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第2話:刑事と極道!

西の首都、セドナ。

中央首都から遠く離れたこの港町は、空気が重い。乾いた埃っぽさの奥に、潮の生臭さと、水揚げされた魚のはらわたが腐る匂いが染みついている。日が沈めば、その匂いに安酒と、微かな血の匂いが混じり合う。石畳の路地裏は、ぼんやりとした魔導の灯りが安酒場の看板を照らし、この街全体が、法では裁けぬ何かを抱えて、ゆっくりと呼吸しているかのようだった。

ここは、法の光が届かぬ場所。中央の騎士団や警察機構も、この街の「自治」には深入りしない。その自治を担っているのが、港を縄張りとするヤクザ組織、「蒼龍会」だった。


「―――で、ユウゴさん。例の『荷』ですがね」


脂ぎった顔の男が、卑屈な笑みを浮かべてユウゴの硝子の杯に酒を注ぐ。


「『黒曜商会』の連中が、どうにも嗅ぎ回ってるようで」


「……ああ」


ユウゴは、煙草の紫煙をゆっくりと吐き出した。二十代後半。あの夏の少年時代から十数年の月日が、彼の全身を鋼のように鍛え上げていた。日に焼けた肌は変わらないが、無数の切り傷の痕がその上を走り、何人もの人間を殴りつけてきたであろう拳は、ごつごつと節くれだっている。

だが、最も変わったのは、その眼光だった。

かつてギラギラと輝いていた瞳は、今は底なしの沼のように暗く、冷たい光を宿している。

ここは蒼龍会の息がかかった高級酒場。ユウゴは、その若さで、蒼龍会の幹部の一角、「若頭補佐」の地位にいた。


「黒曜商会……」


ユウゴは、酒には口をつけず、杯の中の氷を指で弄ぶ。


「あいつら、最近どこからか『魔法使い』を雇い入れたと聞いた。厄介だな」


「へえ。ユウゴさんでも、魔法使いは厄介ですかい?」


男が、わざとらしく驚いてみせる。

西の首都の裏社会において、ユウゴは異端だった。

この世界で成り上がるには、二つの道しかない。圧倒的な「魔力」を持つか、あるいは、圧倒的な「暴力」で魔力ごと捩じ伏せるか。

ユウゴには、魔力は一切なかった。

彼は、ただ己の肉体と、卓越した格闘技術、そして、敵対する者の骨を躊躇いなく砕く非情さだけで、この地位まで登り詰めた。魔法使いのチンピラが放った炎の玉を、その拳で受け止め、顔面に叩き返したという逸話は、もはや伝説となっていた。


「……当たり前だ」


ユウゴは、冷ややかに答えた。


「『魔法』なんざ、この世で一番、汚らわしい力だ。違えねえ」


その言葉に宿る憎しみは、単なるヤクザの虚勢ではなかった。それは、彼の魂に刻み込まれた、消えない呪いだった。あの夏の日、夕闇に粒子となって消えていった少女の姿が、彼の瞼の裏には焼き付いている。


「明日の夜明け、第四倉庫。荷を移す」


「し、しかし、そこは黒曜商会の縄張りに近すぎます!」


「だからいいんだ。奴らが一番油断する場所だ。……それと」


ユウゴは立ち上がり、男の肩を強く掴んだ。男の顔が恐怖に引き攣る。


「お前が、黒曜商会に情報を流してるのは知ってるぞ」


「ひっ……!?」


「だが、今回は泳がせてやる。奴らに『第四倉庫』と伝えろ。……ただし、時間は『今夜』だと、間違えて伝えろよ」


「あ……あ……」


「もし、しくじったら……」


ユウゴは、男の耳元で、あの夏の蝉の声のように、低く、静かに囁いた。


「お前の家族ごと、この港の底に沈める。……魔法なんて、生易しいモンじゃねえやり方でな」


男が這うように去っていくのを見送り、ユウゴは一人、酒場を出た。

湿った夜風が、火照った体を撫でる。

彼は、石畳をゆっくりと歩き、下町の、貧しい者たちが暮らす区域へと入っていった。子供たちの笑い声。母親が夕飯の支度をする匂い。

ユウゴが通ると、道端の老婆や、店先の親父たちが、深々と頭を下げた。


「ユウゴさん、お疲れ様です」


「あんたのお陰で、みかじめ料が安くなって、本当に助かってるよ」


ユウゴは、何も答えず、ただ小さく頷いて通り過ぎる。

彼は、蒼龍会にありながら、独自の掟を課していた。


「一般人には、絶対に手をかけない」


組織の古い連中はそれを「甘い」とあざ笑ったが、ユウゴの圧倒的な暴力と、裏社会での交渉力、そして、それによってもたらされる莫大な利益の前には、誰も文句を言えなかった。

