第6話:瞬き犬!
「怪盗グリフォン、参上。今宵、『始祖鳥の琥珀』を頂きに参る」
王都博物館の館長のデスクに、一枚のキザなカードが突き刺さっていた。 魔導犯罪捜査課の面々が、そのカードを囲んで頭を抱えている。
「怪盗!? マジかよ、ボス! 刑事の華じゃねえッスか!」
ケンが、子供のようにはしゃいでいる。
「……フン。空飛ぶトカゲか何か知らないけど、アタシの前を飛んだら撃ち落としてやるわ」
キョウコは、魔力でできたそのカードに触れ、指先がピリピリするのを感じて顔をしかめた。
「『始祖鳥の琥珀』……厳重警備の4階だぞ。どうやって入る気だ」 リュウが、静かに現場の図面を睨む。
そして、深夜。 月が天頂に至った、その瞬間。 警報が鳴り響いた。 刑事たちが4階の展示室に駆け込むと、そこはもぬけの殻。 琥珀は消え、窓は開け放たれている。 完璧な密室破り。まさに、怪盗の仕業だった。
王都の裏手、廃墟となったサーカス小屋。
「やったぞ、ボルト!」
青年レオが、薄暗がりの中で、一匹の痩せた犬を抱きしめた。 犬の名はボルト。 レオの腕の中には、盗み出された『始祖鳥の琥珀』があった。
レオは、この潰れたサーカスの元・動物使いだった。ボルトは、彼の相棒であり、このサーカスのスターだった。 ボルトは『瞬き犬』と呼ばれる希少な魔獣。 その名の通り、訓練によって、数メートル先の空間に「瞬き」できる、唯一無二の才能を持っていた。
だが、サーカスは多額の借金で、悪徳な興行師に乗っ取られた。 「芸しか能のないお前らと、その犬は、もう用済みだ」 レオとボルトは、雨の日に叩き出された。
「……見てろ。ボルトの才能で、全部盗み出してやる。俺たちのサーカスを……俺たちの居場所を、取り戻すんだ」
レオは、次のターゲットである興行師の金庫を睨んだ。 「怪盗グリフォン」とは、神出鬼没のボルトの姿を、レオが「翼ある者」になぞらえた、二人だけのコードネームだった。
「クソッ! 完璧にやられた!」
現場で、ケンが悔しそうに壁を殴る。
「窓は開いてたが、魔力探知機は無反応! 結界も破られてねえ! まさに空飛ぶ怪人だ!」
「……いや」
リュウが、開け放たれた窓枠を指でなぞる。
「ここに、『傷』がある。工具じゃない。まるで……爪痕だ」
「そ、それと!」
分析官のアイダが、震える声で報告する。
「現場の魔力残滓、ゼロです!……いえ、違います! 空間が、ほんのわずか……『焦げ付いて』います! これは……短距離転移の痕跡です!」
「フム……」
オフィスの自席から持参したコーヒーを、現場の片隅ですすっていたエラーラが、カップを置いた。
「4階の窓枠に、爪痕。空間の焦げ付き。……そして、このキザなカード」
彼女は、グリフォンのカードを光に透かす。
「この魔力インク……『獣寄せ』の匂いがするねぇ。……これは、人間の犯行じゃない。もっと正確に言えば、犯人は『人間』じゃない」
「これは、調教された『魔獣』の仕業だ。……怪盗グリフォン? フム。ワタシが名付けるなら、『怪盗犬』とでも言ったところだねぇ」
エラーラは、いつものように現場の喧騒を離れ、アイダを署の資料室に引きずり込んだ。
「アイダくん。転移能力を持つ魔獣。それも、人間に調教可能な種をリストアップだ。……ああ、それと、ここ数年で倒産したサーカスや見世物小屋のリストもね」
「サーカス、ですか?」
「ああ。こんなリスキーな『芸当』をさせるのは、金じゃない。『愛着』か、あるいは『復讐』だ。……そして、そのどちらも、あの場所には揃っているからねぇ」
ほどなくして、データが揃った。
「エラーラさん! 一件だけ! 『レオ&ボルト・アメージングサーカス』! スターは『瞬き犬ボルト』!……ですが、半年前、悪徳興行師に乗っ取られ……」
「フム。ビンゴだ。……そして、その興行師の屋敷が、次の『ショー』の舞台、というわけだね」
