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第3話:完全なる勝利!

カイドーという名の「刑事」が、その腐りかけた肉体をKR13の原液タンクに投じ、ドクター・イワナガを道連れにしてから、1時間が経過していた。


午前6時。

本来であれば、王都の中枢が「浄化」という名の静かなる大量虐殺によって麻痺しているはずだった時刻。

王都地下鉄・旧司令室は、死体と血肉、そしてKR13の原液が放つ異様な臭気に満たされていた。鳴り響いていた警報は、エラーラが王都全域の魔導通信網へのデータ送信を完了すると同時に、ぴたりと止まった。


静寂。

そこに、整然としたブーツの音が響き始める。

重厚な鋼鉄の扉が、外側からゆっくりと開かれた。

現れたのは、純白の魔導装甲に身を固めた『神の国キチュ』の私兵部隊、聖騎士団だった。彼らは、司令室のおぞましい光景を前にしても、誰一人として動揺する者はいなかった。


「……確保」


隊長格の男が、短く命じる。

彼らは、イワナガとカイドーが融解しながら融合した「タンク」に厳かに敬礼し、まず司令室のメインコンソールを確保した。

エラーラが送信した「テロの全データ」は、すでに彼らの手にも渡っていた。

隊長は、司令室の片隅に設置されていた予備の魔導通信機を起動する。相手は、教団の最高意思決定機関だ。


「こちら『白』。『イワナガ』、および『カイドー』の“殉教”を確認。両名、KR13原液タンクに落下、回収は不可能です」


通信の向こうで、静かな声が応えた。


『……ご苦労。イワナガは、その身をもって神への反逆の愚かさを示した。カイドーは……彼こそが、我が教団の誇るべき聖人である』


「して、エラーラの漏洩したデータは?」


『エラーラ君は、すべて我々の「指示」通りに仕事を終えたのだ。すべては、我らが教祖・ルジブ様の描いた筋書き通りに進んでいる。……これより、最終フェーズに移行する』


通信が切れる。


エラーラが放った「真実」の弾丸は、王都の報道機関や警備隊本部に着弾する寸前で、キチュの張った巨大な防御障壁によって完璧な「物語」へと昇華され、王都を救う「福音」として響き渡ることとなる。

カイドーの10時間の死闘は、皮肉にも、最悪の形で『キチュ』の勝利を決定づける、最後の引き金となってしまったのである。


王都は、混乱の極みにあった。

だが、それはテロによる混乱ではなく、エラーラが暴露した「真実」、すなわち、キチュによって完璧に演出された「偽りの真実」による、政治的激震であった。


『王都警備隊、ドクター・イワナガと結託! 王都転覆の大逆計画!』


『悪の科学者イワナガ、警察と癒着し禁断の錬金毒薬KR13を開発!』


『殉教せし聖カイドー! 教団幹部、王都を守るため、悪のイワナガと共に散る!』


王都の全機関紙は、一斉に同じ見出しを掲げた。

エラーラがリークした「イワナガがKR13について語る音声」は、巧みに編集され、「イワナガが腐敗した王都警備隊幹部と結託し、王都転覆を企てている証拠」へとすり替わっていた。


ヒロミを含む暗殺リストは、「イワナガと警備隊が、口封じのために殺害した『聖カイドー』の家族と、キチュ内部の良識派リスト」として報道された。


すべては、『神の国キチュ』の科学者であったドクター・イワナガが、腐敗した王都警備隊と癒着し、KR13を悪用して王都を支配しようとした、という壮大な「裏切り」の物語として断罪されたのである。


そして、その邪悪な計画にいち早く気づき、自らの命を犠牲にして、裏切り者イワナガと腐敗警備隊の野望を打ち砕いたのが、教団の敬虔なる幹部、『カイドー』その人であった、と。

カイドーの融解しきったおぞましい亡骸の魔導写真は、「裏切り者イワナガとの死闘の末、悪魔の毒に侵された聖人の痛ましい最期」として、王都全域に晒された。

王都民は、そのあまりの惨たらしい姿に涙し、自らを守ってくれた「聖カイドー」への感謝と、彼を裏切った「王都警備隊」という組織そのものへの、強烈な不信感と憎悪を抱いた。


