第2話:Time Stranger
主題歌:戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人/時の異邦人
https://youtu.be/3KWWZe0_2yE
着地の衝撃は、無だった。 エラーラは、自分が空中に立っていることに気づき、一瞬、思考を停止させた。
「…なんだ、このデータは?」
彼女が立っていたのは、地上数百メートルに浮かぶ、半透明の「空中回廊」の上だった。 眼下には、光の川。音もなく、滑るように流れていく、流線形の反重力自動車の群れだ。
空は、澄み渡っている。 だが、空を覆い尽くすほどの、巨大な建造物が、天を衝いていた。 それは、ビルというより、垂直に伸びる「都市」だった。サンゴ礁のようなデザインの超高層タワーが、雲を突き抜け、成層圏にまで達している。
エラーラの瞳が、信じられないというデータを映し出す。
(…転生者どもが言っていた『怠惰』の世界。これが?…冗談だ。この過密な情報量。この超高効率なエネルギー循環。これは…!)
「…私の世界と、遜色ない。いや…!」
エラーラの世界は、剣と魔法の世界だ。魔力によって、浮遊も、通信も、治癒も可能だ。 だが、目の前の光景は、魔力が完全にゼロのこの世界で、純粋な「科学」だけで、彼女の世界の『奇跡』を、ほぼ完璧に再現していた。
「…ハッ! ハハハ!」
エラーラの狂気的な笑い声が、空中回廊に響く。
「そうか! そういうことか!」
彼女は、近くの、宙に浮かぶホログラフィック・インターフェイスに、白衣の袖から伸ばしたケーブルを突き刺し、この街のネットワークに、瞬時にハッキングした。
『検索:怠惰』
『検索:意欲』
結果は、一瞬で弾き出された。 この世界、2000年は、『怠惰』などではなかった。2000年は、「超・競争社会」だった。 遺伝子の最適化は、出生前の「常識」であり、サイバネティクスによる肉体の強化は、日々の「義務」だった。 人々は、「より良いデータ」のため、「より高い社会の階層」に上がるため、24時間を「効率」で埋め尽くしていた。
「…フン。なるほどな」
エラーラは、全ての答えを理解した。
「私の世界に転生してきた、あの被検体ども。あいつらは、この『怠惰』な世界の住人などではなかった」
「この、過剰な競争から、脱落した、『敗北者』! それがあいつらの正体か!」
「実に非合理的な結論だ! 私の貴重な魔力を浪費させおって、あの被検体どもめ!」
エラーラの当初の目的、『怠惰』の研究は、この瞬間、無価値として破棄された。
「だが…」
エラーラは、眼下に広がる光景を見下ろす。
「この世界そのものは、実に興味深い。観測の価値がある」
彼女は、観光を開始することにした。
エラーラは、空中回廊から、地上の新宿エリアに降りた。 そこには、1930年代にあったような、非衛生的な「屋台」が、超進化した姿で存在していた。 『全自動合成屋台』。 客はエラーラ一人。彼女が、ホログラムのメニューから『ウドン』を選択すると、ガラス張りのケースの中で、無数のアームが動き出す。
「…ほう?」
アームは、まず、注文に基づき、エラーラの基礎代謝をスキャン。アームは、巨大なタンクから、最適な栄養バランスの「ナノ・ペースト」を射出。それを、瞬時に麺の形状に3Dプリントする。 別のアームが、高出力レーザーでそれを瞬時に茹であげ、合成された出汁と共に、自己発熱するシリコン製の椀に盛り付けた。 注文から、わずか、15秒。
「フン。合理的な栄養摂取だ。1930年代の『一銭洋食』のような、非合理的な熱量も、味のバラつきも存在しない」
彼女は、その「完璧なウドン」を一口啜る。
「…味は、悪くない。」
