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第8話:海上都市!

冷たい。暗い。そして、凄まじい水圧。

エラーラは魔術障壁で身を守りながら、水面へと浮上する。

見渡す限り、荒れ狂う黒い海。陸地は、ない。

遠くで、地球で見た『サメ』よりも遥かに巨大な影が、海中を泳ぐ音がする。


「フム。実に過酷な環境だ。生態系が偏るわけだね」


その時、霧の中から、ボロボロの鋼鉄船が姿を現した。錆びつき、あちこちが応急修理されている。船のサーチライトがエラーラを捉え、ロープが投げられた。


船内は、オイルと硝煙の匂いがした。

彼女を囲むのは、皆、疲弊しきった『人間』だった。

彼らは、エラーラをひどく訝しんだ。

船長らしき、片目の老人が前に出た。

彼は語った。

この世界は、知能の高い『サメ人間』との生存競争に敗れたのだと。人間は『サメ人間』の餌であり、奴隷だった。

そして、『サメ人間』は、この資源の枯渇した故郷を捨て、新たな『牧場』を求めて異世界転移を繰り返す、宇宙の『イナゴ』のような種族なのだと。


エラーラは、地球のことなどどうでもよかった。

だが、一点だけ、看過できないノイズがあった。


(フム…食い尽くす種族、か)


もし、彼らが私の世界の座標を掴んだら?

それは、非常に厄介だ。

彼女は懐から、魔術的な情報端末を取り出す。マギア・ワールドの座標が、彼女自身の魔術を経由して、この次元に漏洩していないか確認する。


(バチッ! ブツン…!)


端末が、けたたましい音を立てて停止した。


「なんだ?」


「単純な過負荷だ」


エラーラは舌打ちする。


「次元跳躍の負荷と、この世界の異常な環境圧に、私の端末が耐えきれなかったらしい」


修理が必要だ。だが、この船にあるのは鉄屑だけだ。


「…船長くん。修理のためのパーツが必要だ。高純度の魔力伝導体と、いくつかの希少金属がね」


船員たちは「そんなものあるか」と力なく笑う。


「ならば、サメ人間たちに会う必要があるな。」


エラーラは平然と言った。


「彼らなら、高度な転移技術を持っている。パーツくらい持っているだろう。取引をする。サメ人間の集落へ向かってくれ。」


「 正気か、嬢ちゃん。……だが、心配するな。」


船長が、重い笑みを浮かべる。


「この船に乗っていれば、すぐに会えるさ」


エラーラは首を傾げる。


「…? 何故だね?」


船長は、錆びついた潜望鏡を覗き込み、ニヤリと歯を剥いた。


「革命、だからさ」


船が大きく振動し、浮上を始める。窓の外に、無数の小さな船団が見えた。


「奴らが築いた『海上都市』…俺たち人間が住むはずだった『陸地』だ。今日、この日のために、俺たちは残った火薬を全部集めていたのさ!」


船長が、艦内マイクに叫ぶ。


「…総員、戦争だ!」


船長のその言葉が、開戦の合図だった。


(((ドゴォォォン!!!)))


人間たちの、錆びついた特攻船団が、サメ人間たちの海上都市の外壁に次々と体当たりし、爆発する!


