第6話:鮫を追え!
これは……実に奇妙な世界だ。
探究者エラーラ・ヴェリタスは、未知の時空座標へと転移してしまった。
彼女が降り立った「地球」の、その雑踏あふれる街は、あらゆる物理法則が捻じ曲がった場所だった。
「フム……」
白衣のポケットに手を突っ込み、エラーラは目の前の光景を分析する。
「特定の動作が、特定の存在に対して、物理的な撃退効果を持つ、か。実に興味深い」
彼女は、この世界の「常識」を、解析しつつあった。
完璧な魅力はサメを消滅させ、中途半端な魅力はサメを召喚する。なんとも狂った因果律だ。
エラーラは元いた世界に戻ろうと考えた。だが、彼女の探究者としての知的好奇心が、それを許さなかった。
「…この世界の理を、解明する!」
それが彼女の新しい目的となった。
・・・・・・・・・・・
雑踏の交差点。突如、アスファルトを突き破って出現した『地面サメ』に、通行人が悲鳴を上げる。車が数台、宙に跳ね上げられた。
「(ビシィッ!)」
そこへ、どこからともなく現れた男たちが、完璧な連携で『集団護衛』を繰り出す。サメは怯み、アスファルトの中へと後退した。
「フム。観測完了だ」
物陰のビルの上から、エラーラは双眼鏡を下ろす。
「彼らのムーブには魔力の奔流が見られない。だというのに、対象の行動を阻害した。あの『魅力』と呼ばれるエネルギー源は何だね?」
エラーラは街を散策し、情報を収集する。
やがて、彼女は一つの看板を見つけた。
『サメ専門探偵事務所 SSS・シャーク・ソリューション・サービス』
エラーラは目を見開いた。
(探偵…! マギア・ワールドでは『失せ物を探す者』程度の意味だったが…。この世界では、『次元の脅威を調査し、撃退する者に与えられる高位の称号』…!)
「……『探偵』か! いい響きじゃないか!」
・・・・・・・・・・
人気のない路地裏で、一人の『三流イケメン』が、自らのフツメンムーブによって召喚してしまった『壁サメ』に囲まれていた。
「ひぃぃ! なんで俺の『流し目』がサメを呼ぶんだよ!」
そこへ、エラーラが颯爽と現れる。
「待たせたね、実験サンプル。絶好の機会だ」
「だ、誰だアンタ!」
「私は探究者、いや、『探偵』エラーラ・ヴェリタス。この現象を解析させてもらうよ」
エラーラは、街の大型ビジョンで流れていた『今週のS級ムーブ特集』で観測した、トップランカー・イケメンの動きを研究していた。
(S級ムーブの要点は、動作の『完璧性』と『対象への絶対的支配の視線』。これを完全に模倣すれば…)
エラーラは白衣を翻し、完璧な『S級ウィンク・ムーブ』の構えを再現してみせる。
だが、その瞬間。
(((フツメンムーブ:形態はS級だが、探究心(好奇心)が魅力を上回り、ムーブ不成立)))
「(シャァァァァァ!!!)」
エラーラの足元のマンホールから、先ほどより遥かに巨大なサメが飛び出してきた!
「なっ! 理論通りにやったのに、なぜ失敗が!?」
「アンタのせいかよ!」
フツメンは悲鳴を上げて逃げ去った。
「チッ…! 邪魔をしないでくれたまえ!」
サメがエラーラに食いつこうとした瞬間、彼女はマギア・ワールドの言語で短く詠唱する。
「《フラグメント・バリア》」
「(ガギン!)」
サメの鼻先が、不可視の障壁に激突し、甲高い音を立てる。
「(シャァ?)」
「フム。私の魔術は、この世界の『サメ』に対しても物理干渉力を持つようだね。だが、消滅には至らない…」
エラーラは分析を続ける。
「ならば、これだ。《イグニス・レイ》!」
指先から放たれた小さな火線がサメに着弾する。しかし、サメは燃えない。
「(シュァァァ…?)」
だが、サメは確かに苦しみ、泡のように消滅していった。
「……面白い」
エラーラは狂気的な笑みを浮かべた。
「魔術が、魅力と、同じ『結果』をもたらした…。フフフ、この世界の法則は、私の知るどれよりも歪で、美しいじゃないか!」
・・・・・・・・・・
エラーラは、街外れの雑居ビルの一室を勝手に自らの「研究所」として改造していた。
『エラーラ探偵事務所(仮)』と殴り書きされたドアを開けると、壁には難解な数式と、サメの生態図、そしてコンビニで買い集めたイケメン雑誌の切り抜きが、分析対象としてびっしりと貼り付けられている。
「マギア・ワールドへの帰還ゲートの構築は、可能だ。魔術が有効であることは実証されたからね」
彼女は安物のインスタントコーヒーを啜る。
「だが…!」
彼女は壁の分析図を振り返り、恍惚とした表情を浮かべる。
「『魅力』が『物理法則』に転換される世界! 『人間関係の機微』が『怪物召喚』のトリガーとなる世界!」
「こんな狂った座標、全次元を探してもここだけだ!」
エラーラ・ヴェリタスは、高らかに宣言した。
「帰還は無期限延期だ! 私の新たな研究主題は、これに決めた!」
彼女は壁の中央に、大きく書きなぐる。
【研究主題:『イケメン物理学』と『サメ現象』における因果律の系統的解剖】
「フフフ、フハハハハ! さあ、まずは手頃な実験体いや、研究協力者が必要だねェ…」
エラーラは、窓の外を行き交う、名も知らぬ無数の人々を、捕食者のような目で見つめていた。




