第3話:王子の過去!
「…だから、お前はフツメンなのだ」
放課後の廊下。天城院 律の冷たい声が、愛川 凪に突き刺さる。
「昨日の『美術準備室のフツメン堕ち』。お前はまた『励まし』たな」
「うっ…! だって、彼は絵の具まみれになったのを『芸術的だ』って…!」
「芸術と、ただの『汚れ』を混同するな。お前が甘いからサメの対処が遅れる。いい加減に学べ、俺の『玩具』」
「(くそっ…!)」
凪は唇を噛む。律の『教育』が始まって数日。いまだに、この冷徹な男のやり方には反発しか覚えなかった。
その時、自動販売機コーナーから、情けない声が聞こえた。
「う…うそだろ…なんで…」
一人の生徒――確か、気弱な一年生の『実』――が、自販機の取り出し口に腕を突っ込み、抜けなくなってジタバタしていた。
どうやら、買ったジュースが引っかかり、取ろうとして腕が挟まったらしい。
「あ…! あ…! 抜けない…!」
実がパニックになり、みっともなく足をバタつかせる。
(((フツメンムーブ:著しい狼狽、公衆の面前での無様な姿)))
「(シャァァァ…!)」
来た。
自販機のガラス面が、水面のように揺らぎ、中から巨大なサメが実の腕めがけて牙を剥いた!
「ひぃぃぃ! た、助けてぇ!」
「チッ。欲に溺れたフツメンの末路だ」
律が冷たく言い放つ。
「欲じゃないです! 彼は正当な対価を払ったんです!」
凪は叫び、飛び出していた。
『(律のやり方じゃダメだ! かといって、俺の優しさだけでも…!)』
凪は、サメの恐怖に怯えながらも、必死で自販機を観察する。
『(サメは「フツメンムーブ」に反応する…! なら、「イケメンムーブ」で上書きすればいいんだ!)』
サメが、実の腕に噛み付こうと迫る!
「今だ!」
凪は、実をかばうように前に出た。
「ひぃぃ! あいかわ先輩!」
「大丈夫! イケメンは、こういう時、スマートに解決する!」
凪は、恐怖で引きつりそうになる顔を必死でこらえ、笑った。
完璧なS級スマイルには程遠い、B級の、必死の笑顔だ。
彼はまず、自販機の『お釣りレバー』を、流れるような動作で叩きつけた。
(ガシャリ!)
そして、コンマ1秒も置かず、引っかかったジュースの真横を、完璧なフォームの『回し蹴り』で叩いた!
(ゴンッ!)
それは、律から学んだ『冷徹なまでの完璧な所作』と、凪が信じる『人助け』が融合した、決死のB級イケメンムーブだった。
(ガコン!)
(ガラガラガラガラ!!!)
ジュースが落ちる音と、返金された大量の硬貨がトレイにあふれる音が、同時に響き渡る。
『正当な取引の完了』と『過剰なまでの返金サービス』。
二重のイケメン判定に、サメは混乱した。
「(((マ、マブシイッ! コレハ カンペキナ ショウヒシャ コウドウ…!?)))」
サメは、正義の光に焼かれ、自販機の闇へと消滅していった。
「はぁ…はぁ…」
凪は荒い息をつきながらも、落ちたジュースを拾い上げ、腕が抜けて呆然とする実に差し出す。
「お待たせ。それと、お釣りだ」
「あ…あ…! あいかわ先輩…! カッコイイです!」
実が、尊敬の眼差しを向ける。
「(えへん!)」
凪は、初めて自分の力でサメを撃退した興奮に、胸を張った。
「どうですか、天城院さん! 俺だってやれば…!」
得意満面で振り返った凪は、しかし、氷のように冷たい律の視線に射抜かれた。
「…浮かかれているのか?」
「え?」
律はゆっくりと凪に近づき、彼が蹴った自販機を指差す。
「今の、B級ですら無い。ただの『運』だ」
「で、でも! サメは消えました!」
「フン」
律は、凪の襟首を掴み、壁に押し付けた。
「お前の『お釣りレバー』と『蹴り』。あの動作、コンマ0.2秒ズレていた」
「こ、コンマ0.2秒…?」
「ああ。もしズレていれば、システムは『取引の正常化』より先に、お前の『器物損壊』をフツメンムーブとして判定していた」
律の瞳が、恐ろしいほど冷たく光る。
「そうなれば、お前は『フツメン堕ち』。あのサメは、お前ごと食っていた」
凪の顔から、血の気が引いた。
「俺が…食われてた…?」
「感情に任せたイケメンムーブは『賭け』だ。そして『賭け』は、最もイケメンから程遠い愚行だ」
律は、凪を解放する。
「一度の成功で浮かくれるな、愛川 凪」
「…それは……命取りになるぞ!」
律は冷たく言い放ち、その場を去っていく。
残された凪は、勝利の興奮が冷め、自らの未熟さを突きつけられた恐怖に、ただ震えるしかなかった。
・・・・・・・・・・
放課後の体育館裏。
「うわっ! なんだよ、このニオイ!」
備品倉庫から、一人の生徒、園芸部の『菊池』が、大量の肥料を頭から被ってよろめき出てきた。
彼は、イケメン園芸部員として完璧な手入れをしていたが、棚の上の肥料袋が崩れてきたのだ。
「くっ…! くっせぇ!」
菊池は、その強烈なニオイに耐えきれず、白目を剥いてパニックになる。
(((フツメンムーブ:著しい汚損、公衆の面前での無様な姿、臭気による理性の喪失)))
「(シャァァァ…!)」
来た。
崩れた肥料の山が、泥沼のように波立ち、中から巨大なサメが牙を剥く!