エラーラは、新宿の巨大な地下街へと歩を進める。 通路の両側は、全てがインタラクティブな「ホロ・ウォール」で構成されていた。 彼女が、ある衣料品店の前を通り過ぎた、その瞬間。 壁のホログラムが、瞬時に彼女の姿をスキャンした。
次の瞬間、壁一面の広告が、一斉にエラーラ「専用」のものに切り替わった。
「…私の生体までスキャンするとは。プライバシーの防壁が、皆無か。不快だ。」
彼女は、その広告を無視し、街角の「サイバー・ドック」を観察する。
そこは、カフェのように開かれた空間だった。 一人のサラリーマンが、コーヒーを飲みながら、雑誌を読んでいる。その傍らで、医療アームが、彼の古い「眼球」を、新しい「サイバー・アイ」に換装していた。
「フン。肉体の換装が、これほど容易いとは。」
エラーラは、公共の「エアロ・バス」に乗り込んだ。 バスは、音もなく、垂直に浮上し、新宿の超高層タワー群の間を縫うように、プログラムされた「空の道」を滑るように進み始めた。 眼下に広がるのは、息を呑むような「未来」だった。
上層レイヤーには、清潔な富裕層の居住区が浮かんでいる。 中層レイヤーは、商業区画。そして、地上レイヤーは、巨大な物流ハブとして、自動運転のトラックだけが行き交っていた。 1930年代の人力車とは、隔絶した世界だった。
「…反重力か。私の『浮遊魔術』の理論と酷似している。だが、これを、魔力ゼロで、機械として、これだけの規模で安定させている…? 面白い。」
バスは、住宅展示場エリアに到着した。
エラーラは、ある「モデル・アパートメント」に侵入する。
「…なんだ、この部屋は」
部屋には、窓が一つもなかった。壁、天井、床、そのすべてが、滑らかな白い「スクリーン」だった。 エラーラが中央に立つと、室内の「環境AI」が起動した。
『ヨウコソ、エラーラ様。環境ヲ、選択シテクダサイ』
AIが、エラーラの脳パターンをスキャンし、彼女が最も「落ち着く」と判断した環境を、全天周スクリーンに投影した。 そこは、エラーラの故郷——王都の、あの薄暗い研究室の風景だった。
「…チッ!」
エラーラは、不快感に、壁のスイッチを叩いた。
『環境変更。ビーチ』
一瞬で、部屋は南国のリゾートに変わる。波の音と、潮の香りまでが、完璧に再現されていた。
エラーラは、最後に、このネオ東京の「果て」へと向かった。 そこは、再開発された、お台場エリア。 『ネオ東京・スペースポート』。 そして、彼女は、それを見た。
ズウウウウウウ……ン。
地響きと共に、全長数キロメートルにも及ぶ、黒い槍のような「星間飛行船」が、東京湾から、ゆっくりと、しかし、圧倒的な質量を持って、垂直に上昇していく。 巨大な船体を支えるのは、無数の「反重力エンジン」の青白い光。 それは、月の「ルナ・ベース」を経由し、火星のコロニーへと向かう、定期便だった。
「…星間航行だと?」
エラーラの金色の瞳が、初めて「驚愕」に見開かれた。 彼女の故郷は、魔法で、大陸間をワープすることは可能だ。 だが、物理的に、この星の重力を振り切り、別の星へ、これだけの質量を運ぶ技術は、まだ理論上の『夢』でしかなかった。
「…この文明、私の世界と遜色ない」
エラーラは、呟いた。
「いや、分野によっては、明らかに、凌駕している…!」
エラーラは、この「進化」の源を求め、スペースポートのVIPラウンジに潜入した。 そこでは、ネオ東京ですら、選民とされる、サイバー化された富裕層たちが、シャンパンを片手に、会話を楽しんでいた。
エラーラは、彼らの会話を盗聴し、そして、さらなる衝撃を受ける。
「ハッ。やはりネオ東京は、まだ野蛮ですな。空気が悪い」
「全くだ。あんな旧式の星間飛行船で、よく満足していられる。火星まで、まだ3日もかかるなど、非効率の極みだ」
エラーラの思考が、停止した。
(…旧式? これが?…この技術が、『野蛮』だと?)
