第4話:魔法使いを殺れ!
蝉の声が、滝のように降り注いでいた。
エラーラは、あの田舎町の、さらに奥深く、川の上流を目指して、鬱蒼とした森の中を歩いていた。熱帯雨林のように湿った空気が肌に張り付き、研究衣が汗で重い。だが、彼女の心は、ここ数年で最も高揚していた。
(間違いない!)
携帯端末の簡易測定器が、チチ、と短い警告音を発するたび、空気中の『成分X』の濃度が上昇していく。
(この清流そのものが、発生源だ!)
彼女は、ついに、流れが岩清水のように湧き出ている、小さな泉へとたどり着いた。
水は、底まで透き通り、不可思議なほど清らかだった。そして、その水底。
「……ああ……!」
エラーラは、思わず声を上げた。
びっしりと、そこには、あの「貝」が生息していた。
おばあさんがくれた首飾りの貝。淡い、青みがかった光沢を放つ、小さな二枚貝。
「フフ……。フフフ……! なんてことだ! 新種の浄化生物! しかも、この貝自体が、微弱ながら、周囲の魔力粒子を分解し、あの未知のタンパク質を副産物として排出している……!」
彼女は、恍惚とした表情で、携帯端末にデータを叩き込む。
「この生態系……この浄化サイクル……! これさえ解析できれば、中央首都の、あの汚染された魔力溜まりすら、中和できるかもしれない……!」
答えが、分かった。
あの駄菓子屋のおばあさん。彼女は、この「結果」を、最初から知っていた。
エラーラは、自分の首にかかった貝の首飾りに、そっと触れた。ひんやりとした感触。
(……あの老婆。一体、何者なんだ……)
知的好奇心が、警告音が鳴るほどに、彼女を刺激する。
(データが欲しい。あの老婆自身の、データが!)
歓喜に打ち震えるエラーラは、この瞬間のために研究衣に入れておいた、一本の栄養剤を呷ると、今来た山道を、駆け足で引き返し始めた。
あの老婆に、この発見を報告するために。そして、あの不可思議な「予知」能力の正体を問いただすために。
彼女はまだ、この田舎町が、文明社会の「混乱」から切り離された、奇跡の孤島であることに、気づいていなかった。
エラーラが、山の中で真理の欠片に歓喜していた、まさにその頃。
中央首都は、静かな「地獄」の様相を呈し始めていた。
戦争は、始まっていなかった。
銃声も、爆発音も、まだ、どこからも聞こえない。
だが、街は、確実に「狩り」の空気に支配されていた。
「動くな! 中央警察だ! 治安維持法違反の容疑で、貴様を拘束する!」
「な、何故だ! 俺はただ、買い物をしていただけだ!」
市場の広場で、一人の男が、黒い制服の警察官たちに取り押さえられる。
「……魔力反応、陽性! 連れて行け!」
「やめろ! 俺は魔法使いじゃない! ただ、生まれつき魔力が多いだけだ!」
「それが罪だと言っている!」
男は抵抗も虚しく、口を塞がれ、黒塗りの魔導装甲車へと放り込まれた。
「魔法使い狩り」計画は、ヤクザ組織の一掃という建前を、とっくにかなぐり捨てていた。
中央の監察局が主導するその作戦は、「社会秩序を乱す可能性のある、非管理下の魔力保持者」の、無差別な拘束へと移行していた。
彼らにとって、魔力は「力」ではなく、「病気」だった。
そして、その病原菌を、根絶やしにしようとしていた。
「てめえら! 警官が白昼堂々、何してやがる!」
その、非道な連行を遮ったのは、意外な者たちだった。
派手な柄シャツに刺青をのぞかせた、いかにもな風体の男たち。中央首都のヤクザ組織、「金獅子会」の組員たちだった。
「……ヤクザ風情が。公務執行妨害か」
「うるせえ! そいつは、俺たちの縄張りで、真面目に店やってる仲間だ! 魔法が使えるからって、連れて行っていい理由にはならねえだろうが!」
「……害虫が。まとめて駆除してやる。撃て。」
警官隊の隊長が、冷たく命じる。
魔導ライフルが火を噴き、ヤクザの足元の石畳を砕く。