下町の人々は、この冷酷なヤクザを「守護神」のように愛していた。あの夏、自分たちが守れなかった「弱者」の姿が、彼らの中に重なって見えたからかもしれない。

ボロアパートの一室。そこが、ユウゴの真の「職場」だった。

鍵を開け、中に入る。ヤクザの幹部の住まいとは到底思えない、殺風景な部屋。

ユウゴは、上着を脱ぎ、ワイシャツの襟を緩めると、胸元から、古びた革紐を取り出した。

先端には、小さな「貝殻」が揺れている。

あの夏の日から、一度も外したことのない、お守り。


「……エウロパ……」


呟きは、誰にも届かない。

彼は、部屋の隅に隠された魔導通信機に手を伸ばす。特殊な暗号鍵を差し込むと、雑音と共に、厳格な男の声が響いた。


『……ユウゴか』


「ああ。父さん」


ユウゴの冷酷なヤクザの顔が消え、潜入捜査官のそれへと変わる。

彼の父親。西の首都警察機構のトップ、総監。

ユウゴは、あの夏の後、父の命令でこの道を選んだ。法で裁けぬ「悪」を、法ならざる「悪」の内部から監視し、制御するために。


「蒼龍会は、予定通り第四倉庫で動く。だが、それは偽情報だ。本命は今夜、第二埠頭」


『……ご苦労。黒曜商会の方はどうだ』


「予定通り、第四倉庫で蒼龍会とぶつかる。潰し合わせろ。ただし、蒼龍会には『一般人を守る』という俺の派閥がいる。そっちは、手出し無用だ」


『分かっている。お前の「正義」は、理解しているつもりだ』


「……正義、ね」


ユウゴは、貝殻を強く握りしめた。


「そんなモンが、この世にあるとでも?」


あの夏の分かれ道。ヤクザをリンチにする警察官の姿が、彼の「正義」を粉々に打ち砕いた。法も秩序も信じない。ただ、目の前の守るべきものを、己の暴力で守る。それが、ユウゴが選び取った道だった。


『……ユウゴ。中央から、不穏な通達が来ている。お前も知っておけ』


「中央?」


『ああ。警察上層部……いや、恐らくは貴族院の連中が、中央首都で大規模な『浄化作戦』を計画している』


「浄化?」


『表向きは、ヤクザ組織の一斉摘発だ。だが、真の狙いは……」


ユウゴは、息を呑んだ。


「……『魔法使い狩り』、か」


『そうだ。ヤクザ組織には、魔力持ちが多い。それを口実に、魔法の才能を持つ者を、敵味方関係なく、まとめて冤罪で処刑しようという、凄まじい計画だ』


「…………」


ユウゴの脳裏に、あの夏の老人が浮かぶ。エウロパが粒子になって消えていく光景。あの、絶対的な悪。


『ユウゴ。お前の憎しみは分かる。だが、これは危険すぎる。西の首都にまで、火の粉が飛んでくるかもしれん。お前は、蒼龍会の『魔法使い』のリストを早急に洗い出せ』


「……ああ、分かった」


ユウゴは、通信を切った。

部屋に、再び静寂が戻る。

ユウゴは、窓を開け、西の首都の、淀んだ夜気を吸い込んだ。


(魔法使い狩り……)


彼の口元に、冷酷な笑みが浮かぶ。


(いいじゃねえか。まとめて、地獄に落ちろ)


(あの老人と同じ、クソみてえな魔法使いなら、殺されたって構うもんか)


彼は、胸の貝殻に触れた。

その冷たい感触だけが、あの夏の誓いを、彼に思い出させる。


(……レン)


脳裏に、あの日の、分かれ道での親友の顔が浮かぶ。

あの潔癖で、正しさを信じていた、馬鹿正直な親友。


(お前は今、どこで何をしている? お前も、あの日の誓いを、あの憎しみを、忘れてはいねえだろうな)