「それもまあ、仕方ないですわ」
会話に、一人の女が加わった。彼女の衣服は、まるで液体金属のように、体のラインに合わせて、滑らかに形状を変化させている。
「所詮、ネオ東京は、ネオホンコンの安価な模倣、二番煎じですもの」
『ネオホンコン』。 その単語が出た瞬間、ラウンジの空気が変わった。 羨望、嫉妬、そして諦観。
「おや、あなたは、ネオホンコンからの『舶来品』をお持ちで」
男が、女の腕に巻かれた、シンプルなブレスレットに目を留める。
女は、勝ち誇ったように笑った。
「ええ。ネオホンコンの『生命工房』で、先週、神経ごと『新調』してきましたの」
彼女は、ブレスレットを操作する。すると、彼女の腕の皮膚が、まるでCGのように、10歳ほど若返った。
「ネオ東京の、あの醜い『サイバー化』なんて、もう時代遅れも甚だしいですわ。ネオホンコンでは、肉体は、消耗品ですらない。『プリント』して、何度でも『交換』するものですもの。意識こそが、全てですわ」
「…生体を、プリント?」
エラーラは、呟いた。
(…私の世界の『治癒魔術』は、破損した肉体を『修復』するものだ。だが、これは…! 若い肉体を、ゼロから『再構築』している…!?)
もう一人の男が、その会話を、鼻で笑った。
「…フン。肉体に、まだ拘っているとは。それすらも、ネオホンコンでは『野蛮』とされていますよ」
男は、自分のこめかみに埋め込まれた、小さな端子を指差した。
「私は昨日、ネオホンコンの『ダイブ・センター』から、『アヴァロン』に12時間ほど接続していた。あれこそが、『本物』の世界だ」
「アヴァロン?」
「ネオホンコンが管理する、第二の『現実』ですよ。ネオ東京のチープな『VR』とは違う。五感全てが、現実と区別がつかない。そこでは、データを『味わい』、感情を『触る』ことさえできる。もはや、我々は、現実で、生きる必要すらないのです」
「……」
エラーラは、ラウンジの影で、凍りついていた。 彼女の、常軌を逸した「知性」が、初めて、処理しきれない情報量に、悲鳴を上げていた。
(…生体プリント? 意識のダイブ?…私の世界の技術を…超えている…!なぜだ!?…なぜ、魔力のない、この原始的な世界が、わずか数十年で、私の故郷の数千年の魔術の蓄積を、凌駕できる?ありえない!)
その時。
ラウンジの壁に設置された、巨大な「ホロ・ニュース」のスクリーンが、緊急のヘッドラインに切り替わった。
『…次のニュースです。昨日、ネオ東京湾岸の第7セクターで、またしても『異世界転移者』が、保護されました』
「…フン?」
エラーラは、笑うのをやめた。
『観測によれば、転移者は、ここ数ヶ月で急増しており、彼ら『マギア・ワールド』からの難民を、どう社会に適応させるか、政府は早急な対策が迫られています』
(…『マギア・ワールド』?)
