第9話:Waterworld
主題歌:ウォーターワールド サウンドトラック
https://youtu.be/2dn_z3HRuV0
「取引成立だね、ロドンくん」
エラーラのその言葉に、司令部は静まり返った。 サメ人間のボス、ロドンは、義眼でエラーラを見据える。この魔術師が本気であることは、ここに来るまでの戦闘で証明されている。
「…いいだろう、魔術師」
ロドンは承諾した。
だが、その瞬間、エラーラの後ろにいた人間の船長が、震える声で割り込んだ。
「ま、待て! あんた、何を言ってる! こいつらは…こいつらサメ人間は、俺たちの仲間を…!」
ロドンが、冷たい殺意の目で人間たちを睨む。
「土着生物風情が、俺たちの『革命』に口を出すな。ここで食われたいか?」
エラーラは、鬱陶しそうに両者の間に割って入った。
「実に非合理的だね。君たち人間は、このままでは飢えて絶滅する。君たち貧困層のサメも、このままでは飢えて絶滅する」
彼女は、両者を冷ややかに見比べる。
「私の目的は、あの島にある、『パーツ』だ」
「君たちサメの目的は、あの『施設』を奪い、『支配者層』を打倒すること」
「そして、君たち人間の目的は、この飢餓から逃れ、『生き延びる』ことだろう?」
エラーラは、ロドンと人間の船長を交互に指差す。
「利害は一致した。違うかね?」
こうして、マギア・ワールドの探究者、アビス・オーシャンの貧困層サメ人間、そして絶滅寸前の人間という、あり得ない『混成艦隊』が結成された。
・・・・・・・・・・
海上都市の巨大なドックから、スクラップで組み上げられた艦隊が出撃していく。 ロドンが率いるサメ人間の潜水艇や戦闘艦。そして、人間の残党が駆る、ボロボロの鋼鉄船。 彼らは、絶望的な『革命』のために、暗黒の大海原へと漕ぎ出した。
エラーラは、艦隊の旗艦となったロドンの船の艦首に、白衣をはためかせて立っていた。
「フム…」
彼女は、この『アビス・オーシャン』の光景に、初めて目を奪われていた。 空は、マギア・ワールドのような青でも、地球のような黒でもない。濃紺のビロードのような大気に、七色の光の帯が、常に揺らめいていた。
海は、艦隊が進むたびに、航跡が、何兆もの発光性プランクトンによって、青白い銀河のように輝き、尾を引いていく。
「『海神』だ! 進路そのまま! 刺激するな!」
ロドンが叫ぶ。 海面が、島と見紛うほどのスケールで盛り上がった。 山脈のような背中。それは、あまりにも巨大な『鯨』だった。その背中には、この暗い海に適応した、青白く発光する苔のような植物が群生し、それ自体がひとつの生態系を成している。 艦隊は、その巨大な生物の脇を、まるで小石の横を通り過ぎるアリのように、静かに通過していく。
「…なんだ、この感覚は…?」
エラーラの口元が、純粋な驚嘆に歪む。 空を見れば、翼を広げると艦隊そのものを覆い尽くさんばかりの、巨大な『鳥』が、オーロラの光を浴びて虹色に輝きながら、上空を滑空していく。 海面では、流線型の、半透明な『イルカ』の群れが、体内の発光器官を星のように明滅させながら、艦隊と並走し、戯れるように跳ねている。
「私の世界にも、地球にも存在しなかった、この圧倒的なスケール!…これが、『生命』の『原初』の姿か…!」
エラーラ・ヴェリタスは、自らの探究者としての魂が、その根源から揺さぶられるのを確かに感じていた。 畏怖。興奮。そして、感動。
「フフフ… 実に、素晴らしいじゃないか! この世界は、私の研究対象に加える価値が、十二分にある!」
彼女の高揚した笑い声が、大海原に響き渡る。 だが、その時だった。
