もう一度逢いたくて
あの日、急に車が見えて「あっ」そう思った瞬間、私の体は宙に舞い上がった。
体は地面に落ち、私はするりと、体から抜けた。
家から、私の飼い主の、莉奈ちゃんが飛び出して来て、「ララちゃん、ララちゃん」と呼び続けていた。
私の体はピクリとも動かなかった。
ママも来た。
莉奈ちゃんは「ママー、ララちゃんがー」と泣き出した。
私は猫の「ララ」莉奈ちゃんのペット猫。
莉奈ちゃんも、莉奈ちゃんのパパとママも可愛がってくれて、私は幸せだった。
でも、こんなに突然にお別れが来るとは思わなかった。
すぐに動物病院へ連れて行ってくれたが、もう死んでいることは、私自身わかっていた。
「莉奈ちゃん、ありがとう。楽しかったよ。パパ、ママ、ありがとうございました」
そう言って天国へ昇って行った。
空から、今まで一緒に過ごした莉奈ちゃんの家が見えた。
莉奈ちゃんとかけっこした庭も見えた。
幸せな時間をくれた、莉奈ちゃんとパパとママに感謝しながら昇って行った。
天国に着くと、天国へ行った者たちの相談役のおばあさんの所へと行った。
「お帰り、ララの一生は立派でしたよ。お疲れ様」と、労ってくれた。
「おばあさん、莉奈ちゃんは大丈夫でしょうか?」と、聞くと、おばあさんは「ララ、これからは心配するのではなく、莉奈の幸せを祈ってください」と微笑んで言った。
私は、しばらくおばあさんの傍にいることにした。
おばあさんの部屋は優しい光が差し込む、気持ちのいい部屋だった。
一生を終えた者たちは、おばあさんの所に相談に来る者もいる。
来世のことや、残してきた大切な人への想いを相談に来る。
おばあさんの傍で、穏やかに過ごしていたある日、私は胸が苦しいほどに切なくなり、少しずつ自分の前世を思い出した。
私の前世は人間だった。
そして、何年も想い続けた人がいた。
でも、その人は他の人と結婚してしまった。
黙って見てるだけじゃなくて、どうして告白をしなかったのか、後悔ばかりの人生だった。
私が入社して、配属された部署には、二年先輩の「小島悟」という人がいた。
真面目で責任感が強く、初めは厳しい人に見えた。
でも、いつも、何を聞いても丁寧に教えてくれて、たまに見せる笑顔が素敵だった。
いつの頃からか、小島さんのことが気になり出していた。
私自身、人見知りをする方で、積極的に話す方ではないが、時々「松田さん、どう?仕事慣れた?」と、声をかけてくれて、それだけで幸せだった。
時間の流れは早くて、私が入社してから、一年が過ぎ五年目の春が来た。
小島さんは変わらずだが、私の小島さんへの想いは募るばかりだった。
でも、会社に来て会えるだけで良かった。
それ以上を望んだりはしなかった。
確かに、小島さんとお付き合いできたら、
と空想をしたことはある。
でも、絶対自分から言ったりできなかった。
人は、私のことを「物静かな人」と言ってくれていたようだが、自分に自身がなくて勇気がないだけだった。
五年目の春の入社式。
多くの社員が、新入社員として入社してきた。その中の、一人の女子社員が、入社して一か月を過ぎた頃、小島さんに自分から告白した。
明るくて、いつもニコニコ笑っていて、積極的な女性だった。
話はすぐに、社内中に広がった。
小島さんは最初は笑っていたらしいが、自然と彼女を見るようになったようで、二人の結婚が決まるのは驚くほど早かった。
私はショックだった。言葉もなかった。
昼休み、小島さんの同僚のから「小島、松田さんのこと気にしていたんだけどなぁ、松田さんは、小島のことどう思っていたの?」と、聞いてきた。
「私ですか…私なんかとんでもないです」私はそう言うしかなかった。
「ごめん、『今頃言われても』って話だよね」
私は静かに微笑むだけだった。
そして、一生分の後悔をした。
本当にそうだったの?小島さんが少しでも私のことを気にかけていてくれていたなんて…本当に…?
その後の私の人生はあっけなかった。
会社を退職し、アパートを引き払って実家に戻った。
何を無くしたのかさえもわからない喪失感。
私はその後の人生を結婚することもなく、実家で終えた。
おばあさんは私に「前世が人間だったときのことを思い出したんだね」と言った。
私はしばらく考えて、「はい、おばあさん、あの人は今どこにいますか?」
おばあさんは、テーブルの上の窓のような鏡をのぞいて「前世の小島悟は、今世も人間ですよ」と教えてくれた。
「結婚してますか?」おばあさんの言葉に被せるように聞いた。
「いいえ、独身ですよ。ただし、今からお前が生まれ変わっても、彼はすでに三十歳ですよ」
どうする?