スクリーンに、保護された人間の映像が映し出された。 それは、混乱し、怯えきった顔で、周囲を威嚇するように、火球の魔術を放とうとしている、一人の男だった。
そして、その男が着ているローブは、エラーラの故郷、王立魔術アカデミーの、見慣れた「制服」だった。
エラーラの、低い声が漏れた。
「……フゥン。実に興味深い」
エラーラは、ネオ東京の空中回廊から、地上レイヤーの広場を見下ろしていた。 そこには、明らかにこの過剰進化社会の住人ではない、一団が集まっていた。
獣の耳を持つ男。長い耳のエルフの女。屈強なドワーフ。 彼らは、先ほどニュースで見た「難民」たちとは違い、この世界の技術に怯えるどころか、目を爛々と輝かせ、狂喜していた。
「見たか! やはり転生の書は正しかった!」
リーダー格らしい獣人が、宙に浮かぶホログラム広告を指差して叫ぶ。
「剣や魔法なんて、非合理的なガラクタだったんだ! この『電脳技術』こそが最強だ!」
「ええ!」
エルフの女が興奮して応じる。
「あの世界では、私たちはただの『落ちこぼれ』だったけど…ここなら!」
「そうだ!」
獣人の男が拳を握る。
「この世界で『電脳技術』をマスターすれば、俺たちは人生をやり直せる! 俺たちが、この世界の英雄になるんだ!」
『人生を、やり直せる』。
その単語を聞いた瞬間、エラーラは思考を停止させた。 そして、次の瞬間、腹の底からこみ上げてくる衝動のままに、高らかに笑い出した。
「フフッ…! フハハハ! アッハハハハ!」
彼女は音もなく広場に着地し、その奇妙な一団の前に、白衣を翻して立ちはだかった。
「なっ、誰だテメェ!」
獣人の男が威嚇する。
「フゥン……いやはや、実に興味深い仮説を聞かせてもらったよ」
エラーラは、金色の瞳で彼らを値踏みするように見回した。
「『転生したら、人生をやり直せる』、だったかね? アハハ! 傑作だ! 君たち、本気でそんな非合理的な妄想を信じているのかね?」
「な、なんだと!」
「君たちは、根本的なデータを何も理解していない」
エラーラは、哀れなモルモットを見る目で、彼らに「真実」を叩きつけた。
「いいかね? 結論から言おう。君たちの『転生』は、ただの『環境変更』に過ぎん。君たち自身の…その『落ちこぼれ』と評された、非効率で怠惰な思考回路は、何一つ変わっていないじゃないか!」
「そ、それは…!」
「場所を変え、道具を変えれば、自分という『失敗データ』が、自動的に『成功』に書き換わるとでも思ったのかね? フゥン…」
エラーラは、心底呆れかえったように、わざとらしくため息をついた。
「理解したまえよ。君たちは、あの『マギア・ワールド』の競争から逃げ出したに過ぎん」
彼女は、背後にそびえ立つ、このネオ東京の超高層タワー群を親指で指し示した。
「そして、君たちが『楽園』だと信じているこの世界は、君たちの故郷の数千倍も、過剰な競争社会だ!」
エラーラは、興味を失ったように彼らに背を向けた。
「君たちは、観測対象としても、あまりに低品質すぎる。私の貴重なリソースを浪費させないでくれたまえよ」
エラーラは、ネオ東京の空中回廊の上で、先ほど遭遇した「転生者」たちを思い出し、腹を抱えて笑っていた。
「『転生したらやり直せる』だと? 自分のバグを放置したまま、環境を変えたところで、出力される結果はジャンクのままだという、単純な論理にも気づかんとは!」
彼女は眼下に広がる、自らが汚染させた「西暦2000年」を見下ろす。反重力自動車が行き交い、空にはバイオミメティックな超高層タワーがそびえ立つ。
「だが…」
エラーラの狂気的な笑いが、ピタリと止まる。
「この『過剰進化』も、所詮は『過剰競争』という、実に非合理的なバグに依存している。このままこの実験を続行させたら、この世界は、どうなる?」
彼女の知的好奇心が、次の実験を要求する。
「そうだ。この『熱病』の、さらに『先』のデータを観測なくては、私の実験は終わらん!」
エラーラは白衣の袖からケーブルを引き出し、ネオ東京の公共ターミナルに突き刺した。
「この世界の脆弱な電脳技術と、私の『時空羅針盤』の魔術を同期させる…」
彼女は羅針盤の座標を再設定する。
「ターゲット:西暦2070年。さらに70年後の『結果』を、見せてもらおうか!」
青白い光が弾け、エラーラの体は再び時空の奔流に投げ出された。
着地の衝撃は、軽い。 だが、次の瞬間、エラーラは自らの五感を疑った。
「……なんだ、このデータは?」