あの分かれ道。ユウゴは左へ行った。レンは右へ向かった。


(お前だけは、俺と同じ痛みを知っているはずだ。お前だけは……)


ユウゴの瞳に宿る暗い光は、憎しみか、それとも、唯一の理解者を求める、乾いた望みか。

西の首都の夜は、まだ明けない。



東の首都、エデン。

中央首都から東に位置するこの街は、西のセドナとは対極だった。

空を突く白亜の塔。整然と区画整理された大通り。魔導の光が夜を昼のように照らし、塵一つない歩道を、上流階級の人間が行き交う。

ここは、法と、秩序と、理性の街。

その「法」を司るのが、東の首都警察本部。硝子と鋼鉄でできた、巨大なとりで。

その一室で、一人の男が、分厚い報告書を読み込んでいた。

レン。

あの夏の少年は、非の打ち所のない、冷徹なエリート警察官へと成長していた。

切り揃えられた黒髪。神経質なまでに磨かれた革靴。その知的な瞳は、西のユウゴとは異なる、かみそりのような冷たさを湛えていた。

彼は、東の首都警察本部において、最年少で「警部」の地位にあった。


「―――以上が、先月の『赤蛇組』の動向です」


部下の刑事が、緊張した面持ちで報告を終える。


「……ご苦労」


レンは、報告書から目を上げないまま、静かに言った。


「だが、この報告書は無意味だ。書き直せ」


「は……はい? し、しかし、警部……」


「お前は、赤蛇組の『資金源』を追っているつもりだろうが、金の流れしか見ていない。なぜ、あの下町の連中が、赤蛇組の『違法賭博』に手を出すのか。その『心理』を分析しろ」


「し、心理、ですか……?」


「そうだ。彼らは、なぜ、あの不潔で、非合理的で、破滅的な享楽に溺れるのか。その『精神の弱さ』こそが、犯罪の温床だ。そこを叩け」


「は、はい!」


部下が、慌てて敬礼し、部屋を出ていく。

一人になった執務室で、レンは、疲れたように溜息をつき、額を押さえた。

東の首都警察で、レンは一目置かれる存在だった。

彼もまた、ユウゴと同じく、魔力を一切持たない。

だが、彼は、魔法犯罪者すらも追い詰める、卓越した捜査能力と、悪を微塵も許さないという、鋼の意志を持っていた。

魔法使いのテロリストが仕掛けた「幻を見せる爆弾」を、その詠唱の僅かな訛りから犯人の出身地を割り出し、逮捕に繋げた手腕は、伝説となっている。

ヤクザも、同僚の警察官も、この「魔力なきエリート」に、畏敬の念を抱いていた。

だが、同時に、彼は疎まれていた。

特に、彼が執拗なまでに「下町」の犯罪を憎み、そこに住まう人々ごと軽蔑しているからだ。


「……不潔で、非合理的……」


レンは、自らをあざ笑うように呟いた。

彼は、机の引き出しを開け、一枚の古い写真を取り出す。

そこに写っているのは、背中一面にいれずみを背負った、どう猛な目つきの男。

レンの、父親。

東の首都一帯を仕切っていた、ヤクザ組織の大親分だった。

レンは、ヤクザの家系に生まれた。物心ついた時から、彼は「不潔で、非合理的で、暴力的な」世界で育った。

彼は、それが死ぬほど嫌いだった。

だからこそ、父に反発し、「法」と「秩序」の側、警察官になることを選んだ。

父は、何も言わなかった。ただ、一言、「お前の選んだ『正義』とやらを、貫いてみろ」とだけ告げた。


(俺は、あんたたちとは違う)


レンは、写真を強引に引き出しに戻す。


(俺は、法と、理性で、この腐った世界を正す)


彼は、ワイシャツの胸元に、無意識に手をやった。

そこに、固い感触がある。

革紐に通された、小さな、貝殻の首飾り。


「…………」


レンは、目を閉じた。

脳裏に、あの夏の蝉の声と、血まみれで倒れていた獣の顔をしたヤクザ、そして、それを「正義」の名の下に踏みつける、警察官の姿が蘇る。


(下町の連中は、皆そうだ。感情的で、暴力的で、すぐに法を破る。ヤクザも、それを裁くはずの警察も、同類だ)


あの日の光景が、彼の「下町」への憎悪と軽蔑を、決定的なものにしていた。

そして、もう一つ。


(……エウロパ……)


