第8話:復讐の刑事!
夜霧が、王都の石畳を湿らせていた。 巡回中の警官が、治安の悪い第7地区の路地裏で息を吐く。その白い息が、古い魔導灯の光に溶けた。 その時、瓦礫の奥で不審な物音がした。
「おい、そこで何をしてる! 王都警察だ!」
警官が、規定通りに警棒を抜き、声を張り上げる。
闇から、人影がゆっくりと姿を現す。フードを目深にかぶった男だ。
「……イヌ、か」
男が、軽蔑するように呟き、右手を上げた。
詠唱はない。 警官が反応するより早く、青白い閃光がほとばしった。 《マナ・ブレット》。
「が……っ」
警官は、胸に高圧の衝撃を受け、よろめいた。魔力によって撃ち抜かれた制服が、小さく発火している。 彼は、信じられないという顔で自分の胸を見下ろし、そのまま前のめりに倒れた。 これが、ここ一週間で、3人目の警官殺しだった。
男――タツヤは、冷ややかに死体を見下ろした。 彼は、元・王都警備隊員だった。 正義感が人一倍強く、市民を守ることに誇りを持っていた。だが、3年前、ある貴族が絡む密輸事件を追っていた彼は、上官の命令に背いて貴族を逮捕しようとした。 結果、彼は「上官への暴行」という濡れ衣を着せられ、不当に懲戒免職となった。
彼を切り捨てた上官は、今や王都警察の上層部でふんぞり返っている。
「腐った組織は、俺が裁く」
タツヤは、警備隊時代に叩き込まれた、対魔術師用の速攻型攻撃魔法、《マナ・ブレット》の使い手となっていた。
「無能な番犬どもは、もういらない」
彼の復讐のリストは、まず現場の警官たち、そして目障りな魔導犯罪捜査課、最後に、自分を陥れた幹部へと続いていた。
魔導犯罪捜査課のオフィスは、通夜のように重苦しい空気に満ちていた。 ケンが、やり場のない怒りで壁を殴りつける。
「クソッ! また仲間が獲られたぞ! 俺たちがノロマだからだ!」
「3人目よ……。完全にわたしたちを狙ってるわね」
キョウコも、いつもの軽口を叩く余裕なく、硬い表情で爪を噛む。
「……許せねえ。どこのどいつだ」
リュウの怒りは静かだった。だが、革ジャンの下で握りしめられた拳が、彼の内面の激しさを物語っていた。
「現場の魔力残滓、一致しました。すべて同一犯です」
分析官のアイダが、震える声で報告する。
「使用魔術は……警備隊制式魔術。非常に速射性が高い、対人魔術です」
「警備隊の……? 内部犯か、あるいは元関係者か」
書類の山から顔を出したボス、クラタが、苦い薬草茶を飲み干した。
「フム……」
部屋の隅で、ドリップポットから立ち上る湯気を眺めていたエラーラが、口を開いた。
「面倒なことになってきたねぇ。組織への怨恨。一番厄介な動機だ。ワタシは組織論には興味ないんだがね。……だが、警官だけを狙う合理性が、まだ見えない」
「ワタシは物置でいい。外は空気が悪いからね」
エラーラは、アイダの資料室に陣取っていた。
「《マナ・ブレット》の登録使用者リスト。ここ10年分、すべてだ」
「そ、そんな膨大な…! タナカ巡査の葬儀の準備も……」
「死んだ人間はデータを更新しない。だが、生きてる犯人は、今も動いている。……さあ。やるんだよ、アイダくん。ワタシの脳が『退屈だ』とアラートを鳴らしている」
膨大な羊皮紙のリストを、エラーラは常人離れした速度で精査していく。
「……いた。3年前に『不祥事』で懲戒免職になった元隊員。タツヤ・キリシマ。……フム。免職の理由が『上官への暴行』。だが、当時の記録が妙に曖昧だ。これは……隠蔽ねぇ」
エラーラは、淹れたてのコーヒーを一口すする。
「ボスに伝えてくれたまえ。3年前のタツヤの件、当時の担当官を洗い出すように、と。どうせ、今頃は上層部でふんぞり返っているんだろうがね。……ああ、それと。その幹部の、今日のスケジュールもだ」
「タツヤだと!? あいつ、こんなことを……」
リュウはタツヤを知っていた。警備隊時代、合同訓練で会ったことがある。
「真っ直ぐすぎるヤツだったが……」
すぐにタツヤの潜伏先が割れた。
「行くぞ!」
リュウ、ケン、キョウコが、怒りを胸に魔導四輪車に飛び乗る。 アジトの古びたアパートに踏み込むが、もぬけの殻だった。
「しまった! 罠だ!」
リュウが叫んだ瞬間、床に描かれた魔力式のトラップが起動した。
「伏せろ!」
三人は、窓ガラスを突き破って外に飛び出す。直後、アジトが大爆発を起こした。
「あの野郎、俺たちごと!」
「……あそこ!」
キョウコが、爆風の向こう、路地裏を走る人影を発見した。
「逃がすか!」
キョウコが魔導二輪を起動させ、エンジンを唸らせる。リュウとケンも走る!