「うわっ!」
「この野郎!」
ヤクザも、懐から短剣や、旧式の拳銃を抜き放つ。
首都の、ど真ん中で、警察とヤクザが、真正面からぶつかり合う。
だが、その発端は、奇妙なことに、ヤクザが「民間人(魔法使い)」を守る、という、歪な構図だった。
街は、何が正義で、何が悪なのか、誰にも分からない、深い混乱の泥沼へと、急速に沈んでいこうとしていた。
その混乱の火種は、遠く離れた西の首都、セドナにも、確実に飛び火していた。
蒼龍会の事務所。
ユウゴは、いつものように、若頭補佐として、幹部会の席に座っていた。
だが、空気が違った。
いつもは彼に媚びへつらう幹部たちが、今日は、あからさまな敵意と、侮蔑の視線を向けてくる。
「……で、ユウゴの若頭補佐」
対立派閥の筆頭、魔導師でもある幹部のイヌイが、粘つくような声で口火を切った。
「中央の、あの『浄化作戦』。あんた、何か知ってたんじゃねえのか?」
「……何が言いたい」
ユウゴは、テーブルの上で、指を組んだまま、動かない。
「中央の警察が、ヤクザも民間人も関係なく、『魔力持ち』を狩ってる。このセドナにもな。……監察局の犬が嗅ぎ回ってる。……だというのに。……あんたは、組織内の『魔力持ち』のリストを作れ、と、オヤジに進言したそうじゃねえか」
事務所の空気が、凍りついた。
「……何故、それを」
「はっ。あんたの派閥の、腰抜けが吐いたのさ。……おかしいと思ったんだよ。あんたは。……あんたは、異常なまでに、魔法を嫌う。魔力持ちの組員を、徹底的に干してきた」
イヌイは、立ち上がり、ユウゴの前に立つ。
「てめえ……警察の、犬だな。」
ユウゴの、底なしの沼のようだった瞳が、初めて、ギラリと、あの夏の少年の頃の光を取り戻した。
「……証拠もなしに、抜かすなよ」
「証拠ならある!」
イヌイは、一枚の「魔導写真」を、テーブルに叩きつけた。
そこに写っていたのは、ユウゴが、ボロアパートの一室で、魔導通信機を操作している姿だった。そして、その通信機の周波数。
「……これは、西の首都警察の総監だけが使う、暗号回線だ」
「…………」
「蒼龍会を裏切ったな。いや……最初から俺たちを騙すために、潜り込んでいやがったな! この、警察の手先が!」
イヌイが魔力を解放する。ビリビリと、空気が震える。
だが、ユウゴは動かなかった。
(……バレたか)
(父さん……アンタとの通信が傍受されてやがったか)
(だが……好都合だ)
ユウゴは、ゆっくりと、立ち上がった。
「……ああ。そうだ。」
「……?」
「俺は警察だ。てめえらヤクザを内側から食い破るために、ここにいる。」
その、あまりにも堂々とした、開き直り。
「……てんめえ……!」
「だがな、イヌイ。俺は、てめえら『ヤクザ』を潰しに来たが、『魔法使い』を狩るために来たんじゃあ、ねえ」
ユウゴは、椅子を蹴り倒した。
「俺が、この世で、虫唾が走るほど嫌いなのは、『魔法』だ。だがな。それ以上に許せねえのは、その力で、弱い者から全てを奪う、クソ野郎だ」
ユウゴの脳裏に、エウロパを消した、あの老人が浮かぶ。
「てめえらも中央の警察も、どっちも同じだ。自分の『力』を振りかざして、他人の人生を踏みにじる、害虫だ!」
「……抜かしやがる!」
イヌイの手のひらに、炎の渦が巻く。
「組織を裏切ったネズミが吠えるか! 死ね!」
炎の槍が、ユウゴに向かって放たれる。
事務所の壁が、轟音と共に爆ぜ飛んだ。
だが、ユウゴはそこにいなかった。
「……遅えよ」
炎を放ったイヌイの背後。ユウゴは、爆発の瞬間、床を蹴り、壁を伝って、死角へと回り込んでいた。
「なっ……!?」
「魔力だけに頼りすぎだ。……体ぁ、ガラ空きだぜ」
ユウゴの、鉄のように硬い拳が、イヌイの鳩尾にめり込んだ。
「ぐ……ぼ……!?」
魔法使い特有の鍛えられていない肉体が、たった一撃で、くの字に折れ曲がる。