魔法という、最大の「非合理」。最大の「悪」。


(魔法使いは、社会にとって害悪だ。奴らの存在そのものが、法と秩序を破壊する)


レンの憎しみは、ユウゴのそれとは異なり、より冷たく、より体系化されていた。

彼は、魔法使いを「世界の秩序を乱す異物」だと断じていた。

その時、執務室の扉が叩かれた。


「警部。中央本部の『監察局』から、特秘回線です」


「……中央から?」


レンは、眉をひそめる。

受話器を取ると、感情のない、冷たい声が響いた。


『レン警部か。中央本部からの、特命だ』


「……内容を」


『近日中、中央首都において、治安維持法に基づく、大規模な『浄化作戦』を決行する』


「……浄化作戦」


『建前は、中央に巣食うヤクザ組織の一掃だ。だが、真の目的は、組織に紛れ込んだ『魔力保持者』の、完全なる排除にある』


レンの心臓が、冷たく高鳴った。


「……魔法使い狩り、ですか」


『言葉を選べ、警部。我々は、法を執行するだけだ。東の首都警察からは、魔力を持たない、優秀な捜査官の派遣が要請されている。……お前に行ってもらう』


「……了解しました」


『お前の出自は聞いている。ヤクザの血筋でありながら、警察の正義を信奉する、潔癖な男……。我々が、お前を選んだ理由だ。期待しているぞ』


通信が切れる。

レンは、受話器を置いた。


(魔法使い狩り……)


彼の口元が、わずかに吊り上がった。


(ついに、この国も、害虫駆除に乗り出すか)


(魔法使いなら、殺されても構わない。いや、むしろ、社会のために、そうすべきだ)


彼は、立ち上がり、窓の外に広がる、秩序正しいエデンの街並みを見下ろした。


(これで、世界は少し、マシになる)


彼は、胸の貝殻を、強く握りしめた。


(……ユウゴ)


あの日の、感情的で、短絡的で、どうしようもない親友の顔が浮かぶ。

彼と別れてから、あの夏の日から、レンは必死で「正しさ」を求めてきた。感情に流されず、法と秩序だけを信じる。それが、ユウゴの「間違い」を正す、唯一の道だと信じて。


(お前のような馬鹿が、この腐った世界で、まともに生きているとは思えない)


(だが、もし生きているなら。もし、お前が、あの日の憎しみを忘れ、ヤクザや魔法使いのような「悪」に堕ちているなら……)


レンの瞳に、氷のような光が宿る。


(この俺が、必ず、お前を「正して」やる)



中央首都。

西のセドナと、東のエデン。その中間に位置する、この国で最も栄えた場所。

だが今、その繁栄の裏では、二つの巨大な力が、水面下で激しくぶつかり合おうとしていた。

警察組織による「魔法使い狩り」計画。

その情報は、ユウゴを通じてヤクザ側にも、レンを通じて警察側にも、漏れていた。

だが、情報はあまりにも入り乱れていた。


『警察は、ヤクザを装って、魔法使いを匿う貴族を襲撃するらしい』


『いや、ヤクザ側が、警察の「魔法使い狩り」を逆手に取り、対立組織の魔法使いを警察に売るそうだ』


『中央の警察とヤクザが、この機に手を組み、西と東の組織を潰しに来る』


対策が対策を呼び、裏切りが裏切りを生む。

ユウゴが流した偽情報。レンが仕掛けた内部調査。

まだ、銃声一つ鳴っていないというのに、中央首都の空気は、火薬庫のように張り詰めていた。

誰もが、この夏、この街で、内戦に匹敵する「何か」が起きることを、確信していた。

そんな、一触即発の夏の午後。

中央首都の、海。

きらきらと光る水面は、街の緊張など、どこ吹く風と、ただ静かに広がっている。

その海岸線に、一人、場違いな人影があった。


「フム……。塩分濃度、標準。魔法の粒子、微弱。だが……この『未知のタンパク質』の反応……これは興味深いデータだねぇ」


白い研究衣に、顔の半分を覆うほど巨大な「解析ゴーグル」。

エラーラ。

彼女は、魔法使い狩りの騒がしさにも、内戦の危機にも、一切興味がなかった。

彼女の興味は、ただ一つ。


「この海域で、異常検出される、この『成分X』の正体を突き止めること」


彼女は、携帯端末にデータを打ち込みながら、集めた海水を、小さな瓶に詰めていた。

その時、彼女の端末が、特殊な着信音を鳴らした。


『……よお。エラーラ、だったか』


雑音混じりの、低い男の声。


「やあ、ユウゴ。何の用かね? ワタシは今、非常に重要な観測の最中なのだが」


エラーラは、西の首都のヤクザ、ユウゴと、奇妙な「取引」関係にあった。エラーラは、ユウゴが欲しがる「魔導兵器の無力化方法」などを提供し、代わりに、ユウゴは、エラーラの研究に必要な「珍しい石」などを、裏の道筋で都合していた。

