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第4話:無実の証明!

経済特区「アルカディア・ネオ」の空は、いつも、嘘のように晴れ渡っていた。

魔力によって制御された天候は、埃一つない青空を演出し、ガラスと鋼鉄の摩天楼が、その冷たい光を無感動に反射し続ける。そこには、王都のような、湿った路地裏も、歴史の染みついた石畳も、不意に降り出す気まぐれな雨も存在しない。

すべてが清潔で、すべてが整然とし、すべてが──死んでいた。


「……データが、ない」


特区警察がエラーラ・ヴェリタスのために用意した、安宿の一室。

その殺風景な部屋で、彼女はテーブルに広げた捜査資料を睨みつけ、苛立たしげに呟いた。

あの日、聖アフェランドラ女学院の生徒たちと接触してから、さらに数週間が経過していた。

その間、エラーラは寝る間も惜しんで、自らの足と知性を酷使した。学院の関係者への聞き込み。被害者たちの身辺調査。事件当日の、街の魔力監視網の全ログ解析。

だが、結果は変わらなかった。

ゼロ。

すべてが、ゼロだった。

魔力痕跡なし。

動機、不明。

そして、あのアリシアと呼ばれるエルフの少女は、留置所の奥で「わたくしが、やりました」と、壊れた魔導人形のように繰り返すだけ。


「ふざけている……」


エラーラは、ガリガリと強くペンを紙に走らせ、巨大な相関図を黒く塗り潰した。


(アリシアは、セラフィナを愛していた)


(だが、セラフィナはその事件で死んだ)


(何者かによる怨恨による犯行にか?)


(集団ヒステリー? あるいは、未知の薬物による精神汚染か?)


仮説を立てては、証拠の欠如によって、それが崩れ去っていく。

この「論理の不在」こそが、エラーラを最も苛立たせるものだった。彼女の知性は、この清潔すぎる街と同じで、曖昧さや矛盾を許容できない。

彼女の脳裏に、あの忌まわしい記憶が蘇る。

魔導列車の脱線事故。

生き残った、たった一人の親友。

「魔女だ」と、何の論理的根拠もなく彼女を責め立てた、愚かな大衆。

そして、その「非論理」な悪意に耐えきれず、自ら命を絶った、彼女の笑顔。


(……二度と、繰り返させん)


エラーラは、椅子を蹴立てるように立ち上がった。

通常の捜査では、ラチが明かない。あの女学生たちが口にした、アリシアとセラフィナの「狂おしいほどの愛」とやらも、結局は主観的な観測データに過ぎない。

必要なのは、客観的で、揺るぎない、生の「観測結果」。


(……残された手段は、一つか)


それは、彼女が専門とする魔力生態学の、さらに奥深くにある禁忌の領域。

他者の精神に直接介入し、その記憶を「追体験」する魔導技術。

アカデミーでは、その倫理的な危険性と、術者への深刻な精神的副作用の可能性から、厳しく制限されている非合法な手法だった。

だが、エラーラにとって、倫理など、自らの知的好奇心と真実の追求の前では、何の意味もなさない装飾品に過ぎなかった。


「……私の仮説を証明す、最後の実験だ」


彼女は白衣を翻し、安宿の部屋を飛び出した。



「許可できるわけがないでしょう!」


特区警察署長の甲高い声が、その清潔すぎるオフィスに響き渡った。

ガラス張りの壁の向こうには、彼が誇るアルカディア・ネオの整然とした街並みが広がっている。


「何を考えているんですか、エラーラさん! 『記憶の追体験』だ? そんなオカルトを証拠として採用しろと? 冗談じゃない! 我々特区警察は科学的捜査と法に基づいて、職務を遂行しているんですよ!」