彼女が立っていたのは、アスファルトの上だった。 空を覆っていたはずの超高層タワー群は消え失せ、平凡な高さのビルが並んでいる。 空中回廊も、反重力自動車も、どこにもない。代わりに、排気ガスを撒き散らす、旧式のガソリン車が道路を走っていた。
「…回帰だと?」
エラーラの瞳が、信じられないという光を映し出す。
「ありえない!あの『過剰進化』はどこへ行った!? これは…!劣悪な『停滞』だ!」
この非合理的な「技術退行」の理由を求め、エラーラは街の探索を開始した。
エラーラは、カフェのテーブルに置かれた「スマートフォン」なる板を手に取る。
「フン。2000年のホログラム端末や、ネオホンコンの『実存接続』とは比較にならん、原始的なインターフェイスだ」
人々は、その小さな画面に表示される断片的な情報に一喜一憂している。 「非効率だ。情報の奔流に、直接接続すらできんとは」
彼女は「コンビニエンスストア」なる施設に侵入する。
「…なんだこれは」
2000年の『全自動合成屋台』で見た、最適化された栄養ペーストではない。 プラスチックに包装された「オニギリ」や「サンドイッチ」。
「…合理的な栄養摂取ではなく、『味』だの『食感』だの、非合理的なノイズを優先させている。退化だ」
彼女は、轟音と共に頭上を通過していく、鉄の塊——「旅客機」を見上げた。
「…星間飛行船ですらない。化石燃料を燃やし、重力に必死に抗っている。2000年の反重力交通網は、完全に消失している…!」
この巨大な「バグ」の正体を突き止めるため、エラーラは、この都市で最も目立つランドマーク、赤く塗られた超・旧式の電波塔、「東京タワー」の展望台へと向かった。
展望台から見下ろす「西暦2070年」は、どこまでも平和で、平凡だった。
「…フン。全くもって、非合理的な光景だ」
その、独り言に応答する者がいた。
「…非合理的、ですか。確かに。ここから見えるもの、全てがそうです」
エラーラが振り返ると、そこに、くたびれた様子の初老の男が立っていた。
「カトウ、と申します。以前は、しがない国語教師でしたよ」
「フゥン? 現地人か」
エラーラは、この男が、他のモルモットとは違う「データ」を持っていると直感した。
「カトウ。この世界は、明らかに『バグって』いる。私の観測では、70年前、この場所は、反重力技術が蔓延する、過剰進化社会だった。だが、今は、それより遥かに劣悪な技術に支配されている。この矛盾を、説明したまえ」
カトウは、悲しげに目を伏せ、そして、展望台の分厚いガラスを指差した。
「…あなたは、気づいてしまったのですね」
「何をだ?」
「ここは、『未来』ではありません。ここは、巨大な遊園地…『ノスタルジア・ドーム』ですよ」
「…ドーム?」
カトウは、エラーラが理解できない「真実」を語り始めた。
「あなたが観測したという『過剰進化社会』…それは、真実でしょう。ですが、その技術は、すぐに人類の手に余った。2000年。あなたがその時代を去った、おそらく、その数分後です」
「……」
「世界は、核の炎と、進みすぎた兵器によって、終わりました。あなたが見た2000年は、自らを焼き尽くし、あなたが見た直後に、崩壊したのです」
エラーラの瞳が、驚愕に見開かれる。
「じゃあ、ここは…」
「ここは、ドームの中。核戦争が始まる前の、人類が、一番平和だった時代を、忠実に再現した、巨大な『箱庭』です」
カトウは、ガラスの向こうを指差した。エラーラが目を凝らすと、東京の空の「上」に、うっすらと、巨大なドーム型の壁の格子が見えた。 そして、その壁の向こう側には——赤黒く淀んだ空と、茶色い荒野が、広がっていた。
エラーラの口から、乾いた笑いが漏れた。
「フフフ…フハハハハ! アッハハハハハ!」
「な、何を笑うのですか!」
「そういうことか! そういう『結果』だったのか!」
エラーラは、天を仰いで哄笑する。
「私の撒いた『バグ』は! モルモットどもを『過剰進化』させて、実験そのものを、丸ごと『消滅』させたのか!」
彼女が今立っている、この平和な「2070年」は、未来などではない。それは、破滅した世界の生き残りが作った、過去の「標本」に過ぎなかった。
「実に! 実に素晴らしい結末じゃないか! アハハハハ!」
東京タワーの展望台。
私は、カトウというモルモットが語る『核戦争による破滅』というデータと、私が観測した『過剰進化による自壊』というデータを、脳内で並列処理させていた。
二つの未来。どちらも『破滅』。実に非合理的な結論だ。
だが、待て。
なぜ、モルモットどもは『過剰進化』した?