「警備隊が黒幕だったのか……!」


「カイドー様……! 我々王都の民のために、あんな姿になるまで……!」


「なんて恐ろしい。イワナガと警備隊は、我々を皆殺しにするつもりだったんだ」


「それを、命がけで止めたのが、『キチュ』のカイドー様だったとは……」


世論は、一瞬にしてキチュの望む形となった。

王都警備隊は「王都の敵」となり、これまで日陰の存在であった『神の国キチュ』は、「王都を救った英雄を輩出した、唯一信頼できる組織」へと祭り上げられた。

この「警備隊の不祥事」の責任を問われ、『キチュ』国教化に慎重だった王都政府の与党・旧貴族派は、総辞職に追い込まれた。

王都首相をはじめとする主要閣僚は、「イワナガと警備隊の癒着を黙認した」という容疑で、次々と逮捕されていった。

もちろん、彼らの容疑を裏付ける「証拠」は、すべてキチュによって捏造されたものだった。

そして、政治的空白が生まれた王都で、緊急の「救国選挙」が行われた。


結果は、圧勝だった。

『神の国キチュ』を支持母体とする新党・『平和友愛党』が、議会の全議席の9割以上を掌握したのである。

「殉教者カイドー」の国葬が執り行われた日、王都は白い花で埋め尽くされた。

新たに王都の指導者となった『平和友愛党』党首、大司教ブジルは、カイドーの遺影の前で、涙ながらにこう宣言した。


「我々は、二度と『イワナガと腐敗警備隊の悪夢』を繰り返しません! 腐敗し、悪に巣食われた旧体制は、今日ここに終わります。我らが兄弟、聖カイドーの尊い犠牲の上に、これより、王都は『神の秩序』の元、『神聖王都』として生まれ変わるのです!」


地鳴りのような喝采が、王都を揺がした。

人々は、イワナガと警備隊という「絶対悪」から救ってくれた新しい指導者ブジルと、聖人カイドーを生んだ『キチュ』を、心から称賛し、その勝利に熱狂した。


王都は、文字通り「生まれ変わった」。

旧王都警備隊は、正式に「反社会的テロ組織」として解体された。

彼らに代わり、王都の全ての治安維持を担うことになったのが、『キチュ聖騎士団』である。

純白の装甲に身を固めた彼らは、街のあらゆる辻に立ち、市民の「安全」と「信仰」を守る、新たな「正義の象徴」となった。

王都議会は、『平和友愛党』によって「神聖統治法」を可決。『神の国キチュ』は、正式に王都の国教と定められた。

さらに、イワナガと警備隊の「悪魔の巣窟」と認定された旧市街や歓楽街は、聖騎士団によって徹底的に「浄化」された。土地はすべて『キチュ』に接収され、跡地には信者のための巨大な居住区と教会が建設され、莫大な不動産収入が教団にもたらされた。


王都は、驚くほど「平和」になった。

街角から犯罪は消え、浮浪者の姿も無くなった。

聖騎士団による「浄化パトロール」が徹底され、『キチュ』の教義に疑問を呈したり、旧体制を懐かしむような「不浄な思考」を持つ者は、即座に「イワナガ原理主義者」として逮捕され、二度と戻ってこなかったからである。