ユウゴは、エラーラが高度な知識を持つ研究者だとは知っていたが、彼女が「魔法使い」であることは、知らなかった。


『悪いが、例の「石」の手配が、少し遅れそうだ。中央が、今、キナ臭くてな』


「ほう。それは困るねぇ。ワタシの実験計画に支障が出る」


『それより、お前、今どこにいる』


「中央首都の海岸だ。水質調査をしている」


『……は。呑気なもんだな。まあいい。とにかく、そこの海水に、お前が探してる「成分」は、ほとんどねえはずだぜ』


「何故だね?」


『俺の「勘」だ。そういうモンは、もっと、汚え場所に溜まる』


「非科学的だねぇ、その『勘』とやらは。だが、仮説としては面白い。……では、切るよ」


エラーラが、一方的に通信を切ろうとした、その時だった。


「―――そこにいる女性」


静かだが、有無を言わさぬ、冷たい声が、背後からした。

エラーラが振り返ると、そこに、一人の男が立っていた。

隙のない、完璧な仕立ての背広。磨き上げられた革靴。

東の首都警察の、レンだった。


「……おや? キミは? ワタシに何か用かね?」


エラーラは、ゴーグルを外さず、男を値踏みするように見つめた。

レンは、エラーラの、その非日常的な格好と、彼女が持つ解析機器を、鋭い視線で検分していた。


「この区域は、近々、警察による大規模な戦闘区域に指定される予定がある。一般人は、速やかに逃げた方がいい」


「ほお、戦闘かい? この平和なサンプル採取場所で?」


「平和、だと?」


レンは、鼻で笑った。


「それは、表面上のことに過ぎない。この国の水面下には、秩序を乱す『害虫』が、常にうごめいている」

その言葉には、ヤクザだけでなく、もっと別の「何か」に対する、激しい憎しみが込められていた。


「フム、害虫」


「そうだ。特に……『魔法』という、非合理的な力に頼る連中だ」


レンの視線が、エラーラを射抜く。


「俺は、魔法使いを許さない。奴らこそ、社会にとって最大の害だ。……ところで、君は?」


その質問は、尋問だった。


「君は、魔法使いか?」


「……違うねぇ」


エラーラは、平然とうそをついた。


「ワタシはただの、しがない研究者だよ」


「見ての通り、ただの学者さ。それより、何の戦闘だと言ったかね? キミの言う『害虫駆除』の対象は?」


「……『魔法使い狩り』だよ」


レンは、そう言い放った。エラーラが動揺するか、試すように。

だが、エラーラは、肩を竦めただけだった。


「なるほど。魔法使い狩りかい。それは……大変だねぇ」


その、明らかに他人事な態度に、レンがわずかに眉をひそめた、その時。


「おい、エラーラ!」


今度は、別の低い声が、二人を遮った。

砂浜を、一人の男が、乱暴な足取りで歩いてくる。

着崩した、高価そうな黒いシャツ。首筋には、龍のいれずみが、僅かにのぞいている。

西の首都のヤクザ、ユウゴだった。


「てめえ、人の忠告を無視しやがって……。この辺りは、マジでヤベえんだぞ」


ユウゴは、エラーラの隣に立つと、その研究機材を、子供のように覗き込んだ。


「で? 何か分かったか? 俺の言った通り、汚えドブ川でも調べた方が……」


ユウゴの言葉が、途中で止まった。

彼は、エラーラの隣に立つ、もう一人の男の存在に、初めて気づいた。


ユウゴが、レンを見る。


レンが、ユウゴを見る。


時間が、止まった。

蝉の声が、あの夏の日と同じように、耳の奥で、ジ、と鳴いた。

ヤクザの、だらしない着こなし。

警察の、几帳面な背広。

あまりにも対極的な二人。だが、その視線は、互いの「本質」を見抜こうと、激しく火花を散らした。


ユウゴは、目の前の男から、自分と同じ「匂い」を感じ取っていた。

法や秩序を口にしながら、その奥底に、自分と同質か、あるいはそれ以上の「暴力性」と「憎しみ」を隠している。


レンもまた、目の前の男から、異様な「空気」を感じていた。