「ユウゴを殺れ! 警察のスパイだ!」
他の幹部たちが、一斉に、銃や魔導具を構える。
ユウゴはイヌイの体を盾にしながら、窓へと向かって、残っていたテーブルを蹴り飛ばした。
硝子が派手に砕け散る。
「……蒼龍会は今日限りだ。てめえらみてえな魔法に浮かれた連中は、中央の警察にでも狩られて、とっとと死ね!」
ユウゴは三階の窓から、躊躇なく下の路地へと飛び降りた。
着地の衝撃を、石畳の上で、転がるようにして殺す。
背後から、銃声と魔法の詠唱が聞こえる。
ユウゴは、振り返らなかった。
(……父さん。計画は破綻した)
彼は、下町の、迷路のような路地裏を、全速力で駆け抜ける。
(警察にも、俺の居場所はねえ。蒼龍会も、終わりだ)
彼は、追手を撒きながら、頭をフル回転させる。
(どこへ行く? 西はもう駄目だ。東も中央の息がかかってる)
(……北だ)
彼の脳裏に、一つの場所が浮かんだ。
(あの町だ)
(あの、全ての始まりの場所……)
(もし、あいつが、レンが生きていたら。あいつも、必ず、あの場所の意味を、覚えているはずだ)
それは、希望ではなかった。
ただの、帰巣本能。
自分という存在が、あの夏に、たった一人の親友と共に、生まれた場所。
ユウゴは、港に隠してあった魔導バイクに跨ると、エンジンを咆哮させ、北へと向かう旧街道へと、その機体を滑り込ませた。
胸の貝殻が、熱く燃えているようだった。
東の首都、エデン。
レンもまた、その首を絞める、見えざる「法」の網に気づいていた。
中央の監察局から、「浄化作戦」の実行部隊として、中央首都に派遣されたレン。
だが、彼に与えられた任務は、ヤクザの摘発でも、魔法使いの拘束でもなかった。
「……レン警部。君には、このリストにある者たちの行動確認を命じる」
監察局の男が感情のない目で、レンに一枚の書類を渡す。
そこにあったのは、東の首都警察の、レンの同僚や部下たちの名前だった。
「……これは?」
「彼らは君と同じく、ヤクザ組織と、何らかの『繋がり』が疑われている。君の父親は、大物だったそうだな」
「……!」
レンの背筋を、冷たい汗が伝う。
「我々は、君を『試して』いる。君が、その汚れた血を乗り越え、法と秩序に、絶対の忠誠を誓える人間かどうかを」
「……」
「君の、その手で、君の同僚たちの『裏切り』を、暴き出してもらう。それが、君が、我々の『正義』の一員であることの、証明だ」
レンは、その書類を強く握りしめた。
(……試す、だと?)
(俺の、これまでの経歴、俺の信念、その全てを、ただ「ヤクザの血」という一点で、無にすると言うのか)
(ふざけるな……)
だが、彼は「はい」と、短く答えるしかなかった。
法と、秩序。それが、彼が、あの夏、ユウゴと別れ、選んだ、唯一の道だったからだ。
レンは、冷徹に任務を遂行した。
彼は、同僚たちの行動を監視し、その僅かな金の流れ、不審な接触を、正確に報告書にまとめた。
その結果。
「……レン警部。ご苦労」
監察局の男は、その報告書を、ろくに見もせずに、言った。
「君がリストアップした、八名。全員の、身柄を拘束した」
「……!」
「彼らは、『浄化作戦』に対する、妨害工作の容疑だ。……ヤクザに情報を流していた」
「待ってください。俺の報告書は、そこまで断定してはいない。彼らは、ただ、手続き上のミスを……」
「我々がそう判断した。」
男は、冷たく言い放った。
「君の『潔癖さ』は、よく分かったよ。……これで、君も晴れて、我々の仲間だ」
レンは、愕然とした。
自分は、仲間を売ったのだ。
自分の「正義」を証明するために、監察局の、その場しのぎの「正義」に、加担してしまった。
(……これが、俺の求めた『秩序』か……?)
(あの夏、俺が、ユウゴ……あいつに、間違っていると断じた、俺の『正義』の……正体か……?)