「ひぃぃ! 肥料が、肥料が俺を食おうと!」
「(くそっ!)」
愛川 凪は、昨夜、天城院 律に「お前の成功は運だ」と言われた屈辱をバネに、前に出た。
『(見てろよ天城院! 運じゃない! 俺のイケメンムーブは、あんたとは違うやり方で人を救えるんだ!)』
凪は、サメの恐怖に耐え、完璧な笑顔を(必死に)作る。
「大丈夫だ、菊池くん! イケメンは、不測の事態すら、香水に変える!」
「あ、あいかわ先輩…!」
凪は、倉庫にあった『石灰』のライン引きを掴んだ。
「(昨日の自販機蹴りと同じ! システムが『フツメン』と判定する前に、こいつを『イケメン』の行動として上書きする!)」
凪は、ライン引きを華麗にスピンさせ、叫ぶ!
「イケメンムーブ! 『汚物は消毒だ』!」
彼は、サメと肥料めがけて、石灰を豪快にぶちまけた!
あたりが真っ白になる。
「ゲホッ! ゲホッ!」
「(((マ…ブシ…イ…? シロ…イ…?)))」
サメは、強烈なアルカリ性と白い粉塵に混乱し、動きを止めた。
「(よしっ!)」
凪はガッツポーズをした。
「どうだ! サメは止まった! これが俺の…!」
「(((シャァァァァァッッ!!!)))」
粉塵の中から、怒り狂ったサメが飛び出した!
石灰は、サメを倒していなかった。ただ、激怒させただけだ!
「なっ…! なんで!」
「(油断したな、フツメンがァァ!)」
サメは、勝利を確信してポーズを決めていた凪に、一直線に襲いかかる!
「(あ…! ヤバい!)」
昨日の律の言葉が脳裏をよぎる。
『――それは、命取りになるぞ』
(ザシュッ!)
サメが、凪の目の前で、綺麗に『縦に真っ二つ』に切断された。
「え…」
切断面から、光の粒子が溢れる。
「……フン」
天城院 律が、凪とサメの間に立っていた。
彼の手には、いつ抜いたのか、『体育倉庫にあった、ただの竹刀』が握られている。
「(((マ、マブシイ…!)))」
サメは、そのあまりにも完璧な『居合斬り』のオーラに耐えきれず、完全に消滅した。
律は、竹刀を静かに鞘に戻す。
「……」
「(助かった…)」
凪は、安堵と、またしても律に助けられた屈辱に、拳を握りしめた。
・・・・・・・・・・
夜。律の私室。
「…俺だって! 俺だって、ちゃんとサメを倒せてました!」
シャワーを浴び終えた凪が、律に食ってかかる。
「あんたが来なくたって、俺はあの後ちゃんと、次のイケメンムーブを考えてて…!」
「(ピシャリ!)」
律が、読んでいた本『イケメン帝王学』を閉じる音が、部屋に響いた。
「……危険なイケメンムーブは、やめろ」
「え…?」
「昨日の『自販機蹴り』、今日の『石灰消毒』。お前のそれは『イケメンムーブ』ではない。ただの『博打』だ」
律の声は、いつもの冷たさとは違う、押し殺したような怒りに満ちていた。
「博打でも、助かったんだからいいじゃないですか!」
「(バッ!)」
律は、凪の胸ぐらを掴み、壁に叩きつける。
「よくない!」
「…っ!」
律は、苦虫を噛み潰したような顔で、初めて自分の過去を語り始めた。
「……昔、俺にも相棒がいた」
「!」
「俺がまだ、お前と同じB級だった頃だ。S級の候補として、二人で任務にあたっていた」
律の目が、遠い過去を見ている。
「…そいつは、お前に似ていた」
「え…?」
「フツメンを助けるためなら、平気でルールを破る。感情的で、泥だらけになることを厭わない。…だが、才能はあった」
律は、掴む手に力を込める。
「あの日、俺たちは『ガス管から漏れたサメ』の任務にあたっていた。相棒は、お前が今日やったような、安易なイケメンムーブを選んだ」
「……」
「『イケメンは、爆発すら芸術だ!』…そう言って、あいつはライターの火をつけた」
「まさか…!」
「サメは倒した。だが、爆風が弱かった。サメは生きていた。あいつが勝利を確信して、フツメンを助け起こそうとした、その背中を…」
律は、言葉を区切る。
「……サメに食われた」
「あ…」
「目の前でだ。俺が、何もできなかった目の前で。あいつは、闇に引きずり込まれる瞬間まで、俺を見て『イケメンだろ?』と笑っていた」
律は、凪を睨みつける。その瞳は、悲しみと怒りで揺れていた。
「お前の『博打』は、反吐が出る。あいつの、死に様と同じだ」
凪は、何も言えなかった。
『(…そう、だったのか…?)』
今まで、ただ冷徹な支配者だと思っていた男。
俺を「玩具」と呼び、冷たい言葉を浴びせてきた、その厳しさの理由。
『(俺が…あいつに似てるから…?)』
『(俺に…死んでほしくない、から…?)』
「二度と、俺の前であんな無様な博打を打つな」
律は、凪を解放する。
「…お前は、俺の『玩具』だ。俺が『完璧だ』と認めるまで、壊れることは許さん」
そう言い放ち、律は背を向ける。
凪は、その背中に、今まで感じたことのない『痛み』と『孤独』を見ていた。