並走していた『イルカ』たちが、一斉に方向を変え、深海へと逃げていく。 巨大な『鯨』も、ゆっくりと、しかし確実に、海中へと姿を消した。
旗艦のレーダーが、甲高い警告音を鳴らし始めた。
「来るぞ!」
ロドンが叫ぶ。
エラーラが、歓喜の表情を、いつもの冷徹な分析者の顔に戻して、空を見上げた。 遥か上空、濃紺の空を突き破り、七色のオーロラを切り裂いて、巨大な『影』がその全貌を現した。
鋼鉄の島 『支配者層』が独占する、『転移ゲート施設』。
その表面が、無数の赤い光で明滅し始める。
「敵襲! 迎撃ドローンだ! 全艦、戦闘準備!!」
エラーラが立つ旗艦は、廃棄されたトロール船と浮遊ジャンクを繋ぎ合わせた、みすぼらしい船だった。ロドン率いるサメ人間の海賊艦隊も同様だ。錆びついた漁船、旧時代の蒸気船、寄せ集めの帆船…。彼らの武器は、先込め式の古臭いマスケット銃、油の染みた火炎瓶、そして銛だけだ。
対する敵の防衛線は、冷酷でシステマチックだった。沿岸部に並ぶ自動迎撃ファランクスが火を噴き、海面を滑る無人迎撃艇が誘導魚雷をばら撒く。
「奴ら、レーダーと光学照準で我々を『処理』するつもりだ!」
ロドンが、戦斧の柄で手すりを叩き割りながら吼えた。彼は巨大なホオジロザメの血を引く、歴戦の海賊長だ。
「力押しでは勝てない。ならば、奴らの『目』と『耳』を奪う」
エラーラは冷静に水平線を見据えていた。
「全艦、散開! 」
エラーラの合図で、艦隊は一見、無秩序に散った。だがそれは、敵の自動照準を分散させるための計算された動きだった。 次の瞬間、海賊船のあちこちから、大量のタールと廃油が詰まった樽が海面に投棄された。
「火を放て!」
火矢が放たれ、海面が爆発的に炎上した。
「煙幕だ!」
敵の要塞から焦りの声が上がる。
効果的な戦術。視界を遮る黒煙が、もうもうと天を突いた。最新鋭の光学センサーが、意味のない熱源と黒いノイズしか拾えなくなる。
「今だ! 突き進め!」
ロドンが号令をかける。
艦隊は黒煙の壁に突入した。
視界はゼロ。敵も味方も、すぐそばを船体が擦れ違うまで互いを認識できない。
「右舷! 敵影!」
「撃て! 撃ちまくれ!」
マスケット銃の乾いた発砲音と、敵のガトリング砲の金属的な絶叫が交錯する。敵の無人艇が煙を突き破って現れ、ロドンの部下たちが銛を突き立て、甲板に引きずり上げる。原始的な白兵戦だ。
だが、敵は戦術を切り替えた。
不気味なソナーの反響音が海中から響き渡った。
「水中から来るぞ!」
煙で上がダメなら、下から仕留める。それが富裕層のやり方だった。敵の「自動追尾式・水中ドローン」が、海賊船の脆弱な船底を目指して殺到した。
「ロドン!」
「わかってる!」
ロドンは猛るように笑った。
「泳ぎの時間だ、野郎ども! 故郷の海を見せてやれ!」
海賊団の中核を成すサメ人間たちが、次々と黒煙下の海へ飛び込んだ。彼らは水を得た魚…いや、水を得たサメそのものだった。 水中ドローンがスクリュー音を響かせる。だが、生物の持つ野生のカンは、機械のロジックを上回った。
サメ人間たちは、水中を疾走するドローンに飛びつき、そのセンサーや推進器を、素手やナイフで破壊していく。水中で火花が散り、いくつかのドローンが制御を失って海底に沈んだ。
だが、艦隊の損害も甚大だった。 敵の船は、至近弾の衝撃でマストが折れ、甲板は火の海だ。他の船も、浸水や火災で戦闘不能になりかけていた。負傷者が甲板に溢れ、血の匂いが煙に混じる。
「エラーラ! もう持たん!」
「まだだ!」