署長は、エラーラを値踏みするように見下ろしながら、あからさまな侮蔑を露にした。

エラーラは、その男の虚飾に満ちた言葉を、冷ややかに聞き流していた。


「オカルト、ね。貴様が『科学的』と呼ぶその捜査手法が、この数週間、何一つの『データ』も生み出さなかったという事実から、目をそらすのはやめたまえ」


「そ、それは……犯人が狡猾なエルフだからであって……!」


「私は、その『狡猾なエルフ』の頭の中に直接アクセスし、真実を観測すると言っている。事実をな!…これほど科学的で、直接的なアプローチが、他にあるかね?」


「だめだ!」


署長は、デスクを強く叩いた。


「倫理的に、絶対にだめだ! 容疑者の人権を蹂躙する行為だ! 王都のアカデミーが、何を教えているのか知らんが、この特区では、特区の法に従ってもらう!」


「倫理、ねぇ……」


エラーラは、その「倫理」という言葉を聞いて、小さく鼻を鳴らした。


(また、それか)


(その、何の役にも立たない、空虚な言葉が、あの時、私の友人を殺したというのに)


「……どうしても、だめかね?」


エラーラは、静かにもう一度、確認した。


「だめだ! 何度言っても同じこと! 科学者なら、もっと足を使った地道な証拠集めを……」


署長が、勝利を確信したかのように、説教を続けようとした、その瞬間。

エラーラは、ふ、と口元の緊張を緩めた。

それは、興味深い実験結果を目の前にした時のような、あるいは、被験体を罠にかけた時のような、怪しい笑みだった。


「な、なんだね、その笑いは……」


「いいや、なに……」


エラーラは、まるで世間話でもするように、ゆったりとした口調で続けた。


「この数週間、暇でねぇ……貴様の言う『地道な証拠集め』とやらを、少々、別の方向でやってみたのだよ」


「別の方向?」


「そう。例えば……この美しい経済特区の、『インフラ整備』に関するデータだ」


署長の顔が、わずかに強張った。


「実に興味深いデータを発見した」


エラーラは、指を一本立て、言葉を紡ぎ始めた。


「三ヶ月前に行われた、高架式魔導軌道の第三期工事。その入札だ。複数の業者が参加した中、最終的に契約を勝ち取ったのは『ネオ・メタルワークス』社。予定価格の九十九・八パーセントという、実に非効率な落札価格でね」


「……それが、どうしたというのだね」


署長の額に、脂汗が滲み始めた。


「そして、この『ネオ・メタルワークス』社の取締役だが……実に奇遇だ。貴様の奥方の、実の弟君だったとは。ああ!家族経営とは、実に美しい!涙が出るほどの美談だなぁ!」


「き、貴様……! 何を……!」


「ああ、まだデータはあるぞ?」


エラーラは、その瞳で、獲物をいたぶるように署長を射抜いた。


「問題は、そこではない。その会社が納入した、軌道を支える『魔導強化鋼』の、強度データだ。私がスキャンさせてもらったが……ふふ、これは実に素晴らしい!」


彼女は、心底楽しそうに、喉を鳴らした。


「データが、ね……!」


「ひっ……!」


署長は、椅子から崩れ落ちそうになった。


「おそらくだが……規格値を、満たさないのでは、ないかな?……つまり、粗悪品だ。このまま運行を続ければ、そうだな……あと半年。いや、乗客が満載の状態で、大型の魔導列車が急制動でもかければ、明日にでも、あの美しい高架橋は崩落するだろう、なあ!」


エラーラは、青ざめて震える男に、ゆっくりと顔を寄せた。


「その時、どれほどの人間が死ぬかね? あの『大量殺人』の、三十四人どころの話では済むまい。……そして、その『人災』の裏で、貴様がいくらの金を受け取っていたのかが、白日の下に晒される!ああ恐ろしい、恐ろしい!」


「……」


署長は、もはや声も出なかった。


「さて、署長殿」


エラーラは、元の冷たい表情に戻り、最終通告を突きつけた。


「私は、今から、あのエルフの少女の『記憶』を観測する。これは、大量殺人事件の捜査だ。貴様は、それを『倫理的に』許可する。……それとも、私は今すぐこの『データ』を、王都の監査局と、特区の報道機関に同時に転送すべき、かね?」