「ターゲットは興行師の屋敷だ! 全員、急行しろ!」
リュウの号令で、パトカーとバイクが、夜の王都を疾走する。
興行師の屋敷は、すでに厳重な警備が敷かれていた。
「裏口は任せろ!」
ケンが、警備員と派手な格闘を始める。
「アタシは上よ!」
キョウコが、魔導バイクで壁を駆け上がり、二階の窓から突入する。 だが、金庫室はもぬけの殻。
「 やられたか!?」
リュウが屋敷の庭に出た、その時。
ヒュン! 目の前を、小さな黒い影が横切った。
「!?」
リュウが銃を向けるが、影は数メートル先に、また「瞬き」、塀を飛び越えていく。
「あれだ! 追え!」
リュウが叫ぶ。
刑事三人が、一匹の犬を追って、王都の路地裏を猛然とダッシュする。 だが、相手は壁も障害物も、すべて「瞬き」で飛び越えていく。
「クソッ! 早すぎる!」
「こっちよ! 回り込む!」
キョウコが二輪で先回りするが、ボルトは彼女の頭上を「瞬き」で飛び越え、古いサーカス小屋のテントへと消えていった。
三人の刑事が、息を切らして廃墟のサーカステントに突入する。
「そこまでだ!」
そこには、レオが、盗み出された宝石類と、ボルトを抱きしめて座り込んでいた。
「……邪魔、しないでくれ。あと少しで、ここを取り戻せるんだ……!」
「遊びは終わりだ!」
リュウが銃を向ける。
そこへ、一台のタクシーが、のんびりとテントの入口に停まった。
「やれやれ。大の大人が、一匹の犬に振り回されるとは。実に非効率な追跡劇だねぇ」
エラーラが、小銭を払いながら降りてきた。
「来るな!」
レオが叫び、ボルトに命令する。
「ボルト! やれ!」
ボルトが、唸り声を上げ、リュウに向かって「瞬き」で飛びかかろうとする。 だが、ボルトは、テレポートの途中で「グェッ」と苦しそうな声を上げ、空中で体勢を崩して床に落ちた。
「ボルト!? どうした!」
レオが駆け寄る。ボルトは、口から魔力の残滓を吐き出し、苦しそうに痙攣していた。
「……フム。やはりそうか」
エラーラが、ゆっくりと近づいてくる。
「『瞬き犬』は、自然界の清浄な魔力を触媒に空間を渡る。……だが、この王都の、汚染された魔力を使い続ければ、どうなるか」
「……え?」
「『空間酔い』、そして『魔力中毒』だ。その犬は、君の『復讐』のために、飛ぶたびに、その命を削っていたのさ」
エラーラは、ボルトの前にしゃがみ込むと、白衣から一本の注射器を取り出した。
「これは、ただの『魔力中和剤』だ。ワタシのコーヒー豆より安い」
ブスリ、と注射すると、ボルトの痙攣が、ゆっくりと収まっていった。
「あ……あ……」
レオは、自分が取り返しのつかないことをしていたと悟り、その場に崩れ落ちた。
「……ボルト……ごめん……ごめん……!」
リュウが、その肩にそっと手を置く。
「……署で、全部聞かせてもらうぞ」
ケンが、優しくレオに手錠をかけた。
翌朝、魔導犯罪捜査課のオフィス。 隅っこに置かれた段ボール箱の中で、ボルトがすやすやと寝息を立てている。
「いやー、しかし、犬が犯人とはねえ」
ケンが、ボルトの頭を撫でている。
「ボス! こいつ、治ったらウチで雇いましょうよ!『瞬き刑事、ボルト!なんつって!」
「うるさいわね! 獣臭いのよ!」
キョウコが怒鳴るが、その手には、高級なドッグフードの袋が握られている。
エラーラは、自分のデスクで、完璧な香りのコーヒーを淹れていた。
「……フム。才能とは、諸刃の剣だ。使い方を誤れば、自分も、最も大切なものも傷つける」
彼女は、ボルトを一瞥し、カップを口に運んだ。
「……さて、ボス。怪盗グリフォンを捕らえた、ワタシの『特別手当』と、この哀れな犬の『治療費』、それから『最高級の餌代』も、きっちり請求させてもらうからねぇ」
クラタが、飲んでいた苦い薬草茶を、盛大に噴き出す音がオフィスに響いた。