王都のダウンタウンで、ハードな追跡劇が始まった。 タツヤが振り返り、キョウコのバイクのタイヤに《マナ・ブレット》を撃ち込む!
バイクが火花を散らして転倒。キョウコは、爆発の魔力で蕁麻疹が出始めた腕で、警棒を構える。
「行け! リュウ! ケン!」
「タツヤァァ!」
リュウがリボルバーを抜き、タツヤを追う。 タツヤも、リュウに向かって《マナ・ブレット》を連射。リュウは、遮蔽物に身を隠しながら、的確にリボルバーで応戦する。 魔法の青い閃光と、火薬の赤い火花が、路地裏で激しく交錯した。
「お前も腐った警察の一人か!」
「テメェにダチを殺す権利はねえ!」
激しい撃ち合いの末、タツヤはリュウの肩を魔法で撃ち抜き、ケンを蹴り飛ばして、王都の下水道へと姿を消した。
「クソッ……! 待て!」 ケンが、マンホールに手をかけた。
「そこへ、一台のタクシーが、場違いにゆっくりと到着した。 エラーラが降りてくる。
「……見事にやられたようだね」
「うるせえ! あいつ、この下に……!」
「いや、違うね」
エラーラは、タツヤが逃げた方向とは逆、爆発したアジトの方角を指差した。
「ボスから連絡があった。タツヤの本命は、おそらく、奴を免職にした『上層部の幹部』だ。そして、その幹部が、今、爆発現場の視察に来ている。……タツヤは、君たちをここで引きつけ、本命を仕留めるつもりだ」
「何!?」
リュウが、撃たれた肩を押さえながら目を見開いた。
「……戻るぞ!」
爆発したタワーの現場。 野次馬の規制線の中、上層部の幹部が、ボス、クラタの護衛を受けながら現場を視察していた。
「……なんだ、このザマは! ホシはまだ捕まらんのか!」
「申し訳ありません。ただいま全力で……」
その時、瓦礫の影からタツヤが飛び出した!
「裏切り者! 裁きを受けろ!」
タツヤが、幹部に向かって《マナ・ブレット》を放つ。
「危ない!」
ボスが、咄嗟に幹部を突き飛ばした。
「ぐあっ!」
ボスの肩を、青白い魔力弾が貫いた。
「ボス!?」
駆けつけたケンとキョウコが叫ぶ。
「タツヤ!」
リュウが、負傷した肩の痛みをこらえ、リボルバーを構えた。
「どけ! リュウザキ! お前には関係ない!」
「関係なくねえ! ボスも、殺されたダチも、俺の仲間だ!」
リュウとタツヤが、同時に銃口と掌を向け合った。 静寂。
パンッ!
先に火を噴いたのは、リュウのリボルバーだった。 銃弾は、タツヤの魔力を放つ右腕を、正確に撃ち抜いた。
「ぐああああっ!」
魔術を封じられたタツヤが崩れ落ちる。ケンとキョウコが、一斉にタツヤを取り押さえた。 リュウは、硝煙の匂いの中、静かに銃を下ろした。
夜が明け始めた、王都警察病院。 ボスの手術室のランプが消える。「命に別状はない」と医者が告げた。 ケンもキョウコも、アイダも、安堵で廊下にへたり込む。
リュウは、一人、病院の屋上でタバコに火をつけていた。 そこへ、エラーラが自販機のぬるい缶コーヒーを持ってやってくる。
「……フム。仲間思いも結構だが、非効率な撃ち合いは感心しないねぇ」
「うるせえ。……お前のおかげで、ボスは助かった」
「ワタシはデータを解析しただけだ。組織の膿をどうするかは、君たちの仕事さ」
エラーラは、リュウに缶コーヒーを押し付ける。
「……だが」
エラーラは、朝日が昇り始めた気だるい王都の街並みを見下ろす。
「正義だの、復讐だの……組織に組み込まれた人間というのは、いつの時代も、実に面倒で、実に……興味深い観測対象だ」
リュウは、慣れない缶コーヒーの苦さに顔をしかめながら、静かに煙を吐き出した。