レンの足元が、崩れていく。
その夜だった。
レンが、宿舎で、一人、この先の身の振り方を苦悩していた時。
ドアが、乱暴に叩かれた。
「レン警部! 監察局だ! 開けろ!」
「……何だ」
レンがドアを開けると、そこには、武装した監察局の実行部隊がいた。
「……何の、つもりだ」
「レン警部。貴様を、国家反逆の容疑で、拘束する」
「……馬鹿な。俺は、お前たちの指示通りに……」
「お前が売ったあの八名が、全員、口を揃えて証言しているぞ。『全ての指示は、レン警部から受けた』、と」
「…………は?」
「『ヤクザの血は、裏切る』。……そういう、ことだ。お前の父親が、蒼龍会と裏で手を組んだ、という情報も、入っている」
「……!」
(蒼龍会……? 西のヤクザ……? まさか……!)
レンの頭の中で、全てのピースが、最悪の形ではまった。
(俺は、ハメられた)
(中央は、東の警察と、西のヤクザを、同時に潰すつもりだ。俺と……父の『血』を利用して)
(そして、俺を、ここで消すつもりだ)
「……ふざけるな……!」
「抵抗か? 」
実行部隊の銃口が、火を噴く。
だが、レンは、その「撃て」という言葉を聞いた瞬間、すでに、動いていた。
床を蹴り、銃弾が壁に突き刺さるよりも速く、隊員の懐に飛び込む。
体術。魔力を持たない彼が、唯一、信じてきた「力」。
一瞬で三人を無力化し、ライフルを奪い取る。
「俺の『正義』を、貴様らに汚されてたまるか!」
レンは、魔導ライフルの銃床で、残りの隊員を殴り倒し、宿舎の窓から、闇夜へと飛び出した。
中央首都の秩序の象象徴であった、警察本部の建物から、今や、追われる身となって。
(どこへ行く……)
彼は、屋根を伝い、夜の闇に紛れる。
(東は、もう、俺を、『裏切り者』として、断罪した)
(中央は、敵だ)
(西……? 西に、あのヤクザがいるのか……?)
(……違う)
彼の足は、自然と、一つの方向を目指していた。
(……北だ)
(あの、田舎町)
(全ての、始まりの場所。俺が、俺の『正義』を、見失った場所)
(……あいつは、ユウゴは、どうしている……)
(あいつだけが、俺の、この絶望を……)
(……いや)
レンは、首を振った。
(俺は、あいつを、正すために、帰るんだ)
(あいつの『間違い』を、今度こそ、俺が)
レンの瞳は、裏切られた絶望と、歪んだ使命感で、冷たく、燃えていた。
ボロボロになった背広を翻し、彼もまた、北へと、走り出した。
胸の、貝殻の首飾りが、彼の心臓の鼓動と、共鳴するように、熱を持っていた。
その頃、エラーラは、意気揚々と、あの駄菓子屋へと戻ってきていた。
夕日はとっくに落ち、空は、深い藍色に染まっている。
カラン、と、店の鈴を鳴らし、エラーラが飛び込んだ、その時だった。
彼女は、店の、異様な空気に、足を止めた。
店内に、二人の男がいた。
一人は、中央首都で別れた、ユウゴ。
もう一人は、同じ海岸で別れた、レン。
二人とも、あの時とは比べ物にならないほど、ボロボロだった。
ユウゴの黒いシャツは、あちこちが裂け、血が滲んでいる。
レンの完璧だった背広は、泥と埃にまみれ、見る影もない。
そして、二人は、互いの胸倉を掴み、今にも殴りかからんばかりに、睨み合っていた。
「……てめえ……」
ユウゴが、獣のように唸る。
「……やはり生きていたか……」
レンが、氷のように吐き捨てる。
「……なぜお前がここにいる……!」
「それはこっちの台詞だ。……この場所は、お前のようなヤクザの害虫が来ていい場所じゃねえ……!」
「……害虫だと? その台詞、そっくりお前に返してやるよ、警察の犬が!」
次の瞬間、ユウゴの拳が、レンの頬を撃ち抜いた。
鈍い音。
レンの体が商品棚に叩きつけられ、古い菓子がガラガラと床に散らばる。
「ぐ……っ!」
「……あの夏!」
ユウゴが、吼えた。
「俺たちが何を誓ったか、忘れたか! あの、クソみてえな魔法使いを、この世から一匹残らず、ぶちのめすって! ……そう、誓ったはずだ!」
「……ああ、誓ったさ!」
レンも、床を蹴り、ユウゴに、渾身の蹴りを見舞う。
ユウゴは、それを腕で受け止め、押し返す。
「だったらなぜだ!」
