第1話:Twelve Monkeys
主題歌:12モンキーズ サウンドトラック
https://youtu.be/152Y93v9Jlk
雨が降っていた。
山岳地方特有の、重く、冷たく、思考そのものを鈍らせるような雨だった。
私は、探偵アガサ。
この陰鬱な長旅の理由は、一通の招待状。
『真実を追う者よ。その類稀なる慧眼を、霧の洋館にて拝借致したく』
差出人の名も紋章もない。
ただ、インクの滲みを許さない高価な月長石の紙だけが、この招待の裏にある並々ならぬ意図を物語っていた。
馬車が停止し、私は「霧中館」と呼ばれる重い石造りの館の前に降り立った。
分厚い樫の扉は、私が手を触れる前に、魔力的な抵抗もなく自動で開いた。
内部は、外観に反して過剰なほど明るかった。
高い天井からは、巨大な水晶のシャンデリアが吊り下がり、大理石の床を白く照らしている。
そして、その大広間には、すでに大勢の男女が集まっていた。
「やあ、アガサ。君も呼ばれたか」
その声に、私は張り詰めていた息を小さく吐き出した。
「アラン……」
アラン・グレイ。王都警邏隊の嘱託探偵であり、私の数少ない友人だ。
「壮観だね」
アランが苦笑混じりに周囲を示す。
「これだけの『探偵』が一堂に会するとは」
彼の視線を追い、私は集まった顔ぶれを値踏みする。
鷲鼻の厳格そうな老人、ロード・ヴァレリウス卿。王立アカデミーの論理学教授。「歩く法典」と呼ばれる男だ。
全身を黒銀の鎖帷子で覆った屈強な女騎士、ブリジッタ。荒事専門の賞金稼ぎ兼探偵。
絹のドレスをまとい、虚空を見つめる妖艶な美女、レディ・セラフィナ。魔力探知の専門家。
壁際で分厚い書物を読みふける、中性的な顔立ちの青年、コーヴァス。あらゆる文献を記憶している。
腰のベルトに無数の工具を吊るした小柄な男、サイラス。罠の解除を得意とする。
常に薬品の匂いを漂わせる教授風の男、プロフェッサー・フィニアス。毒物分析の権威。
ホールの影に溶け込むように佇む、性別不詳の人物、ノクターン。情報収集の専門家。
大声で持論を振りまいている、恰幅のいい紳士、セネター・マグナス。尋問術の達人。
そして、腕組みをして全員を懐疑的に眺めている、鋭い目つきの男、ルーク。魔術無効化の専門家だ。
私、アラン、そして今挙げた九人。
これで十一。
招待状には「十二人の探偵」とあったはず。
その時、私は気づいた。
彼ら「探偵」の輪から少し離れた窓辺に、その女は立っていた。
十二人目。
肌は、南洋の真珠を思わせる、艶やかな褐色。
髪は、魔銀の光沢を放つ銀。
何より目を引くのは、その服装だった。私たち探偵が皆、旅装か正装であるのに対し、彼女は、まるで錬金術師か魔導技師が着るような、機能性だけを追求した純白の外套を身につけていた。
その白衣の上からでもわかる、理不尽なまでの豊満な胸の起伏。
誰だ?
これほど目立つ特徴の女の噂は、王都のどのサロンでも聞いたことがない。
私の視線に気づいたのか、女がゆっくりとこちらを振り向いた。
息が、詰まった。
その瞳には、恐怖も緊張も、社交辞令の笑みすらない。ただ、底冷えのする知性と、純粋な好奇心だけが輝いていた。
その時だった。
低い地響き。
次の瞬間、私が入ってきた重い樫の扉が、凄まじい速度で閉じた。
ドンッ!
