」になってしまう。
つまり市の広報に載ってる様な文章と言ったら分かりますかね?
娘に添削される前の小説がまさにそれだったんですよね
娘から
(=^・・^=)ここまで酷いとは思わなかった。こんなの小説ちゃうやん
「物語がどう思うか書かなきゃいけないのに
世間一般の感想書いてどうするの」と
物語、を
一つの人格として見なして考えてみる。
そしたら、「それを表現する文章を書かないといけない」よねと。
それを分かってないから事実の羅列にしか見えない。
確かに。
で、事実の羅列はなにより読者の脳にストレスを与えてしまうと。
事実の羅列にすぎないですから
暗記になっちゃうんですよね。
楽しむために開いた小説が
苦痛になるわけですよ。
私が話をつなぐために書いた、「定型文まみれ」が、
暗記しなきゃいけないと読んだ人の脳が判断し、
ウンザリさせてしまってたわけです
ただ、それは分かって来たんですが、難しいですよな。
ちなみにまだ分かって無い時に
(=^・・^=)「小説の文章じゃない」と言われ
(;・∀・)「えー、形容詞増やしたらいいってこと?」と言うたら
(=^・・^=)「だからそうじゃない」と
例えば、こないだのエッセイでも申しましたが
眺める夕日ひとつとっても
物語的にどう描写するのかで、全体の印象変わってくるよねと。
キャラクタが食事するシーンひとつとっても、
例えば、逃亡者とゆー映画がありましたけど
逃げてる人が飯を食うって、どういう意味があるのか。
追われてる人にとって食事とは、と考えながら書いたら
ただの飯のシーンが名場面に変わることもあるよねとね。
それは見てる側、読者様にとっても
気になるところではあるんじゃないかなとね
とまあ口で言うのは簡単ですけど( ̄∇ ̄;)
なかなか、ムズイですよね
ただ、必死で、何とか情報をと考えているよりは
楽しいかも知れないな、なんて思うた次第です。
膨大な情報を
暗記として見せるのではなく
そう言ったものの見方で表現してみたら
設定とかいろいろ考えるにおいて少し、なんか楽しくなるんじゃないかなって思います。
難しいけど、いろいろと試してみようと思っています。
AI動画で、面白いのを見つけまして、
異世界の市場を表現してるのがあったんですよね
すごい不気味で、不思議で、
こうゆう世界を文字化出来たらいいだろうなぁと思うて見てるんですけど
こんな世界、つまりファンタジが難しいのは
こうした舞台背景も、書き方間違うと暗記対象になってしまうってことですね。
そうゆうのも作品にあるんですけど、
なんと言うか、何度も何度もこうゆう景色が広がってますと書かないと、脳内イメージが消えてしまうような気が……
つまりもうその時点で書き方間違ってんだろうなとは思います。
暗記させてしまってる
どうしたもんかなあと今思案中です
「物語を一つの人格とみなして
その物語を表現する文章を書く」
を念頭において
もう一度チャレンジしてみようと思ってます