「「「うおおおおお! 陸地を奪い返せェ!!」」」


そして。

エラーラたちは、海上都市に上陸した。


「侵入者だ! 迎撃しろ! 皆殺しだ!」


凄まじい銃撃戦が始まった。

旧式の火薬銃を放つ人間たち。

高圧水流や音波兵器など、異質な技術で応戦するサメ人間たち。

狭い通路、水浸しの甲板、いたるところで怒号と悲鳴が交錯する。


その、死線が集中する最前線のド真ん中を。

一人、場違いな白衣の女が、悠然と歩いていた。

探究者エラーラ・ヴェリタス。

彼女は丸腰だった。

それどころか、激しい戦闘などまるで存在しないかのように、片手で壊れた端末をカチカチといじくりながら、時折、本拠地の構造を分析するかのように、よそ見すらしていた。


「…この建築様式。アビス・オーシャンの強烈な水圧を考慮した流体力学設計か。だが、魔術的な防御の痕跡はない。技術ツリーが独特だねェ…」


「おい、そこの女! 何してる! 伏せろ!」


近くで応戦していた人間の兵士が叫ぶ。

その瞬間、エラーラの存在に気づいたサメ人間の狙撃手が、彼女の頭部を正確に狙撃した。

人間の兵士が目をつむる。

だが、エラーラは止まらない。


「?」


彼女は、まるで額に虫でも止まったかのように、軽くこめかみを掻いた。

弾丸は、不可視の魔術障壁に阻まれ、虚しく変形して足元に転がっていた。


「なっ…!?」


エラーラは、端末から目を離さないまま、分析を続ける。


「…ダメだ。やはり物理な損傷だ。これではマギア・ワールドへの座標が漏洩したかどうかの確認もできない。実に合理的じゃない…」


「集中砲火だ!」


サメ人間側は、エラーラの異様さに即座に気づいた。

複数の重火器、さらには設置型の砲台までもが、たった一人のエラーラに向けられる!

人間の兵士たちが悲鳴を上げて隠れるほどの、凄まじい弾丸と砲弾の雨。

爆炎と水しぶきが、エラーラの姿を完全に飲み込んだ。

サメ人間の砲手が勝利を確信した、その時。


「…実にうるさいじゃないか」


煙の中から、エラーラが、無傷で姿を現した。

彼女の白衣は、着弾の衝撃でわずかに煤けているが、その肌には傷一つない。彼女の周囲には、高密度の魔力が渦巻き、全ての物理的な攻撃を無効化していた。


「ば、化け物……」


人間側も、サメ人間側も、この戦争の最中に突如出現した『絶対的な異物』に、等しく驚愕し、一瞬、銃撃の手を止めた。

エラーラは、そんな両陣営の視線など意にも介さず、壊れた端末をポケットにしまった。


「フム。この反応。この技術レベル」


彼女は、要塞の最も高くそびえる中央タワーを見上げる。


「まあ、あの『司令部』に行けば、私の端末を直すパーツくらいは、持っているだろうねェ」


エラーラは、両軍の呆然とした視線を浴びながら、再び、戦場のど真ん中を一直線に歩き始めた。

銃弾の嵐が、白衣の女の身体を、文字通り「叩く」。 だが、エラーラは、一歩も止まらない。 彼女は、まるで豪雨の中を傘もささずに歩く変人のように、平然と、まっすぐ突き進む。


「 き、効かない! なぜだ!」


「対戦車ライフルを使え! 」


人間の兵士なら肉片に変わる一撃が、エラーラの腹部に直撃する。 彼女は、わずかに眉をひそめた。

だが、彼女の歩みは止まらなかった。

あまりの異様さに、攻撃は次第にまばらになっていく。


「な…なんだ、あれは…」


「神か…? いや、悪魔だ…」


エラーラの後ろ。そこには、いつの間にか十数人の人間の残党が、まるで雛鳥が親鳥に従うかのように、恐怖と畏敬の顔で、彼女の「絶対安全圏」に隠れながら、ついて来ていた。


ついに、エラーラは海上都市の中枢へと到着した。 彼女と、オマケの人間たちが巨大な鉄の扉を開けると、そこにいたサメ人間たちは、もはや武器を構える気力すら失っていた。


(((……)))


奇妙な沈黙。 戦争のまっただ中であるはずの司令部は、静まり返っていた。


エラーラは、侵入者であるにもかかわらず、キョロキョロと周囲を見渡し、分析を始めた。 彼女は、壁に埋め込まれた制御盤に触れる。


(この配線…この演算装置…。ひどく粗雑だ)


安定した『異世界転移』を維持する技術水準とは、到底思えない。 まるで、高度な文明が崩壊した後に、残った部品で無理やり組み上げたような、歪な技術体系だ。


「…来たか…」


エラーラが顔を上げると、広間の最奥、スクラップで組み上げられた玉座に、海賊の船長のような、使い古したコートを羽織った巨大なサメ人間が座っていた。片目は鋭い義眼だった。