ヤクザの皮を被りながら、その瞳の奥には、ヤクザの利害とは異なる、冷たく、硬い「信念」のようなものが宿っている。


そして。

二人の視線は、同時に、互いの胸元に吸い寄せられた。

ユウゴの、黒いシャツの隙間から覗く、革紐。

レンの、寸分の隙もない背広の、ワイシャツの下に隠された、革紐の、微かなふくらみ。

その先端にあるはずの、「貝殻」を、二人は、確かに、感じ取った。


ありえない。

なぜ、こいつが。

この男が。

ヤクザが。

警察が。

あの「貝殻」を。

空気が、爆発する寸前まで、張り詰める。

エラーラは、そんな二人を、怪訝そうに、交互に見つめていた。

先に口を開いたのは、ユウゴだった。その声は、ヤクザのそれではなく、もっと別の、冷たい響きを帯びていた。


「……あんた。どこかで、会ったか?」


「……いや。初対面のはずだ」


レンもまた、警察官の仮面の下で、全ての神経を研ぎ澄ませていた。

二人は、絶対に、素性も名前も明かさない。

だが、言葉は、互いの「記憶」を探り合う、鋭利なやいばとなって、交差し始めた。


「……そうか」


ユウゴは、海の方へ視線を移し、独り言のように言った。


「……昔、この中央首都の、北の田舎町に、どうしようもねえ、馬鹿なガキが二人いた」


レンの肩が、微かに、ピクリと震えた。


「一人は、感情だけで突っ走る、救いようのない、大馬鹿野郎でな」


ユウゴは、目の前の男を、値踏みするように、再び見た。


「……もう一人は」


今度は、レンが、静かに口を開いた。


「……頭でっかちで、何も見えていないくせに、理屈ばかりこねる、臆病者だったか」


ユウゴの瞳が、カッと見開かれた。

間違いない。

こいつだ。

レンだ。

ユウゴだ。

あの夏、憎み合い、罵り合い、そして、同じ憎しみを誓った、たった一人の。


「……その二人が、もし今、再会したとしたら」


ユウゴは、拳を、強く、強く、握りしめた。


「……互いを、今も、嫌っているだろうか。……どうだろうな」


「……どうだろうな」


レンもまた、懐の拳銃の、冷たい感触を、確かめていた。


「……あるいは、片方が、もう片方の『間違い』を、正さねばならないと、思っているかもしれん」


「……間違い、ね」


ユウゴの口元が、どう猛に、吊り上がる。


「どっちが、間違ってるか。……すぐにでも、ここで、試してみるか?」


切ない、というには、あまりにも殺伐としていた。

だが、その殺意の奥底には、十数年間、互いだけを憎み、そして、互いだけを「唯一の理解者」として、求め続けてきた、二人の少年の、歪な、あまりにも歪な友情ののこりかすが、確かに、横たわっていた。


「フム……!」


その、世界が二色に塗りつぶされたような空気の中、エラーラだけが、平然と声を上げた。

彼女は、解析ゴーグルをつけたまま、一人、頷いている。


「ああ! そうか! やはり! ……データが繋がったよ!」


エラーラは、二人の男が、今にも殺し合いそうなことなど、全く意に介さず、携帯端末に何事かを、夢中で打ち込んでいる。


「フフフ……。やはり、ユウゴの『勘』という非論理的なデータは、正しい仮説を導いていたようだねぇ。この成分は海からではない。……そうだ、海の上流だ!」


エラーラは、荷物をまとめると、ユウゴとレンの、その凍りついた視線の間を、平気な顔ですり抜けていく。


「中央首都の、北側。……ああ、あの田舎町の上流! そこに答えがある! フフ、たまらないねぇ……!」


二人の、因縁の故郷の名を、無邪気に口にしながら、エラーラは、一人、砂浜を歩き出した。

残されたのは、あの夏の日から、止まったままの二人だけだった。

蝉が、ジジ、と、また一声、鳴いた。

運命の夏が、今、静かに、始まろうとしていた。

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