ユウゴが再び、殴りかかる。
「なぜお前は、『警察』なんかになりやがった! あの日俺たちが見た、『正義』の、あの、腐りきった姿を、忘れたのか!」
「忘れてねえよ!」
レンが、ユウゴの拳を、紙一重で避ける。
「忘れてねえからこそ、俺は、警察になったんだ! あの腐った秩序を、俺が、内側から、正すために!」
「……正すだと?」
「そうだ! お前のように感情に任せて、ヤクザなんかに堕ちた間違いを、犯すためじゃねえ!」
「……堕ちた、だと……? 俺が……?」
ユウゴの動きが、止まった。
彼の瞳が、憎悪と、そして、それ以上に、深い、深い、絶望に染まった。
「……お前……。お前だけは、俺を……」
「お前は間違ってる、ユウゴ。あの夏から、ずっとだ。お前のその、短絡的な『暴力』こそが、エウロパを……」
「……黙れ」
ユウゴの声が、地を這うように、低くなった。
「……エウロパの名前を、口にするな!」
「……!」
「てめえだけは分かってくれると、思ってた。……俺が、どんなに泥に塗れても、お前だけは、俺が、何のためにここにいるか……」
ユウゴの目から、一筋、涙が、こぼれた。
「……もういい。ここで終わらせてやる。俺が、てめえのその、歪んだ『正義』ごと、ここで叩き折ってやる!」
「……望むところだ、ユウゴ!」
二人の、十数年分の憎しみと、そして、歪みきった、友情とも、執着ともつかぬ感情が、爆発する。
二人が、互いに、最後の一撃を放とうとした、その時。
「……二人とも。その辺りにしておきたまえよ」
場違いなほど、明るく、知的な声が、響いた。
ユウゴとレンが、同時に、その声の主を見る。
そこにいたのは、あの海岸で会った、奇妙な研究衣の女。エラーラだった。
「おばあちゃん! やはり、キミの言う通りだったよ! この貝が……!」
エラーラは、興奮した様子で、店の奥を覗き込もうとする。
だが、ユウゴとレンは、それどころではなかった。
二人の視線は、エラーラの胸元に釘付けになっていた。
そこには、自分たちと全く同じ、あの、貝の首飾りがかかっていた。
「……てめえ……」
ユウゴが、エラーラを睨みつける。
「……なんでお前がそれを、持ってる……」
「ああ?これかね?」
エラーラは、自分の首飾りを、軽く、指で弾いた。
「これはさっき、おばあちゃんに貰ったんだ。ワタシの研究の、大いなるヒントでね。フフ……」
「……おばあさんが……?」
レンもまた、愕然としていた。
「……君は……一体、何者なんだ……」
エラーラは、二人の、ただならぬ剣幕にも、全く動じない。
そして。
エラーラは、解析用のゴーグルを、外した。
「……私はエラーラ。しがない研究者だよ。それよりキミたちこそ、こんな場所で、何を……」
「……!」
ユウゴとレンが、同時に息を呑んだ。
エラーラの、顔。
あの海岸では、遠目で、あるいは、互いへの警戒で、よく見えていなかった。
だが、今、この、薄暗い駄菓子屋の裸電球の下で、はっきりと見えた。
その、褐色の肌。
その、理知的な瞳。
その、髪の色。
「…………あ……」
ユウゴの、握りしめた拳から、力が、抜けていく。
「……うそ……だろ……?」
レンの、冷徹な仮面が、砕け散った。
「……エウロパ……?」
二人の震える声が、重なった。
「……エウロパ、なんだろ……?」
ユウゴが、まるで、壊れ物に触れるかのように、エラーラに、一歩、近づく。
「……生きて……いたのか……?」
レンも、その場に立ち尽くしたまま、子供のように、目を見開いている。
「……フム?」
エラーラは、心底面倒くさそうに、眉をひそめた。
「……エウロパ? 誰だね? 私の名前は、エラーラだと言ったはずだが」
「……!」
他人行儀な、口調。
だが、その顔は、あの夏の記憶の、エウロパの生写しだった。
「……エウロパ……!」
ユウゴはもう、我慢できなかった。
彼の目から、ボロボロと、涙が溢れ出す。
「……ああ……! 生きて……生きてたんだな……!」
レンも、顔を、手で覆った。
「……神よ……」
十数年間、憎しみだけを、糧にして生きてきた。
その、全ての、始まりの、理由。
その、失われたはずの「少女」が、今、目の前に現れたというのか?
