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第3話:霧の中の探偵!

私たちは、九つの死体が転がる館を、亡霊のように彷徨っていた。

わずか数時間のうちに、十二人いた「探偵」は、今や三人。

私、アガサ。

私の友人、アラン・グレイ。

そして、エラーラ・ヴェリタス。


私たちは、二階の吹き抜けにある橋のたもとで、立ち尽くしていた。ルークが落ち、ノクターンが消えた今、この場所もまた、死によって封鎖された。


「……もう、どこにも……」


アランが、血の気の失せた顔で呟いた。

彼は、自身の『記憶改竄』の魔術を使い、自らの恐怖を無理やり精神の奥底に「封印」し続けていた。だが、その代償は大きい。彼の顔には疲労が刻み込まれ、魔力の消耗で立っていることすらやっとなのが、私には分かった。


(完璧よ! 完璧だわ、アガサ!九人の愚かなる探偵が退場した!さあ、残るは、主役と、観客と、そして、最後の『変数』だけ!)


「声」が、私の名を呼んでいる。

九つの、あまりにも専門分野が多岐にわたる、緻密な殺人。

誰が、どうやって。


(愚かね、アガサ。私がやったんじゃない)


あなたが?


「……アガサ?」


アランが、私の異常な様子に気づき、一歩近づいた。


「しっかりしろ。君まで、あの『声』に……!」


「触らないで!」


私は、獣のような声で叫び、彼を突き飛ばした。


「あなたのせいよ!」


「……え……?」


「全部、あなたの仕業なんでしょう!」


私は、最後の理性を振り絞り、目の前の「変数」を指差した。


「あなたの『記憶改竄』! それで、私に、『私が犯人だ』という、偽の記憶を植え付けた! 私のこの頭痛も、あの『声』も、全部あなたが作り出した幻聴なんでしょう!」


「アガサ! 違う! 僕は、自分にしか……!」


沈黙を破ったのは、エラーラだった。


「……フム。実に、古典的な責任転嫁だねェ」


彼女は、アランが持っていた『十二人の探偵』を、いつの間にか手に取り、最後のページを眺めていた。


「探偵君。キミの『アラン犯人説』は、論理的に破綻している。彼がキミに『偽の記憶』を植え付けたとして、他の九つの『物理的なトラップ』は、誰が仕掛けたんだい?」


「それは……彼が、私を操って……!」


「操って?」


エラーラは、心底つまらなそうに首を傾げた。


「キミという優秀な『機械師』を、彼ごときの『記憶操作』で完璧に操れると?


エラーラの冷徹な論理が、私の最後の逃げ道を塞ぐ。

私じゃない。アランよ。

そう叫びたいのに、論理がそれを許さない。

では、私なの? 私が、九人を殺したの?


「……違う……」


私は、首を振った。


「違う……犯人なんて、いない……」


「ほう?」


「そうよ……」


私は、何かに取り憑かれたように、最後の「仮説」を口にした。


「これは……『事故』よ!」


アランが、息を呑んだ。


「事故だって?」


「そう! あの小説よ! あの小説が『呪い』なのよ! ヴァレリウス卿も、ブリジッタも、セラフィナも、コーヴァスも……全員、あの小説の『記述』を過剰に意識するあまり、無意識に誘導され、自ら小説通りの死を選んでしまった! そう……集団心理による、誘導自殺! 壮大な『事故』なんだわ!」


これが、唯一の、私が犯人でない可能性。


「……アガサ……」


アランは、私のその痛々しいほどの「仮説」に、顔を歪めた。


「……もう、いいんだ」


彼は、ふらつく足で、私に一歩、近づいた。


「君は、正常じゃない。あの『声』に、精神を蝕まれている。……僕が、助ける」


「……来ないで!」


「僕の能力は、人の記憶を『封印』するだけじゃない。……『視る』こともできる」


彼は、魔力を振り絞り、その手を、私のこめかみに伸ばした。


「君を苦しめている『声』の正体を、僕が、視てやる!」


「やめて!」


アランの指先が、私のこめかみに触れた。

彼の魔力が、私の精神の内側へと流れ込んでくる。


「―――ッッ!!」


アランの身体が、弓なりに反った。

彼は、私のこめかみに触れたまま、声にならない悲鳴を上げた。

彼の瞳が、私を映したまま、急速に焦点を失っていく。

ドサリ、と。

アランは、私の足元に崩れ落ちた。

彼の鼻と耳から、夥しい量の血が流れ出している。

即死だった。


「……アラン……?」


私は、震える手で、彼の身体を揺さぶった。

冷たかった。


「……フム」


エラーラが、アランの死体を検分しながら、淡々と分析した。


「彼の『記憶操作』の魔力は、対象の精神と、術者の精神を『直結』させる。……だが、キミの精神には……アガサ君。キミではない、もう一つの強固な『自我』が、防衛トラップとして潜んでいた」


彼女は、アランの開いたままの目を見下ろした。


「彼は、キミを助けようとして、自ら『虎の口』に頭を突っ込んだ。そして、彼の『魔力』そのものを逆流させられ、脳を内部から焼き切られた。……彼を殺したのは、彼の『友情』と、彼の『能力』そのものだよ」


アランが、死んだ。

私のせいで。

私の、中にいる「私」のせいで。

残るは、二人。

私と、エラーラ。

『十二人の探偵』。

その、第十章の記述。


『第十の犠牲者は、友を信じた男。その優しさが、彼自身の精神を砕き、真実の只中で倒れる』


「……あなたね」


私の口から、乾いた声が漏れた。


「あなたが、最初から全て……仕組んでいたのね」


「ほう?」


「アランは、私のせいで死んだ。……でも、他の九人は? そして、アランが私に触れるように仕向けたのも! 全て、あなたのその異常な『知識』と『誘導』がなければ、起こり得なかった!」