なぜ、モルモットどもは『核戦争』に至った?
「…フゥン。どちらも、私が観測しなかった『if』のデータだ」
このドームは、『核戦争』が起こった世界の『なれの果て』。
私が見たネオ東京は、『過剰進化』した世界の『なれの果て』。
「…どちらも、分岐した『結果』に過ぎん!なぜ、転生者たちが言っていた、『怠惰』な時代が、抜けているのだ!」
私の思考は、全ての『原因』へと収束した。
「そうだ。あの時だ。西暦1930年!」
私が、あの車夫のモルモット、シゲルに渡した、あの『解析ツール』!
あれこそが、この非合理な未来の分岐を生み出した、唯一の『バグ』だ!
「フン。ならば、デバッグは容易だ。あの『バグ』を、直接デリートすればいい!」
だが、1930年に飛ぶには、この停滞したドームの技術では、リソースが絶対的に不足している。
「…チッ。使うしかないか。あの『過剰進化』の残骸を」
私は、カトウの制止も聞かず、再び荒野へと飛び出した。
ネオ東京の残骸の中から、かろうじて飛行機能が残っている、旧式の飛行車を発見する。
「フン。チープなハードウェアだ。だが、あの座標へ私を運ぶだけのリソースは残っているか」
私は操縦桿を握り、機体を強制起動させる。
自動兵器のレーザー攻撃を、魔術的な演算による回避機動で擦り抜け、一路、『ネオホンコン』のクレーターへと特攻した。
飛行車は、ネオホンコンのクレーターに着地すると同時に、その役目を終えたかのように爆発四散した。
私は、爆炎の中から無傷で歩み出し、一直線に、あの『アヴァロン』のサーバー群があるといわれる地下施設へと侵入する。
「なるほど?……いくつかの演算ユニットは生きているな?」
埃を被ったコンソールに、私は白衣の袖からケーブルを引き出し、強制接続する。
私の脳と、この過剰進化の残骸とが直結した。
「これより、デバッグ作業を開始する」
私の『時空羅針盤』を、この巨大な電脳に接続し、アンプとする。
「私の魔術理論と、この非合理な電脳技術を融合させ、座標『西暦1930年・上野』への、ピンポイント転移システムを構築する!」
三日三晩。
私は、コーヒーも飲まず、寝ることもなく、ただひたすらに、この破滅した世界のジャンクデータを解析し、再構築し続けた。
そして、システムは完成した。
「…フン。完了だ。この私にかかれば、この程度のバグ修正、造作もない」
青白い光が、地下施設を包む。
私が次に目を開けた時、そこは土埃と熱気に満ちた、1930年の上野だった。
目の前には、数分前に私と別れたばかりの、呆然とするシゲルがいた。
「エ、エラーラさん!? なんで…さっき…あっちに…」
「フン。シゲル君。どうやら私の実験は、少しやりすぎたらしい」
私は、シゲルの手から、先ほど渡したばかりの、あの『解析ツール』を、ひったくった。
「な、何を…! それは、あんたが俺に…!」
「これだ。これが、非合理な未来を招く、観測史上最悪の『バグ』だ」
私は、そのツールを、シゲルの目の前で握り潰し、魔力で完全に消滅させた。
シゲルは、裏切られたような、悲しそうな目で私を見つめる。
「じゃあ、あんたは…俺に、何も…」
「…チッ………………」
私は一瞬、思考する。
このモルモットの精神データが不安定になれば、また別のバグを生む。