「『人間』か? まあ、どちらでもいい」


ボスは、侵入者であるエラーラ一行を前にしても、立ち上がりすらしなかった。ただ、疲労しきった目で彼らを見ている。

エラーラは、その後ろで震える人間の船長たちを気にも留めず、まっすぐ玉座に進み出た。


「探究者エラーラ・ヴェリタスだ。いくつか、確認したいことがある」


彼女は、単刀直入に尋ねた。


「君たちサメ人間は、なぜ異世界転移を繰り返し、その世界の住人を食い尽くす?」


エラーラには、薄々わかりきっていた。この世界の、絶望的な『真実』が。


サメ人間のボスは、義眼をカチリと鳴らし、乾いた音で笑った。

彼は、ゆっくりと立ち上がり、司令部の割れた窓から、どこまでも続く海『アビス・オーシャン』を指差した。


「あれを見ろ、魔術師。この世界には、もう何もない。食料となる資源は、すでに、枯渇しきっているのだ」


ボスは、玉座の横にある、かろうじて稼働している生命維持装置を叩く。


「俺たちサメ人間は、最後の技術…『異世界転移』にしがみつき、他の世界から『食料』を運び込むことで、こうして、かろうじて食い繋いでいるだけだ」


彼の声には、支配者としての威厳ではなく、ただ、深い諦念が滲んでいた。


「だが」


ボスは、エラーラの後ろに立つ、人間の残党たちを、軽蔑の目で一瞥した。


「その『転移技術』すら持たない、こいつら人間は、どうだ?…俺たちが捨てた残飯を漁り、俺たちが運び込んだ『食料』のおこぼれを奪おうと戦争を仕掛けてきやがる。」


「我々サメ人間は、確かに、絶滅の危機に瀕している。だったら、こいつら人間は、すでに絶滅したもどうぎなんだよ。」


エラーラは、目の前の「ボス」が語る絶望的な世界の真実にも、一切の動揺を見せなかった。 絶滅? 飢餓? 革命? そんなものは、彼女の探究の前では些末な情報だ。


「フム?…事情は理解した。実に興味深い社会構造じゃないか」


彼女は、まるで隣人に塩を借りるかのように、サメ人間のボス、ロドンに、壊れた端末を突きつけた。


「それよりも、ロドンくん。私の端末が壊れてしまってね。修理が必要だ。君たちの技術なら、必要な部品を持っているだろう? 提供してくれたまえ」


ロドンは、その場違いな要求に、義眼を細めた。彼は、エラーラが差し出す、見たこともない異世界の端末を検分する。


「この構造…。これは、ただのスクラップじゃないな」


ロドンは、エラーラの恐るべき戦闘能力と、この高度な端末を結びつけた。


「魔術師。お前が求めている部品は、俺たちとは次元が違う。それは、選ばれた者だけが使う…『異世界転移』そのものに必要な代物だ。…そうだろう?」


エラーラは目を輝かせた。


「フム! やはり、君たちは『持っている』んだね!」


「持ってはいない」


ロドンは、吐き捨てるように言った。


「持っているのは、『奴ら』だ」


ロドンは、司令部の窓から、海の遥か彼方を指差す。


「……俺たちが飢えている本当の理由がわかるか? 魔術師」


ロドンは語り始めた。この世界の、真の階層構造を。


「この『アビス・オーシャン』は、三層に分かれている」


「一つは、あそこに住む、選民気取りの、サメの『支配者層』だ。奴らだけが、安定した『異世界転移』の技術を独占し、地球のような『牧場』から資源を吸い上げ、贅沢に暮らしている」


「二つ目は、俺たちサメの『被支配層』だ」


ロドンは、自らのボロボロのコートを掴む。


「奴らに技術を奪われ、この枯渇した故郷に捨てられた、貧民だ。俺たちは、奴らが捨てた技術で、こうして惨めに生き永らえている」


「そして三つ目が」


と、彼はエラーラの後ろで震える人間たちを一瞥した。


「もはや見向きもされない、『土着生物』、つまり人間だ。そいつらは、食料以下の存在だ。……俺たちが今から戦争を仕掛ける相手は、こんな人間どもじゃない」


彼は司令部の作戦図を叩いた。


「近々、俺たちは、『支配者層』の『転移ゲート施設』に、全面攻撃を仕掛ける。あの施設さえ奪えば、俺たち虐げられた『被支配層』も、他の世界へ行ける。この地獄から解放されるんだ!」


それは、言外に、エラーラの圧倒的な戦闘能力を借りたいという、『取引』だった。


エラーラは全てを理解した。 サメ人間同士の力関係がどうなろうと、地球がどうなろうと、彼女の知ったことではない。

だが。

エラーラは、不敵に笑った。 探究者の目的と、革命家の目的が、一点において完全に一致したからだ。

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