そうだ。そうでなければ、おかしい。

私一人が、これほど完璧な殺人を、たった一人で準備できるはずがない。


「あなたが『もう一人の私』を操っていたのよ! あなたが、私に暗示をかけ、私を『殺人人形』に仕立て上げた!」


恐怖が、論理を上回る。

私自身が犯人であるという現実から逃れたい一心で、私の脳は、最後の「犯人」を仕立て上げた。


「私のポケットの証拠品も、私の『偽の記憶』も! 全部、あなたが仕込んだんでしょう! アランの『記憶操作』の能力を知っていたのも、私を彼と反目させるため! 全てあなたの筋書き通りよ!」


私は、よろめきながら立ち上がり、エラーラに詰め寄った。


「あなたの『異常なまでの冷静さ』! それこそが、あなたが犯人だという、何よりの証拠よ!」


私は、書見台に残されていた『十二人の探偵』を、狂ったように掴み取った。


「この本よ! あなたの『指示書』! あなたが書いたんでしょう!」


私は、その装丁を、必死で調べた。何か、何か証拠が……あった!

背表紙の、一番下の隅に、小さな、小さな『刻印』。


「……これよ!」


私は、勝利を確信し、その刻印をエラーラに突きつけた。


「この刻印! 『王立錬金術師ギルド』の紋章! この館で、『錬金術』の知識を持つのは誰!? フィニアス教授の死因を、即座に見抜いたのは誰!?」


私は、彼女の白衣を指差した。


「その白衣! その知識! あなたよ、エラーラ! あなたは『ギルドの錬金術師』で、この全ての化学トラップと毒物を用意した! 私の推理は完璧よ! あなたが犯人だわ!」


私は、勝った。

探偵アガサが、この連続殺人鬼を、追い詰めた。

私は、得意げに、勝利の笑みを浮かべた。

エラーラは、私の突きつけた「証拠」を、一瞥した。

そして。

彼女は、心底つまらなそうに、そして、深く、深く、失望したように、ため息をついた。


「……期待外れだ」


「……え?」


「探偵アガサ。キミは、最後の最後で、論理を捨てたな。」


エラーラは、私を憐れむように見つめた。


「その刻印は、『王立錬金術師ギルド』などではない。……それは……王都の大学区にある、ただの古本屋の店章だよ……」


「……うそ……」


「キミの『最終推理』は、あまりにもお粗末だ…もう、キミを『観測』する価値は、ない…」


「得意げになるのは、そこまでよ、アガサ」


私は、自分の言葉に、凍りついた。

今、喋ったのは、私だ。

だが、私ではない。

声が、違う。冷たく、傲慢で、歓びに満ちた、もう一人の私の声。


「……あ……」


(フフ。フフフ……!)


もう一人の私が、私の頭の中で、甲高い笑い声を上げた。


(やっと、二人きりになれたわね)


エラーラは、その「私」の登場を、待っていたかのように、静かに頷いた。


「…やっとお出ましだ。この『霧中館』の、真の主催者殿」


「な……にを……」


アガサ(わたし)の意識が、急速に遠のいていく。


(そうよ、エラーラ。エラーラ・ヴェリタス!)


もう一人の私が、私の口を使って、歓喜の声を上げた。


(王都最高の探偵! 『論理の怪物』! あなたに、この私の完璧な舞台芸術を、見届けてほしかったのよ!)


意識が混濁する。

私は、すべてを理解した。

私の中の「もう一人の人格」。それは、歪んだ芸術家であり、完璧な論理の信奉者。

彼女は、自分自身の「死」すらも、完璧な「謎」として演出し、それを「最高の探偵」に見届けさせることを、至上の喜びとする、歪んだ自殺願望者だった。

この館も、他の十人の探偵たちも、あの小説も、すべては、エラーラ・ヴェリタス、ただ一人を招待するための、壮大な「舞台装置」だった。


(エラーラ! これが最終章よ! この『アガサ』という探偵が、いかにして死ぬか、その美しい論理を、その目で見届けて!)


もう一人の私は、高らかに笑い、エラーラに向かって一歩、踏み出した。

その、瞬間。

私が踏み出した、大広間の中央の床。

ロード・ヴァレリウス卿が死んだ、あのシャンデリアの真下の床が、音もなく、開いた。


「……え?」


シャンデリアの凄まじい衝撃が、このトラップの「ラッチ」を解除する、最後の鍵だったのだ。

私が仕掛けた、最後のトラップ。


(『第十一の犠牲者は、物語を紡いだ者。その論理は自らに還り、閉ざされた舞台にて、求めた通りの『終焉』に倒れる』)


小説の、最後の記述が脳裏をよぎる。

私の身体は、重力に従い、暗い穴の底へと落ちていった。

底には、無数の、鋭い杭が、私を待っていた。

ああ、なんてことだ。

犯人など、いなかった。

いや、犯人は「私」だった。

そして、私もまた、「私」によって殺される、最後の一人だったのだ。

薄れゆく意識の中、穴の上から、私を見下ろす、エラーラの冷徹な紅い瞳が見えた。


(……どう、だった……? 私の、作品は……?)


私の、もう一つの人格が、最後の問いを発する。

エラーラは、その問いに答えることなく、静かに呟いた。


「……フム。実に、実に興味深い『自殺(さくひん)』だったよ、探偵アガサ」


彼女は、第十二の記述、『第十二の探偵は、観測者。その瞳は、終焉を見届け、ただ独り、霧の中へと立ち去る』を、その目で完璧に体現した。

主を失った館の封印が、音を立てて解けていく。


エラーラ・ヴェリタスは、ただ一人、この狂った実験場から、静かに立ち去った。

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