「……おやおや。揃いも揃って、随分と……」
その静かな声に、三人が、我に返った。
いつの間にか、店の奥に、あのおばあさんが立っていた。
穏やかな笑みを、浮かべて。
「おばあさん!」
ユウゴとレンが、叫ぶ。
「……この人は……! エウロパ、なんだろ!?」
「エウロパだよな?なんで、俺たちに、隠してたんだ!」
その時。
店の、外から、無機質な、声が、響いた。
「そこまでだ!」
店の、脆い木の扉が蹴破られた。
雪崩れ込んできたのは、黒い戦闘服に身を包んだ男たち。
中央の、監察局の実行部隊。
そして、その後ろには、ユウゴを追ってきた、蒼龍会のヤクザたちの姿もあった。
「……!」
ユウゴとレンが、同時に戦闘態勢に入る。
「……見つけたぞ、ユウゴ!」
「レン警部! 観念しろ!」
警察とヤクザの連合部隊。
「……てめえら……! 手を組みやがったか……!」
ユウゴが、吐き捨てる。
「愚かな。お前たち二人をまとめて始末できるとはな」
警察の、隊長らしき男が、魔導ライフルを、構える。
「……待て」
その、殺伐とした、空気を、止めたのは、おばあさんだった。
腰の曲がった、老婆が、ゆっくりと、一歩、前に出た。
「……なんだこの、ババアは」
「……あんたたち」
おばあさんは、武装した、男たちを、まっすぐに見つめた。
「この子たちに、何の用かね」
「……関係ない。消えろ、老婆。殺されたくなければ」
「……殺す?」
おばあさんは、ふふ、と、笑った。
「……それも、あんたたちの、『正義』か、あるいは、『仕事』かね?」
「……問答無用だ。邪魔だ」
隊長の隣にいたヤクザの男が、おばあさんを、乱暴に押し退けようとした。
鈍い音がして、おばあさんの小さな体が商品棚に叩きつけられた。
「「おばあさん!!」」
ユウゴと、レンの、声が、重なった。
「……てめえら……!」
ユウゴが、飛び出そうとする。
「やめろ、ユウゴ!」
レンが、それを制する。
二人は同時に店から飛び出し、倒れ込んだおばあさんを庇うように立ちはだかった。
ボロボロのヤクザと警察官が二人、並んで。
「……この人に手を出すな……!」
レンが、憎しみを込めて、元の同僚たちを睨みつける。
「……そうだ! この人は、魔法使いなんかじゃねえ!」
ユウゴも、吼えた。
「俺たちを追ってきたんだろ! 俺を殺せ!」
「やめろ! 俺の問題だ! この人たちを巻き込むな!」
「……フン」
警察の、隊長が、冷たく、笑った。
「……感動的な友情ごっこだな。だが、残念だったな」
隊長は、ライフルを構え直した。
「我々の目的は、貴様ら裏切者のネズミではない」
「……なに?」
「貴様らは、別件だ」
隊長が言う。
「最上位の魔法使いが、ここにいる。」
「……!」
「貴様ら二人の逃走経路を予測し、この場所で待ち構えていた。貴様らと接触することで、その、忌まわしき魔法使いが、必ず姿を現すと信じてな」
「……お前たち……」
レンの顔が、絶望に歪んだ。
「……俺たちを……『餌』に、したのか……!」
「そういうことだ。裏切者の、最後の仕事だ。……感謝しろ」
「……待て……じゃあ、こいつは……!」
ユウゴが、ゆっくりと自分の後ろを振り返り、エラーラを見た。
「……全員射殺しろ」
隊長が、命じた。
「魔法使いも、裏切者のクズどもも、まとめてだ!」
無慈悲な銃口が、一斉に火を噴いた。
機関銃の掃射。
この狭い店先で、避けられるはずがない。
「「うわあああああああ!」」
ユウゴとレンは、死を覚悟した。
だが、衝撃は来なかった。
耳を劈く銃声だけが、響いている。
二人は、恐る恐る、目を開けた。
「「…………は…………?」」
信じられない光景が、そこにあった。
放たれた、何十、何百という弾丸が。
ユウゴとレンの、目と鼻の先で。
まるで、透明な厚い硝子に阻まれたかのように、停止していた。
パチ、パチ、と、青白い火花が散っている。
「……な……」
隊長たちが、息を、呑む。
「……結界……?」