「……わ、わかった」


署長は、絞り出すような声で降伏を告げた。


「や、れ……。好きに、やるがいい……」


「ふん。賢明な判断だ」


エラーラは、勝ち誇るでもなく、ただ淡々と告げた。

「では、署内の一室と、魔導水晶を一つ、用意してもらおうか」


特区警察署、地下。

あの時と同じ、冷たい面会室とは別の、機材室のような埃っぽい小部屋。

エラーラは、拘束衣を解かれたアリシアと、二人きりで向き合っていた。

少女の瞳は、相変わらず、何も映さない湖のようだった。

エラーラは、署長が用意させた魔導水晶を、忌ましげにつまみ上げた。

それは、彼女の研究室にあるような高純度の物とは比べ物にならない、濁りの入った、旧式の安物だった。


(……チッ。こんな低品質な代物では、精神同調の際に、どれほどのノイズが乗るか、わかったものではないな)


だが、選択肢はなかった。


「……今から、君の記憶を観測する」


エラーラは、アリシアに淡々と告げた。


「多少、不快な感覚があるかもしれんが、私の知的好奇心のためだ。我慢したまえ」


アリシアは、反応しなかった。

エラーラは、その安物の魔導水晶を、少女の白い額にそっと当てた。そして、もう片方の手を、自らの額に当てる。


(……認知座標、同調開始)


(被験体:アリシア。観測者:エラーラ・ヴェリタス)


(主観的現実、データ・ストリーム強制注入、開始)


エラーラが、魔力回路を接続した瞬間。

世界が、軋んだ。

視界が白く塗り潰され、凄まじい重力が、エラーラの意識を襲う。安物の水晶が、二人の精神を強引に、乱暴に結びつけていく。


(ぐ……っ! 安物はやはり、ダメだ……!)


エラーラは、自らの意識が、アリシアという名の少女の巨大な記憶の海に、無理やり引きずり込まれていくのを感じた。

自分がエラーラであるという認識が、遠のいていく。

そして……

エラーラは、アリシアの傍らに立っていた。

自らの身体は、透明な存在となり、誰の目にも触れない。声も出ない。ただ、アリシアという少女の視界、聴覚、感情、そのすべてを、アリシアのすぐ隣で、「追体験」する。

これは、記憶の再現ではない。

これは、過去の「現実」を、アリシアという「器」を通して、エラーラが体感する、悪夢だった。



最初にエラーラが立った場所は、聖アフェランドラ女学院の聖歌室だった。

西日が床板の隙間から差し込み、空気中の細かな魔力の粒子を金色に照らし出している。


(……美しい。これが、あの子の見ていた世界か)


エラーラは、アリシアから流れ込む、この光景に対する純粋な「愛おしさ」を感じ取り、胸を突かれた。

お部屋の真ん中。古びた大聖琴に、少女、セラフィナが、気怠げに寝そべっている。その髪を、別の少女、ロザリンドが、愛おしそうに指で梳いていた。

エラーラは、今、アリシアの隣に立ち、その光景を見つめている。アリシアから流れ込む、二人への強烈な「憧れ」と、わずかな「羨望」が、エラーラの論理的な思考を揺さぶる。


「ねぇ、セラフィナ」


ロザリンドのとろけるように甘い声が、エラーラの鼓膜を震わせた。


「今宵の天体劇場は、あなた様のためだけにご用意した舞台ですわ」


「ふふっ……ロザリンド様は、わたくしにどうしてほしいのかしら?」


「決まっておりますでしょう? あなた様のすべてを、わたくしだけにお見せなさい。……他の人間など、どうでもよくてよ。彼らは、あなたの美しさを引き立てるための、ただの背景なのですから」


(……なんと、傲慢で、純粋な……)


エラーラは、二人が交わす言葉の危うさに息を飲んだ。だが、アリシアから流れ込む感情は、ただ、その光景の「美しさ」に陶酔しているだけだった。

二人が、口づけよりも親密に、額をこつんと合わせる。

その時、エラーラの視界(アリシアの視界)の端に、窓際に立つ別の少女、ライラの横顔が映った。

制服のスカートを握りしめた拳が、小さく震えている。その瞳は、ロザリンドだけを、狂おしいほどの嫉妬と渇望で見つめていた。


(止めろ……!)