館全体を揺るがすような閉鎖音と共に、扉の縁が青白い魔力の光を放ち、複雑怪奇な古代印が浮かび上がった。
「なっ!?」
ブリジッタが剣の柄に手をかける。「閉じ込められたぞ!」
白衣の女、エラーラ──と彼女は後にいった──は、騒ぐ探偵たちには目もくれず、青白く光る扉に近づいた。
「フム……。高密度のマナ障壁だねェ。術式基盤は古代語。物理的干渉は無意味。実に興味深い」
そのエラーラが、ホールの中心を指差した。
そこには、先ほどまでは確かに存在しなかったはずの黒檀の書見台が、いつの間にか出現していた。
そして、その上には一冊の、血のように真紅の装丁が施された分厚い本が置かれている。
アランが恐る恐る近づき、その背表紙を読み上げた。
「『十二人の探偵』……?」
不吉な題名。集められたのは、私たち十二人。
「馬鹿馬鹿しい!」
ロード・ヴァレリウス卿が、怒りに顔を赤くして書見台に近づいた。
「こんな子供騙しの脅しに、この私が怯えるとでも?」
彼はそう言いながら、乱暴に本の表紙を開き、第一章の冒頭を読み上げ始めた。
「『第一の犠牲者は、最も傲慢な老賢者。その知恵は、天から降り注ぐ理不尽なまでの『光』によって圧し潰される。大広間のシャンデリアの下、砕け散った水晶と共に、彼の論理もまた霧散する』」
読み上げたヴァレリウス卿は、嘲笑うかのように顔を上げた。彼はわざとらしく、記述通り、真下にあるシャンデリアを見上げる。
「なんと下らない。シャンデリアだと? この館の魔力制御は完璧だ。この私の論理が保証する!」
その言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
天井から、金属が引き千切れるような、嫌な音が響いた。
私たち全員が、ヴァレリウス卿が見上げた天井を、同時に見上げた。
巨大な水晶のシャンデリア。その根本を支えていた極太の鎖が、まるでねじ切られたかのように、弾け飛んだ。
数トンの重さがあるであろう水晶の塊が、轟音と共に落下する。
「危ないっ!!」
アランが叫ぶ。
だが、ヴァレリウス卿は、自分の真上に死が迫っているというのに、信じられないという表情で固まっていた。
凄まじい衝撃音。大理石の床が砕け、無数の水晶片が弾丸のように四方へ飛び散った。私の頬を、鋭い破片が掠める。
埃がゆっくりと晴れていく。
そこには、無残に砕け散ったシャンデリアの残骸と、
その下敷きになり、赤い大理石模様の一部と化した、ロード・ヴァレリウス卿の姿があった。
「ひっ……!」
セラフィナが口元を押さえる。
「呪いだわ……」
彼女が、震える声で呟いた。
「あの本に書かれた通りのことが……これは、呪いよ!」
「呪い、ではないね」
その声は、エラーラだった。
彼女は、恐怖に震える私たちとは対照的に、瞳を爛々と輝かせ、天井の鎖が繋がっていた基部の残骸を見上げていた。
「探偵諸君。キミたちは『呪い』と断定した。あまりに早計だ」
彼女は、ヴァレリウス卿の亡骸を冷徹に一瞥した。
「これは、音響式の魔導機械トラップだ。特定の『鍵』によってのみ留め金が外れるよう設計されている。そして、その『鍵』、とは」
彼女は、ヴァレリウス卿の最期の言葉をなぞった。
「おそらく、『単語の組み合わせ』と『周波数』こそが、トラップの起動キーだったのだろう。この小説は『予言書』などではない。被害者の性格を正確に読み、特定の行動を誘導するための、『指示書』だよ」
私たちは、エラーラの論理に絶句した。
ヴァレリウス卿は、彼自身の「傲慢さ」と「声」によって、彼自身の手で殺されたのだ。
「ふざけるな!」
沈黙を破ったのは、女騎士ブリジッタだった。彼女は、怒りを剥き出しにしていた。
「魔術師崩れめ! こんな子供騙しの罠、私が叩き壊してやる!」
「待て、ブリジッタ!」
アランが制止する。
「一人で動くな! 犯人の思う壺だぞ!」