「……全魔力を込めろ! 結界ごとぶち破れ!」
ヤクザの魔法使いたちが、詠唱を始める。
「……あんたたち……」
静かな、怒りに満ちた声が、響いた。
おばあさんが、ゆっくりと、立ち上がっていた。
叩きつけられたはずなのに、服には、塵一つついていない。
「……この子たちも、店も……」
おばあさんの瞳が、この世のものとは思えない、青い光を放ち始める。
「……あんたたちなんかに、指一本、触れさせてなるものかい……!」
瞬間。
おばあさんの体から、凄まじい魔力の嵐が噴き上がった。
それはもはや、炎でも雷でもなかった。
「力」、そのものだった。
大気が軋み、空間が歪む。
停止していた弾丸が、一瞬で塵と化した。
「ば……馬鹿な……! 計測不能……!?」
隊長の持っていた、魔力測定器が火花を吹いて爆発した。
「……う……そ……だろ……」
ユウゴは、その場に、へたり込んだ。
「……おばあ……さん……が……?」
レンも、膝から崩れ落ちた。
自分たちが、命を懸けて憎んできた魔法使い。
その魔法に、今、命を救われた。
しかも、その、魔法使いが、自分たちが唯一信頼していた、おばあさんだった。
「……あ……ああ……」
「……うわあああああ……!」
ユウゴと、レンは、泣いた。
何が正義で、何が悪なのか。
自分たちの十数年間は、一体、何だったのか。
全てが分からなくなって、ただ、子供のように、泣いた。
その、二人の横で。
一人だけ、違う反応を示す者がいた。
エラーラだった。
彼女は、その圧倒的な魔力の奔流を目の前にして……
(……フフ……)
笑っていた。
(……これだ……! これだよ……!)
彼女の瞳は、歓喜と興奮に見開かれていた。
(…噂でしか聞いたことがなかった…最上位の魔力…この純粋な力の奔流…この質量…なんてことだ…なんて……美しい!)
エラーラは、科学者として、魔法使いとして、この、生の、「奇跡」の標本を目の当たりにして、震えていた。
畏怖。尊敬。そして何よりも、強い探求の、興奮。
「ひ……! ひいいい! 撃て! 撃てええ!」
隊長たちが恐慌を起こし、闇雲に銃を乱射する。
おばあさんは、もう、動かなかった。
彼女は、ユウゴとレンを庇った一撃で、力を使い果たし、その場に倒れ込もうとしていた。
結界が消える。
弾丸が、エラーラたちに迫る。
「……やれやれだね」
エラーラは、一瞬で冷静さを取り戻した。
(……あのおばあさんを死なせる訳にはいかない。……ワタシの、最高の研究標本を!)
エラーラは、手を前に突き出した。
「……久しぶりの攻撃魔法だが……。やるしかないか!」
彼女は詠唱しない。
ただ、解析し、実行する。
(……敵の足元の地盤データ、解析。……魔力を流し込み、局所的に液状化させる!)
「なっ……!?」
隊長たちの足元の地面が、一瞬で泥沼に変わった。
「うわあああ!?」
均衡を崩し、銃があらぬ方向を向く。
「……フム。次だ」
エラーラは、道端に止めてあった誰かの高級な旧式の魔道車に手を向けた。
(……魔力回路に強制介入! 機関始動! ついでに残った追手も……!)
エラーラが手を振ると、魔道車が轟音と共に起動し、同時に、店の前にいたヤクザたちが、見えない力でまとめて吹き飛ばされた。
「……ぐはっ!?」
「……フン。少し疲れたね。魔力の燃費が悪い」
「「…………」」
ユウゴとレンは泣くのも忘れ、その光景を呆然と見ていた。
(……あんたも……)
(……魔法使いだったのか……!)
エラーラは、魔道車の扉を開けると、倒れ込んでいるおばあさんを軽々と抱え上げ、後部座席に寝かせた。
そして、未だに座り込んでいる二人に振り返った。
「……さて、キミたち。」
エラーラの瞳は、もう、いつもの冷徹な研究者のそれだった。
「……おそらく。ここには間もなく、第二波、第三波が、到着する。ワタシは、この貴重な標本を連れて離脱するが……」
エラーラは、車の運転席に乗り込むと、機関を吹かした。
「──死にたくなければ、ついて来たまえ!」