エラーラは燃え盛る帆の影で、海図を睨みつけていた。
「敵の防御網には『穴』がある。あの要塞の真下…波が荒すぎて、最新鋭のセンサーでは『ノイズ』として処理される岩礁地帯だ」
それは、ソナーの死角となる海底渓谷のような、わずかな「隙間」だった。
「ロドン! 旗艦で陽動を! 残りの船は私に続け! あの岩礁地帯に座礁させるぞ!」
「座礁!? 正気か!」
「陸に上がる!」
ロドンの船が囮となり、残った火薬をすべて使って敵の注意を引きつけた。その隙に、エラーラ率いる満身創痍の数隻が、黒煙を盾に、敵要塞の真下にある岩礁地帯へと全速力で突っ込んだ。
凄まじい衝撃。船底が岩に乗り上げ、船体が悲鳴を上げる。 船は完全に破壊された。だが、それは「上陸」を意味した。
「降りろ! 降りろッ! 陸へ走れ!」
敵の砲台は、真下に潜り込んだエラーラたちを撃つことができない。砲身の仰角が足りないのだ。
「クソッ! 下だ! 歩兵を出せ!」
要塞から敵の防衛団が慌てて飛び出してくる。 だが、遅かった。
エラーラは、燃え落ちる船の甲板から、荒れ狂う波間へと飛び降りた。 負傷者たちが互いに肩を貸し、銃弾の雨の中を、必死で砂浜へと這い上がっていく。
ロドンもまた、自らの船を敵の迎撃艇に体当たりさせ、大破させながらも、部下たちと共に岸へと泳ぎ着いた。
煙と炎、大破した船の残骸が打ち寄せる海岸。 そこに、エラーラとロドン、そしてサメ人間の海賊たちが、ボロボロの姿で立っていた。装備のほとんどを失い、誰もが無傷ではいなかった。負傷者は数えきれない。
だが、彼らは確かに「上陸」した。 誰一人、この海で命を落とすことなく。
エラーラは濡れた髪をかき上げ、白亜の要塞を睨みつけた。
エラーラとロドンが率いる海賊一行は、富裕層の島の守備隊と激しい銃撃戦を繰り広げながら前進した。
遮蔽物から遮蔽物へと飛び移る合間、エラーラは隣を走るロドンに、まるで世間話でもするかのように問いかけた。
「ロドン。基本的なことを聞くが、この世界では何故、食料資源が枯渇した?」
ロドンはショットガンを放ちながら、荒々しく答える。
「ああ? そんなこたぁ決まってんだろ! 漁がうまくいかねえからだ!」
そのあまりに単純な答えを聞き、銃弾が頬を掠める中で、エラーラはすべてを悟った。
(……漁が、うまくいかない、か)
違う。
彼らはただ、獲り尽くしているだけなのだ。
「貯蔵」して備蓄するという発想。
「畜産」して計画的に肉を得るという発想。
「栽培」して安定的に食料を確保するという発想。
それらの概念が、この世界の住人には致命的なまでに希薄だった。
彼らは「未来のために何かをする」という行為そのものを、極端に毛嫌いしている。
(なるほど。過程を疎かにして、目先の「結果」のみを求める。それが、サメ人間たちの生き様というわけか)
エラーラは、彼らという種族に対し、純粋な疑問と、隠しきれない若干の軽蔑を覚えた。
そして次の瞬間、その口元には、状況にそぐわない不適な笑みが浮かんでいた。
交戦の最中、エラーラは突如として一行の進路から逸れ、別の方向へと駆け出した。
「エラーラ! そっちは逆だ! 『異世界転移マシン』はこっちだぞ!」
ロドンが叫ぶ。
エラーラは振り向きもせず、片手を軽く振った。
「お前たちは『結果』を追え。私は『過程』を拝見させてもらう」
ロドンと、彼が率いるサメ人間と人間の混成部隊は、島の最重要機密である「異世界転移マシン」がある格納庫へ。
そしてエラーラはただ一人、この富裕層の島を機能させているはずの「行政区」へと、その足を進めた。