『聖カイドーの日』が新たな祝日として制定され、子供たちが読む教科書はすべて書き換えられた。

そこには、自らの命を犠牲にして王都を救った聖人カイドーの美談と、彼が命がけで暴いた、悪の科学者イワナガと腐敗警備隊によるテロ計画、という「歴史」が記されていた。

カイドーの住んでいたアパートは「聖人の生家」として浄化・保存され、跡地には『聖カイドー記念教会』が建設された。

市民は、恐怖から解放された「平和」な日常を心から享受し、『キチュ』の統治と、彼らがもたらした「神の秩序」を、熱狂的に支持し続けた。


『神聖王都』の成功は、始まりにすぎなかった。

王都の「平和」と「秩序」は、奇跡の報せとして、瞬く間に王国全土の知るところとなった。

旧体制の下で、地方領主の圧政や、盗賊団の横行や、不安定なインフラに喘いでいた他の都市や領邦は、こぞって王都の奇跡を羨望した。

『平和友愛党』と『神の国キチュ』は、その期待に応えた。


教祖「ルジブ」と、その弟にして『平和友愛党』党首となった大司教「ブジル」。

二人の兄弟は、王都の外へと、その「救済」の歩みを進めた。

ルジブは、常に純白の御簾の奥に座し、その姿を誰も見ることはできない。彼は神聖なる「教義」を示す、不可視の神そのものとして。

ブジルは、その「神託」を実行する、カリスマ的な指導者として。

彼らが訪れる都市では、大地が震えるほどの熱狂的な歓迎が巻き起こった。


「我々の街にも、神の秩序を!」


「腐敗した領主を追い出し、聖騎士団を!」


「我らも神聖なる民にしてくれ!」


民衆は、自ら進んで旧来の支配者を追放し、『キチュ』の統治を求めた。

聖騎士団が、無能な地方警備隊の代わりに治安を維持すれば、あれほど蔓延っていた盗賊や犯罪は、嘘のように消え去った。

『キチュ神聖エネルギー公社』が、古い魔導インフラを掌握すれば、不安定だった生活は安定した。

ブジルは、各都市の中央広場に集まった何万という民衆の前で、両手を広げ、高らかに宣言する。


「兄弟姉妹よ! もはや我々は、『穢れた血脈』の脅威に怯える必要はない! 我が兄、教祖ルジブ様がもたらされた『浄化』の光が、そして我らが同胞、聖カイドーの尊い犠牲が、今やこの国全土を照らすのだ!」


民衆は、歓喜の涙と共にその名を叫んだ。

「ルジブ様!」「ブジル様!」「聖カイドー万歳!」

感謝と称賛の中、王国全土が、わずか数ヶ月のうちに『神の国キチュ』の教義の下に統一されていった。


・・・・・・・・・・


エラーラは、相変わらず獣病院の片隅に潜んでいた。

魔導モニターには、新しくなった「神聖王都」の整然とした街並みが映し出されている。

純白の聖騎士団が、市民に笑顔で手を振り、市民がそれに応えている。

実に「平和」な光景だった。


「……フム」


エラーラは、その光景を眺め、退屈そうにため息をついた。


「実に……つまらない結末だ」


エラーラは、カイドーに協力したあの日、内心ではぼんやりと『キチュ』の解体を望んでいた。

だから、カイドーという「起爆剤」と、自らがリークした「データ」という爆薬を使い、腐敗した王都政府もろとも『キチュ』を吹き飛ばし、「新たな実験場」が誕生することを期待していた。

だが、結果は違った。

『キチュ』は、エラーラがリークしたデータを、完璧に利用し、自らの権力基盤を盤石なものにしたのだ。


「フム。私の仮説は間違っていたようだね。実証データよりも、大衆を制御する『物語』の方が、社会を動かす変数として強かったか。……興味深いデータではある」


エラーラが、カイドーの最後の戦闘データを再び見返そうと、コンソールに手を伸ばした、その時。

ふわり、と。

そこにあるはずのない、一枚の封筒が、エラーラの作業台の上に出現した。


「……!」


エラーラの全身に、総毛が立った。

この工房は、王都最高レベルの魔導障壁と物理セキュリティで守られている。

いかなる転移魔法も、いかなる錬金術も、この工房への侵入は不可能なはずだった。

エラーラは、震える手で魔導スキャナーをその封筒にかざす。


……魔力反応。

……錬金術の痕跡。

……指紋。

……呪術的な因果。

すべてが、ルジブ本人のものだった。


恐る恐る、封を切る。

中には、上質な羊皮紙が一枚。

そこには、インクで書かれた、美しくも冷たい直筆の文字が並んでいた。


『カイドー君の件、本当にありがとう。彼の貴重な戦闘データは、KR13の「副作用」を完全に抑え込む最終調整に、実に役立った。おかげで、我が『キチュ』が定義する「穢れた血脈」だけを、目に見える証拠を一切残さず『浄化』できた。ありがとう。本当に、ありがとう。』


読み終えると、手紙は光となって、消えた。

自分の科学を、知識を、そして予測を、遥かに超越した存在。

自分が「観測していた」つもりで、実は、自分こそが「観測されて」いたという、絶対的な敗北の証拠。


「……フム」


工房に、乾いた笑い声が響いた。

それは、自らの無力さを悟った絶望の笑いであり、同時に、理解不能な「新たな研究対象」を見つけた、狂気に満ちた歓喜の笑いだった。

神聖王都に、真の平和が訪れた。

その礎となった刑事カイドーの「本当の姿」は歴史から抹消され、彼のために「作られた名前」だけが、聖人の同義語として永遠に歴史に刻まれることとなった。

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