エラーラの思考が、警鐘を鳴らす。


(この感情は、危険だ。あまりにも不安定すぎる。なぜ、誰も気づかない!?)


だが、声は出ない。この記憶の中で、エラーラは透明な傍観者だ。アリシアは、ただライラの横顔に、かすかな「同情」と「痛み」を感じているだけ。


「アリシアさん、参りましょうか。お時間に遅れてしまいますわ」


穏やかな声。スケッチブックを閉じたカエリアが、アリシアに(そしてエラーラに)微笑みかける。


「今日は、きっと忘れられない日になりますから」


その女神のような微笑みの裏に、すべてを諦めたような、底知れない闇が隠されているのを、エラーラは今、アリシアの直感を通して、感じ取ってしまった。


(ダメだ……! 行くな! この均衡は、もう崩れている!)


エラーラは心の中で絶叫する。だが、アリシアの足は、無邪気に、友人たちと共に聖歌室を出て、地獄の舞台へと向かっていく。


天体劇場。

子供たちの歓声。甘い蜜菓子の匂い。

エラーラの嗅覚が、その平和な匂いを明確に捉える。だが、同時に、アリシアから流れ込む、これから始まる「何か」への、漠然とした高揚感と不安感が、エラーラの神経を逆撫でする。

二階の手すりから身を乗り出すセラフィナ。


「もっと……もっとですわ、セラフィナ。わたくしに、お見せになって……」


熱に浮かされたロザリンドの囁き。

そして、セラフィナが、悪戯っぽく笑い、ひらりと手すりを越え、装飾用のフレームに足をかけた。


(馬鹿者ッ! そのアンカーは、構造力学上、人間の体重を支える設計にはなっていない!)


エラーラの脳が、設計図を一瞬で弾き出す。だが、遅い。

甲高い金属音。

時の流れが、引き伸ばされる。

フレームを壁に固定していた魔力アンカーが、石膏ボードごと引き抜かれる様を、エラーラ(アリシア)は、スローモーションで観測する。

セラフィナの美しい身体が、宙を舞う。


(いやだ! 止めろ! 止めろォォォ!!)


エラーラの精神が、絶叫する。

だが、声は出ない。体も動かない。これはアリシアの記憶であり、エラーラは、すべてを目撃し続けるしかない。

巨大な鉄の塊が、悲鳴と共に落下する。

鋭利なプレートが、人間を薙ぎ払う。

鉄球が、家族を押し潰す。

床が、一瞬で赤と黒に染まる。


(いやあああああああ!!)


エラーラの論理的な思考が、目の前の現実を拒絶する。

これは、魔法ではない。

これは、魔力痕跡など、最初から存在しない、ただの、あまりにもお粗末で、あまりにも凄惨な、「事故」だ。

アリシアが、何かに足を取られて転んだ。

その衝撃と、両手を突いた生温かい液体の感触、鼻を突く鉄の匂い、口の中に広がる、じゃりじゃりとした何かと、生々しい肉の塊の感触を、エラーラは、今、自らの五感として「追体験」した。


「うぐっ……! おえっ……!」


エラーラは、現実の身体で嘔吐きそうになる。だが、意識は記憶に繋がれたまま。


(なんだ、これは……! この、生々しい感覚は! これは、ただの記録映像ではない……! 嗅覚、触覚、味覚まで……!?)


血の海の中に呆然と立ち尽くす婦人の、虚ろな目。

アリシアが目撃したその絶望が、エラーラの精神に、焼き印のように刻まれていく。



場面が、飛ぶ。

天空遊園地。

エラーラは、またアリシアの隣にいる。目の前には、壊れた人形のようなライラがいる。


「気分が、晴れませんの……。忘れたい、のです……」


その空っぽの声が、エラーラの耳朶を打つ。


(ダメだ、この少女は……精神が、臨界点を超えている。ショックによる急性ストレス反応だ。なぜ、誰もこの子を保護しない!?)