「なら、お前たちはここで震えていろ!」
彼女は、私たちを振り切り、ホール西側にある、苔むした小さな鉄の扉に向かった。そこには、古代印の防御術式が刻まれている。
「これは警備兵用の抜け道だ! 私の腕力でこじ開けてやる!」
ブリジッタは、その鋼鉄の篭手で鉄の扉を掴み、全身の力を込めた。
その瞬間。
凄まじい放電音と共に、ブリジッタの全身から青白い電光が迸った。
「ぎ……っ!?」
彼女は、悲鳴を上げることすらできず、全身の鎧を赤熱させ、黒焦げになってその場に崩れ落ちた。
「……雷……」
コーヴァスが、震える声で呟いた。
私たちは、ホールから『十二人の探偵』を持ってきた。第二章のページ。
『第二の犠牲者は、屈強なる腕。その剛力は古の守護になすすべなく、西の回廊にて雷に呑まれる』
「……記述通りだ……」
対魔術師のルークが、警戒しながらブリジッタの死体に近づき、眉をひそめた。
「おかしい。扉のルーンは、確かに防御術式だ。だが、致死性の『雷』を放つ効果はない。これは、何か別の……」
「『回路』さ」
いつの間にか、エラーラが私たちの後ろに立っていた。
彼女は、ブリジッタの死体には目もくれず、周囲の壁と床を丹念に調べている。
「このルーンは、『雷』そのものじゃない。それは、彼女が『触れる』ことを期待されて設置された『スイッチ』に過ぎない」
エラーラは、壁の継ぎ目から剥き出しになっていた、一本の古い魔導線を指差した。
「犯人は、この回廊の主電源を、この鉄の扉に直結させた。そして、この床石に、アースとは逆相の魔力を流した」
彼女は、紅い瞳で私たちを見据えた。
「これだけでは何も起こらない。だが、そこに『彼女』が入ってきた。全身を『鎧』という、極めて伝導率の高い物質で覆った彼女が。そして、『金属の靴底』で帯電した床に立ち、『金属の手』で、帯電した扉に触れた。つまり、回路だ。」
ブリジッタは、「力尽く」で扉をこじ開けようとしたのではない。
彼女の「剛勇」の象徴であった「鎧」そのものが、彼女を殺すための最適な「導線」として、犯人に見定められていたのだ。
一瞬にして、二人が死んだ。
残るは、十人。
恐怖が、ホールを支配した。
その時、セネター・マグナスが、震える指をエラーラに向けた。
「貴様!」
「ほう?」
「貴様だ、エラーラ! 貴様だけが、この異常な状況を理解しすぎている! ヴァレリウス卿の時も、ブリジッタの時も、まるで、自分が仕掛けた罠の成果を確認するかのように、トリックを暴いてみせた!」
その言葉に、私たちはハッとした。
そう、彼女の知識は異常だ。
アランが、私を庇うように一歩前に出た。
「マグナス議員の言う通りだ。君は、この中で、唯一誰とも面識がない。そして、君のその『知識』は、我々とは異質だ。しかも、君はこの惨劇を、『興味深い』とまで言った。『興味深い』とな!……君が、犯人なんだろう!」
十人の探偵の、疑念と敵意に満ちた視線が、エラーラ一人に集中する。
白衣の女は、この状況下ですら、楽しげに口元を歪めた。
「私が犯人であるという仮説。蓋然性は、確かに高いねェ。」
「認めるのか!」
「いや? 私の専門分野は『真実』だ。そして、この館は、私がこれまで出会った中で、最も美しく、最も知的な『謎』だ。」
彼女は、私たち一人一人を順番に、品定めするように見つめた。
「この『霧中館』は、壮大な『実験場』だ。犯人は、我々という探偵が、いかにしてこの『死の迷路』を踏破するかを観測している。……そして、私もまた、キミたちを、観測させてもらうよ」
「……実験ですって?」
私は、彼女の非人間的な感性に戦慄した。
「人が、死んだのよ!」
「ああ。実に美しく『退場』している。美しいね…実に美しい。ねえ、探偵君たち。」
彼女の冷たい笑み。
それは、私たち生存者全員に対する、宣戦布告のように思えた。