「…フン」
私は、シゲルの体を引き寄せた。
「え?」
驚愕するモルモットの唇に、自らの唇を、軽く押し当てた。
ほんの数秒。だが、シゲルのCPUをフリーズさせるには、十分すぎる演算だった。
「…愛の証、とでも言っておこう!」
私は、顔を真っ赤にして固まっているシゲルを突き放し、『時空羅針盤』を起動する。
今度こそ、座標は、私の故郷、王都だ。
「さらばだ、私の「最初」の被検体君。君というサンプルは、実に興味深かった!……また、いつかの時代で、会おう!」
シゲルが我に返る前に、私は光となって、その時代から消え去った。
・・・・・・・・・・
気がつけば、そこは懐かしき王都の研究室だった。
私は、時空転移の疲労など微塵も感じさせず、まっすぐに、ある場所へと向かった。
かつての友人、ケンジ・アリア夫妻の自宅だ。
私は、ドアをノックもせず、乱暴に開けた。
「…フン。いるか?」
リビングで本を読んでいたケンジが、椅子から転げ落ちそうになって、私を見た。
「エラーラ君! どこに行っていたんだ! 君!」
私は、彼らのソファに、どかりと音を立てて座り、テーブルに足を組んだ。
「コーヒーだ。ブラックで」
アリアが、文句を言いたげな顔で、しかし、どこか安心したようにキッチンへと向かう。
ケンジが、訝しげな表情で、私に尋ねた。
「無事だったのか…。君のことだ、また無茶な実験をしてきたんだろう。…未来でも、見てきたのか?」
「いいや?」
私は、目を閉じ、疲れたように——だが、最高に満足した声で、答えた。
「……過去だ!」
・・・・・・・・・・
エラーラが回収した『解析ツール』。
それこそが、あの『過剰進化』を遂げたネオ東京を生み出すはずだった、汚染源であった。
だが、歴史の皮肉か。
彼女が介入せずとも、「本当の史実」では、人類は西暦2000年に、技術的な停滞の末、資源を奪い合い、核戦争を引き起こし、破滅していたのだ。
では、なぜ、その破滅は回避されたのか?
それは、あの、シゲル。
彼こそが、後に、皆が社会科で習った、世界に平和を訴えたあの政治家、『柿川茂』だったのだ!
エラーラのあのキス——あの『非合理なノイズ』は、柿川茂の生涯の原動力となった。
彼は、技術の進歩や富の蓄積ではなく、「人の想い」や「未来への愛」こそが世界を動かすと信じ、政治家となった。
西暦2000年が迫り、資源枯渇による世界大戦の危機、核戦争の勃発が目前に迫った時。
柿川茂は、老体に鞭打ち、当時激しく対立していた超大国の首脳たちのもとを、たった一人で奔走した。
「今、我々に必要なのは、新たな兵器でも、領土でもない! 非合理的と笑われようとも、『愛』だ!」
彼のその訴えは、エラーラの言葉そのものだった。
その非合理なまでの真摯な叫びが、奇跡的に首脳たちの心を動かし、全面核戦争は、土壇場で回避された。
彼の偉業は、しかし、あまりに非合理すぎたが故に、後の政治的な対立の中で意図的に矮小化され、歴史の教科書からその名はほとんど消え、歴史の闇に埋もれてしまった。
そう。
皆がご存知の、この「現在」に続く西暦2000年とは、エラーラが気まぐれに実行した、非合理な「愛」というバグ修正によって、たまたま生み出された、奇跡のタイムラインだったのだ!