エラーラの分析が、無力に響く。

ライラが、観覧車の制御塔に走り込む。

その瞳は、愛する者を奪った世界への復讐心で、暗く燃え上がっていた。

ライラが、緊急停止のルーンを、憎しみを込めて叩き潰すのを、エラーラは、アリシアのすぐ隣で、見ている。


(やめろ! それを破壊すれば、動力炉が暴走し、主軸のジャイロ機能が停止する! 論理的に考えろ! やめろおおお!)


声が出ない。アリシアは、ただ恐怖に震え、立ち尽くすだけだ。その純粋な「恐怖」が、エラーラの意識に津波のように流れ込む。

耳障りな金属音。主軸が砕ける乾いた音。

巨大な観覧車が、ギロチンのように傾き、倒壊していく。

悲鳴。

ジェットコースターのレールがバターのように切断され、乗客ごと刈り取られていく。

地面に激突したゴンドラが潰れ、赤黒い液体が溢れ出す。

エラーラ(アリシア)のすぐそばに、千切れた誰かの腕が落ちてきた。指が、まだ、ぴくぴくと痙攣している。


(うわあああっ! まただ! また、この地獄を……! なぜだ! なぜ、こんなことが……!)


エラーラの精神は、完全に限界を超えていた。

吐き気。目眩。そして、自らの無力さに対する、底なしの絶望。

彼女の論理的な脳は、もう機能不全を起こしている。ただ、アリシアの痛み、苦しみ、絶望を、共有するしかない。

制御塔の中で、鉄骨に潰されたライラが、ロザリンドの名を叫びながら、絶命する。

その光景を、エラーラ(アリシア)は、ただ、見ていた。


場面が、また、飛ぶ。

魔導車の中。エラーラ(アリシア)は、窓の外を見た。

大水道橋の歩道に、カエリアが、ぽつんと立っている。

その横顔は、すべてを諦め、神々しいまでに、美しかった。


(いやだ! 逃げろ! 貴様は、死ぬな! 生きろ!!!)


エラーラの魂が、叫んだ。

アリシアが「お停めになって!」と絶叫する。

だが、カエリアは、ふわりと、吸い込まれるように魔導貨物車の前に歩み出た。

轟音。

連鎖する衝突音。

橋のワイヤーが切れる、終焉の音。

アスファルトが裂け、マラソンをしていた人々が、黒い海に吸い込まれていく。

カエリアは、叫び声ひとつ上げず、崩壊する通路と共に、消えた。


(……あ……あ……)


もう、思考が追いつかない。

そして、エラーラ(アリシア)は、見た。

橋の入口で助かった大人たちが、安堵の息も束の間、遠見珠を取り出し、海に浮かぶ無数の亡骸の絨毯を、珍しい見世物のように撮影し始めた光景を。


幻光(えいが)みたいだな!」


「記念に撮影しておこう!」


「もっと死ねばいいのに!」


その声が、エラーラの耳に届いた瞬間、何かが、切れた。


(……貴様ら……! 貴様らアアアアア!!!」)


エラーラの胸に、抑えきれない怒りが燃え上がる。


(同じだ……! あの時と、何も変わっていない!)


魔導列車の事故で生き残った親友を、「魔女だ」と罵った、あの愚かな大衆の顔。

今、目の前で、人の死を「コンテンツ」として消費する、この醜悪な大人たちの顔。


(人間は、この非論理的な感情のままに、真実から目を背け、ただ目の前の『見世物』に群がる、愚かな存在なのか……!)


海は、無数の亡骸で埋め尽くされていた。

燃料が描き出す虹色の膜の下で、海鳥の群れが、かつて人のお顔であったものに群がり、その眼球を夢中でついばんでいた。

この、あまりにも残酷な「現実」が、エラーラの精神を、完全に破壊した。



パリンッ!!!!