おばあさんは、そんな顔で言った。
「おばあさん、私、転生したいです。彼に釣り合う歳の女性に。そして、今度は明るくて、積極的な女性になりたいです」
私が言い終わるとおばあさんは「ララ、お前が人間だったのは前世一度だけです。後は猫でした」
「そして、どの時代でも、本当に大切にして可愛がってもらえる猫でした」
おばあさんにそう言われても、私が猫だった記憶は「ララ」だけだった。
今は「松田沙織」の頃の記憶が鮮明に戻り、あのときの後悔が私を苦しくさせた。
もう一度、あの人の傍に行きたい。
「おばあさん、私もう一度だけでいいから、あの人の傍で人生を送りたい」
「前世で彼が結婚したような、明るくて、積極的な女性で、彼の傍に行きたいです」
おばあさんは静かに頷くと「明るい、花のような可愛い女性におなりなさい」と微笑んだ。
転生した私は「松田明花」だった。
私がいたのは、彼が勤める会社の入社式の会場だった。
配属された部署に彼はいた。
彼の名前は「長野慎也」だった。
私は、前世と同じ後悔をしないように、初めから積極的に声をかけた。
彼、長野さんは、前世の小島さんと似ているところが多かった。
真面目で責任感が強く、厳しくも見えるが、丁寧で、時々見せる笑顔まで同じだった。
私が意識して積極的に声をかけていると、たまに彼の方から声をかけてくれるようになった。
やった!あと少し、あと少しでお付き合いできるようになるかもしれない。
そう思って一人喜んでいた。
少し距離が近づき、話をする機会も増えた頃。
長野さんが「松田さんは、誰かお付き合いしている人いるの?」と聞いてきた。
心の中で叫んだ。来た、ついにこの日が。
心臓をバクバクさせながら答えた。
「いいえ、いないです」
すると彼は「へぇ、絶対いると思った」と笑った。
私は「長野さんこそ、素敵な方がいるんでしょうね」
長野さんは、遠くを見るようにして、「探しているんだけどね」
私が「えっ」と、言うと、長野さんは続けて話した。
「探している人がいるんだ。でも、なんとなくしかわからなくてね」
長野さんの話がよくわからなかった。
「笑ってしまうよね、どこで会ったとか、名前も顔もはっきりとは、わからなくてね」と言った。
ますますわからなかった。
「ずーっと想っている人がいるんだけどね、どこで会ったとか、確かな記憶はないのに、いつも心の中にいるんだ。物静かな人で、いつも髪を後ろで一つに結んでいて、ぼんやりだけど、笑顔が柔らかな人でね」
「後輩が『長野さん、前世で出会っていたんじゃないですか?』って、言うんだけどね」と、笑っていた。
私は言葉がなかった。
もしかして、そんなことあるの?
自問自答していた。
私の中で私が戦っていた。
確かに、私はいつも髪を後ろで一つに結んでいた。
私は何も言えず「まさか」この言葉だけが、頭の中で繰り返した。
そして長野さんは「松田さん、気を悪くしないで聞いてね」と前置きをして「初めて松田さんを見たとき『あっ』て思ったんだ。似てる気がしてね」と、微笑んだ。
「でも、松田さんのように、社交性のある明るいタイプではなかった気がするんだ」
その後、変だよね、会ったこともないのにね。と、笑っていた。
「松田さん、前世って、あるって信じてる?」と聞かれ、「はい」ただそう答えた。
何度考えても、どんなに考えても、私が私にかける言葉が見つからなかった。
私、なんのために転生してきたの?こんな悲しい現実…。
私なの?今、長野さんの記憶の中にいるのは前世の私なの?
じゃあ、前世で、私が小島さんに声をかけていたら、私と結婚していたの?
今回、私が、前世の「松田沙織」のままで転生していたら、気づいてくれたの?
何を考えても、もう遅い。
おばあさんの言葉が浮かんだ。
「お前が人間だったのは前世一度だけです」
「あとは猫でした」
「どの時代のときも、大切にして可愛がってもらえました」
私が猫だったときの記憶は「ララ」のときだけ。
毎日が幸せだった。
旅行も一緒に行った。
夜、眠るときは莉奈ちゃんと一緒だった。
流れてくる涙の意味がわからなかった。
長野さんのことなの…?
莉奈ちゃんが恋しいの…?
それからどのくらいの時間が過ぎたのかは、わからない。
天気のいい、柔らかな風が吹く午後だった。
私はビルの屋上にいた。
何も考えていなかった。
風が吹いたとき、私は一輪の花になっていた。
そしてビルの上から風に乗って地上に舞い降りた。
地上に降りたとき、私はララに戻っていた。
「ララちゃん」私を呼ぶ懐かしい声がした。
「ママ、パパ、ララちゃんよ!」
莉奈ちゃんだった。
「えっ?よく似ているけど…」ママが不思議そうに言った。
パパは「ララに、きょうだいがいたのかもしれないね」と私を見た。
莉奈ちゃんが、「ララちゃん、一緒に帰ろうね」と私を抱き上げた。
私が莉奈ちゃんの腕に頭を乗せると、パパとママは驚いていた。
これは私の癖だった。
おばあさんが、もう一度私を「ララ」に戻してくれたのがわかった。
おばあさん、ありがとうございます。
今、莉奈ちゃんの腕の中で、幸せな「ララ」に戻っていく。
莉奈ちゃんの家に着く頃は、私の前世の記憶はなくなっている。