甲高い音と共に、エラーラの額に当てられていた安物の魔導水晶が、粉々に砕け散った。


「……っ!うぁぁ!」


エラーラの意識が、凄まじい速度で現実に引き戻される。

激しい頭痛。

まるで、自分の脳を、他人の感情という名の万力で、力任せに締め上げられたかのようだ。

視界が定まらない。呼吸が荒い。


「……う……ぁ……」


彼女の頬を、熱い何かが伝っていくのを、ぼんやりと感じた。

涙。

エラーラ・ヴェリタスが、泣いていた。

ボロボロと、大粒の涙を流していた。


(……なんだ……この、データは……)


彼女の論理的な思考が、今、追体験したばかりの、あまりにも非論理的で、あまりにも純粋な「記憶」によって、完全に破壊されていた。

これは、殺人者の記憶ではない。

これは、犯人の供述ではない。


(……この子は……)


エラーラは、目の前で、変わらず虚空を見つめるエルフの少女、アリシアを見た。


(……無罪だ)


そこには、何のトリックも、何の陰謀もなかった。

ただ、日常があった。

少女たちの、危うく、脆く、そして、狂おしいほどの、愛があった。

ただ、それだけなのだ。

その愛が、世界を壊したのだと、この少女は、ただ、そう信じている。

エラーラの胸が、激しく痛んだ。

この痛みは、知っている。

かつて、彼女にも、愛する女性がいた。

魔導列車の待ち合わせに遅れた、あの親友。

彼女だけが生き残り、そして、街に「魔女」として責め立てられた。

あの時、エラーラが、その非論理的な悪意から、彼女を守りきれなかった。

そして、彼女は、絶望の中で、一人で逝ってしまった。

この子は、同じだ。

あの日、生き残ってしまった、私の友人と同じだ。

あまりにも残酷な真実を、たった一人で目撃し、その重みに耐えきれず、自ら「犯人」という名の、理解しやすい絶望に逃げ込んだのだ。


(……私が、あの時、間に合わなかったから……!)


エラーラの嗚咽が、漏れた。その時だった。


バァン!!


「踏み込め! あのエルフ、何か魔術を使ったぞ!」


部屋のドアが乱暴に開け放たれ、署長の部下である刑事たちが、魔導手錠を構えてなだれ込んできた。


「見たか! あの水晶が破裂したぞ!」


「やはり、このエルフが犯人だ! 危険だ、拘束しろ!」


「おい、エラーラさん! あんたもグルか?さあ、その魔女を引き渡せ! 今から搬送だ!」


手錠が、アリシアの細い腕に向かって伸ばされる。

その瞬間。


「馬鹿者ォォォッ!!!!」


エラーラの絶叫が、地下室の空気を震わせた。

彼女は、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、アリシアを庇うように両腕を広げ、刑事たちの前に立ちはだかった。

その小柄な身体から放れる気迫は、まるで漆黒の竜のようだった。


「……!」


刑事たちが、その凄まじい剣幕に、思わずたじろぐ。


「貴様らのその濁った目には、一体、何が見えている!?何が見えているというのだ!!」


エラーラは、激しく言い放った。


「この子に必要なのは、その冷たい鉄の手錠ではないッ!」


「心の、治療(ケア)だ!」


「な、何を言っているんだ、エラーラさん!」


刑事たちが、混乱したように叫ぶ。


「そいつは、大量殺人犯だぞ!?」


「そうだ! 犯人は? 手口は!? 記憶の中に、何かあったんだろう!?」


エラーラは、刑事たちを、そして、この非論理的な世界そのものを、強く、強く睨みつけた。

彼女は、震える唇で、吐き捨てるように言った。

あの日、彼女の友人を救えなかった、過去の自分自身に向かって、言い放った。


「犯人ではない!」


「……え?」


「犯人も、手口も、そんなものは……」


「どこにも、ないッ!!」

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